アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

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前穂高岳・二尾根左稜(松高メモリアルルート)

前穂高岳東南面の岩場、すなわち前穂三本槍周辺の下又白谷側(一部奥又白谷)には、登山史の底にうずもれてしまった登攀の形跡が残っている。
この情報の少ないフィールドを訪れるたび、頻繁に古いハーケンやら腐りきった残置ロープなどの残骸にでくわした。


ここに通うようになったきっかけは、ウォルター・ウエストンが1893年に前穂高岳を登頂した際の、山崎安治氏の推定ルート(一尾根第一支稜)の検証のためにそのラインを実際に登ったことだった。この推定ルートを登り、「ウエストンリッジ」と仮称したのは1985年の10月。

そのころからここが自分にとっての地域研究の場として、「最高の遊び場」となった。
埋もれた数多くの足跡の「発掘」を目指して、いくつもの岩稜や岩壁をトレースしてきた。
そして今回の第二尾根左稜の登攀をもって目ぼしいラインの登攀を終了したので、「下又白谷通い」も卒業と考えている次第(たぶん・・・)。

ようやくつかめてきたこのエリアの雰囲気を正確に伝えるとするなら、下又白谷上部岩峰群とでも呼ぶのが妥当だろうと思う。(一部奥又白谷にはなるが)



このエリアの地形を正確に記したデータはほぼなく、下図が今のところもっとも現実に近いと自負するが、修正点もまだまだ多いはず。

山屋の間で、その名を比較的知られているのが一尾根だが、ここは尾根(リッジ)というよりも岩峰の集合体であり、そのためなおさら地形が非常に複雑でわかりにくくなっている。
一尾根周辺の岩峰群とその岩峰から伸びたリッジ群をすべて含めて一尾根と総称するのもよいかもしれない。

一尾根の頭に立つ筆者(赤沼)。左後ろが一尾根第一支稜(ウエストンリッジ)の頭、右後ろが二尾根の終了点(前穂三本槍)

ところで、日本におけるアルピニズムの黎明期(1900年台初頭)にあって、下又白谷上部岩峰群の拠点となる奥又白池は旧制松本高校山岳部の城であり、聖域であった。
かれらは厳冬期の登攀、さらにはヒマラヤを視野にいれて、ここを登りまくった。
一尾根、二尾根という呼称は松高山岳部の部報「わらじ」に初出する。
1938年には北尾根四峰正面壁や北壁右岩稜などを初登攀。
「わらじ」を読むとその前後から一尾根や二尾根の岩峰に通いはじめている。
ちなみに一尾根ははじめ、「松高第一尾根」と呼称されていた。
松高の活動の詳細はこちら

もちろんここを登っていたのは松高だけではない。
一高旅行部、二高山岳会、三高山岳会、北大スキー部、慶應義塾大学山岳部、学習院大学山岳部、早稲田大学山岳部等々、旧制高校や大学の山岳部が活躍していた時期であり、かれらもまたここには登りにきていたと思われる。

それらの登攀記録は残されていたとしても、もはや入手困難な各山岳部の部報などを探るほかない。(「わらじ」は松本高校後継の信州大学山岳部のサイトにバックナンバーが公開されている)

さて今回、二尾根のA沢側支稜とでもいうべきリッジを登った。
3年前に二尾根を登った際はA沢の踏替点付近から、二尾根に向かってもっとも簡単そうなルンゼを経て、右側のハイマツの尾根へとルートをとった。位置的にはこれが二尾根の主稜となる。
今回はその左に見えていながら時間的関係で登らなかった美しいリッジ、すなわち左稜を登ったことになる。
さすがにここまでマイナーなラインに登攀の形跡はないだろうと想像していたが、2ピッチ目のフェースで古いハーケンと腐りきったシュリンゲを見つけた。

「こんなところまで登っていたか!」


これが松高の遺物とは限らないが、二尾根の名付け親であることへの敬意も含めて、「松高メモリアルルート」と名付けてしまいたい。


このラインを狙い始めて3年目。
直前に奥又白での親子熊出没情報があったり、天候が悪かったりで、今回が一番苦労した。

パートナーはぶなの会の野島梨恵さん。
本来はばりばりの沢屋だけど、ソロで積雪期の黒部横断をしたり、ヨーロッパまでクライミングに出かけたりもしている。
海谷、越後、雨飾山などのぼろ壁をご一緒してきた心強い相棒。

台風接近のニュースに一喜一憂しながらも、初日は上高地から奥又白池を経由して、A沢踏替点近くでビバーク。

ようやく見つけたビバークサイト。
A沢踏替点から一尾根上のコルにあがったところだが、両岸が切れ落ちていて2人横になるのは無理。
梨恵さんはハイマツに半分かかって斜めに張ったテント、赤沼は岩陰で露天ビバーク。
雨の予報だったため、降り出したらテントに避難して2人で座って過ごそうということになっていたが、幸い天気予報がはずれて夜半から星空になった。
明るくなると空は晴れ上がり、一面の雲海が広がっていた。
ビバーク地の真正面が登ろうとしているリッジ。(2023年一尾根登攀時に撮影)

ルンゼ内を歩いて半分ほど登り、途中から右の二尾根主稜に出たのが2023年に登ったルート。その左、二尾根にまっすぐ突き上げるリッジが今回登ろうとしているライン。

A沢の取付き付近

A沢には断続して雪が残っている。
ちょうど雪渓の末端あたりから取付く。
今回はテントなどをここにデポして登り、登攀後はA沢を下りてくる予定だが、2人とも運動靴で、雪渓の処理に不安は残る。

雪渓横から赤沼リードで登攀開始

浮石に気を使いながらのクライミング。
このエリアの岩場は節理がよく発達しているので、支点はカムと立木でいける。

岩の節理を追ってルートを選んでいく。

リッジ上の尖ったピナクル手前で1ピッチ終了。

2ピッチ目

目の前の垂直ピナクルをどう越えるかがポイント。
真上のクラックを無理矢理超えるか?
左をのぞくとつるつるの露岩だが、その向こうが凹角となっており、なんとかトラバースして凹角に入る。
凹角の角を使いつつ、草付きまじりの露岩を登って行くと途中に残置ハーケンを見つけた。

2ピッチ目フォロー中の梨恵さん

後ろには昨夜ビバークした一尾根のコルが見えている。
左のハイマツ交じりの尾根が3年前に登った二尾根主稜。

3ピッチ目は2段になった垂直ピナクルを越えて行く。

下から破砕帯のように見えた部分もあったが、実際には浮石はあるものの組成も固く快適なクライミングだった。
これで二尾根に合流し、左稜部分は終了。

ここから前回はロープを使って3ピッチほどで行った緩傾斜帯を、ロープをはずして飛ばしていく。実はデポのところに水筒を忘れたことに気が付き、「とっとと終わらせて水のあるデポ地までおりよう!」というわけで・・・

二尾根終了点に近づくと岩が再び立ってくる。

ここからはリードを代わって梨恵さんがロープを引いて行く。

この辺が後半の核心部。前穂三本槍はもうすぐ。
ピークに広がるスラブ壁を登ると三本槍のピーク。
真下が一尾根の頭。向こうの三角錐の山が明神岳。
終了点は三本槍の頭。うしろが前穂高岳。

左稜から二尾根の登攀はロープクライミング5ピッチ、その間に3ピッチ分ほどのロープなしクライミング。全3時間で終了。
さあ急いで下りよう!水!水!

ところが・・・・

なんと赤沼のルーファイミスで、A沢のつもりで下又白谷本谷をおりてしまった。高差100mほどで気が付いて戻ったけど約1時間のロス。

A沢の下降

気を取り直してA沢に入るが、雪渓の状態からして運動靴で下りられる状態ではなし。
60mロープ1本なので30mずつ。3回の懸垂下降となった。
途中ハーケン2本、捨て縄3本を残置することとなった。
もう1回懸垂下降をしたいところだったが、よい支点も作れず雪渓わきをクライムダウン。ここが今回最悪のピッチとなった。

デポを回収して、水もたっぷり飲んで、下山したが、不摂生の続いた赤沼は中畠新道の途中で足腰がおぼつかなくなり、危険回避のため梨恵さんにガチャ(登攀に使う金属類)をすべて背負ってもらうという人生初の屈辱・・・というか喜びというか・・・を感じることに。64歳にしてついに介護されてしまった。いや梨恵さん最強だわ。

なんとか上高地に下山。

なんともまあすごい人出ですな~。
まったく人に出会わない山行をやってきただけにショックも大きい。
炎天下、バス待ちの行列が河童橋より先まで伸びてるし、タクシー待ちは聞くと3~4時間になるって。

さっさと下山して風呂入って打ち上げ!ってプランはここで頓挫。

これはあそこに頼るしかなかろう!ということで・・・・
梨恵さんが一応タクシー待ちの順番を確保しつつ、赤沼が日本山岳ガイド協会の運営する上高地アルプス山荘へと交渉に赴く。
支配人の岡島さん(プロのガイドでプロのギタリストという素敵なおじさまですよ)からOK出た~!

上高地アルプス山荘は帝国ホテル並みの素敵な建築物

というわけでこの日は上高地で即風呂に入り、食事もして、岡島さんやほかのガイドさんなどとワインを飲みまくり、暖かい布団で寝ることができたのでした。

ちょうどTJARも開催中でその関係者や選手もいたのに、よくまあ部屋が確保できたこと。

聞くと、運営が山岳ガイド協会ということもあり、こういう登山帰りの帰宅難民を受け入れることができるよう、1室は余らせて予約をとっているのだと。これに救われたようです。

さあ皆さんも困った際は頼ってみよう!
というか困らなくてもよい宿ですよ。
最近はガイド関係でなくても利用できるようになったとのこと。

上高地アルプス山荘のサイトをご参照ください。


西上州・毛無岩「ボレロ」

以下は1985年~1986にかけて開拓した「ボレロ」について、Climbing Journal誌の掲載記事から書き起こしたものです。
同誌は廃刊となり、バックナンバーも入手困難なので、こちらに掲載させていただきます。

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手書きの挿絵

2本の新ルート

ボレロ

赤沼正史

西上州に佳き壁あり。吉川栄一氏からきいて心踊るのを覚えた。西上州の岩峰群にはぜひ一度手をつけてみたいと思っていたのだ。ましてや、メンツが我が「同人栗と栗鼠」の面々で、「一発攀って、ひと騒ぎやろーぜ」ということならばもう逃がす手はないというものだ。
さて同人の命運を賭けた大狂宴(マツリ)、否遠征はここに幕を開けた。

かくして登攀は始まる

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毛無岩全景、右が烏帽子直上ルート、左がボレロ

第一次攻撃は総勢7名。吉川栄一、安田秀巳、山田武、板本恵子それにぼくと栗と栗鼠メンバー。客員としてパンチパーマの元気クライマー、クラブ・ポリニエの小林一弘(注:その後メルー峰で遭難死)と、同じく元気山屋の柴原生依さん。1985年11月23日御毛々河原(おけけがわら)に集う。 アプローチはほとんど寝てない体にはきつい急登を含むもので、所要時間は40分〜2時間なり(個人差あり)。

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「へ、楽勝だぜ」「もらい!」とかいいつつ見上げる壁はなかなかの圧巻ではある。やれ「ぼろい」だ「プロテクションがとれない」だ言ってる一方、悩みを知らない小林は「あ、岩登りは危ないよ」の制止を振り切ってさっさと登りだす。下で「ヤベ ーな」とか「死ぬなよ」とかワイワイ言ってる間に小林は「勝負」「セイッ」と元気一杯の孤軍奮闘(クライム)。 小林を確保するぼくのとなりで何か悩んでぶつぶつ言ってるコアラ安田氏に「ちょっと上がって小林を制止してきますわ」かなんか言って登りだすが、そこは現場興奮症の烙印を押されたぼくのこと、まして11月とはいえ快晴無風、Tシャツ一枚の快適な登攀日和。あっさり小林の側に寝返ってルートを伸ばす。結局この日はコアラ氏から借りたボルトまで打ちつくし、4ピッチを登る。あと2〜3ピッチで終わりそうだが、腹が減ったのと眠いのとで、「あとは明日、皆してかたづけるべ」と下りだす。

夜は当然ながら御毛々河原で「完登前祝い」の大宴会。ここは静かで、流木にも恵まれたまことによろしい河原である。思うさま酔う。

しかしながら完登予定の翌24日、酔眠を覚ましたのはテントを叩く雨音だった。若えーもんはさっさとフィックスロープの回収に行き、「年が明けて暖かくなったらもっぺん来るか」なんて、ちょっと悠長なことをつぶやきつつひきあげる。

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2P目のフェース(トラバースバンドの手前)Ⅴ-

1986年 登攀はつづく

何せ忙しい冬だった。あいつぐ忘年会、温泉行、秘かに狙う冬壁の試登、ハイキング、氷瀑登攀、山スキー、ヘリに乗って遭難救助、奈良吉野古寺巡りetc…と無節操にとびまわっているうち、4月の声をきくと誰からともなく毛無岩をかたづけようとの話が高まってきた。
かくして第二次攻撃隊は4月5日、再度御毛々河原に集合した。総勢6名。
吉川、コアラ、山田、ぼくの栗と栗鼠メンバー+山猫より参加の井上博之、小林建也の二氏。 考えることは皆一緒らしく、恩田隊長パーティともこの河原で再会。隊長パーティも独自にルートを作ってるとのこと。
恩田隊長パーティを加えての野宴から第二次攻撃は始まる。

翌6日、攻撃隊はちょっとテレくさい“決意と自信”を背に、やけに冷たい強風の中、岩と再会。これはもうほとんど嵐と言ってよい。
しかし登攀は始まる。ここに我が同人栗と栗鼠の意志の強さが、完膚なきまでに発揮されたわけだ。全員登頂を目ざす今回、6人だらだらとロープにつながって登る。前回小林が“浅打ちボルトのタイオフ”をプロテクションに乗り越えた、ボロいがホールドは細かい“勝負ピッチ”はあまりにも美しい、ということで下降の際ぼくが発見した草付バンドのトラバースで危険部をあっさりと巻く。ここからは雪のちらつくものともせず、フェース、高度感あるトラバースと前回ルートをトレースし、さらにコアラ氏の奮戦で1ピッチルートを延ばしたが、案の定人数が多すぎ、時間切れ、下降。

ルートは終了点まで十数メートルを残すのみ。

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岩峰探しの楽しみなど

ぼくと西上州の岩峰群のつきあいを想いかえせば、オフロードバイクを駆って岩峰群の中をツーリングした昔にまでいたるのか、あるいは毎週のように二子山南面の岩場に通っていたころからと言うべきか。

もとよりぼくには奇岩、奇景の地への憧れが強かった。いくたび訪れたかしれない明星山や海谷の岩場。そしてドロミテやユーゴスラヴィアの石灰岩岩塔群。さらに西上州の今では単なるセメントの材料になってしまった武甲山や叶山牢ロルンゼ…。

たしかに奇岩、奇景の地にはその異質さを包みこむ強い風土があるし、そこは又、よき酒、よき人のあるところでもある。(「西上州に旨い酒なんてねーよ」というコエあり。たしかに旨い地酒と思って呑んだ“百萬弗”は実は京都伏見の酒であった、が、それはともかく)

風土のあわいを巡り、異なる本質を歴訪しながらも、唯一不変の“クライミング”という様式を追求し、それら風土の差異を足蹴にする時、むしろぼくの裡にある「山登る心」(アルピニズム?)は奇岩、奇景の地に棲まう魑魅魍魎と感応し、ひとときその姿を怪しく見せ、またおどろおどろしくも酷悪な混沌の裡に沈んでゆく。

ぼくにとってのアルピニズムは、けだし忌むべき内面の律動であると同時に、対人的価値(ヒロイズム)に容易に回収され得る欲望の交錯体でもある。

西上州と言えば又、かつての天狗の住み処でもあった。水戸藩の尊皇派“天狗党”と、ラーメン屋の親父からきいた話、物語山の壁を蔓草つかんで登り、その蔓を断ち切って追っ手から逃れたという一団は果たして同一なのか。ところで蔓草を切ったあと彼らはどうやって壁を下りたんだろう?
それぞれの岩峰の数ごと、それにまつわる言い伝えを有するここの岩峰群は、人の生活と深くかかわってきた雄弁な歴史の語り手でもあるのだ。

さらに続く毛無岩参り

さてゴールデンウィークの前半、4月27日安田コアラ秀巳氏とぼくは、有明山でのルート開拓から転進、サミット厳戒体制の中、われらがロケット弾搭載車は検問のおまわりをからいつつも、一路毛無岩に向かう。
このいわゆる抜けがけ行為は、雨の御毛々河原二泊(宴会付き)の結果に終わった。この時の毛無岩には、他にも恩田パーティ、雲表パーティ等いたようで、なかなかの賑わいを見せていた。

さらに5月11日。今度こそはの完登を期して、一行五人は壁に向かう。予報では天気悪くないはずだし、昨日の酒も抜けて体調はまずまず。今日こそは完璧に登れるとアプローチを急ぐが、「おい赤沼、これ雨じゃないか」とコアラ氏。ま、まさかと見上げて悲嘆にくれる。「もう4回目やで〜」。どこかにウンチをしに行った吉川氏に我が同人栗と栗鼠の「オオカミが出たぞ」コールをとばす。吉川氏もしゃがんだまま「ヒエーイ」とか……。
この日はフィッツロイのようなミドリ岩南面の見学に行き、コアラ氏は山菜ツミの翁と化してタラの芽を集めた。

毛無岩、未だその登攀を許さず泰然と構う。

“ボレロ” かく攀らる

ぼくらを拒絶しつづける毛無岩はついにコアラを本気にさせてしまった。もろにくらった右フックに霞む目に毛無岩は、しかし今日は優しく微笑みかけているように見えた。どうやら今日はぼくらにとっておきの“幸運のストック”を分けてくれるつもりのようだ。見事に晴れあがった春の空の下、アプローチを急ぐコアラ氏とぼく。山菜とりの翁ことコアラ安田氏はとても張り切っていて、体中に流れる誇り高きヤクート族の血が脈打つのが、時折その挙動にうかがえる。ぼくとて例外ではなく、受け入れる意志を示しつつも恥じらう毛無岩が妙にまぶしい。

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4P目のランペ(Ⅴ)岩は硬くて快適

3ピッチ目のトラバースを終了してバンドに立つと、そこに下降用らしい残置支点があった。ぼくらのルートよりはるかに急な右のフェースを登ってきたもののようだ。「スゲ ーな、こんなとこ登ってんのかよ」「人工で努力したんじゃないの、ほらこの間の連休の時にも」「ヒエ ー、隊長こそこそと結構やってんじゃない」とか会話しつつ4ピッチ目を再登する。ふと下を見ると隊長パーティがかけ離れたヤブの中より姿を見せる。「え、じゃあれ誰が登ったのかな」「雲表じゃない?」「 何を言ってる、雲表は下降しない! 登山規制条例は違憲だ」とかわけのわからないことを言うが、後にこれは隊長関係者の鈴木氏なる人の手になるものだとわかった。

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最終ピッチのジェードルへ入り込む

さて壁の最上部は完璧な垂直壁で、下から双眼鏡で見つけたクラックに唯一フリークライミングの可能性を求める。前回到達点から左方にあるそのクラックを求めてトラバースし、小さなピナクル状を越えると、勘がどんぴしゃにあたってクラックまでバンドが続いている。ボロ岩のアンダークリングでクラックの取付へ。
しかしクラックと思っていたところは少々ぶり気味のジェードル状で、浅いクラックには泥草がつまっている。ここはルート中唯一の人工となる。ボルトと泥の中に打ったアングルハーケンが割と効いて……ちょっとかぶり気味だがホールドの増えたフェースを、ボルト一本根本まで埋めてからフリーで勝負に出ると、いきなり目の前が明るくなった。 5月17日、最後のホールドが山頂だった。

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最終ピッチ(6P目)は人工となる

1986年5月17日完登 完登メンバー:安田秀巳、赤沼正史 (同人栗と栗鼠)

烏帽子岩直上ルート

(同日に登られた恩田隊長らによる烏帽子直上ルートの記事も掲載しておく)

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滝沢孝弘

毛無岩にも通うこと数回となり、手をつけたルートは計三ルートとなった。そのうち完登できたのは一ルートだけで他の二ルートは、核心部と思える上部岩壁を残している。今回はそのうちの岩壁の右端の稜からのルートをねらう。一路、千賀嬢の運転する車は道場の集落へ向かう。 明朝、快晴。絶好の登攀日和だ。登攀開始は結局11時頃になってしまい、今日中の完登も微妙となってきた。5P目までは、前回までに登っているので順調にザイルを延ばす。 1P目、取付から右のフェースを7〜8m登ると左側にフェース、右側にはクラックとなり、クラックにルートをとる。クラックを直上し、出口から右側のフェースに回り込み直上する。右側は深くルンゼが切れこんでいる。ブッシュをこいで枯れかけた白い立木でビレイ。
2P目、ブッシュ帯を登る。時おり、小さなフェース有り。フェースの前の立木でピッチをきる。
3P目、フェースを左に回り込み、クラックをたよりに直上し、ブッシュをこいで行くと手には上部岩壁が見えてくる。コル状となった所でビレイ。
4P目、草付のフェースから小さな凹角を左に回り込み、泥と草付の溝状を直上しバンドを左へトラバース。
5P目、バンドからかぶったフェース(出だしのみ)を人工で直上し、草付のある所から右へ2mトラバースし草付をたよりに直上。やや外傾したテラスとなる。
6P目、クラックぞいに再び人工で直上、バンドへ出たら右へトラバースしピッチをきる。ここが烏帽子岩(仮称)右側の基部となる。次のピッチはフリーで行けそうだ。
7P目、左手の緩傾斜のフェースを左上し、二つ目の凹角(10m位)の下のテラスへ。最初に見える凹角はかなり立っており15m位ありそうだ。
8P目、テラスから2m程直上し右へ回り込み凹角下のレッジに立つ。凹角内のクラックは下部で2〜3㎝、上部では20㎝以上の幅となっている。

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取付前にはフリーで行けそうに見えたところも、実際取付くとかなり困難で、あっさりと人工となる。結局はボルト連打となり凹角の左側を直上し終了。何とこのピッチだけで2時間を費してしまった。ビレイしながら後続の二人を待つ。まさに「終ったァ」という実感がこみあげる。

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最終ピッチ(8P目)の凹角はボルト連打

終了点のすぐ横には縦走路があり、50m位登ると毛無岩のピークとなる。無事の登攀と初登を祝い、三人で握手をかわす。これまでに登った既成ルートとは、一味も二味も違った最高の気分だ。
終了点からアブザイレン6回で基部にもどる。あたりも暗くなり林道の終点のベースに急ぐ。
なお、このルートに限らず、毛無岩は、平気でホールドがガバガバとハガレ落ち、後続となる程ホールドがなくなりますので早いうちの登攀をおすすめ致します。

1986年5月17日完登 メンバー=恩田和義、千賀薫、滝沢孝弘(同人泉山岳会)

注:
ボレロは(2026年現在)まだ第二登がされたという情報はない。
烏帽子直上ルートはある程度クライマーを迎えており、残置されたボルト類を利してフリーで登られるようになっている。(赤沼も後日フリーで登った。)
またこの後2012年に赤沼と小見麻紀子にて烏帽子直上ルート右手のルンゼを登った際、残置ボルト等登られた形跡を見つけている。

ルンゼ状スラブ登攀記

八王子城址「御主殿の滝」の偵察

さて「高尾周辺を遊びつくす作戦」の一環として、「藪尾根歩きも楽しいけど、やっぱりどこかクライミングらしいクライミングもしたいよね」となるのは、クライマーの必然。
「大きめの崖」は見当たらないので、やっぱクライミングするなら滝ですな。
有名な小下沢は支沢の滝も登ってみてだいたいおしまい。
第一回 第二回
底沢の謎も探ったけど、行動自体は藪歩きに終わりましたね。
「ほかにはないのか?」と検索してて見つかったのが八王子城址の、御主殿の滝というやつ。ネット上で写真は見つけたけど、規模感とかまったくわからん。

そして・・・・。
えーと。
血塗られた歴史があるらしい。
心霊スポットとしても有名なんだとか。
誰か登ってないかな?とAIのGeminiくんに質問すると、
「心霊の情報があるので登るのは危険」なんだとか。
あほなんですか?
AIの限界ってやつね。
ネット上にあるデータを上手に収集してきて、うまくまとめるけど、ネットに書いてあることはすべて真実として鵜呑みにするやつ。

いえ、心霊系、スピリチュアル系の話をばかにしているわけではないんです。
怪しげな自称気功師と縁があって一緒に仕事(怪しい仕事ではない)をしていたときに、神道とか仏教とかスピ系の人たちとかにずいぶんと知り合って、半信半疑、興味本位でいろいろやってました。
「わたしゃ触らずに人を吹っ飛ばすことができるのよ」と宣う人格的にやばめな気功の先生が次々と人を吹っ飛ばすのを目の当たりに見ていたけど、「あれは生徒たちが同調圧力で勝手にとんだふりしてるんでしょ」とか思ってた。でもある日自分が吹っ飛んじゃった。
そんなことが続いて、「信じない」、でも「疑わない」っていう基本姿勢に落ち着いたような気がする。
神社仏閣、自然やその他霊的なものも含めてリスペクトはします。でも解釈はしない・・・というかできない。
そして最後に落ち着いたのは、山で生き抜くための方法論として「信じるのは自分の直観だけ」というところだったかも。リスペクトできそうな対象に手をあわせてみたり、祈ってみたり、呼吸をしてみたり・・・いろいろやるけど、それは自分の直観に気が付くための方便だったりするのかもね。
そんでね。直観に気が付くとかかっこういいこと言ってるけど、その実効性は、実は、たぶんない。でも、そういうプロセスを経ることで、なんか聖なる気分になるっていうか、俗臭が抜けて集中力が高まるようなことはあるかもね。

雑談が長くなったけど、「心霊核心」らしい滝のクライミングをするなら、まずはその「心霊」と向き合いましょうというわけで、まずは御主殿のある八王子城址、その守り神の八王子神社にお参りです。呪われた滝にちょっかいだしていいか聞いてみましょう。

八王子城跡ガイダンス施設の駐車場からスタート。
まっ黄色のいちょうがありました。

よく整備された登山道を40分ほどで八王子神社に到着。

手を合わせながらお伺いしてみる。
「滝登ってもいいすかね?」。
よくわからんけど嘲笑われたような気がする。神様に受けてる?
そりゃもう「ご自由に!」ってことなんかなと都合よく解釈。

八王子神社の上、本丸跡をまわりこんだところの祠さんがとても気持ちよく、素敵です。

本丸の裏側へまわって石垣にそってさらに先へ進む。

北高尾山稜にいたる登山道に入ってからも、さまざまな遺構が出現して楽しい。

この辺で遺構はおしまい。あとは登山道をたどって北高尾山稜にいったん出る。

北高尾山稜の富士見台からは熊笹山を越え、途中から今日の目的御主殿の滝がある沢沿いの道をくだる。

熊笹山の先から沢沿いの道をおりると駐車場手前が御主殿の滝。

下りはじめは少し道が荒れ気味だけど、すぐに整備された林道になる。

御主殿址はきれいに整備されて観光客もうろちょろ。


そしてこの橋のすぐ下に御主殿の滝が。

なんかすごそうな滝の絵がある。ここからはまだ滝は見えない。

卒塔婆なんぞも立っていて、いろいろとお供え物?もありますな。

というわけで踏み跡を沢におりるとこれが御主殿の滝らしい。
・・・・・・。
しょぼ。

あ、もちろん雰囲気はありますが、クライミング対象として見た場合の感想ね。
登る価値なし。以上!
いや運動靴で登ってきてもよかったけど、近くで草刈りしているおじさんに怒られそうだし。

その下は軽くゴルジュ状。

林道をくだるとあっという間に駐車場でした。
1週5.8キロ、2時間40分ほどの気持ちのよい半日ハイキングとなりました。

新潟・金城山高棚川つばくろ岩

金城山は巻機山の北西約5.5kmほどに位置する1396mの山。
つばくろ岩は金城山から東方向に伸びる登山道のない藪尾根800mほどのところにあるイワキの頭というピーク南面の急峻なスラブ壁で、高差250mほど、幅300mほどにわたって展開している。一言でその特徴を言えば、越後の超マイナーな悪壁。
1970年台ころにあらかわ山の会、江戸川山の会、東京稜行会などによって何本かのルートが登られ情報もまとめられ、あらかわ山の会のホームページには一部公表されていたらしいが、今年2025年に会が解散となりホームページとともに情報もなくなってしまった。

今回のパートナーは野島梨恵さん(ぶなの会)。
今までに甲斐駒ヶ岳摩利支天の岩壁や雨飾山ふとん菱、それに海谷の海老嵓などでクライミングを共にした頼れる相棒。

「自分は草付き泥壁の中で至福を感じる沢屋」と言い切ってるだけあって、まるで呼吸をするように沢を歩き藪をこいでいく。

前穂高の南面で赤沼懸案のリッジルート開拓につきあっていただく予定だったが、天候不順で転進。
梨恵さんは15年も前からつばくろ岩を狙って情報を集めており、何度かこのエリアを訪れてはいたが、まだつばくろ岩本体を特定することもできずにいた。
転進先はここにした。

上の写真に写っているこのあたりがつばくろ岩だったということが、登ってみてはじめてわかった。

実はこのつばくろ岩、赤沼の知り合いでもある山登魂山岳会の鮎、オーブコンビが2009年5月に登り、往復たった6時間で登山口に帰還している。
それを見て昼までには帰るつもりでいたのだが・・・・

5月の残雪を利用してのアプローチとは裏腹別物。
「雪がなくても河原歩きで簡単に行けるだろう」なんて考え、無雪期の越後の沢の悪さを想定していなかったのはそもそも大ポカだった。

雪崩に磨かれた花崗岩系の滝がいくつも続く。
ボルダリングレベルの難しいクライミングで越えたり、延々と草付きと露岩を越えて巻いたりが連続する。
赤沼が登りだした側壁は悪すぎていきづまり、泥クラックに突っ込んだカムを捨てて懸垂しておりたり・・・・
梨恵さんがチョックストン滝を、空身になってカムと泥に打ち込んだハンマーのエイドで越えたり・・・・
垂直の藪をロープクライミングで尾根まであがっての高巻きがあったり・・・・
岩壁の取付き付近まで実に7時間の奮闘的な沢クライミングとなった。

さてどうやら取付き付近にたどりついたようだ。
で、どこ登ればいいんだ?
まわりじゅう垂直の藪と垂直のぬめりまくったルンゼといや~な感じのスラブ壁しか見えん。
しょうがないので↑こいつの右端のほうを登りだしてみる。
いやな態勢でハーケン打ったりしながらようやく岩壁帯にたどりついたけど、簡単に登れそうには見えない。
山登魂の2人はフリーソロであっさり越えてるらしいんだが、これどう見てもロープつけて、ボルト打ちながら奮戦する壁でしょ?
ふと振り返ると、谷の向かい側に気持ちよさそうな、つまり傾斜のゆるいスラブ壁が稜線近くまで続いているじゃあありませんか。
さっさと懸垂でおりて、そちらにトラバース。


いやいや。こんな快適なスラブ壁でしたよ。
これがたぶん山登魂のふたりの登ったS字スラブだろう。

ともあれ楽しい岩登り自体はあっという間におしまい。
これでだいぶ高度は稼げたけどね。

稜線に近づくと傾斜の強い藪漕ぎといやらしい露岩のミックス、つまりとてもとても越後らしい岩壁になってくる。佐梨の岩壁登ったことある人ならどんな感じかわかると思う。
下に向かって生えてるしゃくなげの根をつかんで、ぬめった露岩に足をこすりつけて、ほぼ腕力で身体を持ち上げて行くような、体力の消耗の激しいクライミング。根っこをがっちり持っている限り怖い感じはしないんだけど、間違って落ちたらまあ助からないでしょう。(そういうパートは余裕なくて写真も撮ってないす。)

岩壁部分を抜けて少し傾斜が落ちてくるも、藪漕ぎはかわらず。

もうすぐ稜線。


稜線にでたところのピーク「いわきの頭」。
登山道の通っている金城山までは1キロほどの藪稜線。
暗くなると同時くらいに金城山にたどりつき、あとは嵐となってしまった中、すべりやすい登山道をおりて登山口にたどりついた。14時間ほどの行程となった。

高棚川林道途中0622am-二股0855am-小峠付近1030am-つばくろ岩基部1330pm-イワキ頭1618pm-金城山1744pm-観音山(雲洞)登山口2030pm-タクシー-高棚川林道駐車地2045pm

地蔵岳・離山岩峰群

地蔵岳の北にひときわ目立つ岩峰群がある。
それらの最高峰は地図には離山と記載がある。

鳳凰三山の地蔵岳方面から見ると左手の岩峰が離山(2307m)。
その右手に2峰、3峰、4峰と並んでいる。
ネットで調べると藪岩愛好家やヘビーハイカーなどがたまに登っているようだ。

離山(岩峰群)の位置
アプローチも含めたトラックログ

ここを訪れた人たちの多くは石空川の駐車場をスタートして、北東のやぶ尾根からアプローチし、離山岩峰群を縦走したあと地蔵岳に抜けている。
岩峰たちは主に風化花崗岩の傾斜の強い岩壁で形成されているようで、登山者の多くはその弱点、すなわち急傾斜の木ややぶに覆われた斜面を登り、下降は懸垂下降をまじえて通過している様子。
クライマー視点で訪れたらどこまで遊べるのか?
そんなテーマで登りに行ってみた。

パートナーは石鍋礼くん。
彼が中学生のときからのつきあいなので「少年」と呼んでいるが、もうアラフィフのれっきとしたおじさん。
フリークライミングが得意でエルキャピタンなんかも登っちゃってる。

誰もいない石空川の林道奥にある駐車場にテントを張って前泊。
かなり長い行程となるので、早朝暗いうちに出発した。
先人の記録に倣い、吊り橋を渡ったあたりから離山の北東に伸びる尾根に取付く。
ときおり傾斜の強いところもあるものの、はじめのうちはゆったりとした樹林の尾根。

気持ちのよい森であちらこちらに茸が顔をだしている。
「これ松茸じゃね?」みたいのもあったけど、茸はわからないので素通り。

1914m峰の手前のピークあたりから露岩が出始める。

いよいよ離山。4峰が近づくと、行く手に次々と岩壁が立ちはだかる。
苔むした露岩のフェースと樹林や藪に覆われた急なルンゼで構成される岩場が多い。

複雑な地形を読みつつ岩場を越えて行く。
地形が複雑な分、登るルートの選択肢も多いので、難しくもやさしくも登れるのが楽しい。

いよいよ岩峰群に突入。
ルートの選択肢は減ってくる。
苔むした脆い岩場をおそるおそる登るか、木登りに逃げるか。
我々はもちろん、できる限り岩場を越えて行く作戦。

木登りに逃げるか岩で苦労するか。自分との闘い(笑)がつづく。
ここではいったん正面突破を試みる・・・・が、ハングに行く手をはばまれ・・・・・いったん木登りに逃げ・・・・「あのハングさえ越えれば中央突破の気持ちいいラインになるぞ」と再チャレンジ。
ぼろぼろクラックにねじこんだサイズのあわないカム(カム4個しか持ってこなかった)と、抜けそうな枝に通したスリングでのエイド(人工登攀)で限界ぎりぎりのクライミング。
こんな遊びがつづく。

赤沼が「このフェース、フリーで登れるんじゃね?」とトライするも恐ろしすぎて即敗退。ところがそこをじっと見つめる礼くん。
「これやってみていいすか?」と日ごろ高難度フリークライミングをこなす礼くん。
「もちろん好きなだけやってちょ」と赤沼。
荷揚げ用のバックロープも付けて空身で登る気満々の礼くん。

「でもさ。途中で支点とれないし、落ちたらその下、切れ落ちてるから大きめの怪我しそうだよ。」と赤沼が手前の木から伸びあがってカムを一つ設置。
「さあ、どうぞ!」

しか~し。取付きで岩を触りながらもじもじする礼くん。
「あははは。これが風化花崗岩じゃ!すべてのホールドがはがれるつもりで登りなさい!」と上から目線の赤沼。
そして「やめてもいいよ。左から巻けるよ~」と悪魔のささやき。
「・・・・・やめます。」としょんぼりする礼くん。
ぐわははは。これが脆壁じゃと無駄に鼻の穴をひろげて偉ぶる赤沼。

岩峰のくだりは木登りの反対、木下り?で行くが、木が途切れてきたら即懸垂下降。

離山本峰が近づいてくるにつれ、風化花崗岩の巨石が無造作に置かれたような地形になってくる。
ルートファインディングの重要性が増してくるけど、ほぼ勘と運の世界。

ざらざらに風化したスラブ帯は手掛かりがなくて、下は切れ落ちていたりしてなかなかに怖い。

まわり中こんなフェースに囲まれる。
ルーファイが難しい。

離山本峰は越えて、あとは地蔵岳に向かうだけ。
でもここからが大変だった。
巨石がごろごろしていて、その間はハイマツとシャクナゲの藪に覆われた尾根を究極のルーファイが求められる。
ハイマツのクレバスと巨石の間にはまって身動きつかなくなった礼くんがトランシーバーでアドバイスを求めてきたりもあったけど、だいぶ先まで行ってしまった赤沼は手の出しようもなく「知らんがな」と、ただ彼の自助努力を待つのみ。

藪漕ぎしながら振り返ると登って来た離山の岩峰群。その向こうは北岳かな。

巨石の間をいんぐりもんぐり地蔵岳を目指す。

地蔵岳のオベリスクが見えて来たころはもう暗くなってきちゃったよ。

周り中岩だらけ、やぶだらけ。今日帰れるんかいな?っていう風情の動画。

すでに暗い地蔵岳に到達し、夜を徹して歩き、駐車場に帰還したのはすでに深夜となってしまったわけ。
いや~長かったな~。
一応ツェルトで泊まれる体制はあったけど、北杜市の別荘に行って、風呂入って酒飲みたいし、がんばって20時間も歩いてしまった。

さてこのルート、若くて元気な人たちは10時間ちょっとくらいで踏破してますな。一般的には18時間くらい?
まあ自分たちなら15時間で踏破して、夜早めに別荘で酒飲みだすくらいのつもりだったんだけど・・・・
わけわからんクライミングでつぶした時間3~4時間、実は藪漕ぎが苦手だった礼くんのオーバータイムも考えればまあこんなもんか。
実はアラカン赤沼、20時間も歩けたことでちょっぴり自信つけちゃったりもしたよ。はは。

金峰山・千代の吹上第三岩稜A峰正面壁

金峰山山頂近く、千代の吹上の上を行く稜線登山道から眼下に望まれる独特な姿の岩峰が、3~4つの岩峰から形成される第三岩稜の一番上の岩峰(A峰)だ。

A峰を下(南面)から見上げるとこうなる。
この正面壁を登って、特徴あるチムニーにはさまり、このピークに立ちたい。
ちなみに側壁からこのピークには以前立っている。(下記リンク参照)

そしてようやくこのチムニーから念願のピークによじ登ることができた。
そしてこのクライミングで千代の吹上通いも一段落かな。

今回のパートナーは頼れる兄貴、中尾政樹さん。
B峰のクライミングもご一緒してくれた。

前回は長いアプローチを嫌って、前夜大日小屋に宿泊したが、あまりの臭さ、汚さに辟易して今回は早朝発の日帰りプラン。
砂払いの頭手前から第三ルンゼを下降。左岸に向かってA峰B峰のコルへ。
上の動画はコルからA峰周辺を撮影したもの。

コルから短い懸垂一回で取付きへ。

壁の中央付近のクラックを目指して中尾さん離陸。
「岩が脆くてどれもはがれそうだよ~」などと叫ぶ兄貴。
しかもクラックは節理がちゃんと入っていなくて苦労している様子。(赤沼は木の葉陰でビレイしているので様子がよくわからない)
そして「残置ボルトがあった~」と。
古めのリングボルトらしい。
どうやら誰か登っているみたいですな。
残置ボルトがあるとはいえ、チップが見えるほどの浅打ちで、危険な感じとのこと。
中尾さん「どうせなら登られているラインよりは、まだ登られていないラインから行こう。」と、その浅打ちボルトにそっとテンションをかけながらクライムダウンしてくる。

左よりのラインに向けてやりなおし。
10メートルほど?あがったところで、壁の中央に向けてトラバースとなるが、ロープが浮石を落とすと赤沼直撃の位置だったので、ここでいったんピッチを切ってくれた。

ここからも風化した花崗岩をだましだまし壁の中央部に行き、そのまま上部へ。ちょっとしたリッジをまわりこんで行ったため、赤沼からは様子が見えないがロープは着実に伸びて行き2ピッチ目も終了。

2ピッチ目フォロー中の赤沼

2ピッチ目も脆いところがあって気は使うけど、それほど難しくもなく、割と楽しいクライミングで例のチムニーの真下まで。
そしてこのピッチにも残置ボルトがあった。
ロープピッチとしてはそのままピークアウトできそうだがここで2ピッチ目終了。
最後のおいしいところを赤沼のためにとっておいてくれたみたい。
「最後のピッチ登る?」と言ってくれたけど、「いや今回は中尾さんが最後までやっちゃってくださいよ。こういうワイド系は中尾さんの得意分野だし。」と赤沼。

さっそくワイドクラックにはさまって楽しそうな中尾さん。
最初のこの辺が核心のようだ。
そしてチムニー内は狭すぎてヘルメットが邪魔のようで、脱いで荷揚げ用バックロープでおろしてきた。

中尾さんの身体はどんどん奥へと吸い込まれていき、すぐにピークアウト。
赤沼はせっかくのトップロープなので、核心部は中に入っていんぐりもんぐりするのを避け、レイバックでワイルドに登ってみる。

チムニーにはさまって嬉しい赤沼

ピークに出た~。
最近得意の自撮り棒で記念撮影。

A峰のピークからも少し岩稜がつづくが、面倒なのでロープをはずして樹林ごしに登って行き、途中から岩稜上に。

岩稜を少しあがったところから中尾さんの雄姿を撮影。
この画がほしくてあえて樹林から岩稜のうえに出たわけ。

もう一枚。

さて打ち上げには菊地ガメラ氏も合流して四方山話。
「今日登ったところは未踏だろうと思ってたけど、登られていたみたいですよ。」と赤沼。
「あれだけ目立つ岩場だから結構登られてるんじゃないの?そういえばY野井さんあたりが、ヒマラヤの練習のためにあの辺をだいぶ登ったらしいよ」と山岳界の事情通ガメラ氏。
Y野井さんレベルのクライマーなら、ナチュラルプロテクションで登るだろうし、練習意識なら記録なんかださないだろうし・・・・ということで、この一帯も何度かは登られているんだろうなという印象。
ともあれ、初登攀に興味があってのクライミングでもなく、あまり人に知られない楽しいラインを発掘することができたのがとても嬉しい次第。
第一岩稜、第三岩稜、第四岩稜の主だった(自分に登れそうな)ラインは完結。
第二岩稜、第一フェース、第二フェースは残っているけど、すでにだいぶ登られていて情報もあるので、「ルート発掘」的興味としてはまあ対象外。

そんなわけで千代の吹上通いはいったん卒業かな~。

金峰山・千代の吹上第三岩稜B峰

懸案の第三岩稜B峰に一本のラインを引いてきた。

D峰を登った際にD峰の頭から撮影したB峰。
全3ピッチとなったが、1ピッチ目は写っていない。

第三岩稜についてはほとんど情報がなく、2024年9月に登ったときに概ね4つの岩峰からなることがわかり、上からA, B, C, D峰と仮称した。


2024年9月には一番下のD峰を登っただけで時間切れ。
同年10月にA峰を登った。

A峰(B峰の頭から撮影)は、この特徴的なチムニーを登って頭に出たかったが、向かって右側のルンゼからアプローチした際は下部フェースにルートを見出せず、右側から巻き込むようにしてこの上に立った。

その際残置ボルト一本を確認している。過去に似たようなラインで登った記録があるようだが、われわれが登った際は、残置ボルトのあるルートはとらなかった。一部かぶっているような気もするがはっきりしない。

さてA峰は不本意なラインではあったが、登ってその頭に立った。
D峰も登った。C峰は登攀価値はあまりないと判断。
今回の狙いは最後に残されたB峰。なかなかの大物に見える。

パートナーは中尾政樹さん。
シブリン南壁の初登攀、サトパント北稜の登攀などの実績を持つほか、黒部や瑞牆山などを中心に高難度ルートを多数開拓してきた心強いパートナーだ。赤沼より少しだけ年上のパイセン。
千代の吹上には前から関心を持っていたとのことで、お誘いするとすぐに食いついてきたものの、「アプローチが遠いな~」とか言うし。
なので瑞牆山荘登山口から入山し2時間ほどで到着する大日小屋をベースとして、翌早朝出発するというプランを提案。心の中で、「じいじたちの、のんびりクライミングプラン」と勝手に名付けた。

大日小屋から金峰山方面に2時間弱で砂払の頭。
ここから第三岩稜、第四岩稜の間のルンゼをおりてアプローチする。

第四岩稜のスラブ帯が右に見るあたりから、左手には先日登ったD峰の頭が見えてくる。D峰とC峰のコルに上がろうと思っていたが、露岩が多くて難しそう。
少し上に戻って樹林の斜面をあがっていくとちょうどC峰とB峰のコルに出た。

B峰とC峰の間を懸垂でおりながら、B峰のルートを探る。

歩いても下りられそうなところだが、B峰に見惚れて歩いていて怪我なんぞしてもつまらないので・・・・

中央がD峰の頭。右手前がC峰。D峰を登った際、頭から懸垂下降でC峰側に下りたが、その際の残置支点が途中からよく見えた。
1P目をリード中の赤沼。最後のクラック部分が1P目の核心。
ゼーハー言いながら1P目終了。30mくらい。
1P目フォロー中の中尾さん。
2P目は次のテラスまで。中尾さんリード中。20mくらい。
2P目フォロー中の赤沼。後ろ左がD峰。右がC峰。
2P目ビレイ中の中尾さん。後ろのクラックが3P目。
お天気最高。眺めも最高。
2P目終了点の小ピークからいったんクライムダウンして取付き。

3P目をリード中の赤沼。クラックをひろいながら高度を稼ぐ。
ピーク手前のクラックが難しそうなので、ブッシュ帯に入ったらピッチを切って、一番難しそうな核心部分を頼れる兄貴、中尾さんにまかせる作戦。

ビレー中の中尾さんを振り返る。D峰がだいぶ下方になってきた。

ところがブッシュ内は足場がなく、しょうがないのでそのまま核心のクラックに突っ込む。ロープはすでに30m以上出ていて重いのだが・・・
ブッシュから真上(右)のクラックを登るのが順当と思われたが、中に浮石がたくさんあって、これを落とすとビレーヤー直撃の可能性もあるので、左のクラックへ。
このクラックに移るところがかぶり気味。
フリークライミングにこだわりのない赤沼は即あぶみを取り出してカムエイド2ポイントでクラック内へ。そこから高度感のある気持ちよいクラック登り。このピッチでNo.6も含めて2セットのカムをほぼ使い切り。
でもあまりのロープの重さに終了点についてしばらくは横になってゼーハーゼーハー。
最難関の核心部で50mほどのロープピッチになってしまった。
中尾さんはここもフリーでフォロー。
「カムの回収がうまくいかなくて、1テンションやっちゃった。」とか言ってたけど、ロープが重すぎてビレーしてた赤沼は気が付かず。言わなきゃわかんないのにね。

3P目フォロー中の中尾さん。
3P目終了点。すぐ横がB峰の頭。

B峰の頭からA峰を望む。A峰につなげて、あのバルタン星人のはさみのようなチムニーを登りたかったが、ここで体力も時間もいっぱいいっぱい。
やぶのリッジを歩いて、A峰手前からルンゼ方向に行くと、下降点だった砂払いの頭に戻ることができた。
「この次はA峰を下のフェースから登って、最後のチムニーからA峰の頭に飛び出よう」と話ながら帰途についた。

B峰1ピッチ目終了点で撮影した、周辺の説明動画。

瑞牆山東尾根

寒波襲来で新雪のプチバリエーションを一人、こそこそと登ってきました。

「寒くてつらい冬壁なんぞもういかなくてもいいか・・・」
なんて思い出してからもう10年以上になるかな。
でもがりがり登ることを諦めてみたら、老化(体力の低下)を客観的に見定めつつ、「ルート発掘」ともいうべき無理のないスタイルに、自然と移行してきたようだ。
さてそんななかで今年の最大テーマは、前穂高岳東南面の情報のまったくないリッジのクライミング。
ウォルター・ウエストンやら旧制松本高校山岳部やらの、足跡を辿るクライミング旅をしているうちに見つけたところ。
ここは経験的に素敵なクライミングになるだろうと期待値が高まるところ。

昨年もここを狙っていたんだけど、天気がどうとか、熊がなんだとか・・・結局のところ、体力的な自信のなさがネックとなって言い訳つづけて登れず。

でも全装担いでとはいえ、1泊2日の無雪期登攀。
登り込んで調整のできた身体なら、この年齢でもまだまだ登れるはずだぞ。

というわけで、この何年か妻を相手にやってきたステップアップ登山を自分に課してみることにした。
つまり簡単なところから徐々にグレードアップしていって、目的達成しようというプラン。まあ普通のことなんですけど。
登山はほとんど未経験の妻とは、そのやり方で穂高岳に登頂し、雪山も登り、そしてテント泊登山や沢登りもやってきた。
今度は初心者を導く上から目線の登山ではなく、体力、気力を見定めながらの自分自身のステップアップなのだ~!・・・って挫折を防ぐためにちょっとほら吹いてみましたよ。

初回はどこがいいかな~。
ルートの楽しさよりも長く歩くことが主眼だね。
南相木サーキット(南相木村の村界尾根をすべて歩いて村を一周するプランで、南半分は終了している)でも完成させるか。
そのつもりで北杜市の別荘まで出かけたんだけど、朝起きてみたら一面の銀世界。そういえば寒波来てたっけか。
新雪に覆われた藪尾根は歩きにくいし、楽しくない。
どうせ銀世界ならもっと冬山らしい瑞牆でも行くか!
瑞牆山の東に延びる尾根には岩マークがたくさんついていて、地図には登山道もない。調べてみたら、瑞牆のバリエーションルートとして訪れる人もちょこちょこいるらしい。よし、そこへ行ってみよう。

矢印(赤)が一般登山道のアプローチ&下山ルート
破線が登山道のない東尾根

瑞牆山荘から入山。
豪雪地帯ではないけど、登山道をはずれるので念のために輪かんを持参。
岩場も出てきそうだし、ストックのほかに一応ピッケルも持ってみた。まあいつもの、持ち歩くだけの過剰装備で終わるんじゃないかと想像していたわけです。この時点では。

昨夜未明から降った雪で登山道は覆われている。
しかしまあ、そこは元のトレースがしっかりとついた百名山。
とくにラッセルということもなく、登山靴で快適に歩く。

樹林越しに東尾根あたりも見えて来た。(ピントがあわず見づらいね)

このあたりから登山道をはずれて、樹林の尾根に入るはず。
トレースをはずれて踏み込んでみたら腰まで潜った。こりゃ登山靴のみではきつい。

何年振りに輪かん装着。つけ方を思い出すのに時間がかかった。

ところどころ赤布がある。無雪期ならトレースもありそうだ。

尾根はいったん下り、コルから登り返すと岩場が増えてくる。
こんな岩峰がいくつかあるが、赤布のルートは右に迂回して大きく巻いている。無雪期に岩峰沿いを登ったら面白いかも。

尾根上にはこんな露岩がでてき始める。輪かんのまま越えて行くには結構デリケートなクライミングが求められる。

この辺が核心のようだ。
藪から巻くルートも見つからず。
右端のスラブ壁にお助け固定ロープがあるものの強度的にも、張り方も信頼が置けない。
落ちたら谷底だな。
面倒くさいけど輪かんをはずしてアイゼン装着。
ところどころに生えてるシャクナゲの根っこにピッケルのピックを叩き込みつつ、雪の中のスタンスをアイゼンの爪で探りながらじわじわと進む。
ついにピッケルまで登場してしまった。なんならもう一本アックスがあれば安定して登れたな~。

核心部を越えた。ここから先はまたラッセル&木登りになりそうだ。

上部の岩峰は赤布に従って右側を大きく巻いて行く。
疲れ果てたころ瑞牆山への一般登山道に合流。左に10分もかからず山頂。

顔が疲れ果ててます

山頂はやや曇り気味。

寒波襲来とあって、朝は地吹雪、突然晴れ、そしてまた雪てな天候。
全体的には赤布を追って歩いて行けばそんなにきつい山登りではなかった。でも寒さとこの変わりやすい天候で冬期登攀気分にもひたることができた。
行動時間約7時間半。
これでへばるのは調整の初期段階としては想定内。
一般道を走り下りて、あっというまに登山口におりてきました。
道をはずれてみて、はじめて道のありがたさがわかるな~。

佐久・御陵山の皇子峰

皇子峰というのは山巡赤沼の得意技、面白がっての誇張命名ですよ。もちろん。御陵山(おみはかやま)北面(南相木村側)のやぶ岩峰のことです。

つい先日、南相木ダム手前のずみ岩を登った帰路、ほの見えたきれいな二等辺三角形のやぶ岩峰。
やばい(いろんな意味でね)岩峰があったら登ってやろう・・・というのが最近の行動様式なわけで、まずはそれがどこなのかの特定作業。
どうやら以前に歩いたことのある御陵山の北面にあるピークらしい。それがわかった瞬間、「墳墓」と言う言葉が頭に浮かんだ。
一人でもいいけど、やぶ岩歩きの好きな仲間でも誘って一緒に行ってみるか~と思っていたら、1年以上会ってない長友さんから山に行こうとお誘いが。かつて南相木を一緒に歩き回った相棒だ。
タイミングよすぎでしょ。

4日後の金曜朝には二人で南相木村。
御陵山里宮という神社(祠?)から行動開始。


さてなぜ「墳墓」という言葉が浮かんだのか。

南相木村の地図上に名前のないような山々を辿り歩き、隣村川上村の岩峰を登り歩くうち、「悲運の皇子、重仁親王がこの地に住んだ」という言い伝えが耳に入ってきていた。
言い伝えが実話であるという前提で話をまとめると以下のようになる。


平安時代末期、皇位継承問題に端を発した保元の乱で敗れた崇徳上皇と、その皇子重仁親王は讃岐に配流され、崇徳上皇は配流先で罪人として扱われ、失意のうちに亡くなる。その後敵方を中心に大事件が多く起きたことから、怨霊として描かれるようになり、平将門、菅原道真とともに日本三大怨霊のひとりとも言われる。
一方皇子の重仁親王は、保元の乱で崇徳上皇に荷担した武士方の総将格であった信濃の村上基国を頼って身を寄せ、その庇護のもと千曲川を遡って南相木村から臨幸峠を越えて、川上村の御所平、御殿窪(みどのくぼ)に安住。ここで兵を調練したり鷹狩をしたりしつつ、再起をかけて過ごしていたが若くして病に倒れた。
その名残として川上村に古名として地名や遺跡が残っている。
歴史学者で佐久の郷土史家、楜沢竜吉氏から、佐久に疎開していた作家の佐藤春夫が歴史史料の提供を受けたらしい。佐藤春夫は「佐久の内裏」という作品に「佐久川上村御所平要図」という史料をもとにした古名などについて記載している。(定本佐藤春夫全集第13巻に収載)

御所平 御殿窪(みどのくぼ)

竜昌寺(現、富澤山 龍昌禅寺)の裏にある御殿窪に重仁親王が住んだ。背後の山は今も内裏山と呼ばれている。(写真は龍昌寺の山門と内裏山)

この地には熊野神社があり、のちに龍昌寺が移されてきた。当時の天皇家は熊野神社とのつながりが深く、頻繁に熊野詣でを行ってきた。

住吉神社

龍昌寺の千曲川をはさんだ向かい側に位置する。
住吉神社は熊野神社の別当。

住吉神社から龍昌寺方面。左の山が内裏山。
住吉神社から撮影。右端が赤顔山。さらにその右方向に天狗山、そして御陵山が連なる。この一帯が重仁親王のいた御所平の中心地となる。

ちなみに千曲川は熊野と同じ三山信仰の三峰詣の街道筋でもあった。

御霊社(御霊神社)

御殿窪と同様、内裏山の麓に位置する。

川上村公民館発行の館報かわかみ 第104号(昭和43年)には「村上基国のもとを親王が辞するとき白馬を進献され、臨幸峠を越えて川上村に入った際の姿が御霊社のご神体である」との記載がある。

川上村では重仁親王を祀った神社として護っていたようだが、今はなぜか入口が藪の奥に埋もれ、祠はまるで隠されるように安置。
産泰神社と名前も変えられている。

重仁親王、三大怨霊の皇子だよ。やはり失意のうちに亡くなってるんだけどなんか今は忌避してない?こんなことして大丈夫なん?というのは赤沼の心の声。

このほかに古名として兵を調練したかのような「馬場平」、貴族のスポーツ鷹狩をしたのか「鷹揚場」、「天主の台」、「鷹放」、「兵部」などの地名もあったようだ。

以上は主に雨海博洋氏筆「悲運の皇子、重仁親王の流離譚」より引用させていただいた。


以上が本当の史実であれば、御所平の奥に控える御陵山は、その名前からいっても重仁親王の墳墓であると考えるのが自然ではなかろうか。

御陵山山頂の祠

山頂の祠に奉納されてきたらしい神具の説明。雨ごいの神事によるものと記載がある。なぜか南相木村教育委員会。
しかし17世紀とあるし、ここが重仁親王の墳墓として祀られていたのだとしても矛盾はしない。だいたい御陵(おみはか)と雨乞いって結びつくのかね?

そして不思議なことに御陵山の北、南相木村にも御所平という地名があり、御陵山里宮という小さな神社が現存する。

この神社は御陵山の北側の尾根が南相木川に落ちて来た、三川というところに建つ。そして尾根はここからまっすぐに、件の三角やぶ岩峰(皇子峰)を経て、御陵山に至る。
そして南相木村にも里仁親王の流離譚があり、御陵山はまさに里仁親王の墳墓であると伝えられている。
重仁親王の言い伝えに酷似してますな。
ちなみに里仁親王という名は史書にはないのだが、藤原政権時代に謀反人として名前を歴史から抹消されたのだとか・・・

さてさて真実はどこにあるのか。

どこかに事実があるのか、村上基国がその野心から勝手に親王を担いだのか、あるいはどこにでもある貴種流離譚のひとつで、自治体がそれを利用したり、忌避したりなのか?

そういうわけで、話は長くなったけど、歴史的ロマンのある、墳墓のような岩峰を、悲運の皇子を偲びつつ敬意をもって踏破してみようかと。そういうことになった次第。

南相木村の御陵山里宮の前からはじまる林道に入り、適当なところで車を停めて、御陵山の北に延びる尾根を登り始める。
結構な岩尾根っぽいし、あの岩峰(皇子峰)も急峻な露岩が出てっぽい。
ロープを持つかどうか迷ったが、長友さんと赤沼のふたりならそういうのは得意分野だしいらんだろう!ということで軽装でスタート。

樹林を踏み跡だか獣道だかを辿る。歩きやすいし、気持ちいいし、
「登山道をぞろぞろ歩いてる人がかわいそうだよね~」とか二人して言いたい放題。

初冬の小春日和って感じのむちゃくちゃ感じのよい尾根筋。

踏み跡らしいものがあったのは、送電線のメンテのためもあったのかな。

いくつか小ピークを越えていく。

前半はかなり歩きやすい。

尾根どおしでルートも明瞭。

このあたりは岩峰だらけ。露岩が出始め、急な木登り露岩登りとなってくる。

急な岩峰が連続する。慎重にルーファイしながらピークを登ったり下りたり。

露岩をクライムダウン中。

越えてきた小ピークを振り返る。

結構いやらしい木登りと露岩登り。にこにこと登ってくる長友さんにあとで聞いたら、手袋の形状やらムーブやらいろいろと研究してノウハウを蓄積しているらしい。

突っ込んだ岩峰が案外悪くていったん下降中ですが、実はこの先で事件が。
赤沼の腰ベルトにつけていた熊よけスプレーのストッパーがやぶでなくなり、下降中、木の枝でスイッチが押されてしまったのだ。
幸い大事には至らなかったが、スプレーの液体を処理した布に触った手で触れた場所のすべてが、ひりひりと発熱。一晩ほどかっかしてましたわ。

皇子峰はもう目前。なんか難しそうに見えるぞ。

どこを越えてやろうか。できれば中央突破したいね。

しばしルーファイタイム。

良い子のみなさん。長友さんの木登り露岩登りテクニックを、この動画から学んでください。いろんなノウハウが見てとれますよ。(いやまじで)

南相木ダムが遠望できる。

皇子峰に到着!

皇子峰から少し下ってまた登ると天狗山から御陵山への稜線。登山道があって、ここからはすぐに御陵山山頂に着く。

御陵山山頂から天狗山方面。天狗山の向こうは八ヶ岳が白くなってる。

御陵山山頂

にわか祝詞を奏上

さて下降は一本西よりの尾根を考えていたが、長友さんが「沢を下りちゃいましょう」というのでただついて行く。長友さんの読みがあたってあっという間に車を停めてある林道に出た。




天狗山ダイレクトから

あっこちゃん(中江明子さん)と天狗山。
昨年敗退した下部フェースを登るかと出かけたけど、寒さに負けて転進。天狗山ダイレクト。
(敗退の顛末はこちらに記載してます。)

天狗山南面の岩壁群では唯一、天狗山ダイレクトというルートが知られていて、あとの岩壁はほぼ情報がなかった。
情報の多い既成ルートにだけ人が集まり、あの広大な岩壁群に何もないのがもったいない。
そこに昨年から手を付け始めて、難しすぎずに登れそうなラインを狙って、6本ほど登って来た。(登ったラインの概要はこちら)
今さら一度は登った既成ルート、天狗山ダイレクトになんで行ったかと言うと、単なる宴会前のお茶濁しなんだけど・・・・壁のまんなかを一直線にあがるこのルート、実は自分の作ってきたルートのよき展望台だということがわかった。

東岩稜

いくつかの小さなフェースの連続した岩稜。
やぶ尾根歩き、ときどき岩登りというのんびり楽しめるやさしめのルート。

右壁右稜

天狗山ダイレクトに並行するように山頂に伸びあがる岩稜。
左が切れ落ちてた壁で、右は樹林帯。ちょうどその境目の岩稜を登るやさしく楽しいルート。

そして写真は撮らなかったけど南稜もよく見えた。

どれも山歩き以上、クライミング未満みたいなルートで、「ルート開拓」というよりは「ルート発掘」と言ったほうがしっくりくるようなところ。

最近はこういう山遊びが楽しくて仕方がない。
「情報のないところは怖いところ」ではないと思うよ。
情報がないから、「行って見て」、「自分に登れそうなラインにとりついてみて」、「だめならおりてくればいいんでない?」という遊び方ができるんじゃないかな。

こういうルートは誰かがすでに登っているかもしれないし、「ルート開拓」とか、「初登攀」とかいう言い方にはそぐわない。だから「ルート発掘」なんて言った方がいいのかもと思った。
最初に登ったあと、東岩稜も南稜もこの記録を見て登ってくれた人がいるし、右壁右稜も登りたいという人を案内したりもした。それがとっても嬉しい。

60歳過ぎて、クライミング人生が終わるまでに登れるルートがあと何本あるのかな。そんな想いを抱き始めて、難しいことやかっこいいことがしたいんではなく、いい仲間と「あーでもない、こーでもない」と言いながら、こうやって山と触れ合い、じゃれあって遊びたいんだよね~ということに気が付いた。

開拓とかいうもんじゃなくて、いい遊び場を発掘していきたいな~。

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