アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

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【雑談】五郎山合宿だ!

もともとは関西系クライミング女子アンジーと3日間どこか行こうという話。
それがいろいろとこんがらがって・・・
1日目はアンジーとかる~く楽しいクライミングをしたけど、2日目はなんと登山界の大御所ガメラ氏が合流することに。
若いころに何度か顔はあわせて、挨拶くらいはしたことがあるものの、登りや飲みをご一緒するチャンスもないままに、約40年ぶり?の再会。この山巡ブログを見て「こういうクライミングを一緒にしたい」と言ってくれていたのでお誘いしていた次第。
そしてガメラ氏の友人、中尾さんも参加。会ったとたん、ほとんど通学しないままなぜか卒業した大学名を言われ、「え?なんで知ってるの?」。私がたまに顔を出していた山岳部の先輩とヒマラヤに同行したとのことで、「後輩にやばいやつがいるんだよ」と聞いていたらしい。やばいか自分?
中尾さんもヒマラヤでの初登攀やら、瑞牆あたりでの開拓だの相当なクライマーですな。
そしてガメラ氏にもだいぶお世話になっているらしい、弟分の礼くん。
さらに赤沼の別荘のある北杜市に、クライミング移住してきたエリサさんも参加。

2日目はこの大所帯、6名でどこか登って、北杜市のわが家で宴会しようということになった。
先日エリサさんと開拓に行って、あまりの疲労とシャリバテで(たぶん)、登攀中記憶喪失に陥ってしまって敗退した天狗山のフェースを、強い人達に登ってもらおうか?というアイデアもあったんだけど・・・
6人でがやがややるなら、今まで7本ほどのルートを作った五郎山岩峰のお披露目でもさせてもらおうと思いなおした。

五郎山についてはこちらをご参照ください。

五郎山の岩場までは2時間弱の急登。
五郎山の岩場登場

さてパーティー分けの方法は赤沼が提案。

ガメラ氏と中尾氏がじゃんけん。
五郎山経験者の赤沼と礼くんがじゃんけん。
つよつよ女子クライマー二人がじゃんけん。
勝ったチームと負けたチーム。3人x2パーティーで登ろうということで。

結果、
ガメラ氏、アンジー、赤沼のカメさんチーム
中尾さん、エリサさん、礼くんのウサギさんチーム
に分かれることになった。

カメさんチームはマキヨセP2ルート。
ウサギさんチームはどまんなかルート。

この二つのルートはお互い向かいあった壁なので、お互いの写真が撮りあえるのだ。

カメさんチームはマキヨセP2ルート。3ピッチのルート。
ガメラさんのリードでスタート。いや、ここが一番難度の高いピッチなので、さりげなく押し付けた。

2P目、3P目は素敵なフェース登り。アンジーのリード。

対岸のどまんなかルートを登るウサギさんチーム。
あれ?どまんなかルートはスカイラインのリッジを登ったんだけど、少し下の岩の多いラインを登ってるな。派生ルートできちゃった。

どまんなかルート派生パートを登る中尾さん。

登り終わったカメさんチーム
どまんなかルートを登り終わって、五郎山山頂のウサギさんチーム
ウサギさんチームは登り足りなかったのか、さらにカメさんチームの登ったP2マキヨセルートの2P目以降を登りに行った。写真は2P目をリード中のエリサさん。
カメさんチームは五郎山山頂まで登山道を歩き、この写真を撮影。P2マキヨセの終了点ピークに立つエリサさん。

マキヨセP2終了点のウサギさんチーム

早めに終わって下山。これから宴会だ~
宴会開始。左3人が60台前半グループ。右3人がまだまだ若者?グループ。

同時代を生きたクライマー同士の話は何十年前に遡り、亡くなった友人たち、まだ生きてる友人たち、谷川岳通いの話、今の瑞牆山の話・・・・盛りだくさんの話題が飛び交いましたね。さすがに。

ところでちょっと怖いというか、ショッキングな話。

記憶が相当やばい。
思い出せない、忘れてるのは日常茶飯事なんだけど。
記憶が間違ってる?
最近というか、ここ数年多いんだけど。

たとえば、
「あの有名クライマー夫婦、いつも噂ばっかりで一度お会いしてみたいな~」
「なに言ってるの?若いころ一緒に登ったし、何度も飲んだじゃない。」

たとえば、
「あの人と登ったのはさすがによく覚えてるよ。あれは19xx年だった。いいクライミングだったわ~」
「は?その人その1年ほど前に亡くなったよね?」

たとえば、
「まあ自分のクライミンググレードは5.11が限界でしょう。それ以上登ったことないし。」
「5.12のルート、初見リードで開拓したの知ってるけど?」

こんな調子。

これって還暦すぎたら普通?

今回みたいに昔話するとそういうのを切に感じるわけ。
記憶が混濁してる。
で、いろいろと記憶を反芻したりしていたら、大きな事故やら高度障害やらで、記憶喪失になった経験があったわ。いや、そのこと自体を忘れてて、この間エリサさんと登攀中に記憶が飛んだとき、「こういうの初めてなんだよね」とか言ってるし。

老いとともに、いかに自分の能力を客観評価して、山登り自体をグレードダウンして、クライミング人生を全うするか。これが最近ずっとテーマなんだけど、自分の(クライミング)能力ってなに?

体力・・・今のところゆっくり登ればまだ大丈夫っぽい。
技術・・・クライミングはもはや大してうまくはならないけど、そうそう下手にもならないらしい。ゆっくり、無理せず登れば大丈夫かなぁ・・・
判断力・・・経験値はどんどん大きくなっていくわけで、判断力もそれにともなってよい方向に・・・・というところで、ちょっと待てよ!となった。
経験値って、今まで記憶してきたことの集積から導き出されるものでないの?
だとしたら記憶がやばいと、経験値も飛ぶ?
記憶がとんだら、判断できない?

ここまで考えてきて、登攀中に記憶をとばした私がパートナーのエリサさんに言った言葉を思い出した。

「今、岩場にいてクライミングしてることはわかる。やり方もわかる。でも今どうしたらいいか判断できない。このまま登ればいいのか・・・・」

これでエリサさん、びびって「早く下りなさい!」と言ってくれて、事なきをえたんだけどね。

つまり、記憶混濁⇀経験値混濁⇀判断できない・・・ってことじゃん。

これ山では一番まずいかも。

老害としか言いようのないような遭難もよく起きてるみたいですが、案外こんなあたりから判断ミスって起きてたりするのかなぁ。

経験値を失った、老いぼれ登山家はただの老害。

とりあえずそう自省しておこう。

佐久・天狗山右壁右稜

天狗山ダイレクトの右に広がる急峻なフェースの、右カンテライン(右稜)を10月21日に登ってきた。天狗山南面の岩場の中では東稜という位置づけになる。

赤線が登攀ライン。すぐ隣の左上していくリッジが天狗山ダイレクト。

天狗山南面岩壁群の偵察の際には、上図の上段岩壁、中段岩壁をまとめて上部岩壁と仮称していた。
しかしその後、3年をかけて「ひなばすビュー」というルートを開拓された方が、Rock and Snow誌の最新号(101号)への投稿で、このように記載されていたので、混乱を避けるためそちらにあわせることにした。(偵察記も後日修正予定)

青線が天狗山ダイレクト。赤線が今回のトラックレコード。

ところで10月8日に南面岩壁のまんなかあたりを登るつもりで、北杜市移住組クライマーのエリサさんと出かけた。下部岩壁のフェース部分を登り、上部岩壁(上段+中段岩壁)の左の稜へとつなげて山頂に至るプランだ。(左は下部フェース登攀中の写真)

この時は連日の山登りで疲れ切って風邪気味。しかも前夜からほとんど食事をしない状態で悪戦苦闘のクライミングをしている最中、一時的に記憶が混濁するというレアな体験をして敗退となった。

今回10月21日は関西系クライマーのアンジーと一緒にどこか登ろうと約束をしていたので、このルートの完成につきあってもらうこととした。

しかし関西から夜行バスで来たアンジーを、朝の新宿でピックアップしたはいいが、中央道の渋滞で登山口についたのは10時過ぎ。
この日は、時間のかかりそうな開拓プランは無理と判断。

馬越峠に向かう林道から見える岩壁が気になり、ではそちらを偵察し、あわよくば登ってしまおうということになった。

その岩壁は馬越峠から天狗山への登山道を歩くと、ちょうど中間くらいの小岩峰の南面にある。馬越峠側から見て天狗山の前衛峰ともいえる岩峰で、こちらも南面に上段、中段、下段とフェースが見える。ちなみに天狗山ダイレクトへのアプローチの際は、この前衛峰を越えた先のコルから南面に踏み跡を辿って下ることになる。

3つの岩場の基部を歩いてみたが、思っていたより規模が小さく、それぞれに1ピッチで終わりそう。しかも傾斜が強く結構ハードなクライミングとなりそう。う~む苦労する割に楽しいラインにはなりそうもないなぁ。

ふと天狗山ダイレクトのほうを見上げると、その右側に天狗山山頂のほうに伸びあがる岩稜がある。稜のすぐ右は樹林の尾根で、なんだか木登りになってしまう可能性も高いけど、見え隠れする岩を拾って登れば面白そうじゃない?なんてのりで、登ってみることにした。

前衛壁の下から見上げる右壁右稜。木に覆われているが岩登りの要素もありそうな予感。
稜の末端はこんな感じ。やはり木に覆われてる。ここから登ってみる。
アンジーのリードでスタート。ここからほぼつるべ(1ピッチごとにリードを交代する登り方)で登る。

すべて樹林の斜面を登ってもいけるが、あえて岩場部分を登っていく。

想像したよりも岩登りらしいところが多い。
振り返ると先ほど偵察してきた前衛壁南面の岩場が見える。
これが右壁。この稜上を登っていく。岩壁の上部と樹林の境目あたりを行くので、この辺からだいぶ高度感がでてきて楽しい。
緩やかなスラブ壁が所々出てくる。難しくはないが分厚いじゅうたんのような苔?に覆われている。足元がふわふわのスラブ登りだ。
だんだん樹林よりも岩場が多くなってくる。すでに相当楽しい気分になっている。
後半は右壁のふちを登っていくのでだいぶ高度感がある。
天狗山ダイレクトがすぐ近くになってきた。大勢登っているのがわかる。
難しくない快適岩稜。下は紅葉がまっさかり。


最後のほうは完全に岩登り。支点も木よりもカムが主流となってくる。
天狗山ダイレクトのクライマーを撮ってみた。
右稜上から、今日偵察してきた3段の岩場を振り返る。

結局10ピッチのクライミングで天狗山ダイレクトの終了点上について終了。踏み跡を辿ればすぐに山頂だ。

木登りでもいいやと登りはじめた岩稜だったが、紅葉をバックにやさしめの岩稜登りとなった。3時間ほどのことのほか楽しいクライミングだった。

こんなルートだから人が登ったような痕跡はないものの、私たちのような篤志家?が登っていないとも限らないねなどと会話しながらの下山となった。

天狗山南面岩壁の偵察報告

天狗山南面はいくつものスラブ壁、リッジなどが交錯して複雑な地形を形成している。この中でクライミングガイドが開拓、整備した「天狗山ダイレクト」のみが頻繁に登られている。それ以外はネット情報を検索した限りでは情報が皆無なので、クライミング可能性を求めて偵察行をおこなった。

岩場構成について

天狗山南面を構成する岩壁群は複雑に入り組んでおり、それぞれの境界も明確ではないが、おおむね以下の岩壁群となる。(岩壁名は便宜上の仮称)

  • 天狗山ダイレクト
    天狗山山頂下の「上部岩壁群」から東南方向に伸びる岩尾根。人気ルート天狗山ダイレクトはこの尾根に沿って登り、途中いくつかのフェースを越える。
  • 天狗山ダイレクト側壁
    天狗山ダイレクトの南面の側壁群。地形が複雑でどこまでが側壁で、どこからが上部岩壁とは分類しにくい。いくつか支尾根状のリッジもあるようだ。登れそうなラインはいくつかあるが、下から見た限りではルートの状態予測が難しい。おそらく1ピッチ程度で天狗山ダイレクトに出るルートが多くなるように思われる。
  • 右壁
    天狗山ダイレクトの上部から右側に展開する岩壁群が、天狗山から東に延びる稜線(登山道)に沿って展開。急峻だが規模が小さい。
  • 上部岩壁
    山頂直下に展開する急峻なスラブ壁。天狗山ダイレクトの最終ピッチあたりでこの壁の右端あたりを登る。天狗山ダイレクトを開拓したクライミングガイドの佐藤勇介氏によると、上部岩壁にはひなばすビューという5ピッチ110mのルートがあるらしい。(天狗山ダイレクトの途中に木の札に書かれた情報があるとのことだが、誰が登ったかなどの詳細は不明とのこと)。垂直のスラブ壁左よりあたりを登っているように見える。
    上部岩壁の左端はリッジとなっており、比較的容易に登れそうに見える。
    下図は佐藤氏からいただいたひなばすビューの案内。天狗山ダイレクトを登っていくと、上部岩壁の部分を登る手前あたりにかかっている様子。
  • 下部岩壁
    上部岩壁の左稜取付きの下方に展開するスラブ壁で、左右の岩稜にはさまれた岩壁。左稜のさらに左にもスラブ壁があり、そのまま左壁とつながっている。左右の岩稜が比較的容易に登れそうに見える。その間のスラブ壁も弱点を選べばフリーで登れるかもしれない。
  • 左壁
    下部岩壁の左方に展開する岩壁で、2~3本の岩稜と急傾斜なスラブ壁からなる。案外と規模が大きく、登攀対象としても面白そうに見える。右方はそのまま下部岩壁へと連なる。終了点は天狗山から男山に向かう稜線の登山道のすぐ下あたりとなる。
  • 村境尾根側壁
    天狗山から左壁の終了点あたりを越え、男山に向かう稜線登山道の南側側壁にあたる岩壁が横に長く展開する。急峻だが高度差は大きくない。

各岩場の写真

偵察時のトラックレコード。

たった一回の偵察で岩場概念もよくわからない状態でやみくもに撮影してきたもの。GPSのトラックレコードの時間と、写真の時間情報を照合しながらどの岩場かを推定しているので、間違いもあるかと思う。雰囲気が伝わればよしということで。

馬越峠から天狗山への稜線を歩き、天狗山ダイレクト取付きへの下降路付近から見た天狗山ダイレクトの尾根。まずはここから天狗山ダイレクト取付きを目指す。正規の踏み跡より右寄りに岩壁を眺めながらのアプローチ。ちゃんと見ていないがクライミング対象となりそうな岩場は見られなかった。
天狗山ダイレクトの取付き。ここを左にまわりこんで偵察行は進む。この1ピッチ目は左にまわりこんで巻かれる場合もあるそう。
天狗山ダイレクトをまわりこむとすぐに側壁が眼前に。
ダイレクト側壁に沿って少しあがったあたりから撮影。左方に見えるリッジを撮ったもののようだ。下部岩壁のリッジ?
下部岩壁か?
天狗山ダイレクト側壁
天狗山ダイレクト側壁~上部岩壁の一部?
天狗山ダイレクト側壁したから上部岩壁方向を見上げる
天狗山ダイレクト側壁。この壁が上部岩壁につながるようにも見える。
沢のちょうど奥壁になるので、天狗山ダイレクト側壁か、上部岩壁の一部かいまいち判然としない。奥壁は青白いかぶり気味のフェースだが岩質は悪くない。
このあたりのフェースの弱点かと思い撮影。これを登ったら天狗山ダイレクトに出るのか、上部岩壁につながるのか・・・
上部岩壁の左稜
上部岩壁を見上げる
上部岩壁左稜?
下部岩壁終了点付近から左壁方向を見下ろす
上部岩壁左稜取付き付近
左壁上から男山方向
登山道(天狗山から男山に向かい、村境を越えるあたり)から見た、左壁のスカイライン(左稜?)
左壁のスカイライン。手前に村境尾根側壁が見える。
村境尾根側壁
村境尾根側壁
左壁左稜取付き付近
左壁左稜下部
左壁
左壁の全貌を撮影した動画(下部岩壁と言っているのはたぶん間違いで、左壁)
下部岩壁基部

各岩壁へのアプローチ

ピンクのラインは偵察で歩くことのできたところで、断続的に踏み跡がある。獣道も多いが、人跡も感じられる。おそらく何かの採取で入山した人のものではないか。

天狗山ダイレクト側壁~上部岩壁へのアクセスは、天狗山ダイレクト取付きを経由してあがっていくのが早い。

下部岩壁にアクセスするのは、天狗山の登山道を男山方面に進み、左壁上あたりから東南に入山(踏み跡が断続的にある)。上部岩壁取付きと下部岩壁終了点付近の斜面をまわりこんでいくとすぐに下部岩壁基部に到達できる。

左壁は村境尾根の岩場が終わったあたりから、側壁にそってやぶをこいでいけば早い。

最後にちょっとだけ吠えてみる

2020年の11月に、川上村の奥地にひっそりとたたずむ独立峰、五郎山の岩場に楽しい仲間と一本のルートを拓いてから、2年半ほどで派生ルートも含めると7本のラインが登られた。これで五郎山は一段落。
どれも「(自分にとって)難しすぎず、楽しく登れる」というコンセプトで登った。
未知のエリアでのルート開拓というと、どうしてもアルパインクライミング上級者の遊びと思われてしまうような節があるが、そうじゃなくて、それぞれのレベルに合わせて登れるクライミングのスタイルの一つに過ぎないのだと言いたい。

最低限、身を守る技術を身に着けたら、どこでも行ってみればいいんだと思う。行って、見て、自分のレベルで登れそうなところを登ってみて、だめなら下りてくればいい。最近とみに進化したGPS機器やアプリを持参すれば、自由度、安全度はかなりあがる。だめで敗退するときのためのボルトキットやハーケンだけは常に携帯。そうすれば自由で大らかで、うまくすれば静かで最高のクライミングができるかもしれないのだ。

こんな楽しみ方は、上級クライマーよりも筆者(山岳巡礼倶楽部、赤沼です)のような還暦すぎた元クライマーが、仲間と宴会やるための楽しい口実として登るようなスタイルにこそふさわしいようにも思う。

さて。
なんか楽しくなってきちゃったな~
五郎山の次はどこで遊ばせてもらおうか・・・・となったとき、すぐ思い浮かんだのが天狗山。
五郎山のアプローチでも毎度よく見えている大きな岩場の広がり。
でもなぜか天狗山ダイレクトしかみんな行かないみたいなんだよなぁ。
それで様子を眺めに行ってみた。
登ったら楽しそうなところあるよ、あるよ!
左壁なんてフリーの楽しいルートが何本か引けそうだし、下部岩壁から上部岩壁につなげたらマルチの登山っぽいクライミングもできそうだよ。
すげ~フリーのうまい人だったら上部岩壁とか天狗山ダイレクトの側壁なんかもおすすめ。岩は案外と固いし。

岩場へのアプローチも馬越峠から1時間もあればだいたいOK。

かなり楽しいお遊びフィールドだと思った。

自分だって天狗山ダイレクト以外はまだ登ってもいないのに、偵察結果をこうやって公開するのは同好の仲間がいたら嬉しいから。これ見て勝手に登ってもらっても構わないし、われわれもこれから登れるところは手をつけていくつもり。なんならご一緒もしましょう。

それで登ったら、できれば教えてください。ここの情報も一回ぐるっとまわってみただけのものだから、間違いが多いと思われます。そういうのも教えていただけたら嬉しいです。

保護中: 2024年山遊び企画メモ

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西上州・3岩峰の一筆書き登頂(鷹ノ巣岩・碧岩・大岩)

11月最初の週末は、長友さんと山に行くという約束だけがあった。
高山は寒いし、雪山には早い。
(赤沼「この時期はやっぱ西上州あたりの岩峰でクライミングかね~」
(長友)「西上州のクライミング、行きたかったんです!」
(赤沼)「どこか登りたいところある?」
(長友)「あのエリアはまだ妙義と大なげしあたりをちょろっと登ったくらい。西上州らしい岩峰やりたいっす。」

西上州らしい岩峰と言えば、立岩、碧岩、毛無岩、鹿岳あたりかね・・・

(赤沼)「じゃあまず入門ルートとして碧岩の西稜あたり?」
(赤沼心の声)「これならちょろいし、早く帰って宴会できるぞ。うししし」
(長友)「実は手術前(手の怪我で入れていたプレートを抜くらしい)最後のクライミングになるかもしれないので、赤沼さんを使い倒したいっす。」
(赤沼)「碧岩の既成ルートじゃ物足りないのね・・・そーいえばさ~、碧岩のすぐ近くに鷹ノ巣岩があって北稜は長いけど何度か登られてるみたい。そっちのほうがいいか?いや、いっそのこと連続登攀しちゃう?なんならその先にほとんど記録のない大岩って岩峰もあるから一筆書きで登っちゃう~?」
(長友)「それそれっ!やりましょう!」
ネットリサーチのあと・・・
(長友)「でも既成ルートあるところ登って歩くと、コースがジグザグになってしまって美しくないですね~」
(赤沼)「誰が既成ルート登ろうって言ったの?やるなら直線でしょ。ルートなければ作ればいい。鷹ノ巣岩の北稜登って、そこから碧岩に向かって東稜おりて、碧岩は西稜にルートあるからそれ登って、東稜おりて、さらに大岩に西から登れば直線で一筆書きできるよね。」
(長友)「Go! G0! ごぉ~~~~~!」

ルートのイメージ

(赤沼心の声)「しまった・・・・長友さん焚き付けてしまった。この3つの岩峰、それぞれが一日コースじゃん。山中ビバークで全装備背負って登るのつらすぎるな~。じゃあ荷物軽くして日帰りで、だめなら途中でおりてきちゃおう~そしたら宴会、うしししし」
(赤沼)「せっかく3つ連続で登るなら、日帰りでやっつけよう。スピード登攀もたまにはいいんじゃん?」

まあこんな感じの、赤沼の上から目線な対話があってルートが決定。

かくして情報の比較的少ない西上州の岩峰3つを、だいたいのラインだけ決めて、ルートファインディングしつつ、ルートがなければ開拓しつつ、しかも日帰りで終わらせるというハードル高めのプランができあがった。

さてそうなるとテーマは

  • 一日で終わるためにいかにスピードをあげるか。ルーファイに時間をかけない、ロープを使うのは最小限に、支点も必要最小限に、ロープワークの迅速化など。
  • ルートはなるべく3峰を直線的に結ぶことだが、地形を見て必然性のないラインは選ばない。
  • 長友さんは赤沼より早く歩いてはいけない。

【鷹ノ巣岩北稜】

写真は、碧岩方面から振り返った鷹ノ巣岩。右のスカイラインが北稜。

鷹ノ巣岩北稜はネットで検索すると、主に西上州のクライミングを愛するヲタククライマーを中心にそこそこ登られているらしい。
群馬県南牧村の観光地、三段の滝の駐車場から熊倉川を少しだけ上流に登ったところから取付き。日の出とともに取付くつもりが、林道の通行止めで迂回させられ1時間ほどのタイムロス。6時20分出発。すでに陽はだいぶ登っていた。

樹林の急登を行くと、草付きや灌木の混ざった岩場が出始める。

急登なので下界があっという間に遠ざかる。
鷹ノ巣岩本峰までにP1, P2という二つの岩峰を越えて行く。P1につくと鷹ノ巣岩本峰がだいぶ遠くに見える。

それなりに岩場も出てくる。
だいたいの岩場は木の根や草付きもホールドにしつつ、ノーロープで登っていく。途中3~4回ロープを出して鷹ノ巣岩に到達。

P2から鷹ノ巣岩
いやらしいところはロープをつけて。リードはすべて長友さん。
こういうのがかなりいやらしいクライミングになる。
鷹ノ巣岩、9時20分。3時間の登攀。

【鷹ノ巣岩東稜下降】

鷹ノ巣岩から東に向かって、碧岩、さらに大岩を目指す。

鷹ノ巣岩東稜もきりたったリッジ。リッジのすぐ南の急斜面を懸垂下降していく。

【動画】最後は若干かぶり気味のリッジ末端を懸垂下降。
沢が見えたら樹林の急斜面を歩いておりる。

この下が三段の滝上流の沢で、そこから少し対岸にあがると碧岩西稜の取付き。三段の滝上到着10時20分。下降に1時間かかった。

【碧岩西稜】

碧岩西稜は今回のラインの中では一番のポピュラールート。ガイド登山で来る人もいたりして、時には順番待ちが出るほどらしい。混んでるといやだな~

碧岩西稜取付きのコルに向かう。

三段の滝を見学に行ったりしてゆっくり休み、碧岩西稜取付きは10時45分くらい。

先行パーティーが1組いたものの、われわれがノーロープで登っているのを見て、快く先を譲ってくれた。3級程度の岩稜+木登りで飛ばしていく。
今朝登ってきた鷹ノ巣岩を振り返る。右のスカイラインを登り、こちら側のリッジすぐ左側をおりてきたわけだ。
【動画】碧岩西稜をフリーソロ中の長友さん
碧岩山頂すぐ手前の岩場は1Pだけロープを出したいと長友さんが主張。

時間かかって面倒くせ~な~と正直思ったが、実はこれが理想のパートナー。

彼は体力、精神力、登攀力ともに抜群だが、若干チキンな部分あり。
ただ自信があったり、格好つけて突っ込んで来られたんじゃあ危なくて一緒に登ってられないが、怖いときに怖いと言って一歩も引かない冷静さ、頑固さが頼もしい。格好つけないでいられるってすごく格好いい。

お昼の時報と同時に碧岩山頂に到着。

碧岩西稜は約1時間15分での登攀。

鷹ノ巣岩を振り返る。あそこを登っておりてきたか~と感慨しきり。

でもまだ先がある。

【碧岩東稜下降~大岩西稜】

碧岩東稜下降のはずなんだけど、正確に東は切り立ったフェース。

そこを無理におりる必然性は何もないので、少し傾斜の緩い南によるとそこは一般登山者の踏み跡。
のはずなんだが、ロープが張ってあったりはしてもやけにやばいぞ。
ロープ持ったままふられそうなリッジの下山。

結局一番必然性のあるラインには一般(篤志家)登山者向けの踏み跡があり、赤沼は「これ行っちゃえばいいんじゃない?」と言うが、長友さんは「一本北の尾根に入ればより直線的で美しいラインになるはず」と譲らず、楽させてもらえなかった。

西の尾根から大岩を望む。


またまた道なき道を歩き、軽めの岩稜を行くと先ほどの踏み跡に合流して大岩山頂に到着。13時。ほぼ歩きで1時間の行程。
大岩西稜は岩稜部分もあって登れないこともなかったが、はっきり言ってただの崖。あえて登る理由もなかったので歩いてすませた。

大岩山頂
碧岩方向に下山開始。

【写真ギャラリー】

紅葉の尾根を行く長友さん
なに喜んでるんだろ?

さて大岩からの下降は北面のフェースをおりるつもりだったが、道中に忘れ物もあり、碧岩の南面を巻いて三段の滝に至る踏み跡を利用することにした。
三段の滝経由で登山口駐車場着が15時15分。
9時間弱で3つのピークを登って帰ってくることができた。

【装備メモ】

二人とも運動靴とクライミングシューズを履き替えながらの行動。長友さんは急斜面で運動靴にチェーンスパイク装着。赤沼は面倒で靴のまま行動。
ロープはダブル2本。シュリンゲ多数とカム数個。ハーケンは1枚使用後回収。
懸垂下降はすべて灌木利用。

前穂高岳・下又白谷山巡稜下部フェース(F1左壁)

57年前(1965年)の8月に山岳巡礼倶楽部の先輩たちが登った山巡稜を再登しようと出かけた。

山巡稜は下又白谷下部本谷のF1手前の左壁(右岸岩壁)から、ひょうたん池に至るリッジで、下部はF1左壁のいやらしいスラブ壁を攀じ、上部はやぶ尾根を登ったものと思われる。

このルートは昭和37年(1962年)から昭和40年(1965年)にかけて、倶楽部をあげて行った下又白谷研究の一環として登られたもの。
山岳巡礼倶楽部の会報「GAMS」30周年記念号に掲載された記事に、1965年8月7日から8日にかけてこの山巡稜を登ったとの記載がある。
この時、「人間が見ることが出来なかった下又白谷の全貌が明らか」となり、「茶臼菱型岩壁、菱型右方ルンゼ(筆者注:今は菱型ルンゼと呼ばれている。)の発見」をし、さらに下部本谷の壮絶な滝群に目を瞠り、今後の研究テーマとしたようだ。

山巡稜下部フェース(F1左壁)の登攀は悪戦苦闘の連続だったようで、1965年8月7日はF1の落口と同高度の広いテラスまで登り、ロープをフィックスしたベースキャンプに戻り、翌日8日に途中まで「投げ網やザイルシュリンゲ等を使って登り切った」が、「そのうえは何一つないテラテラスラブに行手をはばまれ」、「アイスピンを打ち込」んでザイルトラバースのすえ、「モロくなった岩角をたよりに、リッジを廻り込んで、ガリーに入り」灌木帯に入ったとある。

さて山巡稜の再登計画である。
下又白谷にはだいぶ通って、下部本谷、F1洞穴ルート、菱型ルンゼ菱型スラブ(各スラブ合計3本)上部一尾根第一支稜(ウエストンリッジ)下又白谷奥壁と登ってきた。だが山巡稜はいやらしい露岩とかったるいヤブ尾根というイメージがあって、なかなか食指が向かなかった。

でもここまでくると、あの立ち位置から下又白谷下部本谷や上部の岩壁群を眺めてみたい。なにせ下又白谷登攀の歴史はここから始まったといってもいいのだから。

そういうわけで重い腰をあげた。
パートナーはひとまわり以上若い友人、長友さん。
赤沼のウエストンリッジの記録を読んで同ルートを登ったうえで連絡をくれた。意気投合して最近いくつかのクライミングを共にし、そして今では貴重なパートナーとなった。
やぶ上等、脆壁上等の頼もしいクライマーだ。
不運な事故で右手をつぶしてしまい、まだ治療中。でも登りたいらしい。なら行っちゃおう。

登ったのは2022年10月15日土曜。
長友さんは帰りのバスに間に合わなくても宴会ができるよう、上高地にテント、食料、酒をデポして行こうと主張したが、赤沼は「山巡の先輩が1960年台の装備と技術で登ったルートだよ。半日で終わって帰れるんでない?」と・・・つまり荷物軽くしたいのと、かなり甘く見ていたこともあるわけですな。

登攀具とお弁当だけ持って下又白谷本谷からF1へ。
ないだろうと踏んでた雪渓はまだ少し残っていた。

どうどうと水流を落とす大迫力のF1。その上の、左方向に伸びるスカイラインが山巡稜。つまりF1の左壁のどこかを登らなければこの稜には乗れない。

さあどこから取付くか。

F1左壁(この上のやぶ尾根にたどり着きたい)

赤沼はF1を過去に数回越えている。いずれも下部本谷や菱型スラブ、菱型ルンゼなどへのアプローチとしてだ。
雪渓の状態次第で、毎回ルートが異なる。
雪渓のない時期は左の岩壁を適当に登って、F1落ち口までバンドを拾ってトラバースをしていくのが良策。山巡稜に取付くにはF1落ち口の手前あたりから直上して藪に入ればいいだろう。

雪崩で磨かれたスラブは比較的硬いが、傾斜の緩いところはすべて土砂が堆積していて足場がない。
ごまかしごまかし無理矢理登っていく。見た目よりずっと悪い。
土砂の堆積したバンドをトラバースして弱点を探す。弱点とはいえ、垂直部をいくつか越えないと上には行けない。スラブ状の岩にはカムはあまり使えず、ところどころハーケンでプロテクションをとっていく。
うすかぶりのスラブを越していくと、見覚えのある洞穴がすぐ上にある。赤沼がはじめてこの壁を越えたときに拓いたルート(F1洞穴ルート)に、また寄ってきてしまったらしい。(写真上のハング下が洞穴状のテラスとなっている。)

洞穴ルートを拓いた際にはこの上のスラブで行き詰り、かなり怖い思いをしている。そこだけは避けたい。

1ピッチ目をフォローする長友さん。
傾斜の緩いところには土砂が堆積しているので、ホールド、スタンスは掘り出しながら登る。

2ピッチ目。
さて洞穴は避けたい。右のスラブは傾斜がきついが、岩はよく磨かれていて硬い。難しいフリーになるかもしれんが突っ込んでみるか・・・と、ボルト工作をはじめてみる。バランスをとるためにハーケンの先だけ浅いリスに打ち込んで、タイオフでビレーをとるが、ほとんど効いてない。

打ちながらこの上の様子を見るが、てらてらのスラブ上ではボルトは打てまい。次の支点がとれそうなところまで10mはランナウトするな~

ちと怖気づいて、ボルト工作は中止。
しょうがないので洞穴を目指す。

洞穴下までトラバースをしたはよいが、ここかぶってるね。
ハーケン1本効かせて突っ込むがかなり難しい。
ハイステップでやっと立ちこんだ足と岩の間にシュリンゲが入ってしまって、一瞬パニくりそうになったが、なんとか立て直し洞穴に突入。ほっ。

3ピッチ目。
洞穴はハングになっているので、右を越えるか、左を越えるか。
前回は左を行って大変な思いをしたと記憶している。
迷わず右へ。

と言っても右もかぶったフェースを越えないとその上のスラブには入れない。

ここもハーケン1本効かせて、フリークライミングちっくなムーブでスラブに立ちこむ。

なんとかスラブに入ったが、スラブと言ってもこの傾斜。
上に見えてるのが洞穴の屋根。つまりオーバーハング。

洞穴上のスラブを登って、F1落ち口につながるバンドに出た。
写真は洞穴上のスラブをフォローする長友さん。

F1左壁(前壁)の悪絶ぶりが感じられる写真をもう一枚。長友さんがまもなくバンドにつくところ。

3ピッチ目終了点でビレーする赤沼。
赤沼の真後ろがF1の落口。
ここからF1に行かず直上して上部のやぶ尾根に入ろうという作戦。

3ピッチ目終了点にはリングボルトが2本残置されていた。
自分が昔打ったものか、57年前のものか、それとも誰かが来たのか。
このほかにもかな~り昔風のハーケンやらボルトもあった。

4ピッチ目。
F1にはいかず、真上のやぶ尾根を目指し直上。
傾斜は強いがもうすぐ岩場はおしまいなので、気合を入れて行く。

最後の部分がどこを見てもかぶっている。
右のリッジをのぞき込むがやばそうなので、灌木のある真上を目指す。

このあたりがルート中最難。
このあとピッチの最後は灌木が1本あるハング。
持ってきたあぶみをかけたくなるが、この灌木が唯一の支点なのでフリーで頑張って小テラスへ。もうすぐそこがやぶ尾根だ。

4ピッチ目終了点。やぶ尾根はもうすぐそこ。

だが、だが、だが!

なんと赤沼がどこかで携帯を落としたことに気が付いた!
3ピッチ目終了点ではカメラとして使ったので、落としたのはこのピッチだ。

時刻はもう午後1時をまわっている。
ここまでは緩いラインでも探して朝のうちに来るつもりだったんだが・・・

「長友さん、ごめん!ここから降りていい?」
「いや~実は手の傷も痛み始めてるし、でもこちらから降りようとは言えなかったっす」

みたいなやりとりがあって下山確定。

携帯は3ピッチ目終了点あたりのブッシュで発見。無傷でした。

すごすごと懸垂下降

そんなわけで、山巡稜のトレースはならず。

でもかなり楽しい4ピッチの登攀だった。
いや山巡のじいさんたち(先日メンバーのひとりは亡くなった・・・・てか登った当時は若者だった)やるね~
というかこっちが今現在、彼らが登ったころよりずっとじじいじゃん。

もっとも57年前の登攀は8月なので、壁の半分くらいは雪渓が達していたかもしれないし、どのラインを登ったのかは結局よくわからなかった。

さて。われわれの登ったラインだが、途中にハーケンやらボルトの残置もあり、自分自身も含めて登っているのはたしかで、もちろん初登攀とかではない。

ただ岩登りのルートとしてはかなりユニークな特性を持ったものだとは思う。

まず美しく壮麗なF1の存在を常に感じられる登攀であること。
前壁や対岸の岩場の凄絶としか言いようのない迫力もまたひとつのエッセンスと言える。

そんなわけで岩登りのルートの一つとして(敗退記録としてではなく)紹介しておきたいとは思う。

上は長友さんが書き込んでくれたルート概要。
全4ピッチで各ピッチに最低一か所ずつ傾斜の強いうすかぶりスラブ壁があり、ネイリング技術、ルーファイ力、それになんとかごまかして登る突破力が必要とされる。(クライミング力とは言わないところがみそね・・・へへ。)

帰りの道中、グレードについて話し合った。
クライミングのグレードって主観以外ではありえない。
フリークライミングでよく使われるデシマルグレードは「ムーブ」だけを評価したものだと聞いた。

それって、今回のようなクライミングでのグレード評価にはなじまないよね。次登る人がいて、そんなグレードには何も伝えるところがないし。

じゃあグレードに怖さとか、ネイリング技術とか、ごまかし方?とか、脆さとかの要素を加味していいの?

てなわけでぐだぐだと話し合った結果、「全ピッチに最低一か所は5.9-5.10のムーブはあるし、4ピッチとも全部6級ってことでいいんじゃね?」てなところに落ち着いた。

誰か登って「4級しかね~よ」と言われても反論はしません。でも気を付けて登ってね~

使用ギアは:
ハーケン、アングル、薄刃など多数(懸垂用以外は回収)
ボルト使用せず
カム、1セット弱持参し使ったが全体に効きは甘い
残置ボルト、ハーケン等見つけたものは使用
50メートルダブルロープ2本
4ピッチに約4時間かかった。

霞沢岳の情報(ヤマケイ410号)–東斐山岳会の投稿から–

辺地辺境クライマーのバイブル「日本登山大系」。その霞沢岳の項を執筆したのが山梨の東斐山岳会。
沢の遡行図や概略図などを含めて6ページの記事で、沢渡あたりから六百山までも含めて紹介されており、岩登りに関しては八右衛門沢の右岸側壁が唯一対象となり、いくつかの山岳会によってかつて登られたとのみ記されている。
参考文献として「山と渓谷」410号, 1972年11月号と記載されている。
2年間にわたって霞沢岳の地域研究に取り組んだ、東斐山岳会の記事が投稿されているということらしい。幸い、古本屋で入手することができた。紙媒体とともに情報が失われていくのはもったいないので、せめて概略だけでもここに記しておきたい。(まあこのサイトもいつ消えるかわからんのだけどね・・・)


山と渓谷410号、「地域研究 霞沢岳–北ア最後のバリエーションルートを求めて」(東斐山岳会の投稿)の記事まとめ

【概略】
概略としてまず、霞沢岳の範囲を沢渡付近から六百山までをも含む大きな領域を対象としていることが記載されている。
梓川右岸の穂高をはじめとするメジャーな山にばかり登山者の目はむいていて、この「地味なそれでいて荒々しい男性的な山の食い込む余地はないらしい」と皮肉っぽく書かれている。
こんな時代からさえ、静かな山を愛するクライマーのミーハー登山者に対する皮肉な気持ちが変わらないのだな~と読んだが、記事内でさらに以前にも同じような感慨をもってこの山に臨んだ登山者がいたとわかった。

【登山史】
律儀な昭和の登山者らしく、よく調べてまとめてあるので、以下に抜粋しておく。西暦を付記しておきます。

明治35年8月(1902)
小島烏水 岡野金次郎
霞沢を遡行して、霞沢岳と徳本峠間の尾根を乗越、白沢を下降して上高地に入った。霞沢岳には立ってないと思われる。
明治43年7月、44年7月の2回(1910,1911)
辻村伊助
徳本峠を越えて上高地入り
大正2年8月(1913)
上条嘉門次 ウエストン
八右衛門沢から霞沢岳登頂
大正5年8月(1916)
田中薫
写真撮影のため登頂
昭和5年7月(1930)
慈恵医大山岳部 吉田幸雄 高木文一
三本槍を登攀
昭和16年1月(1941)
一高旅行部 中村徳郎
三本槍を登攀
以降昭和30年台くらいまでいくつかの同様の登山がなされているらしいとの記載
昭和31年6月号山と渓谷誌
石渡清筆「高見光太郎と山」より抜粋
(高見光太郎が)懐かしそうな目付で上高地の景色を、あれこれと、回想している風情だったが、
「だが、霞沢岳に登る人はすくないだろう」と言われ、「あの山は、たしか峯が三つに分かれていた。いい山だが。・・・登る人はすくない方がいいね」と、半ば、山岳の美に接した想いでによってでもいるような口吻だった。
私は、その時、霞沢岳は、上高地入りするちかごろの若い人達には、ひょっとして見落とされており、それを仰望することさえもしない者が多いかも知れないと想った—
昭和39年頃から(1964-)
東斐山岳会の記事から抜粋
霞沢岳の名が山岳雑誌に現われ出したのは、昭和39年ごろからであろう。東京都庁山岳部やグループ・ド・モレーヌが、そのころから記録や案内を雑誌に発表し始めたのである。そのほかに東京白稜会、信州大山岳部、松本登高会、富士電機山岳部、国土地理院山の会などが、霞沢岳のバリアンテを登ってきたようである。

特に、それらの中でも昭和37年暮から38年正月にかけての都庁山岳部の東北尾根、グループ・ド・モレーヌの六百山からの積雪期霞沢岳登頂は、非常に珍しい記録であると同時に、霞沢岳の登山史に残る貴重なものであろう。
昭和46年春(1971)~47年春(1972)
東斐山岳会による集中登山
霞沢本谷、南尾根、産屋沢、千丈沢、無名沢、八右衛門沢、三本槍沢、中畠沢、六百沢、白沢にターゲットを絞り、全部で18ルートをトレース。

前章の最後に「登攀上の注意」が記載されている。
曰く、
● 霞沢岳は一般ハイカーには無理
● 唯一のポピュラールートは八右衛門沢だが、稜線は無雪期にはハイマツがびっしりと生えていて大変である。
● 岩場のルートはとにかくもろい。取付きで硬くても上部はほぼ風化してボロボロになっている。ハーケンが効くかどうか疑問である。
● この山を訪れる人は少ない。静けさを保ちたいが、静かな登頂を願う人、登山に原始の息吹きを求める人たちにはぜひとも登ってもらいたい。登るに値する山だと信じている。

登山の記録

この記事をもとに日本登山大系の記事を書いたと思われるが、情報を整理して書き換えたらしく、各部が微妙に違うのでこちらの記事はこちらの記事で、かなり大雑把な要約のみ記載します。
概念図、遡行図などは記事より勝手に拝借しました。

南尾根

この山の主脈は六百山から霞沢岳を頂点として沢渡に至る尾根だ。
北側はアルペン的要素が強く、尾根も稜と呼ぶにふさわしい形をしている。南側はハイマツこぎの苦労は多いが開放的である。
南尾根は南側の典型で、腰までの笹と背丈以上のハイマツに覆われている。積雪期はラッセルの連続となり、夏冬ともにかなり覚悟のいる尾根である。
記録:
昭和46年8月11日~13日
冬期 昭和46年12月28日~昭和47年1月2日(おそらく冬期初登)

蕨沢

昭和46年5月の記録:
坂巻温泉と中の湯の中間くらいに出会う沢。
出会い付近は沢幅狭くしばらくゴーロが続く。
F4が最初の悪場。左から巻き。
雪渓がでてきて、F5も巻き。
アイゼンをつけて雪渓のうえを歩く。
つめは雪崩の危険を避け、露出したハイマツ帯を選んで登る。

産屋沢

昭和46年8月の記録
小梨平から歩いて入渓。「うぶやばし」の橋名で位置確認。
F4あたりからが核心。

千丈沢

昭和46年8月の記録
出会いから二股よりも、二股から稜線にかけて並ぶ急峻な稜に登攀価値がある。山頂から二股に落ちる稜が一番長く、しかも傾斜が強く手ごわいように見える。

昭和46年5月4日 千丈沢奥壁第一稜
水量は豊かだが、F7から上は雪で埋まっていた。
二股先から枝沢をひとつ見送り、雪の斜面とダケカンバの樹林を登って稜に取付き。樹木の切れた雪稜から稜の右側ルートで、頂上直下からはハイマツ帯となる。

昭和46年5月4日 千丈沢奥壁第四稜
第四稜末端の枝沢から取付き。雪の斜面を登る。
稜は狭くナイフリッジとなりアンザイレンしたが悪い雪壁となり、避けて登る。ここから4ピッチで雪面の氷化した背の低いハイマツ帯となる。

無名沢

昭和46年8月の記録
田代池正面の細い出会いから取付く。
前半は沢が狭く切れ込んでいる。

八右衛門沢

出会いから主稜線に至るまで滝らしい滝もなく石ころだらけの沢。
霞沢岳へのもっとも近いアプローチとして利用されている。
帝国ホテルの斜め前に出会いがあって、そこから霞沢岳の頂上まで片道3時間30分ほど。
三本槍沢との出会いから上は右岸側壁があって、落石が多い。
沢の上部で右股と左股にわかれる。左股は主稜線直下のハイマツ帯のなかにはっきりとした踏み跡がある。右股のガレ場より楽に稜線に抜けられる。
残雪期には急な雪の斜面となる。右岸側壁の奥から大きな岩と雪崩が出てくる。

八右衛門沢右岸側壁

八右衛門沢に入ってしばらく行くと正面に黒々としてゴツゴツした岩峰を見る。下流からは一部しか見えないが稜線から見るとそのスケールの大きさがわかる。
霞沢岳から六百山に至る主稜線から派生した壁で高度差300mほどと思われる。
三本槍沢上部の1ルンゼから主稜線直下の7ルンゼまでを確認。
岩の質は非常にもろくて、どこのルートも自然落石と自分の引き起こす落石に常に神経を張り詰めている必要がある。ルンゼは逃げ場がないので注意。
そのうえきわめて不安定な岩でハーケンやボルトもあまりたよりにならない。
登攀ルートとして考えられるのは、三本槍沢出会いの上部から数えて7本のルンゼとその奥壁、ルンゼとルンゼの間の岩稜、上部に大小のピナクルを持つフェースなど。
ルンゼの登攀は雪の有無で異なるだろう。
登攀を終わると上部は不安定な岩と土の混じった細い稜線とヤブとハイマツをこいで霞沢岳と六百山を結ぶ主稜線に出る。
下降路は5ルンゼは急斜面ではあるが可能。
一般的には八右衛門沢の左股を源頭から下るのが無難。

以下、各ルートの概略と記録とある。
つまり全部を登っているわけではなく、岩場の状況説明と記録の混ざった記事のようだ。

▼1ルンゼ
三本槍沢の出会いのすぐ上が取付き。
ルンゼの中央部のオーバーハングの滝が核心となりそうだが、右岸が登れそう。
▼2ルンゼ
1ルンゼのすぐ右側でコップ状に見える。2~3ピッチの登攀で高度もそれほどなく、登攀対象としては面白くなさそう。上部は1ルンゼと同じプラトー状の草付の坊主の頭(仮称)に出るが、さらに主稜線までがボロボロの岩で、なおかつ両側にすっぱり切れ落ちていて非常に悪い。危険な登攀を強いられる。(登っているのか記事からはよくわからない)
▼3ルンゼ
このルンゼあたりからが側壁の核心。逆くの字に曲がったルンゼで、下部は45度ほどの角度で涸滝をいくつか持ち、上部は屈曲して左に回り込む。
▼4ルンゼ(昭和46年5月の記録。われわれが登ったのもこのルンゼかと思われる。)

雪の斜面を100mほど登ると両岸に壁が狭まり、ルンゼは左に緩く曲がり滝に出会うが、右の氷瀑に数回ステップを切って登ると左の岩に移ることができた。
滝上はもろいガレ場。この上からまた雪渓があらわれ、1ピッチ半で3メートルほどのチムニーを抜ける。この上の岩壁は風化された花崗岩でボロボロ。壁を登ってみたがルートを見つけられず、残置されたボルト2本にあぶみを使って5メートルほど乗り越え、灌木帯に入る。
灌木とブッシュの急斜面を何ピッチかで稜線に出たが、主稜線までは2つのピークを越えなければならず、5ルンゼの雪渓を下降。最後は5メートルほどの滝を懸垂下降して八右衛門沢に戻った。

▼5ルンゼ(昭和46年5月の記録)
出会いのF1は右の側壁を登る。雪のルンゼを登る。
▼6ルンゼ(昭和46年5月の記録)
雪の斜面を登ると斜めのチムニーが30メートルくらいつづく。両岸は極度にもろい岩壁で落石が多数出る。青氷をカッティングしながら登る。
雪の斜面をのぼって稜線に至る。
▼7ルンゼ(昭和46年5月の記録)
八右衛門沢左股の主稜線に出る手前に狭い出会いを持つ。急な雪の斜面が主稜線まで続き、残雪期は下降ルートとしても使える。
▼大ピナクル
5ルンゼと6ルンゼの間に位置する。正面の比較的すっきりしたフェースが登攀ルートとして考えられる。2ピッチ目から急になりボルトとハーケンが打たれており、それを利用して吊り上げで登るとある。上部は垂直の壁で、そのあと傾斜が落ちてボロボロに風化した岩とハイマツの混じったやせた尾根となる。

三本槍沢左股(昭和46年8月の記録

各滝を越え、階段状のF13から上は奥壁となる。
これが予想以上に悪い。
その上は急な草付きで無数の花が咲き乱れる。ハイマツ帯は背丈を越すくらいで、苦しい登行となり、表六百沢の源頭のピークに至る。ここからピークを4つ越し、六百山。

瑞牆山本峰正面壁トムソーヤの冒険

先週、火事場の馬鹿力を出して霞沢岳の岩壁を登ってしまった。
そういう場合、かなりしばらく疲れをひきずることになる。
あっという間に1週間がたち、Nさんとのクライミングを約束した日になった。彼は沢登りで手を怪我してしまい(結構重症)、手術後のリハビリクライミングをしたいというのだ。
どこぞのゲレンデでロープでも垂らしてまったり登るイメージだったのだが、まともにクライミングがしたいという。病んでますな。
まあ病気はお互い様なので、自分自身のクールダウンも兼ねて、もう3回ほども登ったトムソーヤにでも行こうかということになった。アクティブレストというには、ちとアプローチが長すぎるんだけどね・・・・

前日午後、Nさんの高級車で、わが家までのお迎えからクライミング行スタート。赤沼、威張る理由もないが、大威張りです。
この日は瑞牆周辺のマル秘ポイントで、焚火キャンプからスタートという予定でしたが。夕方から雷雨の予報。
急遽、妻、娘、孫娘のくつろぐ我が八ヶ岳宅に宴会場を移し、部屋の隅でスーパーの寿司を肴にちびちび飲むオジサンたちの図。

さてトムソーヤはそこそこの人気ルート。
最近はガイドクライミングのルートにもなったりしているらしい。
巻き込まれないよう朝は早めのスタート。

幸い、誰もいない取付きに到着してクライミング開始。

上はネタバレの取付き写真。
1P目は3~4種類のルートどりが可能に見える。
これがまあ正解なんですが、これから行く人は見ないように。

Nさんはリハビリ目的なので、「行けると思ったピッチは全部リードしていいよ」と言ったら、ここはとりあえずリードしてくれというので、私がリード中。支点とらなさすぎると呪われました。

2P目が有名な洞穴内のチムニー登り。

ヘッドライトつけて、Nさんがとりあえずの攻め。
これ以上登ると敗退できなるなるポイントまで攻めて、すごすごと下りてきました。右手は決して無理できない状態なわけで、しょうがないよね。
この難しくはないが、根性だけはいる2P目も赤沼リード。
頑張り過ぎて頭痛がしてしまった。

ヘッドライトつけたNさんもはいずりあがってきました。右手の指は使わず肘プッシュ。

怪我自慢中のNさん骨突き出たらしいよ。だから~。今登っていいわけ?

さて洞穴上から穴の外に抜けだすピッチはNさんリード。
1歩だけ厄介なムーブあり。
これでNさんアドレナリン放出。
ロープの流れが悪くなるのでここでピッチ切って、リード交代。
このへんから広めの岩稜・・・・というより、巨岩が積み重なった大きな尾根の感じ・・・となり、ルートは好き放題に選べる。
つまり難しいフリーで登るラインも、木登りで行けちゃうラインもあるってこと。
次のピッチはあまり考えず赤沼リードしたが、先週の流れ?で木登りルートを行ってしまった。
「だから~この手で体重かけるのはつらいの~!」と、Nさんからまたしても呪われていたらしい。

この辺から巨岩の間を縫って、好き放題にルートが選べる。これが楽しいのだ。

Nさん、好き放題にリード中。
動画です。
気持ちの良いピーク上で、お気楽肩がらみビレー中(セルフなし)の赤沼。

この先は好き放題にルートを選びつつ、あっという間に山頂直下。
Nさん、なぜか山頂数メートル手前でピッチ切る。

「山頂から観光客(一般登山者のこと)の嬌声が聞こえます。こんな恥ずかしいとこ来たのは赤沼さんですから、責任とってリードで山頂でてくださいね。」

まあそんなわけで、赤沼が格好良く山頂に飛び出たわけだが、観光客の皆様はもっと素晴らしい景色に見とれててまったく気が付かない。

赤沼のコールで気が付いて・・・

この状況から人集まる。(ここ山頂)
Nさん絶好の被写体です。

そんなわけで、山頂でこそこそフードかぶって、なにやらポーズを決めるNさん。エミネムかよっ!

木賊山-ずくなしハイキング

低山愛好家として多くの著作を物している横山厚夫さんが、某サイトで紹介していた木賊山に登ってみることにした。曰く「ずくなし登山」だと。ずくというのは元気とか根性といった意味で、下町の山岳会のおっさんたちが使っていたので東京下町言葉かと思いきや、実は長野を中心とした方言だった。つまりお気楽ハイキングの対象だということ。


木賊山(とくさやま)というのは甲武信岳近くのやつが有名だが、ここで紹介されていたのは甲府方面と瑞牆山の西側の登山口、瑞牆山荘あたりを結ぶクリスタルラインという林道の途上、木賊峠近くの小ピークのことで、横山さんが便宜上、そう仮称したらしい。
クリスタルラインは、知る人ぞ知る花崗岩の美しい渓谷に沿った林道で、原生林の多い気持ちよいエリア。横山さんのお薦めでもあるし、妻とのお気楽ハイキングにはうってつけと確信した。

木賊峠近く

戻り梅雨のようなはっきりしない天候だが、森歩きならかえって気持ちよいかもしれない。

木賊峠の位置


実際に歩いたトラック。1770mの小ピークまでの往復で片道20-30分のほんと、ずくなし登山
木賊峠からしばらくは気持ちのよい樹林。踏み跡もしっかりとある。
雨上がりで足元はあっという間にびしょぬれ。たまにある倒木に体力を消耗する。

10分も登ると鹿よけの柵にあたる。柵内は草ぼーぼー。つまり鹿のおかげで藪漕ぎが少なくてすんでる?
山頂はなにもない原っぱ
瑞牆方面?の岩山が幻想的に浮かび上がる

のんびり歩いても往復1時間もかからないお気楽ハイキングでした。





南相木グレートトラバース(エクステンディッド)

徒然に地図を眺めていて、何気に訪れてみた城山(海ノ口城址)。
そこから長野県のなぁ~~~んにもない村、南相木村での山歩きが始まった。
南相木村の村界はほとんどが登山道もないような山稜だ。
城山を歩いた後、長野県南牧村との村界尾根をすべて歩き、(酔狂で)南相木グレートトラバースと名付けた。鹿や狸の踏み跡をたどっての素敵な山歩きとなった。
今回はその起点となった馬越峠から反対側(東)に向かって、川上村との村界尾根を歩いてみた。グレートトラバースルートがアップグレード(Extended)されたわけで、城山からはじまって、南牧村との村界尾根にさらに川上村との村界尾根が加わったものを新しい南相木グレートトラバースとしてしまおう。
この先は北の村界尾根を踏破し、それらすべてを包含して「南相木村サーキット」ないしは「ラウンド南相木」とでも名付けてしまおうと思っている(笑)

さて今回も車2台で行って、1台は下山予定地にデポ、もう一台で登山口に向かう作戦。

相棒は長友さん。車も持っているし、山に関しても全幅の信頼がおけるパートナー。ただ彼は4月に右手を怪我してしまい、今はリハビリ中。右手でのクライミングは無理だし、転んで手をつくのもNG。
それでもプロテクターで手を固めての参戦。頼もしいというか無謀というか。

彼の状態を考慮して、馬越峠から登山道のある御陵(おみはか)山往復というぬるいプランを提案したのだが、逆にさんざん長駆登山をそそのかされ、南相木村/川上村の村界尾根全踏破をすることとなり、結局18キロ近くにおよぶ8時間半のロングランとなった。

下山予定地の南相木ダムの駐車場に車を1台デポ。
日本一標高の高いダムと言われるここを訪れるのはすでに4回目。
さて今日中にここに帰って来られるのか?

南相木村村界尾根の南側山稜(南相木グレートトラバース)を横切る唯一のまともな車道、小沢しなの入トンネルを越えて川上村側に抜ける。
登山口となる馬越峠は南相木村、川上村間の峠道で、当然南相木村側からもあがることができるのだが、当分の間は南相木側が工事中で通行止め。なので遠回りしてあがるのだ。

馬越峠から東に向かって歩き出す。

馬越峠から西へ登山道を辿れば先日も通った天狗山。反対側は擁壁となっているが、左の隅に踏み跡があり、登山道に入れる。御陵山までは比較的よく整備された道。

御陵山って、この山域に唯一残る伝説、悲運の皇子重仁親王の陵?とか思ってたけど、違うことが書いてありますな。まあ強引に結び付けて仮説をたててみたりするのも楽しいでしょうが、それはまた今度。

壊れかけた祠に手を合わせてさらに先へ。
振り返れば天狗山
登山道はなくなるが尾根は歩きやすい。踏み跡もそこここに残っている。

御陵山から東に1.5キロ程度縦走した先、1753m峰あたりが地形的には今回の核心部。何せ長友さんは、転んで手をつくことが絶対許されないのだ。

岩稜ぽくなってくる。慎重にルートファインディングしていく。
川上村側にまたまたソーラ出現。

そういえば馬越峠の手前も伐採中とあって、大量の樹林を切り倒していた。どうやら川上村は南斜面のすべてをソーラにするつもり?
薄っぺらい偽善と拝金の匂いがプンプンして不快感マックス。

しばらく岩稜がつづく

尾根がなだらかになってきたあたりで、川上村から南相木村に抜ける林道をまたぐ。

尾根は延々とつづく。少し飽きも入ってくる。

ところでほとんどの行程を長友さんに先導してもらった。
体力差を補うのにこれはかなり有効だった。
道を読んで、GPSで確認して、ペース配分して・・・という作業がかなり体力を使っているんだろうと思う。
ただひたすら長友さんの後ろ姿を追って歩くのが楽で、癖になりそうだ。
これも長友さんに全幅の信頼がおけるがゆえ。道もたまには間違うが、それは自分も同じだし。間違いも含めて信用してついていく。そんな気持ちになれるのがなぜか嬉しい。

今回は8時間半ほどの行程だったが、道中のかなりの部分を二人で喋り散らした。これも毎度のパターン。

長友さんによれば私の登山は「最高に享楽的」なんだそうな。
最大限の誉め言葉として受け取る。

クライミングばかりやってた10台最後から20台のころ。
仲間がばたばたと亡くなっていくのを見ていて、自分の寿命も長くて30くらいだろうと思っていた。だったら死ぬまでの残り少ないクライミング行を最大限に楽しいものにしないと・・・と思った。
無駄な山行をなるべくしないよう、少しでも多くの感情を味わい、多くのものを見て、怖い想いもして、多様な山の楽しみに、クライミングという最高にクリエイティブな表現行為を通して触れなければならないという強迫観念に突き動かされていたように思う。

30過ぎても、40過ぎても、50過ぎてもなぜかまだ生きていて。
だんだんそんな切羽詰まった気持ちも薄れてきて。
でも還暦過ぎて、人生の終わりまでの時間を数えはじめた今、なぜかあの頃に近い感覚が戻ってきているみたい。
死ぬまでにできるクライミングはもう限られている。
だから無駄な暇つぶしみたいな山はやりたくない。
すごい山とか難しい山をやりたいわけではなく、自分として納得のいく山との触れ合い方、素敵なパートナーたちとの関係性、岩や山肌の感触、まだまだあるだろう未知の感情・・・・そういう無数で多様なものをすべて自分のなかに封じ込めて死にたいな~
なんて話を道中ず~っと話していた。

もちろん長友さんの登山論、美意識などについても興味深く拝聴した。
今回は前のように高いところから低いところに縦走するという楽な道をとらず、登りの多い道中になったのも長友さんのそんな美意識によるものが多い。そのへんこだわらない私は従うのみ。

道半ばを過ぎた1907m峰あたりでお昼。今回は飢えないようにおにぎりいっぱい持ってきた。

私の持ってきたシャトレーゼのよもぎ饅頭、長友さんのカロリーたっぷりビスケット、ウィダーインゼリーなど、おにぎり以外の食の楽しみをとっておいて、「あのピークについたらこれを食べよう!」というのを大きな楽しみに道を進める。

今回の最高到達地点。高天原山。国土地理院の地図には山名記載がなかったが、Geographicaには出ていた。ここで南相木村/川上村の村界尾根はおしまい。

ここから北に、今度は群馬県上野村との村界尾根に入る。すでに南相木ダムの東側に回り込んでいるので、このままダムに下りれば今回は終了。

南相木村の山は、北斜面がなぜかみなシダに覆われている。尾根をたどってダムにおりようと思ったが、シダに覆われた足元が見えなくて、倒木や苔に覆われた岩が滑るので危険。

尾根をやめて沢下りにする。三川は南相木側、奥三川湖(南相木ダムのあるところ)の最上流だ。

南相木ダムの遊歩道から三川に伸びる林道に着く。
南相木ダムの遊歩道をぐるっと半周して、デポ車を停めた駐車場へ。
南相木ダムに到着

【記録】

トラックレコード(西から東へ)

左端の馬越峠から歩き出し。東へ御陵山。その先は登山道はなし。
踏み跡をたどってさらに東へ。オソネ、東沢の頭と名付けられたピークを越えてさらに東へ。
再東端は高天の原山。北東には御巣鷹山。このまま東へ行けば三国山。

高天の原山から北上し、途中から適当に西の尾根に入る。三川の沢を下って南相木ダムに到着。

歩いた日:2022年6月26日

馬越峠 7時30分発
1753m峰 9時30分
オソネ  11時11分
1907m峰 12時10分
1935m峰 13時15分
高天の原山 13時45分
三川林道  15時15分
南相木ダム駐車場 16時着
全行程約17.5km 8時間半の歩きだった。

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