アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

カテゴリー: 山行報告 Page 4 of 10

八ヶ岳・東ギボシ西壁ルンゼ偵察行

2015年の冬、西岳から遠望したギボシの西壁。
そのどまんなかに食い込む真っ黒なルンゼがターゲット。
登攀記録のないこの壁にまずは無雪期にルートを一本開拓し、山巡ルートとした。無雪期のルンゼ自体はあまりにも脆く、最初の垂直部を越えたあと左のリッジに移り、これを登った。最初の垂直部以降、ルンゼは急峻なガレ状に見えた。

垂直部が凍結するか、雪で埋まった冬期なら登れるかもしれない。
条件が揃えば簡単に登れるし、条件が悪ければ登攀不可能。そのどちらかだろうと予想。
東ギボシ山頂の手前稜線から歩いておりれば簡単にアプローチできるが、どうせ登れるかどうかわからないなら、立場川の支流ノロシバ沢を詰めて下から行ってみたい。

それにしてもノロシバ沢って情報少ないね~。
クライマーの間ではわりとよく知られた「バリエーションしましょ」というブログに、冬に登った記録がでていたが、12月で雪が少なく、凍結も甘く、苦労して稜線に抜けた様子。ちなみにブログ主さん、この登攀をした直後に甲斐駒で亡くなってしまったらしく、許可のとりようもなく勝手にリンク張ってしまいました・・・ご冥福をお祈りします。

今回の相棒はYCC(ヤングクライマーズクラブ)の家口さんと、田丸さん。山も酒もパワフルな二人。決して若くはないが・・・・
金曜夜、家口さんの車で北杜市のわが家に移動し、深夜の宴会。
翌早朝まだ暗い船山十字路の先まで車で移動。

いや、水流れてます。
ここのところ大きな寒波もきておらず、凍結状態が心配だったが、この時点であきらめモード。
まあ旭小屋まで行って、状態見て、だめそうなら立場岳でも往復してくるか・・・・と出発。

水の流れる立場川を渡渉して対岸に渡ると、林道があり、踏み跡はないものの、旭小屋あたりまでこれを辿ることができる。

立場川本谷をつめる。踏み跡はまったくなし。
足首からひざ下程度の軽いラッセルだが、水流部は5cm前後くらいの凍結状態で、下を水が流れているところも多い。
ときおり踏み抜いてドボンするし、歩きづらいことこのうえない。

唯一、堰堤にできた氷瀑でアイスクライミングのまね事。氷が硬すぎて結構怖い。

氷の踏み抜きドボン、要注意!

何度かドボンして、濡れた足回りがあっという間に凍り付きながらも意に介さず、パワフルなラッセルで先行してくれる家口さん。いや~助かるわ~。
ちなみにドボン王者は家口さん。次が田丸さん。赤沼はドボンなし。

どうやって越えよう・・・怖いこわい。

快晴無風で気温は低め。マイナス15度くらいかと思われる。
年齢には勝てず寒さ耐性がかなり落ちてます。
若いころはフリースの上に、ダウンなんか着て歩いてたら大汗かいてたもんだけどな~。

ノロシバ沢に入ると水流が減って、全面凍結。安心して歩けるようになった。

この日は日帰りで行けるところまで行って、下山の時間を考えて11時になったら引き返すということにしていた。
この時間内で、あわよくばギボシ西壁ルンゼを登ってしまおうかなんて考えていたのだが、まったくの計算違い。11時時点でノロシバ沢の4分の1程度くらいまでしか行けず、ここでタイムリミット。
残念ながらギボシの全景も見られず引き返すことに。

でもまあ偵察行としては、だいぶ雰囲気がわかったのでOKとしよう。

  • 完全凍結していないとアプローチがかなり厄介。寒波のきたあとを狙うべし。
  • 雪すくなく中途半端は歩きにくいのなんの。あったりまえか~。
  • 雪多すぎるとやっぱつらいよね。あったりまえ。
  • 雪が締まってないとつらいよね。あったりまえ~。
  • つーことは、やっぱ3月あたりの冷え込みのあとを狙うのがいいかね。まあ最初からそうだとは思ってたけどさ。
  • 立場川もノロシバ沢も、とりあえず到達した範囲では氷瀑らしい氷瀑はなし。上部に少しはあるらしいが、技術的問題はなさそう。
  • アプローチは思ったよりだいぶ長い。日帰りで行こうなんて考えが相当甘かったらしい。ノロシバ沢出会いあたりでテント張って、2日行程くらいは必要と思われる。
  • ギボシあたりを遠望した感じでは雪があんまりついてない。これもやはり3月あたりの雪がそこそこあって、締まった時期がよしとの結論になりますな。
水流の横を溜息つきながら下山する田丸さん。動画です。音が出ます。
今回のトラックレコード

当然の打ち上げ。下山は案外早く、午後3時~5時で1次会。一回昼寝して午後8時~午前2時前に至る2次会。3人で2升をコンプリートしました。わたしゃ酔っぱらって、iPhoneをストーブで焼いちゃった。ケースが焦げただけだけど・・・・

西上州・3岩峰の一筆書き登頂(鷹ノ巣岩・碧岩・大岩)

11月最初の週末は、長友さんと山に行くという約束だけがあった。
高山は寒いし、雪山には早い。
(赤沼「この時期はやっぱ西上州あたりの岩峰でクライミングかね~」
(長友)「西上州のクライミング、行きたかったんです!」
(赤沼)「どこか登りたいところある?」
(長友)「あのエリアはまだ妙義と大なげしあたりをちょろっと登ったくらい。西上州らしい岩峰やりたいっす。」

西上州らしい岩峰と言えば、立岩、碧岩、毛無岩、鹿岳あたりかね・・・

(赤沼)「じゃあまず入門ルートとして碧岩の西稜あたり?」
(赤沼心の声)「これならちょろいし、早く帰って宴会できるぞ。うししし」
(長友)「実は手術前(手の怪我で入れていたプレートを抜くらしい)最後のクライミングになるかもしれないので、赤沼さんを使い倒したいっす。」
(赤沼)「碧岩の既成ルートじゃ物足りないのね・・・そーいえばさ~、碧岩のすぐ近くに鷹ノ巣岩があって北稜は長いけど何度か登られてるみたい。そっちのほうがいいか?いや、いっそのこと連続登攀しちゃう?なんならその先にほとんど記録のない大岩って岩峰もあるから一筆書きで登っちゃう~?」
(長友)「それそれっ!やりましょう!」
ネットリサーチのあと・・・
(長友)「でも既成ルートあるところ登って歩くと、コースがジグザグになってしまって美しくないですね~」
(赤沼)「誰が既成ルート登ろうって言ったの?やるなら直線でしょ。ルートなければ作ればいい。鷹ノ巣岩の北稜登って、そこから碧岩に向かって東稜おりて、碧岩は西稜にルートあるからそれ登って、東稜おりて、さらに大岩に西から登れば直線で一筆書きできるよね。」
(長友)「Go! G0! ごぉ~~~~~!」

ルートのイメージ

(赤沼心の声)「しまった・・・・長友さん焚き付けてしまった。この3つの岩峰、それぞれが一日コースじゃん。山中ビバークで全装備背負って登るのつらすぎるな~。じゃあ荷物軽くして日帰りで、だめなら途中でおりてきちゃおう~そしたら宴会、うしししし」
(赤沼)「せっかく3つ連続で登るなら、日帰りでやっつけよう。スピード登攀もたまにはいいんじゃん?」

まあこんな感じの、赤沼の上から目線な対話があってルートが決定。

かくして情報の比較的少ない西上州の岩峰3つを、だいたいのラインだけ決めて、ルートファインディングしつつ、ルートがなければ開拓しつつ、しかも日帰りで終わらせるというハードル高めのプランができあがった。

さてそうなるとテーマは

  • 一日で終わるためにいかにスピードをあげるか。ルーファイに時間をかけない、ロープを使うのは最小限に、支点も必要最小限に、ロープワークの迅速化など。
  • ルートはなるべく3峰を直線的に結ぶことだが、地形を見て必然性のないラインは選ばない。
  • 長友さんは赤沼より早く歩いてはいけない。

【鷹ノ巣岩北稜】

写真は、碧岩方面から振り返った鷹ノ巣岩。右のスカイラインが北稜。

鷹ノ巣岩北稜はネットで検索すると、主に西上州のクライミングを愛するヲタククライマーを中心にそこそこ登られているらしい。
群馬県南牧村の観光地、三段の滝の駐車場から熊倉川を少しだけ上流に登ったところから取付き。日の出とともに取付くつもりが、林道の通行止めで迂回させられ1時間ほどのタイムロス。6時20分出発。すでに陽はだいぶ登っていた。

樹林の急登を行くと、草付きや灌木の混ざった岩場が出始める。

急登なので下界があっという間に遠ざかる。
鷹ノ巣岩本峰までにP1, P2という二つの岩峰を越えて行く。P1につくと鷹ノ巣岩本峰がだいぶ遠くに見える。

それなりに岩場も出てくる。
だいたいの岩場は木の根や草付きもホールドにしつつ、ノーロープで登っていく。途中3~4回ロープを出して鷹ノ巣岩に到達。

P2から鷹ノ巣岩
いやらしいところはロープをつけて。リードはすべて長友さん。
こういうのがかなりいやらしいクライミングになる。
鷹ノ巣岩、9時20分。3時間の登攀。

【鷹ノ巣岩東稜下降】

鷹ノ巣岩から東に向かって、碧岩、さらに大岩を目指す。

鷹ノ巣岩東稜もきりたったリッジ。リッジのすぐ南の急斜面を懸垂下降していく。

【動画】最後は若干かぶり気味のリッジ末端を懸垂下降。
沢が見えたら樹林の急斜面を歩いておりる。

この下が三段の滝上流の沢で、そこから少し対岸にあがると碧岩西稜の取付き。三段の滝上到着10時20分。下降に1時間かかった。

【碧岩西稜】

碧岩西稜は今回のラインの中では一番のポピュラールート。ガイド登山で来る人もいたりして、時には順番待ちが出るほどらしい。混んでるといやだな~

碧岩西稜取付きのコルに向かう。

三段の滝を見学に行ったりしてゆっくり休み、碧岩西稜取付きは10時45分くらい。

先行パーティーが1組いたものの、われわれがノーロープで登っているのを見て、快く先を譲ってくれた。3級程度の岩稜+木登りで飛ばしていく。
今朝登ってきた鷹ノ巣岩を振り返る。右のスカイラインを登り、こちら側のリッジすぐ左側をおりてきたわけだ。
【動画】碧岩西稜をフリーソロ中の長友さん
碧岩山頂すぐ手前の岩場は1Pだけロープを出したいと長友さんが主張。

時間かかって面倒くせ~な~と正直思ったが、実はこれが理想のパートナー。

彼は体力、精神力、登攀力ともに抜群だが、若干チキンな部分あり。
ただ自信があったり、格好つけて突っ込んで来られたんじゃあ危なくて一緒に登ってられないが、怖いときに怖いと言って一歩も引かない冷静さ、頑固さが頼もしい。格好つけないでいられるってすごく格好いい。

お昼の時報と同時に碧岩山頂に到着。

碧岩西稜は約1時間15分での登攀。

鷹ノ巣岩を振り返る。あそこを登っておりてきたか~と感慨しきり。

でもまだ先がある。

【碧岩東稜下降~大岩西稜】

碧岩東稜下降のはずなんだけど、正確に東は切り立ったフェース。

そこを無理におりる必然性は何もないので、少し傾斜の緩い南によるとそこは一般登山者の踏み跡。
のはずなんだが、ロープが張ってあったりはしてもやけにやばいぞ。
ロープ持ったままふられそうなリッジの下山。

結局一番必然性のあるラインには一般(篤志家)登山者向けの踏み跡があり、赤沼は「これ行っちゃえばいいんじゃない?」と言うが、長友さんは「一本北の尾根に入ればより直線的で美しいラインになるはず」と譲らず、楽させてもらえなかった。

西の尾根から大岩を望む。


またまた道なき道を歩き、軽めの岩稜を行くと先ほどの踏み跡に合流して大岩山頂に到着。13時。ほぼ歩きで1時間の行程。
大岩西稜は岩稜部分もあって登れないこともなかったが、はっきり言ってただの崖。あえて登る理由もなかったので歩いてすませた。

大岩山頂
碧岩方向に下山開始。

【写真ギャラリー】

紅葉の尾根を行く長友さん
なに喜んでるんだろ?

さて大岩からの下降は北面のフェースをおりるつもりだったが、道中に忘れ物もあり、碧岩の南面を巻いて三段の滝に至る踏み跡を利用することにした。
三段の滝経由で登山口駐車場着が15時15分。
9時間弱で3つのピークを登って帰ってくることができた。

【装備メモ】

二人とも運動靴とクライミングシューズを履き替えながらの行動。長友さんは急斜面で運動靴にチェーンスパイク装着。赤沼は面倒で靴のまま行動。
ロープはダブル2本。シュリンゲ多数とカム数個。ハーケンは1枚使用後回収。
懸垂下降はすべて灌木利用。

前穂高岳・下又白谷山巡稜下部フェース(F1左壁)

57年前(1965年)の8月に山岳巡礼倶楽部の先輩たちが登った山巡稜を再登しようと出かけた。

山巡稜は下又白谷下部本谷のF1手前の左壁(右岸岩壁)から、ひょうたん池に至るリッジで、下部はF1左壁のいやらしいスラブ壁を攀じ、上部はやぶ尾根を登ったものと思われる。

このルートは昭和37年(1962年)から昭和40年(1965年)にかけて、倶楽部をあげて行った下又白谷研究の一環として登られたもの。
山岳巡礼倶楽部の会報「GAMS」30周年記念号に掲載された記事に、1965年8月7日から8日にかけてこの山巡稜を登ったとの記載がある。
この時、「人間が見ることが出来なかった下又白谷の全貌が明らか」となり、「茶臼菱型岩壁、菱型右方ルンゼ(筆者注:今は菱型ルンゼと呼ばれている。)の発見」をし、さらに下部本谷の壮絶な滝群に目を瞠り、今後の研究テーマとしたようだ。

山巡稜下部フェース(F1左壁)の登攀は悪戦苦闘の連続だったようで、1965年8月7日はF1の落口と同高度の広いテラスまで登り、ロープをフィックスしたベースキャンプに戻り、翌日8日に途中まで「投げ網やザイルシュリンゲ等を使って登り切った」が、「そのうえは何一つないテラテラスラブに行手をはばまれ」、「アイスピンを打ち込」んでザイルトラバースのすえ、「モロくなった岩角をたよりに、リッジを廻り込んで、ガリーに入り」灌木帯に入ったとある。

さて山巡稜の再登計画である。
下又白谷にはだいぶ通って、下部本谷、F1洞穴ルート、菱型ルンゼ菱型スラブ(各スラブ合計3本)上部一尾根第一支稜(ウエストンリッジ)下又白谷奥壁と登ってきた。だが山巡稜はいやらしい露岩とかったるいヤブ尾根というイメージがあって、なかなか食指が向かなかった。

でもここまでくると、あの立ち位置から下又白谷下部本谷や上部の岩壁群を眺めてみたい。なにせ下又白谷登攀の歴史はここから始まったといってもいいのだから。

そういうわけで重い腰をあげた。
パートナーはひとまわり以上若い友人、長友さん。
赤沼のウエストンリッジの記録を読んで同ルートを登ったうえで連絡をくれた。意気投合して最近いくつかのクライミングを共にし、そして今では貴重なパートナーとなった。
やぶ上等、脆壁上等の頼もしいクライマーだ。
不運な事故で右手をつぶしてしまい、まだ治療中。でも登りたいらしい。なら行っちゃおう。

登ったのは2022年10月15日土曜。
長友さんは帰りのバスに間に合わなくても宴会ができるよう、上高地にテント、食料、酒をデポして行こうと主張したが、赤沼は「山巡の先輩が1960年台の装備と技術で登ったルートだよ。半日で終わって帰れるんでない?」と・・・つまり荷物軽くしたいのと、かなり甘く見ていたこともあるわけですな。

登攀具とお弁当だけ持って下又白谷本谷からF1へ。
ないだろうと踏んでた雪渓はまだ少し残っていた。

どうどうと水流を落とす大迫力のF1。その上の、左方向に伸びるスカイラインが山巡稜。つまりF1の左壁のどこかを登らなければこの稜には乗れない。

さあどこから取付くか。

F1左壁(この上のやぶ尾根にたどり着きたい)

赤沼はF1を過去に数回越えている。いずれも下部本谷や菱型スラブ、菱型ルンゼなどへのアプローチとしてだ。
雪渓の状態次第で、毎回ルートが異なる。
雪渓のない時期は左の岩壁を適当に登って、F1落ち口までバンドを拾ってトラバースをしていくのが良策。山巡稜に取付くにはF1落ち口の手前あたりから直上して藪に入ればいいだろう。

雪崩で磨かれたスラブは比較的硬いが、傾斜の緩いところはすべて土砂が堆積していて足場がない。
ごまかしごまかし無理矢理登っていく。見た目よりずっと悪い。
土砂の堆積したバンドをトラバースして弱点を探す。弱点とはいえ、垂直部をいくつか越えないと上には行けない。スラブ状の岩にはカムはあまり使えず、ところどころハーケンでプロテクションをとっていく。
うすかぶりのスラブを越していくと、見覚えのある洞穴がすぐ上にある。赤沼がはじめてこの壁を越えたときに拓いたルート(F1洞穴ルート)に、また寄ってきてしまったらしい。(写真上のハング下が洞穴状のテラスとなっている。)

洞穴ルートを拓いた際にはこの上のスラブで行き詰り、かなり怖い思いをしている。そこだけは避けたい。

1ピッチ目をフォローする長友さん。
傾斜の緩いところには土砂が堆積しているので、ホールド、スタンスは掘り出しながら登る。

2ピッチ目。
さて洞穴は避けたい。右のスラブは傾斜がきついが、岩はよく磨かれていて硬い。難しいフリーになるかもしれんが突っ込んでみるか・・・と、ボルト工作をはじめてみる。バランスをとるためにハーケンの先だけ浅いリスに打ち込んで、タイオフでビレーをとるが、ほとんど効いてない。

打ちながらこの上の様子を見るが、てらてらのスラブ上ではボルトは打てまい。次の支点がとれそうなところまで10mはランナウトするな~

ちと怖気づいて、ボルト工作は中止。
しょうがないので洞穴を目指す。

洞穴下までトラバースをしたはよいが、ここかぶってるね。
ハーケン1本効かせて突っ込むがかなり難しい。
ハイステップでやっと立ちこんだ足と岩の間にシュリンゲが入ってしまって、一瞬パニくりそうになったが、なんとか立て直し洞穴に突入。ほっ。

3ピッチ目。
洞穴はハングになっているので、右を越えるか、左を越えるか。
前回は左を行って大変な思いをしたと記憶している。
迷わず右へ。

と言っても右もかぶったフェースを越えないとその上のスラブには入れない。

ここもハーケン1本効かせて、フリークライミングちっくなムーブでスラブに立ちこむ。

なんとかスラブに入ったが、スラブと言ってもこの傾斜。
上に見えてるのが洞穴の屋根。つまりオーバーハング。

洞穴上のスラブを登って、F1落ち口につながるバンドに出た。
写真は洞穴上のスラブをフォローする長友さん。

F1左壁(前壁)の悪絶ぶりが感じられる写真をもう一枚。長友さんがまもなくバンドにつくところ。

3ピッチ目終了点でビレーする赤沼。
赤沼の真後ろがF1の落口。
ここからF1に行かず直上して上部のやぶ尾根に入ろうという作戦。

3ピッチ目終了点にはリングボルトが2本残置されていた。
自分が昔打ったものか、57年前のものか、それとも誰かが来たのか。
このほかにもかな~り昔風のハーケンやらボルトもあった。

4ピッチ目。
F1にはいかず、真上のやぶ尾根を目指し直上。
傾斜は強いがもうすぐ岩場はおしまいなので、気合を入れて行く。

最後の部分がどこを見てもかぶっている。
右のリッジをのぞき込むがやばそうなので、灌木のある真上を目指す。

このあたりがルート中最難。
このあとピッチの最後は灌木が1本あるハング。
持ってきたあぶみをかけたくなるが、この灌木が唯一の支点なのでフリーで頑張って小テラスへ。もうすぐそこがやぶ尾根だ。

4ピッチ目終了点。やぶ尾根はもうすぐそこ。

だが、だが、だが!

なんと赤沼がどこかで携帯を落としたことに気が付いた!
3ピッチ目終了点ではカメラとして使ったので、落としたのはこのピッチだ。

時刻はもう午後1時をまわっている。
ここまでは緩いラインでも探して朝のうちに来るつもりだったんだが・・・

「長友さん、ごめん!ここから降りていい?」
「いや~実は手の傷も痛み始めてるし、でもこちらから降りようとは言えなかったっす」

みたいなやりとりがあって下山確定。

携帯は3ピッチ目終了点あたりのブッシュで発見。無傷でした。

すごすごと懸垂下降

そんなわけで、山巡稜のトレースはならず。

でもかなり楽しい4ピッチの登攀だった。
いや山巡のじいさんたち(先日メンバーのひとりは亡くなった・・・・てか登った当時は若者だった)やるね~
というかこっちが今現在、彼らが登ったころよりずっとじじいじゃん。

もっとも57年前の登攀は8月なので、壁の半分くらいは雪渓が達していたかもしれないし、どのラインを登ったのかは結局よくわからなかった。

さて。われわれの登ったラインだが、途中にハーケンやらボルトの残置もあり、自分自身も含めて登っているのはたしかで、もちろん初登攀とかではない。

ただ岩登りのルートとしてはかなりユニークな特性を持ったものだとは思う。

まず美しく壮麗なF1の存在を常に感じられる登攀であること。
前壁や対岸の岩場の凄絶としか言いようのない迫力もまたひとつのエッセンスと言える。

そんなわけで岩登りのルートの一つとして(敗退記録としてではなく)紹介しておきたいとは思う。

上は長友さんが書き込んでくれたルート概要。
全4ピッチで各ピッチに最低一か所ずつ傾斜の強いうすかぶりスラブ壁があり、ネイリング技術、ルーファイ力、それになんとかごまかして登る突破力が必要とされる。(クライミング力とは言わないところがみそね・・・へへ。)

帰りの道中、グレードについて話し合った。
クライミングのグレードって主観以外ではありえない。
フリークライミングでよく使われるデシマルグレードは「ムーブ」だけを評価したものだと聞いた。

それって、今回のようなクライミングでのグレード評価にはなじまないよね。次登る人がいて、そんなグレードには何も伝えるところがないし。

じゃあグレードに怖さとか、ネイリング技術とか、ごまかし方?とか、脆さとかの要素を加味していいの?

てなわけでぐだぐだと話し合った結果、「全ピッチに最低一か所は5.9-5.10のムーブはあるし、4ピッチとも全部6級ってことでいいんじゃね?」てなところに落ち着いた。

誰か登って「4級しかね~よ」と言われても反論はしません。でも気を付けて登ってね~

使用ギアは:
ハーケン、アングル、薄刃など多数(懸垂用以外は回収)
ボルト使用せず
カム、1セット弱持参し使ったが全体に効きは甘い
残置ボルト、ハーケン等見つけたものは使用
50メートルダブルロープ2本
4ピッチに約4時間かかった。

瑞牆山本峰正面壁トムソーヤの冒険

先週、火事場の馬鹿力を出して霞沢岳の岩壁を登ってしまった。
そういう場合、かなりしばらく疲れをひきずることになる。
あっという間に1週間がたち、Nさんとのクライミングを約束した日になった。彼は沢登りで手を怪我してしまい(結構重症)、手術後のリハビリクライミングをしたいというのだ。
どこぞのゲレンデでロープでも垂らしてまったり登るイメージだったのだが、まともにクライミングがしたいという。病んでますな。
まあ病気はお互い様なので、自分自身のクールダウンも兼ねて、もう3回ほども登ったトムソーヤにでも行こうかということになった。アクティブレストというには、ちとアプローチが長すぎるんだけどね・・・・

前日午後、Nさんの高級車で、わが家までのお迎えからクライミング行スタート。赤沼、威張る理由もないが、大威張りです。
この日は瑞牆周辺のマル秘ポイントで、焚火キャンプからスタートという予定でしたが。夕方から雷雨の予報。
急遽、妻、娘、孫娘のくつろぐ我が八ヶ岳宅に宴会場を移し、部屋の隅でスーパーの寿司を肴にちびちび飲むオジサンたちの図。

さてトムソーヤはそこそこの人気ルート。
最近はガイドクライミングのルートにもなったりしているらしい。
巻き込まれないよう朝は早めのスタート。

幸い、誰もいない取付きに到着してクライミング開始。

上はネタバレの取付き写真。
1P目は3~4種類のルートどりが可能に見える。
これがまあ正解なんですが、これから行く人は見ないように。

Nさんはリハビリ目的なので、「行けると思ったピッチは全部リードしていいよ」と言ったら、ここはとりあえずリードしてくれというので、私がリード中。支点とらなさすぎると呪われました。

2P目が有名な洞穴内のチムニー登り。

ヘッドライトつけて、Nさんがとりあえずの攻め。
これ以上登ると敗退できなるなるポイントまで攻めて、すごすごと下りてきました。右手は決して無理できない状態なわけで、しょうがないよね。
この難しくはないが、根性だけはいる2P目も赤沼リード。
頑張り過ぎて頭痛がしてしまった。

ヘッドライトつけたNさんもはいずりあがってきました。右手の指は使わず肘プッシュ。

怪我自慢中のNさん骨突き出たらしいよ。だから~。今登っていいわけ?

さて洞穴上から穴の外に抜けだすピッチはNさんリード。
1歩だけ厄介なムーブあり。
これでNさんアドレナリン放出。
ロープの流れが悪くなるのでここでピッチ切って、リード交代。
このへんから広めの岩稜・・・・というより、巨岩が積み重なった大きな尾根の感じ・・・となり、ルートは好き放題に選べる。
つまり難しいフリーで登るラインも、木登りで行けちゃうラインもあるってこと。
次のピッチはあまり考えず赤沼リードしたが、先週の流れ?で木登りルートを行ってしまった。
「だから~この手で体重かけるのはつらいの~!」と、Nさんからまたしても呪われていたらしい。

この辺から巨岩の間を縫って、好き放題にルートが選べる。これが楽しいのだ。

Nさん、好き放題にリード中。
動画です。
気持ちの良いピーク上で、お気楽肩がらみビレー中(セルフなし)の赤沼。

この先は好き放題にルートを選びつつ、あっという間に山頂直下。
Nさん、なぜか山頂数メートル手前でピッチ切る。

「山頂から観光客(一般登山者のこと)の嬌声が聞こえます。こんな恥ずかしいとこ来たのは赤沼さんですから、責任とってリードで山頂でてくださいね。」

まあそんなわけで、赤沼が格好良く山頂に飛び出たわけだが、観光客の皆様はもっと素晴らしい景色に見とれててまったく気が付かない。

赤沼のコールで気が付いて・・・

この状況から人集まる。(ここ山頂)
Nさん絶好の被写体です。

そんなわけで、山頂でこそこそフードかぶって、なにやらポーズを決めるNさん。エミネムかよっ!

霞沢岳2514峰西壁

霞沢岳は穂高連峰の展望を楽しむ静かな山として知られているが、実は大小の岩稜や岩壁、切れ上がった沢などを多数有する列記とした岩峰だ。
ここを霞沢岳ではなく、南穂高岳とでもすればよかったのにと言う人もいるくらい。
上高地帝国ホテルから霞沢岳にむかって一気に駆け上がる八右衛門沢を見ると、奥にいくつかの岩場が散見できる。しかし谷の奥にあるためか、あまりその存在感を感じさせない。
だが実際、八右衛門沢を遡行してみると、すぐに谷は急激にせりあがり、いつの間にか数々の岩壁に囲まれる。
なかでも上流部右岸側壁(2514m峰の西側)は400-500m規模の顕著な大岩壁となっている。そこは屏風岩のような一枚岩ではなく、急峻なリッジと風化花崗岩のスラブ、それにはいまつなどの草木に覆われた垂直のフェースによって構成されている。

2514m峰西壁の核心部を見上げる
八右衛門沢上流部から右岸側壁を見下ろす。


2015年9月、霞沢岳の岩壁群の偵察のため八右衛門沢を遡行。

2021年にようやくここを登るべく訪れたが、天候不順で敗退、転進。

そして今年、ようやく登ってくることができた。

パートナーは昨年敗退の際の相棒、石鍋礼くん。赤沼よりひとまわり以上年少だが、彼が中学生時代からのつきあいとなる。仕事も家庭もクライミングもメリハリよく大切にしているらしい。
そして女性だけの山岳会、銀嶺会の代表/組長、宮田実穂子さんがどた参加。ハイパーとも言える行動力に、明晰な頭脳と明るい性格の人たらしぶりを生かした人脈がすごい。

7月24日、沢渡から朝一番のタクシーで帝国ホテルへ。
八右衛門沢出会いまではすぐ。

早朝の霧に包まれた沢沿いの林道を歩き、林道がつきたら沢に入る。
沢は上に行くほど傾斜が強くなってくる。
小一時間で霧も晴れ、目指す2514峰西壁(八右衛門沢右岸側壁)が正面に見えた。

三本槍沢を分けると傾斜はさらに急になる。

八右衛門沢の遡行は上に行くほど傾斜を増し、ところどころクライミング技術を要する滝があらわれるが、慣れたクライマーならロープはいらないレベル。
ただ傾斜の増したガレ場は、いつ岩雪崩を誘発するかわからないので、場所によって一人ずつの歩きとする。

2514峰西壁の基部。

岩壁は中央部のリッジと右のスカイラインをなすリッジ、ふたつの大きなリッジを中心に展開する。上の写真中央部のリッジが壁の中央あたりとなる。ここは下部が木に覆われており、また上部は壁の中央部に合流しているため、その先が読めない。
このリッジを巻き込んで、右スカイラインとの間の凹角(ルンゼ)を取付きとする。

凹角に入る。100mほどは沢状をロープなしで簡単なクライミング。
このあたりからロープを出し、1P目とする。
背後に上高地を見下ろす。

1P目取付きからルートを見上げる。

右スカイラインが顕著な岩のリッジ。左は風化花崗岩のぼろぼろのスラブ。そして左は岩壁中央部分のリッジが垂直に、不気味に立ちはだかる。

右側の壁と中央のスラブ帯にはさまれたクラック沿いにクライミング。
壁はつるつるで、硬くフリクションの効く部分を探し出しながらの繊細なクライミング。ミリ単位で高度を稼いでいく感覚が久々で楽しい。

2P目は風化してボロボロのルンゼを右の壁に沿って左上。

中央部からせりあがってきたリッジの小ピーク手前でロープいっぱい。ピッチを切る。

技術的には難しくなく、楽しいピッチ。
3P目で左の小ピーク上に出る。明るく楽しい。

小ピーク上は風がさわやかで気持ちいい。

4P目。目の前は垂直の壁に阻まれる。

逆光でルートが読みづらい。弱点を探しつつじわじわと登るが、傾斜が強くて困難。草付きのラインを選ぶが、ハングに下向きに生えた草木をつかんでの強引なクライミングとなる。灌木の根にあぶみを下げての人工登攀もまじえて全身駆動の登りで手足はぼろぼろ。

4P目終了点。垂直部を越えると風化花崗岩のざらざらフェース。
5P目取付き。ここからさらに急な草付きフェースがつづく。
5P目で灌木に覆われたリッジに入る。リッジ手前がひどい風化花崗岩のスラブで、木に飛びつくようにしてトラバース。

6Pは灌木をつかんでの急傾斜の藪漕ぎ。危険はないが身体にはきつい!

さらに灌木からはいまつの藪漕ぎ100mほどで小さなピーク上に出る。ここで一応ルートは終了?かと思いきや・・・・・

ピークの先は垂直に切れ落ちており、2514m峰と思われるピークの手前には垂直のピナクルが林立している。思わず天を仰ぐ。
3人とも全身駆動のワイルドなクライミングで疲れ果てているのだ。
しかもピナクルは登るには相当難しそうだ。
ここで今日中に下山して宴会やろうというプランは消滅。ビバーク確定ですな。

ピーク上でしばし迷う。

ここからの下山オプションは・・・

1 登ってきたルート下降(支点構築が難しい。手持ちボルトとハーケンでは、灌木が見つからない場合3~4Pの懸垂下降が限界なのでリスクが高すぎる。)
2 左方面に三本槍沢右股を下山(同上)
3 八右衛門沢方面におりている灌木のリッジを懸垂下降(どこまで灌木があるか見えない。支点構築リスクが捨てきれないし、灌木リッジの懸垂下降はロープワークがかなり面倒。)
4 右方面の沢を八右衛門沢方面に下山(同上だが、傾斜がいくらか緩いので滝が少ないかも?)
5 3つのピナクルをすべて根性で登って縦走する。(つらい!つらすぎる!もう精神力も体力も限界だ~!)

とりあえずオプション1, 2, 3はなし。

オプション4の沢下りの可能性を偵察するため、まずは小ピークから沢の上部まで懸垂下降してみる。

沢のほうに少し下って様子を見るが、すぐ下がスラブ状の滝になっていて、その先が見えない。これはあかんな~と上を見上げると、なんとピナクル群を巻いて稜線上に戻れそうなゆるいルンゼが入っているではないか!

これでまんまとピナクル群を巻いて、稜線上の激やぶをこいでなんとか2514峰に到着することができた。

2514峰から巻いてきたピナクル群を振り返る。

左のピナクルが西壁の終了点。その右のルンゼを懸垂下降して3つのピナクルを巻いてはいまつの稜線にあがった。これを縦走したら大変な思いをするところだった。(冷汗)

2514峰山頂にて
ここからは2つのピークを越えて延々のはいまつ藪漕ぎとなるが、2514m峰以降はいくらか人も歩いているらしく、たまに踏み跡もあり、藪漕ぎ自体が少しだけ楽になる。
まもなく霞沢岳のK1。登ってきた尾根を振り返る。
というわけでK1に到着。

もはや霞沢岳ピークハントの余裕はなく、この日は登山道を徳本峠まで行き、ツェルト泊。しかし宮田さんの交渉力よろしきを得て、なんと徳本小屋からビールを入手。打ち上げをして、翌日明神経由下山となった。

【クライミングデータ】

八右衛門沢出会いからK1までのトラックレコード
クライミングルート

八右衛門沢を遡行し、三本槍沢を左に分けるとすぐ右岸が2514m峰西壁。
大きなリッジをひとつ越え、次のリッジ手前のルンゼから取付き。
1P目 ルンゼを左上。クラックと左右のフェース、右側の壁をホールドとして総動員しての繊細なクライミング。50m 5~6級程度。
2P目 ルンゼをさらに左上。岩壁中央部のリッジ上の小ピーク手前まで。50m 4級
3P目 小ピークの上まで50m 4級
4P目 目の前の垂直フェースを直上。半分は草木の根元をつかんでの強引なクライミング。50m 5級A1(灌木の根にあぶみを1回使用)
5P目 草木に覆われた右上ルンゼから右リッジを巻き込み、さらに左にトラバースして灌木帯に入る。30m 4級
6P目 灌木のリッジを直上。50m 2級
7,8P目 灌木リッジ。100m 2級

装備はカム2セット。ハーケン2本使用(1本残置)、残置ハーケン1本発見し使用。ボルト不使用。

タイム
7月24日
05:10 am 八右衛門沢出会い出発
06:00 am 三本槍沢分岐
07:40 am 2514峰西壁基部
08:00 am ルートにしたルンゼ基部
08:30 am 1P目取付き
14:00 pm 終了点のピーク
14:30 pm 終了点より八右衛門沢側に懸垂下降
15:10 pm 2514m峰
16:10 pm 霞沢岳K1
19:30 pm 徳本峠

上記の絵では三本槍の位置を間違えてますm(__)m

参考資料等

霞沢岳でのクライミングに関する資料は非常に少ない。

白水社「日本登山大系」霞沢岳の沢の項に以下の記述がある。
昭和30年台後半、グループドモレーヌ、都庁山岳会などいくつかのグループが八右衛門沢右岸側壁に目をつけ登ったらしい。

ついで上記を執筆した山梨の東斐山岳会のメンバーが昭和40年台に2年にわたり、霞沢岳で18本のルートを登り、山と渓谷410号に記録を投稿した。
記事の要約、紹介はこちら。



木賊山-ずくなしハイキング

低山愛好家として多くの著作を物している横山厚夫さんが、某サイトで紹介していた木賊山に登ってみることにした。曰く「ずくなし登山」だと。ずくというのは元気とか根性といった意味で、下町の山岳会のおっさんたちが使っていたので東京下町言葉かと思いきや、実は長野を中心とした方言だった。つまりお気楽ハイキングの対象だということ。


木賊山(とくさやま)というのは甲武信岳近くのやつが有名だが、ここで紹介されていたのは甲府方面と瑞牆山の西側の登山口、瑞牆山荘あたりを結ぶクリスタルラインという林道の途上、木賊峠近くの小ピークのことで、横山さんが便宜上、そう仮称したらしい。
クリスタルラインは、知る人ぞ知る花崗岩の美しい渓谷に沿った林道で、原生林の多い気持ちよいエリア。横山さんのお薦めでもあるし、妻とのお気楽ハイキングにはうってつけと確信した。

木賊峠近く

戻り梅雨のようなはっきりしない天候だが、森歩きならかえって気持ちよいかもしれない。

木賊峠の位置


実際に歩いたトラック。1770mの小ピークまでの往復で片道20-30分のほんと、ずくなし登山
木賊峠からしばらくは気持ちのよい樹林。踏み跡もしっかりとある。
雨上がりで足元はあっという間にびしょぬれ。たまにある倒木に体力を消耗する。

10分も登ると鹿よけの柵にあたる。柵内は草ぼーぼー。つまり鹿のおかげで藪漕ぎが少なくてすんでる?
山頂はなにもない原っぱ
瑞牆方面?の岩山が幻想的に浮かび上がる

のんびり歩いても往復1時間もかからないお気楽ハイキングでした。





南相木グレートトラバース(エクステンディッド)

徒然に地図を眺めていて、何気に訪れてみた城山(海ノ口城址)。
そこから長野県のなぁ~~~んにもない村、南相木村での山歩きが始まった。
南相木村の村界はほとんどが登山道もないような山稜だ。
城山を歩いた後、長野県南牧村との村界尾根をすべて歩き、(酔狂で)南相木グレートトラバースと名付けた。鹿や狸の踏み跡をたどっての素敵な山歩きとなった。
今回はその起点となった馬越峠から反対側(東)に向かって、川上村との村界尾根を歩いてみた。グレートトラバースルートがアップグレード(Extended)されたわけで、城山からはじまって、南牧村との村界尾根にさらに川上村との村界尾根が加わったものを新しい南相木グレートトラバースとしてしまおう。
この先は北の村界尾根を踏破し、それらすべてを包含して「南相木村サーキット」ないしは「ラウンド南相木」とでも名付けてしまおうと思っている(笑)

さて今回も車2台で行って、1台は下山予定地にデポ、もう一台で登山口に向かう作戦。

相棒は長友さん。車も持っているし、山に関しても全幅の信頼がおけるパートナー。ただ彼は4月に右手を怪我してしまい、今はリハビリ中。右手でのクライミングは無理だし、転んで手をつくのもNG。
それでもプロテクターで手を固めての参戦。頼もしいというか無謀というか。

彼の状態を考慮して、馬越峠から登山道のある御陵(おみはか)山往復というぬるいプランを提案したのだが、逆にさんざん長駆登山をそそのかされ、南相木村/川上村の村界尾根全踏破をすることとなり、結局18キロ近くにおよぶ8時間半のロングランとなった。

下山予定地の南相木ダムの駐車場に車を1台デポ。
日本一標高の高いダムと言われるここを訪れるのはすでに4回目。
さて今日中にここに帰って来られるのか?

南相木村村界尾根の南側山稜(南相木グレートトラバース)を横切る唯一のまともな車道、小沢しなの入トンネルを越えて川上村側に抜ける。
登山口となる馬越峠は南相木村、川上村間の峠道で、当然南相木村側からもあがることができるのだが、当分の間は南相木側が工事中で通行止め。なので遠回りしてあがるのだ。

馬越峠から東に向かって歩き出す。

馬越峠から西へ登山道を辿れば先日も通った天狗山。反対側は擁壁となっているが、左の隅に踏み跡があり、登山道に入れる。御陵山までは比較的よく整備された道。

御陵山って、この山域に唯一残る伝説、悲運の皇子重仁親王の陵?とか思ってたけど、違うことが書いてありますな。まあ強引に結び付けて仮説をたててみたりするのも楽しいでしょうが、それはまた今度。

壊れかけた祠に手を合わせてさらに先へ。
振り返れば天狗山
登山道はなくなるが尾根は歩きやすい。踏み跡もそこここに残っている。

御陵山から東に1.5キロ程度縦走した先、1753m峰あたりが地形的には今回の核心部。何せ長友さんは、転んで手をつくことが絶対許されないのだ。

岩稜ぽくなってくる。慎重にルートファインディングしていく。
川上村側にまたまたソーラ出現。

そういえば馬越峠の手前も伐採中とあって、大量の樹林を切り倒していた。どうやら川上村は南斜面のすべてをソーラにするつもり?
薄っぺらい偽善と拝金の匂いがプンプンして不快感マックス。

しばらく岩稜がつづく

尾根がなだらかになってきたあたりで、川上村から南相木村に抜ける林道をまたぐ。

尾根は延々とつづく。少し飽きも入ってくる。

ところでほとんどの行程を長友さんに先導してもらった。
体力差を補うのにこれはかなり有効だった。
道を読んで、GPSで確認して、ペース配分して・・・という作業がかなり体力を使っているんだろうと思う。
ただひたすら長友さんの後ろ姿を追って歩くのが楽で、癖になりそうだ。
これも長友さんに全幅の信頼がおけるがゆえ。道もたまには間違うが、それは自分も同じだし。間違いも含めて信用してついていく。そんな気持ちになれるのがなぜか嬉しい。

今回は8時間半ほどの行程だったが、道中のかなりの部分を二人で喋り散らした。これも毎度のパターン。

長友さんによれば私の登山は「最高に享楽的」なんだそうな。
最大限の誉め言葉として受け取る。

クライミングばかりやってた10台最後から20台のころ。
仲間がばたばたと亡くなっていくのを見ていて、自分の寿命も長くて30くらいだろうと思っていた。だったら死ぬまでの残り少ないクライミング行を最大限に楽しいものにしないと・・・と思った。
無駄な山行をなるべくしないよう、少しでも多くの感情を味わい、多くのものを見て、怖い想いもして、多様な山の楽しみに、クライミングという最高にクリエイティブな表現行為を通して触れなければならないという強迫観念に突き動かされていたように思う。

30過ぎても、40過ぎても、50過ぎてもなぜかまだ生きていて。
だんだんそんな切羽詰まった気持ちも薄れてきて。
でも還暦過ぎて、人生の終わりまでの時間を数えはじめた今、なぜかあの頃に近い感覚が戻ってきているみたい。
死ぬまでにできるクライミングはもう限られている。
だから無駄な暇つぶしみたいな山はやりたくない。
すごい山とか難しい山をやりたいわけではなく、自分として納得のいく山との触れ合い方、素敵なパートナーたちとの関係性、岩や山肌の感触、まだまだあるだろう未知の感情・・・・そういう無数で多様なものをすべて自分のなかに封じ込めて死にたいな~
なんて話を道中ず~っと話していた。

もちろん長友さんの登山論、美意識などについても興味深く拝聴した。
今回は前のように高いところから低いところに縦走するという楽な道をとらず、登りの多い道中になったのも長友さんのそんな美意識によるものが多い。そのへんこだわらない私は従うのみ。

道半ばを過ぎた1907m峰あたりでお昼。今回は飢えないようにおにぎりいっぱい持ってきた。

私の持ってきたシャトレーゼのよもぎ饅頭、長友さんのカロリーたっぷりビスケット、ウィダーインゼリーなど、おにぎり以外の食の楽しみをとっておいて、「あのピークについたらこれを食べよう!」というのを大きな楽しみに道を進める。

今回の最高到達地点。高天原山。国土地理院の地図には山名記載がなかったが、Geographicaには出ていた。ここで南相木村/川上村の村界尾根はおしまい。

ここから北に、今度は群馬県上野村との村界尾根に入る。すでに南相木ダムの東側に回り込んでいるので、このままダムに下りれば今回は終了。

南相木村の山は、北斜面がなぜかみなシダに覆われている。尾根をたどってダムにおりようと思ったが、シダに覆われた足元が見えなくて、倒木や苔に覆われた岩が滑るので危険。

尾根をやめて沢下りにする。三川は南相木側、奥三川湖(南相木ダムのあるところ)の最上流だ。

南相木ダムの遊歩道から三川に伸びる林道に着く。
南相木ダムの遊歩道をぐるっと半周して、デポ車を停めた駐車場へ。
南相木ダムに到着

【記録】

トラックレコード(西から東へ)

左端の馬越峠から歩き出し。東へ御陵山。その先は登山道はなし。
踏み跡をたどってさらに東へ。オソネ、東沢の頭と名付けられたピークを越えてさらに東へ。
再東端は高天の原山。北東には御巣鷹山。このまま東へ行けば三国山。

高天の原山から北上し、途中から適当に西の尾根に入る。三川の沢を下って南相木ダムに到着。

歩いた日:2022年6月26日

馬越峠 7時30分発
1753m峰 9時30分
オソネ  11時11分
1907m峰 12時10分
1935m峰 13時15分
高天の原山 13時45分
三川林道  15時15分
南相木ダム駐車場 16時着
全行程約17.5km 8時間半の歩きだった。

南相木グレートトラバース

初夏の彩りに満ちた、美しくなだらかな、そして変化と起伏に富んだ尾根を縦走してきた。数知れない鹿の群れと、熊やいのしし、狸の痕跡に満ちていたし、林業家の手は入っているものの、登山者の訪れた気配はほとんどなかった。

長野県南相木村と南牧村の村界尾根を縦走するこのルートに、勝手ながら「南相木グレートトラバース」という大層な名前を付けた。

直線距離で約7.5kmの比較的なだらかな尾根で、西端近くに武田信玄初陣の地と言われる海ノ口城址(城山)、東端は佐久の盟主男山と天狗山の間に位置する垣越山となる。
この尾根上で国土地理院の地図に名前が載っているのは、城山と大芝峠、合羽坂、それに臨幸峠だけ。あとは垣越山も含めて、各ピークに標高を示す数字が記載されているだけだ。つまりほとんど知られないマイナーな尾根だということ。たいがいのデッパリには登ってヤマレコあたりに記録を残しているあのディープハイカーズも、ここにはほとんど足跡を残していないようだ。

これはパトロールが必要だと、まずは尾根の中央あたりにある臨幸峠というところに登ってみた。

コゴミの親分ソテツに覆われた、急な北斜面を登っていくと峠で植生が明るく変わり、八ヶ岳などの展望も一気にひらけた。なだらかで、美しい尾根だ。

パトロールの際は臨幸峠から東、天狗山の方向に少しだけ縦走してきた。やぶの密生も激しくなく、展望に恵まれた気持ちのよい尾根だった。

天狗山から臨幸峠を通って、海ノ口城址(城山)までつなげたら、楽しいルートとなるだろう。このルートは川上村を一部通り、南牧村と南相木村の村界を辿るものとなる。商業的な開発や有名な山、観光資源に乏しい南相木村に興味を持って、何度か訪れたことから始まった縦走プランなので、「南相木グレートトラバース」と名付け、実行することとした。

メンバーは強くて力持ち、ダンディーI口さんと、ハンターで写真家のワイルド自然児T丸さん。全長13.5kmほどの道なきルートを行くプランなので、植生や岩場の状態次第でどれくらい時間がかかるかわからない。しかし今回は、体力十分、経験十分で頼りがいのあるメンバーがそろったものだ。つまり足引っ張る担当は赤沼ということで。

左から野生動物の敵(あるいは仲間?)T丸さん、おにぎりいくつ持ってあるいてるんですか?なI口さん、それに疲れ気味の赤沼

土曜午後に八ヶ岳南麓の家に集合して、もちろん宴会。T丸さん持参のロースト鹿肉に舌鼓を打ちつつ、酒の空瓶が並ぶ。
それでも翌朝は4時に起きて出発。
I口さんの車を佐久海ノ口駅にデポし、南相木側から赤沼車で馬越峠に向かう・・・が、まさかの雨。プランはいったんあきらめ、南相木唯一の観光資源ともいえる、南相木ダムまでドライブ。一応登山口を確認しておくかと馬越峠に向かってみたがなんと工事で8月まで通行止め。
ここまでやってもまだ6時台。では南相木から臨幸峠を越えて、川上村の御所平に至り居を構えたという悲運の皇子、重仁親王を祀ったと言われる御霊神社にも立ち寄り、さらに川上村側からの馬越峠も偵察しておこうということになった。

御所平の御霊神社。入口は藪に覆われていて場所を見つけるのに苦労した。

さて今度は馬越峠に川上村側から登っていくと、峠まで着いてしまった。
どうやら工事は相木側だけらしい。
時間は8時前。そしていつの間にか雨は止み、晴れ間さえ見えている。


「天狗山でも往復してくるか?」
「だったら臨幸峠まで行って、そこから佐久側におりれば小海線の佐久広瀬駅から電車でI口車まで行けるんでは?」
「いやあ、それだと車道歩きが長いし、たいして所要時間もかわらなそう。なんなら予定ルートで佐久海ノ口まで歩いてしまうか~」

というわけで行動計画は徐々にヒートアップし、予定プランの実行となった。7時50分馬越峠出発!

そもそも出発地点を馬越峠に持ってきたのは、天狗山さえ登ってしまえばあとはだいたい下りの尾根になるからという安易な理由。
本格的な登りは天狗山のみ!ということで、ここはふんばって30分で天狗山山頂着。

天狗山より男山方面を望む。その手前のピークが垣越山。ここから右へ尾根を下りて行くプラン。下ってますな。はは。
垣越山に向かうと左手に川上村の壮大なソーラー発電所が見える。山の自然破壊の主役は今やゴルフ場からソーラー発電に移ったのかな~(怒)


垣越山までは登山道。そこから右の尾根に入っていく。
尾根沿いにある程度は踏み跡があって、案外と歩きやすい尾根。
1か所岩稜がシャクナゲに覆われていて歩きにくい場所があったほかは、ルートを通してさほどの藪もなく、GPSとT丸さんの野生に導かれつつ、人間やら鹿やら熊やらの道を拾って快適に歩くことができた。

馬越峠から約5時間で海ノ口大橋に到着

梅雨入り直前の良い時期で、多彩な色どりの変化を見せる緑に魅せられ、野生動物たちと共有する土や岩の感触に癒されながらの徒歩旅行となった。
地図に山名記載のない山も、行ってみると小さな標識なんかがあって地元で呼ばれている山の名前がわかったりすることが多いものだが、今回はそういう情報はまったくなし。登山が目的で入る人のほとんどいないエリアなのだろう。

予定では以前に登った海ノ口城址(城山)まで行くつもりだったが、その部分はもう歩いたからいいやと日和って、手前の大芝峠からその下を抜ける小沢志なの入トンネルの入口(出口?)を通って佐久海ノ口駅に戻った。国土地理院の地図上は大芝峠、合羽坂、臨幸峠には峠越えの道が記載されているが、すべて廃道に近い状態で踏み跡はほとんど見当たらない。

今度はふたりの健脚に引きずられて、相当早いペースで歩いたので、全行程5時間ほどで終わることができた。普段のペースだったら倍くらいかかったかも。以下のデータはそういうつもりでご参照のほどを。

【データ】
2022年6月5日
馬越峠 7:50am
天狗山 8:20am
1656m峰 9:43am
1683m峰 10:05am
1591m峰 10:30am
臨幸峠 10:40am
1518m峰 11:05am
合羽坂 12:00am
大芝峠 12:13pm
佐久海ノ口駅 12:50pm

野猿返し&宴会

どこか登って、わが八ヶ岳の家で宴会するシリーズ。
もう何回目か忘れたが、そのお題として何度もあがった野猿返し。
お気楽に登れる楽しいクライミングルートらしい。宴会のお題としては理想的。
毎度ほかの開拓に走ってしまったり、天気が悪くて藪山歩いたりとなかなかクライミング実現せず。

今回は強め女子3名がクラック練習に行くので、八ヶ岳のほうに我々夫婦がいれば立ち寄って宴会したいな~というお話。
諸々調整の結果、女子3名と私の4名で野猿返しを登って、宴会して、翌日は女子3名がクラック練習ということになった。仕事と孫相手の忙しい妻は今回の宴会には不参加。

メンバーはドライツーリングの日本代表選手として世界を転戦しているメパンナ笹川さん、女子だけの山岳会、銀嶺会の組長宮田さん、それにふたりの妹分として可愛がられているらしいサキちゃん。

川上村から大弛峠に向かう林道途中から沢を渡って取付きへ。女ボス二人は靴のまま飛び石でヒョイヒョイ、サキちゃんは軽くドボン、私は裸足になってバチャバチャ渡渉。

さすが人気ルート。先行パーティー2名x2組

我々も2組。宮田、赤沼パーティーと笹川、サキちゃんパーティー。
先行は初心者含みでゆっくり登っているので、ごちゃごちゃになりながら先に行かせてもらう。この辺から景色も開け新緑がまぶしい。
ちなみに先行パーティーの女子1名は、何かで宮田組長を知って憧れていたらしいよ。

岩は硬いし、フリクションも効くし、楽しく、気持ちよく登れます。
青空!
この辺からが核心部らしい。
核心部の終了点から手を振ってるの見えるかな?

東股沢をはさんだ対岸の兜岩。たぶんまだクライミングの対象にはなっていないと思われる。偵察に行かねば。
後ろの方に小さく笹川さん、サキちゃんパーティーが見えてる。
左から宮田組長、サキちゃん、メパンナ笹川さん。
終了点で女子3名しゃべり倒しながらの昼食。
シャクナゲの花がいっぱい。

午後3時には早くも宴会開始。おじさんは表でウインナーの七輪焼き中。
クレマティスが満開。

川上村のマイナーピーク、雨降山

クライマーにはお馴染みの金峰山川沿いの林道は、途中の分岐から右へ行けば西俣沢のキャンプ場、左に入れば大弛峠を越えて山梨に至る。
大弛峠の手前に最近人気のクライミングルート「野猿返し」がある。
それほど難しくなく、宴会ネタとして登るのにちょうどよいらしい。

もう何回目になるのかも忘れたが、どこか楽しく登って、その話をネタに八ヶ岳のわが家で飲もう!という、Climb & Drinkの集まり。
今回お題は野猿返しとなった。
面子はいつでもハイパー宮田さん、ダンディー家口さん、ニコちゃん大魔王野口さんと私の4名。

土曜朝、現地手前のスーパー「ナナーズ」に集合。
前日から降った雨はようやくあがったものの、岩場は濡れてるだろうな~
一応登山口までは行ってみたものの案の定岩場は濡れて黒々としているので、即刻転進プランの雨降山登山に切り替え。まあおいしく酒が飲めれば登る場所にはさほどこだわらないわけ。

雨降山は野猿返しのある金峰山川東股の右岸の尾根上にある。
雨降山登山は宮田さんから提案されていたが、私もこの尾根には前から関心を持っていて、北の千曲川のほうから入山を試みたが、入山禁止の柵が延々と張り巡らされていてあきらめた場所だ。
野猿返しのあたりからなら尾根上に出られるのではないかと、ひそかに狙っていたルートでもあった。

ネットで検索すると、この尾根は岩峰をいくつか配置する結構厳しめの尾根っぽい。

大弛峠への林道から支流の右岸にある踏み跡から入山。

堰堤がいくつかあって、最後の堰堤で踏み跡がとだえる。
ここから傾斜の比較的緩そうな山腹をあがってみることにする。

地形的には間違ったルート選択ではなかったと思うが、この斜面ではかなり大規模な間伐が行われたらしく、倒木だらけで歩きにくい。

雨上がりの湿度もあって全員汗まみれでの歩きとなった。

稜線に近づくにつれて岩場が出てき始める。
全身泥まみれの行進
山頂手前のピークあたりは、露岩+しゃくなげの藪漕ぎとなり苦労したが、山頂手前のコルでようやく視界が開ける。
しゃくなげに覆われたここがなんと雨降山山頂
記念撮影

倒木と露岩としゃくなげの藪に苦しんだ往路を避け、植生の疎らそうな沢方面に下る。
なかなか素敵な斜面で歩きやすい
小さくてかわいいスミレ類が豊富で、スミレマニアの宮田さんは大喜び
楽しい山のあとの宴会は異様な盛り上がりを見せ・・・



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