アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

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南相木グレートトラバース

初夏の彩りに満ちた、美しくなだらかな、そして変化と起伏に富んだ尾根を縦走してきた。数知れない鹿の群れと、熊やいのしし、狸の痕跡に満ちていたし、林業家の手は入っているものの、登山者の訪れた気配はほとんどなかった。

長野県南相木村と南牧村の村界尾根を縦走するこのルートに、勝手ながら「南相木グレートトラバース」という大層な名前を付けた。

直線距離で約7.5kmの比較的なだらかな尾根で、西端近くに武田信玄初陣の地と言われる海ノ口城址(城山)、東端は佐久の盟主男山と天狗山の間に位置する垣越山となる。
この尾根上で国土地理院の地図に名前が載っているのは、城山と大芝峠、合羽坂、それに臨幸峠だけ。あとは垣越山も含めて、各ピークに標高を示す数字が記載されているだけだ。つまりほとんど知られないマイナーな尾根だということ。たいがいのデッパリには登ってヤマレコあたりに記録を残しているあのディープハイカーズも、ここにはほとんど足跡を残していないようだ。

これはパトロールが必要だと、まずは尾根の中央あたりにある臨幸峠というところに登ってみた。

コゴミの親分ソテツに覆われた、急な北斜面を登っていくと峠で植生が明るく変わり、八ヶ岳などの展望も一気にひらけた。なだらかで、美しい尾根だ。

パトロールの際は臨幸峠から東、天狗山の方向に少しだけ縦走してきた。やぶの密生も激しくなく、展望に恵まれた気持ちのよい尾根だった。

天狗山から臨幸峠を通って、海ノ口城址(城山)までつなげたら、楽しいルートとなるだろう。このルートは川上村を一部通り、南牧村と南相木村の村界を辿るものとなる。商業的な開発や有名な山、観光資源に乏しい南相木村に興味を持って、何度か訪れたことから始まった縦走プランなので、「南相木グレートトラバース」と名付け、実行することとした。

メンバーは強くて力持ち、ダンディーI口さんと、ハンターで写真家のワイルド自然児T丸さん。全長13.5kmほどの道なきルートを行くプランなので、植生や岩場の状態次第でどれくらい時間がかかるかわからない。しかし今回は、体力十分、経験十分で頼りがいのあるメンバーがそろったものだ。つまり足引っ張る担当は赤沼ということで。

左から野生動物の敵(あるいは仲間?)T丸さん、おにぎりいくつ持ってあるいてるんですか?なI口さん、それに疲れ気味の赤沼

土曜午後に八ヶ岳南麓の家に集合して、もちろん宴会。T丸さん持参のロースト鹿肉に舌鼓を打ちつつ、酒の空瓶が並ぶ。
それでも翌朝は4時に起きて出発。
I口さんの車を佐久海ノ口駅にデポし、南相木側から赤沼車で馬越峠に向かう・・・が、まさかの雨。プランはいったんあきらめ、南相木唯一の観光資源ともいえる、南相木ダムまでドライブ。一応登山口を確認しておくかと馬越峠に向かってみたがなんと工事で8月まで通行止め。
ここまでやってもまだ6時台。では南相木から臨幸峠を越えて、川上村の御所平に至り居を構えたという悲運の皇子、重仁親王を祀ったと言われる御霊神社にも立ち寄り、さらに川上村側からの馬越峠も偵察しておこうということになった。

御所平の御霊神社。入口は藪に覆われていて場所を見つけるのに苦労した。

さて今度は馬越峠に川上村側から登っていくと、峠まで着いてしまった。
どうやら工事は相木側だけらしい。
時間は8時前。そしていつの間にか雨は止み、晴れ間さえ見えている。


「天狗山でも往復してくるか?」
「だったら臨幸峠まで行って、そこから佐久側におりれば小海線の佐久広瀬駅から電車でI口車まで行けるんでは?」
「いやあ、それだと車道歩きが長いし、たいして所要時間もかわらなそう。なんなら予定ルートで佐久海ノ口まで歩いてしまうか~」

というわけで行動計画は徐々にヒートアップし、予定プランの実行となった。7時50分馬越峠出発!

そもそも出発地点を馬越峠に持ってきたのは、天狗山さえ登ってしまえばあとはだいたい下りの尾根になるからという安易な理由。
本格的な登りは天狗山のみ!ということで、ここはふんばって30分で天狗山山頂着。

天狗山より男山方面を望む。その手前のピークが垣越山。ここから右へ尾根を下りて行くプラン。下ってますな。はは。
垣越山に向かうと左手に川上村の壮大なソーラー発電所が見える。山の自然破壊の主役は今やゴルフ場からソーラー発電に移ったのかな~(怒)


垣越山までは登山道。そこから右の尾根に入っていく。
尾根沿いにある程度は踏み跡があって、案外と歩きやすい尾根。
1か所岩稜がシャクナゲに覆われていて歩きにくい場所があったほかは、ルートを通してさほどの藪もなく、GPSとT丸さんの野生に導かれつつ、人間やら鹿やら熊やらの道を拾って快適に歩くことができた。

馬越峠から約5時間で海ノ口大橋に到着

梅雨入り直前の良い時期で、多彩な色どりの変化を見せる緑に魅せられ、野生動物たちと共有する土や岩の感触に癒されながらの徒歩旅行となった。
地図に山名記載のない山も、行ってみると小さな標識なんかがあって地元で呼ばれている山の名前がわかったりすることが多いものだが、今回はそういう情報はまったくなし。登山が目的で入る人のほとんどいないエリアなのだろう。

予定では以前に登った海ノ口城址(城山)まで行くつもりだったが、その部分はもう歩いたからいいやと日和って、手前の大芝峠からその下を抜ける小沢志なの入トンネルの入口(出口?)を通って佐久海ノ口駅に戻った。国土地理院の地図上は大芝峠、合羽坂、臨幸峠には峠越えの道が記載されているが、すべて廃道に近い状態で踏み跡はほとんど見当たらない。

今度はふたりの健脚に引きずられて、相当早いペースで歩いたので、全行程5時間ほどで終わることができた。普段のペースだったら倍くらいかかったかも。以下のデータはそういうつもりでご参照のほどを。

【データ】
2022年6月5日
馬越峠 7:50am
天狗山 8:20am
1656m峰 9:43am
1683m峰 10:05am
1591m峰 10:30am
臨幸峠 10:40am
1518m峰 11:05am
合羽坂 12:00am
大芝峠 12:13pm
佐久海ノ口駅 12:50pm

川上村のマイナーピーク、雨降山

クライマーにはお馴染みの金峰山川沿いの林道は、途中の分岐から右へ行けば西俣沢のキャンプ場、左に入れば大弛峠を越えて山梨に至る。
大弛峠の手前に最近人気のクライミングルート「野猿返し」がある。
それほど難しくなく、宴会ネタとして登るのにちょうどよいらしい。

もう何回目になるのかも忘れたが、どこか楽しく登って、その話をネタに八ヶ岳のわが家で飲もう!という、Climb & Drinkの集まり。
今回お題は野猿返しとなった。
面子はいつでもハイパー宮田さん、ダンディー家口さん、ニコちゃん大魔王野口さんと私の4名。

土曜朝、現地手前のスーパー「ナナーズ」に集合。
前日から降った雨はようやくあがったものの、岩場は濡れてるだろうな~
一応登山口までは行ってみたものの案の定岩場は濡れて黒々としているので、即刻転進プランの雨降山登山に切り替え。まあおいしく酒が飲めれば登る場所にはさほどこだわらないわけ。

雨降山は野猿返しのある金峰山川東股の右岸の尾根上にある。
雨降山登山は宮田さんから提案されていたが、私もこの尾根には前から関心を持っていて、北の千曲川のほうから入山を試みたが、入山禁止の柵が延々と張り巡らされていてあきらめた場所だ。
野猿返しのあたりからなら尾根上に出られるのではないかと、ひそかに狙っていたルートでもあった。

ネットで検索すると、この尾根は岩峰をいくつか配置する結構厳しめの尾根っぽい。

大弛峠への林道から支流の右岸にある踏み跡から入山。

堰堤がいくつかあって、最後の堰堤で踏み跡がとだえる。
ここから傾斜の比較的緩そうな山腹をあがってみることにする。

地形的には間違ったルート選択ではなかったと思うが、この斜面ではかなり大規模な間伐が行われたらしく、倒木だらけで歩きにくい。

雨上がりの湿度もあって全員汗まみれでの歩きとなった。

稜線に近づくにつれて岩場が出てき始める。
全身泥まみれの行進
山頂手前のピークあたりは、露岩+しゃくなげの藪漕ぎとなり苦労したが、山頂手前のコルでようやく視界が開ける。
しゃくなげに覆われたここがなんと雨降山山頂
記念撮影

倒木と露岩としゃくなげの藪に苦しんだ往路を避け、植生の疎らそうな沢方面に下る。
なかなか素敵な斜面で歩きやすい
小さくてかわいいスミレ類が豊富で、スミレマニアの宮田さんは大喜び
楽しい山のあとの宴会は異様な盛り上がりを見せ・・・



ビバ!南相木村–臨幸峠~村界尾根の無名峰

2022年5月2日

スマホの無料GPSアプリも普及し、地図に道のない山はかなり身近なものとなってきた。
1)カシミール3Dで地図を眺める。
2)気になったピークの地域名や標高で検索
3)まあ大概、地図に記載のない山の名前とGPSトラックデータ入りのヤマレコデータなんぞが見つかる。
4)トラックデータをiPhoneに転送して、そのあたりに出かける。

そんな山の楽しみ方も普通にできるようになってきた。

さて最近ちょっと気になってる南相木村の山々。

マイナーな山ヲタクの掃きだめ、ヤマレコあたりを見てもこの地域の情報は希少だ。
でも地形データを眺める限り、ここは絶対楽しいはず。
どうも宝の山な匂いがする。

臨幸峠という峠が気になる。
南相木と佐久をつなぐ小沢志なの入トンネルが開通する以前は山道があったが、今では廃道に近い状態らしい。
この臨幸峠から南方向は、きれいな尾根が男山と天狗山間の稜線にまで伸びている。北方向は、先日登った海ノ口城址のある城山に至る。この尾根は佐久の南牧村と南相木村の村界尾根にあたる。
山歩きの記録がないか検索してみたがなにも見つからない。
これはかなり疑わしい。パトロールに行かざるをえまい。

先日登った立岩の横から伸びる林道の行き止まりに車を停めて出発。

臨幸峠までは沢沿いの急斜面。古い踏み跡はあるらしいが、シダ類に覆われて判別つかず。妻は気持ち悪い~を連発。
臨幸峠に出ると展望が開ける。樹林の間に北岳~甲斐駒~八ヶ岳~浅間山などが見える。男山もすぐ近く。
尾根に出てシダ類から解放され、ご機嫌な妻
1544mピーク。期待した山名表示等は一切なし。
先日登った峰雄山かな?
今日はここまで。1591m峰。やはり山名標識などない。
最終到達地点。
往路を戻る。
臨幸峠からの下り。地図上は沢沿いに破線の記載があったが、踏み跡が沢の左岸尾根方面に伸びているのを発見。こちらのほうがシダ類の急斜面を回避できて快適。
樹間を蛇行する快適な尾根道を下山。
下山後は南相木ダムの観光。ずみ岩、天狗山などが眺望できる。

南相木村・立岩~峰雄山

群馬県の西上州エリアには妙義を中心に特異な岩峰が多く、それらを愛好する篤志家たちがいる。
その西、長野県の東信州エリアには八ヶ岳や浅間山などの名峰が連なり、川上村には小川山や男山、天狗山といったクライマー好みの岩山も多い。
南相木村はちょうどそれらの狭間にあって、存在感の薄い感じがする。
つまり・・・・玄人好みの地味な山が多くあるだろうと思われる。
先に投稿した「恩賀高岩偵察行」に行く予定だった日、予報に反してアプローチしたとたん雨が降り出したので、天気の持ちそうなこの南相木村に遊びに行くことにした。(恩賀高岩の偵察はその翌日行った。)

さて観光資源も有名な山も乏しい南相木村にあって、数少ない名所の一つとされているのがこの立岩。
立岩湖のほとりにある60mほどの岩峰で、山頂には祠があって、クライミングのルートもあるらしい。
まずはこいつを登ってみようということになった。

立岩湖への道をドライブしていくと林道の対岸に屹立する立岩が見えた。

立岩へは村道のすぐ先の橋を渡って裏側から登るのが一般的らしい。
高差は正面に比べてだいぶ少なく20m程度か。
階段状の簡単なフェースのようで、ハンガーボルトもべた打ちしてある。

これはすぐ登れるとして、まずは岩の正面側まで基部をまわりこんで偵察におりていく。

真下から見上げた正面壁

傾斜強い、節理ない、組成も柔らかそう・・・・つまりやばそうな壁。
どうも登られた形跡もないようですな。
結局、登られているのはてっぺんに行くだけが目的の易しそうなルートと、その近くにとってつけたようなフリールートらしきものだけの様子。
この正面壁は今回のようなついでな気持ちでは登れるわけもなく、まあてっぺんに行ってこようかと、裏側に戻る。

裏側のルートを野口さんリード中
てっぺんの祠から県道を見下ろす

昼から雨という天気予報を見てでかけたので、かなり早起きして出かけたためまだ時間はたっぷり。

カシミール3Dの地図によれば、南相木村で山頂名の記載された山は二つだけ。峰雄山とずみ岩というもの。ずみ岩というピーク名にはかなりそそられるものがあるが、まずは手前の峰雄山に登ってみよう。

以前調べたところ、立岩から峰雄山に縦走している人がいて、岩場の通過に苦労している由。まあそんな記述を見て、岩登れるところあるかもな~という下心もあって、岩場偵察もかねようというわけ。

注:ちなみに御座山、男山、天狗山などが南相木村の山として紹介されることもあるが、地図をよく見ると御座山の山頂は北相木村、男山、天狗山は川上村にあるように見える。国土地理院の定義では「山とは地面の盛り上がった場所」という意味しかないそうなので、特定の山頂=特定の山とは限らないわけで、御座山などの山体が南相木村にあることもたしかなこととすれば、南相木村の山と言ってもいいのかもしれない。

立岩湖から峰尾山まで稜線が続いている。
縦走は長いので、まずは山頂に行こう。

峰雄山南面の村道から林道に入り、山頂に一番近そうな林道終点から歩き出す。

なんとなく踏み跡もあって歩きやすい。
岩もごろごろと出てくる。比較的硬そうな岩。
ここが山頂。

稜線を立岩方面に少し歩いて別のルートを下りようかと思ったが、南斜面はかなり急なので往路を戻ることとする。

奥に見えるのは御座山かな
ところどころ岩場が出てきて回り込みながらの歩きとなる。

日本一標高の高い場所にあるダムらしい。



西上州/東信州の岩峰たち(恩賀高岩偵察行)

西上州の岩峰群には特別な想いをいだいてきた。
若いころにルートを拓いた毛無岩や、西上州のマッターホルンとうたわれる碧岩、いくつかの歴史秘話に彩られる物語山のメンベ岩、妙義山の特異な岩峰群・・・・奇岩とそれにまつわる物語、そこに棲まうであろう魑魅魍魎や風土に酒、それらのすべてが自分のクライミングへの想いに呼応してきた。
八ヶ岳南麓にベースとなる家を持ってからは、川上村の男山、天狗山でのクライミングなどに行くことが増え、さらに川上村の五郎山にはルート開拓のため何度も通った。御座山を有する相木村や佐久市の山にも訪れるようになった。
深く考えずこれらをまとめて西上州の山と位置付けていた。
あれ?
どこまでが西上州なんだろう?
西上州は上州の西、すなわち群馬県西部の山ということになるだろう。
そうなると御座山は長野県相木村、川上村も佐久市も長野だ。
つまりこれらは西上州ではなく、東信州(東信地区)の山ということになる。

まあ厳密な定義はともかく、相木や川上村の山々には西上州の奇怪な岩峰群とはまた違った、突き抜けた明るさのようなものが感じられる。
西上州の岩峰のイメージは組成の脆い礫岩/凝灰岩であるのに対し、信州に近づくと花崗岩が増えてくるというのもイメージの違いに影響しているかもしれない。

さて恩賀高岩という岩峰がある。

上信越道を佐久から藤岡方面に走ると、碓井軽井沢ICのすぐ先、高岩トンネルの真上に聳える二つの顕著な岩峰だ。クライマーなら誰しも登攀ラインを目で追った覚えがあるのではないだろうか。
この恩賀高岩、碓井軽井沢ICのすぐ近くにあるが、長野県軽井沢町ではなく、群馬県松井田町に位置する。つまり定義的には西上州の山ということになるのかな。
青空が似合う突き抜けた岩峰でありながら、岩質は妙義のそれに近く陰惨で急峻。いろんな意味で西上州と東信州のあわいを彩る特異な立ち位置の山だ。

私も例にもれず、この岩峰が気になっていて、2012年に一度偵察に行った。
ここにルートがあるという情報はなかったので当時は未踏であった可能性が高い。
偵察の結果はあまりの急峻さ、命を守る支点構築の難しさを感じ、登る気にならず、登りたい山リストに放り込んだだけで、今まで放置していた。

しかし近年、雄岳に2本のルートが開拓された。

以下は開拓者、桃奈々さんのブログへのリンク↙
2020年12月恩賀高岩南壁雄岳「右ルンゼ桃岩ルート」
2021年2月恩賀高岩雄岳南壁「御会話ルート」

この2本を開拓した桃奈々さんに連絡をとると、快くアドバイスをいただき、ルート情報も提供くださった。

5月中旬にクライマー仲間4人ほどで、どこか登ってから八ヶ岳のわが家で宴会をしようという話があり、どこを登るかという話し合いでこのルートを提案した。
桃奈々さんによると登るなら桃岩ルートがお薦めだという。
しかし4人で凝灰岩の不安定な岩場をぞろぞろ登るのはいただけない。
そこで二手に分かれ、1パーティーは桃岩ルート、もう1パーティーはおそらく未踏であろう雌岳の南壁を狙うという可能性を検討することにした。

まあそんなわけで、もう一度ちゃんと偵察してみようということになった。


ニコちゃん大魔王、野口さんと彼の後輩、20台の若者ケンちゃんがつきあってくれることになった。
高岩には山頂に至るかなり曲者の一般登山道があるので、まずはこの登山道をあがる。


登山道を行くとあっという間に雄岳、雌岳基部に至る。
登山道はここから峠まで登って、右が雄岳左が雌岳へと道を分ける。
岩場基部でハーネスをつけ、まずはルート開拓狙いの雌岳方面にトラバース。

全体にこういう壁。陰惨で急峻。その意味がわかるかと。

角礫凝灰岩っていうんでしょうか。
セメント様の垂直の岩壁に、クライマーが「たどん」と呼ぶ角ばった石ころがたくさん突き刺さったような岩壁。
たどんをホールドにいけば技術的にはかなり急なところもフリークライミングが可能。ただし滑落から身を守る支点は非常にとりづらく、そのたどんもいつ抜けるかわからない。要するにハイリスクでローグレードな岩場。

クライマーはこれを泥壁と呼びます。

かなり脆い雰囲気はありますが、触ってみるとたどん自体はがっちりと壁に固定されている。
たどんにシュリンゲ(細引き)を結び付けての滑落テストや、岩が抜けそうなリスにハーケンを無理矢理たたきこむハーケンテストなど試みる。
思ったより組成は堅いかも・・・・・でも怖い。

弱点にあたるルンゼを赤沼が試登。

急峻なフェースとルンゼで構成されるこの岩壁の弱点はやはりルンゼか。
ヒルもいたりしてあまり楽しくはないのだが、上部の様子も見たいのでとりあえず1P登ってみることにした。
が、たどん支点ではリスクが高いと判断し、途中からクライムダウン。
ただこのクライミングで支点構築の方法などはだいたい想定することができた。

ついでに雄岳のほうも偵察。

雄岳のほうが若干岩が固めで、組成もはっきりとしている。やはり登るならこっちかな~
桃岩ルートも下から見上げてみた。やはりルンゼの弱点を登っているということがよくわかる。

偵察はこんなところで完了。せっかくだから登山道から山頂に行こう。峠まではわりとすぐ。峠から雄岳に登ってみることにした。

それにしても道が悪い。こ、ここトラバースするの?これ一般登山道?
いや道悪すぎるってば。繰り返すけどこれ一般登山道です。

山頂手前で垂直のルンゼを登るルート。たどんが出ているからクライミング技術自体はそれほどいらない。とは言ってもグレード3級+から下手すると4級ある。慣れたクライマーでもたどんが抜けるリスクを考えたら、ロープを出すレベル。
そこに鎖がたらんと下がっているだけ。
余計なお世話かもしれないけど、意識低い系(?)のハイカーが、足場は崩れないなんて前提でここ登って、足場崩れたらどうなるの?と思ってしまった。このルンゼ部分ちょうど25メートルあったし、落ちたら大概助かりません。

何はともあれ雄岳山頂にあがる。
雌岳ごしに浅間山
一般登山道だが懸垂下降でおりる。
お疲れ様。下山しました。


自衛隊の作った林道から、謎の山城跡へ–源太ヶ城

源太ヶ城(跡)は、比志津金山塊のはずれ、大門ダムのすぐ東南の山城。
甲斐源氏ゆかりの黒源太清光が築城し、武田時代に活躍した津金衆が本拠としていたらしい。
武田信玄の狼煙台のひとつがここにあったという。

地図、下方のウッドペッカーキャンプ場からまっすぐ北に歩いて行くと、自衛隊の作った林道に合流する。

この林道、大門ダムのすぐ南から始まって源太ヶ城の南をぐるっとまわって東から北に巻き込んで山頂直下の二の丸(?)あたりに至る約2キロの道。幅は6メートル程度らしいが、すでに廃道となって倒木やら草に覆われている。もっとも登山道としては申し分のない快適な道。

大門ダムからのスタート地点は法面保護の擁壁が作られていて、道が寸断されている。
つまりこの林道には入口がない。

そもそもなんでこんな道が作られたのか。しかもなぜ自衛隊なのか。

途上にあった自衛隊顕彰碑やら、共有地記念碑なるものにあった記述を参照すると経緯は以下のようになる。

山梨県が、入会地であったこの山の入会地の譲渡を受け、県有地とする。
そのうえで1973年、須玉町長が自衛隊に依頼し、道を作ってもらった。

山城による観光振興を狙ったのか、それとも国防上の深淵なる作戦なのか。まあ実際のところ観光狙って失敗したってところなんでしょうが、山頂付近にはまるでロケット砲(花火?)の土台みたいなものがいくつもあったりして、後者と考えたほうがなにかと楽しいですな。

さてウッドペッカーキャンプ場から自衛隊の道に合流したあとは、林道を行かず山腹に直接とりつき、まっすぐに山頂を目指す。

15分程度で稜線に至る。

山頂には祠があり、なにやら蘊蓄の書かれた板標がありますが、よく読めませんな。

山頂あたり

山頂の一角に廃材。以前ここにあったという狼煙台かな?

山頂の北西部で自衛隊の林道と出会う。ここは二の丸といったところか。

自衛隊の林道を下山

林道終点まで歩くと擁壁となって切れ落ちており、これ以上は行けなさそう。

2キロの林道をすべて歩いたが、入口のない林道なので、ウッドペッカーキャンプ場への道の分岐までまた戻り、下山した。

帰路、擁壁のあたりをよく見たら、草付きの林道あとのようなものがジグザグに伸びており、ここから林道入口に歩いて行けるかもしれない。

西上州・九十九谷ゴリラルート

群馬県南牧村の九十九谷は、特異な岩峰を連ねる西上州にあっても特に異様な雰囲気を醸し出す谷だ。
上底瀬村の黒滝山登山口を起点とすると、九十九谷を経て稜線まで約600m。右岸尾根と左岸尾根の間も600mほど。その小さなエリアのなかに、特徴的なスラブを有するリッジが何本も並んでいる。

九十九谷左岸の岩壁

この中間をまっすぐ主稜線につきあげている中間尾根を登るルートがゴリラルートらしい。

ちょっと八ヶ岳の家に行く用があって、ついでにこの谷を偵察がてら周辺をハイキングをしようと計画した。
ひとり宴会も寂しいので、暇そうなニコちゃん大魔王、野口さんを誘うと二つ返事でつきあってくれることになった。いちおうガチャ(クライミング道具)も持って行って、遊べそうなところがあったら遊ぶかとなった・・・・と、まあこの時点で登る気まんまんですな。ニコちゃんは肩やら腰やらを壊しているので、くれぐれも無理させないように奥様から釘を刺されていたのだがあっというまに寝返る私。

沢沿いの登山道を進むと、すぐに沢は伏流となり水がなくなる。
おっと水くむの忘れてきた。いったん登山口まで戻る。ついでにロープも忘れてきた。まあいいか。ニコちゃんのロープ一本でやっちまえ・・・って、今回はなんか適当だな~
登山道が沢を離れるところからは沢をまっすぐ。数分歩くと二股となり、この二股の間がどうやらゴリラルートのある中間尾根らしい。

二股の上に岩場が見える。
左股を少し登ったところからアプローチ(一応ロープを出したので、これが1P目)

2P目。このスラブを右上するらしい。

初登者はこのスラブを30mのランナウトで登ったとか。
今は少し行ったところにリングボルトが一本あり、登ってみるとその手前にもう一本変わり型ハーケンが一本。
おそるおそる登ってみるが、リングボルトの上はたしかに支点がなさそうだ。
しかも傾斜が増してきている。
フリクションは良いものの、立ちこむべき岩の結晶がいつ崩れてもおかしくないこの西上州で、ここに突っ込むのはリスクが高いと判断。
少し右のルンゼ状を登ってみることとした。
1段傾斜の強いフェースを越えさえすればあとは灌木を支点に行けそうだ。
フェース部分にRCCボルトを打ちこんで、微妙なバランスでここを越える。案の定そのあとは問題なくスラブ途中のテラスに到着。

右のルンゼ状からテラスに到着。

3P目。テラスから左上するフェースがいけそうだが、ここも支点に乏しい。
右のカンテをまわりこむと、草付き露岩が岩塔の上に伸びている。ここから岩塔上に。カンテをまわりこむところがいやらしい。

4P目。

傾斜のゆるい岩のリッジ上を登る。

5P目は樹林の岩稜をコンテで。

6P目。右上するクラックからリッジ上へ。
カムで支点をとりながらの快適なクライミング。

6P目をフォローするニコちゃん。

7P目。

このあたりがゴリラルートの一番楽しいあたり。
少し傾斜の増したリッジ上をあがる。難しくはないが支点もないので慎重に。

8P目。樹林の歩きで最後の岩壁まで。

9P目。

フェースを超えるとあとは山頂まで樹林と露岩の歩き。

山頂からは九十九谷の周回コースから下山。
周回コースははしごあり、ナイフリッジありでスリル満点のハイキング。
ルートを登っている間ここを歩いている女性が二人いたようで、終始嬌声が聞こえておりました。

海谷・海老嵓西壁第二フェース心岳会ルート

先月ふとんびしを一緒に登った長友さん、野島さんと、今度は海谷の岩場を登ってきた。

海谷といえば、角礫凝灰岩の悪相をもって知られる岩壁群のせいか、陰惨なイメージしかなかったが、いまや海谷の入口、山境峠にはきれいな駐車場やキャンプ場ができあがり、三峡パークと名を変えており、あの千丈岳南西壁ですら観光の対象となったらしい。

三峡パーク周辺から望む千丈岳南西壁。600mを超える悪相の大岩壁で、クライマーは畏れをもってこれを見るが、登らない人には観光対象らしい。

海谷渓谷は最近では「越後の上高地」などとも呼ばれるようになり、実のところその渓谷美は凄絶を極める。渓谷の奥座をしめる海老嵓の岩壁へは、この海谷渓谷(海川)を渡渉を繰り返しながらつめていく。今回は11月の冷たい川を膝上まで浸かって歩くので、3人とも沢用の装備で完全武装。

さて今回登ったのはこれ。鉢山の支峰、海老嵓西壁第二フェース、心岳会ルート。
海老嵓西壁第二フェースの基部
1P目。逆相の草付き壁を左上しリッジを目指す。草付き得意な野島さんが先陣を切る。

2P目。ここからルートは垂直の側壁からカンテにあがるようだ。ここは少しばかり難しいクライミングとなりそうだ。
こういう場面では赤沼が「リードしたい人~」と聞くと、長友さんが「はいっ!はいっ!」と手をあげるのが今までの例だが、今回の長友さんは体調がよくないらしく、「全フォローで・・・」などと言い出す。そういうわけでここは赤沼リード。

垂直の側壁からカンテに這い上がり、そこから左上。

残置ハーケンに導かれてここに取付くが、最初10メートルくらいはテクニカルなクライミングとなる。

カンテをフォローする長友さん。海川はもうはるか下。
カンテをフォローする野島さん

3P目。美しいカンテは岩壁に吸い込まれ、上部は大きくひらけたスラブ帯となる。次はこの岩壁をまわりこんでスラブ帯に出るピッチ。
2P目で元気の出てきた長友さんがリードを申し出る。

露出感のある楽しいピッチ。
スラブに入ったところで短くピッチを切る。
ここからスラブ帯にはいる。

4P目。大きなスラブ帯。岩は比較的堅く順層だが傾斜は案外と強い。途中にハーケン、ボルトなどの支点がほとんどないので、体調に不安の残る長友さんから、赤沼が強引にリードを奪う。
案の定のランナウト。ごくわずかな節理にハーケンを打ってみたが、あまり効いてないっぽい。

スラブ帯をフォローする長友さん。

5P目。引き続きスラブ帯を赤沼リード。

ここからは緩いスラブとなり草付き帯に突入するので、このピッチで終了として登ってきたルートを懸垂下降することとする。

懸垂下降用にボルト打ち。

このルートは抜けても山頂まではかなりあり、抜ける価値なしと判断。
というか早く降りて宴会しようよう~という声がどこからともなく聞こえてきて、同ルートをおりることにした。
本番のクライミング中にボルト打ちをしたことがないという長友さんが、ボルト打ち実習。

懸垂下降中

海川に戻り、来たルートを戻るわけなんだが・・・・

こんなものがところどころにあるので、菌活師匠野島さんのご指導よろしく下山はあっちうろうろ、こっちうろうろ。河原歩きに登りの倍の時間がかかるわけ。

楽しい菌活の成果を持って、八ヶ岳の赤沼別宅に移動。
そしていつものように宴会の時間に突入してまいります。はい。
それにしても今回も歩きながら、登りながら、車でもそして宴会でもよくしゃべったな~。

雨飾山・ふとんびし右岩峰中央稜

生意気盛りの19歳の時登ったフトンビシを、41年ぶりに再登してしまった。
「こんなルートを二度登るような変人はほかには絶対いませんっ!」と、言い切るのは、長友さん。
たしかにここは、岩の脆さで有名なルートだ。
不本意ながら人からは脆岩愛好家扱いされている私にとっても、このルートは間違いなく「今まで登った脆い岩トップ3」に入る。
それでも登るのは、登攀ラインが圧倒的に美しいから。

ふとんびし核心部を終わって草付き岩稜となるピッチ。

雪崩に磨かれた急峻なスラブと、鋭利に突き上げる細いリッジから構成されるふとんびしの岩峰群。そのなかでも際立って美しく、ピークに向かって一直線にのびているのがふとんびし右岩峰中央稜だ。
長友さんも、ぶなの会の野島さんも、長年このルートへの憧れを抱き続けていたらしい。
3人で穂高の下又白谷にクライミングに行くはずだったのだが、頻発する地震に恐れをなして中止。
「それならふとんびしやっちゃおうか?」となった。

ふとんびし岩峰群、圏谷の底から雨飾山を仰ぎ見る。

さて登攀予定日だった土曜は雨飾山周辺は雨の予報。
天気の回復しそうな日曜にふとんびしを登攀することにして、土曜は得意の五郎山で先日開拓したばかりの「どまんなかルート」へ。肩の故障でクライミングを中断していたニコちゃん大魔王こと野口さんも参加して、めでたくクライミングに復帰。私はなんとクライミングシューズを持ち忘れ、運動靴でのフォロークライミング。

そして日曜の雨飾山は見事な快晴。

荒菅沢のゴルジュを過ぎるとすぐ、ふとんびしの岩峰群に囲まれる。

100名山のひとつだけあって、よく整備された登山道を1時間弱で荒菅沢との合流点。ここから登山道をはずれ沢を登る。まだ本調子ではない野口さんはここから登山道を雨飾山往復。
長友さんが以前進路を阻まれたという雪渓も今はなく、小さなゴルジュ状を抜けるとすぐに大きなスラブの末端に出た。

スラブを左上。見た目よりも悪い。

眼前に広がるスラブの上のほうに草付帯があり、そこからふとんびしの細いリッジが伸びている。右の本流から巻き込んであがるか、左のスラブを登るか。長友さんは本流を行きたそうにしていたが、赤沼が目先の簡単さにつられてスラブ左端を登りだしてしまう。
草付帯まではかるぅ~くロープなしで行くつもりだったのだが、すぐに案外と難しいことに気が付いた。雪崩に磨かれたスラブはホールドに乏しく、しかも泥っぽくてはがれやすい部分が多い。
尻ぬぐいは長友さん。
行き詰って動けずにいる赤沼の横を、ロープをつけてすたこら登っていく。
2ピッチで草付帯に突入。

草付きのリッジにはいあがると展望がひらけるがどうも様子が変だ。
ふとんびしのリッジが横に見えてるんだよね。
あれ?ルート間違えた?
やっぱ右の本流行くべきだった?

ぐだぐだと言う赤沼に構わず、長友さんはさらにロープを伸ばす。
「ルート大丈夫です!ふとんびしのリッジに合流してます!」
とコール。

左稜3ピッチ目。これで右稜と合流してふとんびし核心部へ。

つまり登っていたのはふとんびしの左稜だったというわけ。3ピッチ目で右稜と合流し、あの有名な核心部。ぎざぎざの折れそうな細いリッジのすぐ手前についた。

ふとんびしの核心部を見上げる。
4ピッチ目は核心部のリッジに向かってルンゼ状を直上。
5ピッチ目。ここから核心のリッジ。
5ピッチ目ビレイ中。

リッジにまたがってずり上がる。

6ピッチ目。

さて問題のピッチだ。

41年前の記憶では10センチほどの薄いリッジにまたがってずりあがったような。しかも脆いので、リッジ自体が手で折れそうだ。
「こんなに風化したリッジはもう残ってないと思っていたけれど、40年たってもまだあるってことは折れるほどではないんじゃないの?」

無責任なことを言い散らす赤沼を尻目に、長友さんスタート。
15メートルほど登ったところで、薄いリッジを前に右往左往しはじめた。
ここで慎重派の長友さん、
「5手先までは読めるけど、その先がどうしても読めないのであきらめます。」という囲碁名人のようなご発言。

細くて危険なリッジは回避。

リッジ左に広がるスラブ帯までいったん懸垂下降。
支点がまったくないのでアングルハーケンを一本根本まで叩き込んで、ここからスラブをあがることにする。

登らなかったリッジを敬遠してスラブに下降。

ここまでだいぶ奮闘してくれた長友さんに代わって、7ピッチ目は赤沼がリード。

左のスラブからリッジを巻いていく。

左スラブは先人が何度か登っているはずだが、雪崩に磨かれてしまったか支点はまったくない。
ハーケンと小型カムで支点をとりつつ、核心リッジ上部に至るルンゼは傾斜が強くなるので、手前でボルトを一本根本まで打ち込んでいく。

急なルンゼを越えると細いリッジの上部に復帰。
越えてきたフェースを見下ろす。

このあたりから泥壁度が増してくる。

ところで脆岩(泥壁)=危険という構図が一般的な理解と思いますが・・・・
もちろん脆岩を普通の堅い岩の感覚でがしがし登れば即落ちます。


でも脆岩トップクラスに属するふとんびしあたりでも、岩の芯みたいなものはあって、要は堅い部分を選び、最悪でも掘り出して登る体力と精神力があれば危険とは限らないということが言いたいのですよ。
能書きついでに言うなら、ボルトの固め打ちでもなんでもして、こまめに支点をとるのは脆岩登りの基本と考えています。

でもさすがに還暦過ぎて、精神力と体力まかせみたいな岩登りをするつもりもなかったんだけど、今回は藪こぎ上等、草付き上等、泥壁上等を地で行くタフな沢屋系クライマーお二人と一緒だから、おつきあいさせてもらったわけ。

赤沼は1ピッチ、リードで奮闘したので体力おしまい。

巻いてきた細いリッジを見下ろす。

リッジに復帰したあとは草付きリッジとなるが、終盤に向けて脆さが増してきた。満を持して野島さんの出番。

8P目は脆い草付きリッジ。
8P目ビレイ中の野島さん。

見た目は難しそうに見えないが、岩の硬い部分を掘り出しほりだし、草や灌木をうまく処理しながらのタフなピッチ。
「いや~よく登ったね~!」と驚嘆しつつビレイ点につくと、
「やっと草付き泥壁になって癒される~♪」とのたまう野島さん。
みな得意分野が違うわけですな。さすがさすが。

9P目。まもなく終了点。

まだまだ続くいやらしい岩稜をこなすと、ふとんびしのピークへと続く笹の尾根に出る。全9Pのクライミングだった。

41年前の記録メモには「脆い部分があるが快適な登攀。5時間かかった」とある。だいぶ感触が違うな~。

今回は右往左往したものの、3人で7時間半の登攀。まあまあですな。でも体力落ち目の還暦になってまだこんな登攀ができたのが嬉しい。長友さん、野島さんに大感謝のハグ!


疲れ果てたので雨飾山山頂は行かず、即下山。
雨飾山往復だけして登山口に下りたニコちゃん野口さんは、前夜の宴会の残骸をすべて片付け、テントを干して待っていてくれた。

甲斐駒ヶ岳・摩利支天東壁

獅子吼城からの甲斐駒

八ヶ岳の南山麓から見た甲斐駒ヶ岳の姿が好きだ。
左側のスカイラインが艶めかしい。
ここを登ってやろうと調べると、どうやら摩利支天峰の南西稜もしくは南山稜あたりらしい。
ワイルド系の岩登りになりそうだ(ジャルパインクライミングというらしい)。

資料はあまりない。
アプローチが複雑だったり、原始的でわかりにくかったりするせいか、訪れるクライマーは少ないようだ。

まずは得意の「行ってから考える」方式でやってみることとした。


メンバーは3名。
野島梨恵(ぶなの会)
家口寛(ヤングクライマーズクラブ)
赤沼正史(山岳巡礼倶楽部)

野島さんは休日のほとんどを山で過ごすばりばりの沢屋。
本人は「そうかね?」とか言うが、思い切り沢屋ファッションであらわれた。だって手ぬぐいみたいのかぶって、首にも手ぬぐい巻いて、ズボンの裾を靴下に突っ込んで、使い込んだザックにミゾーバイルつけてりゃ、そりゃーね~(笑)

家口さんは世代的には近い(失礼!少しは私より若い)オールドファッションクライマー。優しくて力持ちなダンディー。私の妻はすっかり彼のファン。エベレストにまで行ってる強者。歩くの速っ!

さて朝イチのバスで北沢峠。登山道を仙水峠までたどり、ここから道をはずれて水晶沢におりる。人の記録を見ると、水晶沢を横切って摩利支天南西稜方向に向かうことが多いようだが、踏み跡らしきものはまったくない。
仙水峠あたりから摩利支天がよく見えるから、どこを登るかはそこで決めようという話になっていたのだが、山頂部はすべてガスに覆われていてほとんどなにも見えない。

ガス(霧)の合間に摩利支天の岩壁が少しだけ顔を見せる。

摩利支天峰は大きく急峻な岩峰だが、その組成は複雑で、南西稜、南山稜、東山稜などのリッジの間に、中央壁、サデの大岩、東壁などの岩壁が層をなし入り組んで配置されている。
全体像が見えなければルートの特定は難しい。

(図は東京新聞出版局「チャレンジ!アルパインクライミング」より勝手に拝借m(__)m)


まずは水晶沢の左岸(上に向かって右側)の南西稜にあがることとする。南西稜側はどこも急峻な、草に覆われた岩壁となっている。水晶沢を少し遡り、滝の手前の弱点をついて登ると樹林帯となる。

樹林帯を登っていくと大きな岩壁にあたる。中央壁か。

この基部を右にたどっていけば南山稜になるはず。
南山稜は記録を見るとそれほど難しくはなさそうだ。
われわれもそのつもりで3人でロープ1本、カム数個にハーケン、ボルト少々という軽装だ。
しかし上部が見通せずルートの特定ができないまま、トラバースしていくと、かなり急峻で威圧感のある大きな谷にはばまれる。
谷を渡った先には顕著なリッジがあり、それが南山稜だろうとあたりをつけ、ロープをつなぎ、急峻で恐ろし気な谷の上部を横切っていく。

岩場基部の狭いバンドは足を置けば表面がざらざらと崩れるような風化花崗岩に弱弱しい灌木が張り付いているような状態で悪い。
めぼしを付けた凹角に入るが入口は軽くかぶっており、草の根本をつかんでエイヤ!とはいずり上がる。プロテクションなしの草付きグレード5.10(笑)。
この時はここさえ越えればあとは楽になるはずと信じていた。希望的に。

すぐ上はオーバーハングしている。

2P目はこのハングを越えないといけない。
ハング左端にクラックが走っているが、なかに泥がつまっていて支点はとれそうもない。ハング下にそって真横にきれいなクラックが入っていて、右のリッジに抜けられそうだ。そしてなんとそのクラックにはカムが残置されている。
先人がいるようだが、これを使ってハングを越えたのか、あるいはこのカムの地点で行き詰って捨て下降ポイントとしたか。

いずれにしてもここまでの支点の貧弱さとアプローチの急峻さを考えると、敗退はしたくないな~というところで意見は一致。
なんとしてもここを越えるぞ!
越えれば楽になるはず!

クラックまではそこそこ厳しいフリークライミング。
残置ハーケンもあるな。
残置カムに支点をとってフリー突破を試みるが、スメアリングを決めたい足元はすべて風化花崗岩でまったくフリクションなし。
即、エイドクライミングに切り替えカム3つでなんとか突破したが、なんせ軽装であぶみも持ってきていないので、沢用の丸スリングに足突っ込んでの、かなり強引な登りとなった。5級A2ってな感じかな。あぶみあればそこまででもないか。

リッジに回り込んだ先は、南山稜にイメージしていたような岩と灌木のミックス壁。思わず「もらった~!」と叫んでしまったのだが・・・・

ミックス壁をはいずりあがるとそこは・・・・まわりじゅうすべて垂直の岩壁に囲まれちゃったよ???
このへんからなんだか様子が変だと気が付く。

しかし下降したくないし、「とにかく抜ければこっちの勝ち」とばかり、ラインを探る。

まわりは全部垂直壁

え~と~
これのどこを登れというのか。
楽しいやぶリッジ登攀のはずだったのでは。
自問しつつもラインを探すと、なんと残置ハーケン発見。
あの残置カムは捨てではなかったのか~
気を強くして残置ハーケンのある左にわずかにクラックラインのあるフェースに取付くが、出だしがかぶっていて一歩がでない。
はい。ついに出ました絵に描いたようなショルダークライミング。
つまり優しくて力持ち、家口さんの両肩に泥だらけの汚いシューズを乗せて、ホールドを探る。
これでなんとかフェースに乗り、クラックにはえた灌木で支点をとりつつじわじわと高度を稼ぐ。

ちなみにこのテラスで先人の落としたらしいテルモスを発見。
テルモス?冬に使うものだよね?
このあたりで、登攀クラブ蒼氷の戸田、原ペアが冬期に開拓したというあの伝説のルートを登っているのではないかという疑惑が頭をかすめる・・・

じわじわ高みを目指すが、なんかその上にも垂直壁が見えてるんだよね。いや無視無視。

このピッチは要所に残置ハーケンがあり、ビレイ点にはリングボルトもあるぞ。ここ3P目も5級A1かな。あぶみあればね。

テラスの上はさらに壁

ああ、もういいです。
もうどんな壁が出てきたって乗り越えてやるもんね~
目の前のフェース、ルートを探ると、自分なら左のクラックがいくつか入ったほうをフリーでがんばるんだが・・・・というところ、右のフェースどまんなかにハーケンが何枚か目視できる。
これは人工登攀で登ってますな~
数個しかないカムを頼りに左フェースにフリーで突っ込むか、あぶみなしで人工ルートに突っ込むか。
究極の選択のすえ、全員のスリングを徴収して右の人工ルートを採用。

そうはいっても、明らかに装備不足なので、支点は控えめに間引きながらの設定。
スリングもできるだけ使いたくないので、可能な限りフリーで、だめなところはハーケンつかむ、ハーケンの上に立つ・・・・

そしてようやく傾斜が落ち、大きなテラスに出た。
4p目はA1(ただしあぶみ使えばの話)
それにしても先人、ただものではない。
ハーケンの使い方、効かせかたが絶妙。
おかげで案外と安心して登ることができた。

大きなテラスに抜けた。


ここから上は傾斜の落ちた岩稜なのでアプローチシューズに履き替え、摩利支天山頂を目指す。
最後はばてばてになりながら激しいやぶを泳いで山頂に到達。

摩利支天のピークはガスの中。

クライミングに4時間程度かかり、北沢峠最終バスには間に合わず。
仙水峠にデポしておいたテントを樹林に張っての祝杯。
行動食のチーズと3分マカロニのわかめご飯の素和え、それにフリーズドライチキンライスが、このうえなく上等な肴に感じられた夕べであった。

さてどこを登ったのか?

南西稜から壁の基部をトラバースした距離を考え、横切った大きな谷が摩利支天前沢だったとすれば、前出の蒼氷、戸田、原ペアの登ったラインにかなり近いと思われる。

戸田、原ペアが冬期開拓したルートを記入したもの。原氏からもらった。

蒼氷のルートかどうかは不明だが、東壁を登ったことはどうやら間違いなさそうだ。

そして私にとってなにより大事なのは、八ヶ岳方面から甲斐駒をのぞんだ際の、あの美しいスカイライン近くを登ったかどうか・・だが。
これはもうほぼ完ぺきに目的達成と言ってよさそうだ。
地形図で確認すると登るべきだったのは、摩利支天の南南西あたり。
東壁であればまさにその方角なのだ。

樹林帯での楽しい宴会の翌朝は、「装備足りなかったけどいい登攀したね~。今度は視界のあるとき南山稜登りなおそうね~」と語りながら朝イチのバスに向かった。

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