アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

月: 2024年11月

佐久・御陵山の皇子峰

皇子峰というのは山巡赤沼の得意技、面白がっての誇張命名ですよ。もちろん。御陵山(おみはかやま)北面(南相木村側)のやぶ岩峰のことです。

つい先日、南相木ダム手前のずみ岩を登った帰路、ほの見えたきれいな二等辺三角形のやぶ岩峰。
やばい(いろんな意味でね)岩峰があったら登ってやろう・・・というのが最近の行動様式なわけで、まずはそれがどこなのかの特定作業。
どうやら以前に歩いたことのある御陵山の北面にあるピークらしい。それがわかった瞬間、「墳墓」と言う言葉が頭に浮かんだ。
一人でもいいけど、やぶ岩歩きの好きな仲間でも誘って一緒に行ってみるか~と思っていたら、1年以上会ってない長友さんから山に行こうとお誘いが。かつて南相木を一緒に歩き回った相棒だ。
タイミングよすぎでしょ。

4日後の金曜朝には二人で南相木村。
御陵山里宮という神社(祠?)から行動開始。


さてなぜ「墳墓」という言葉が浮かんだのか。

南相木村の地図上に名前のないような山々を辿り歩き、隣村川上村の岩峰を登り歩くうち、「悲運の皇子、重仁親王がこの地に住んだ」という言い伝えが耳に入ってきていた。
言い伝えが実話であるという前提で話をまとめると以下のようになる。


平安時代末期、皇位継承問題に端を発した保元の乱で敗れた崇徳上皇と、その皇子重仁親王は讃岐に配流され、崇徳上皇は配流先で罪人として扱われ、失意のうちに亡くなる。その後敵方を中心に大事件が多く起きたことから、怨霊として描かれるようになり、平将門、菅原道真とともに日本三大怨霊のひとりとも言われる。
一方皇子の重仁親王は、保元の乱で崇徳上皇に荷担した武士方の総将格であった信濃の村上基国を頼って身を寄せ、その庇護のもと千曲川を遡って南相木村から臨幸峠を越えて、川上村の御所平、御殿窪(みどのくぼ)に安住。ここで兵を調練したり鷹狩をしたりしつつ、再起をかけて過ごしていたが若くして病に倒れた。
その名残として川上村に古名として地名や遺跡が残っている。
歴史学者で佐久の郷土史家、楜沢竜吉氏から、佐久に疎開していた作家の佐藤春夫が歴史史料の提供を受けたらしい。佐藤春夫は「佐久の内裏」という作品に「佐久川上村御所平要図」という史料をもとにした古名などについて記載している。(定本佐藤春夫全集第13巻に収載)

御所平 御殿窪(みどのくぼ)

竜昌寺(現、富澤山 龍昌禅寺)の裏にある御殿窪に重仁親王が住んだ。背後の山は今も内裏山と呼ばれている。(写真は龍昌寺の山門と内裏山)

この地には熊野神社があり、のちに龍昌寺が移されてきた。当時の天皇家は熊野神社とのつながりが深く、頻繁に熊野詣でを行ってきた。

住吉神社

龍昌寺の千曲川をはさんだ向かい側に位置する。
住吉神社は熊野神社の別当。

住吉神社から龍昌寺方面。左の山が内裏山。
住吉神社から撮影。右端が赤顔山。さらにその右方向に天狗山、そして御陵山が連なる。この一帯が重仁親王のいた御所平の中心地となる。

ちなみに千曲川は熊野と同じ三山信仰の三峰詣の街道筋でもあった。

御霊社(御霊神社)

御殿窪と同様、内裏山の麓に位置する。

川上村公民館発行の館報かわかみ 第104号(昭和43年)には「村上基国のもとを親王が辞するとき白馬を進献され、臨幸峠を越えて川上村に入った際の姿が御霊社のご神体である」との記載がある。

川上村では重仁親王を祀った神社として護っていたようだが、今はなぜか入口が藪の奥に埋もれ、祠はまるで隠されるように安置。
産泰神社と名前も変えられている。

重仁親王、三大怨霊の皇子だよ。やはり失意のうちに亡くなってるんだけどなんか今は忌避してない?こんなことして大丈夫なん?というのは赤沼の心の声。

このほかに古名として兵を調練したかのような「馬場平」、貴族のスポーツ鷹狩をしたのか「鷹揚場」、「天主の台」、「鷹放」、「兵部」などの地名もあったようだ。

以上は主に雨海博洋氏筆「悲運の皇子、重仁親王の流離譚」より引用させていただいた。


以上が本当の史実であれば、御所平の奥に控える御陵山は、その名前からいっても重仁親王の墳墓であると考えるのが自然ではなかろうか。

御陵山山頂の祠

山頂の祠に奉納されてきたらしい神具の説明。雨ごいの神事によるものと記載がある。なぜか南相木村教育委員会。
しかし17世紀とあるし、ここが重仁親王の墳墓として祀られていたのだとしても矛盾はしない。だいたい御陵(おみはか)と雨乞いって結びつくのかね?

そして不思議なことに御陵山の北、南相木村にも御所平という地名があり、御陵山里宮という小さな神社が現存する。

この神社は御陵山の北側の尾根が南相木川に落ちて来た、三川というところに建つ。そして尾根はここからまっすぐに、件の三角やぶ岩峰(皇子峰)を経て、御陵山に至る。
そして南相木村にも里仁親王の流離譚があり、御陵山はまさに里仁親王の墳墓であると伝えられている。
重仁親王の言い伝えに酷似してますな。
ちなみに里仁親王という名は史書にはないのだが、藤原政権時代に謀反人として名前を歴史から抹消されたのだとか・・・

さてさて真実はどこにあるのか。

どこかに事実があるのか、村上基国がその野心から勝手に親王を担いだのか、あるいはどこにでもある貴種流離譚のひとつで、自治体がそれを利用したり、忌避したりなのか?

そういうわけで、話は長くなったけど、歴史的ロマンのある、墳墓のような岩峰を、悲運の皇子を偲びつつ敬意をもって踏破してみようかと。そういうことになった次第。

南相木村の御陵山里宮の前からはじまる林道に入り、適当なところで車を停めて、御陵山の北に延びる尾根を登り始める。
結構な岩尾根っぽいし、あの岩峰(皇子峰)も急峻な露岩が出てっぽい。
ロープを持つかどうか迷ったが、長友さんと赤沼のふたりならそういうのは得意分野だしいらんだろう!ということで軽装でスタート。

樹林を踏み跡だか獣道だかを辿る。歩きやすいし、気持ちいいし、
「登山道をぞろぞろ歩いてる人がかわいそうだよね~」とか二人して言いたい放題。

初冬の小春日和って感じのむちゃくちゃ感じのよい尾根筋。

踏み跡らしいものがあったのは、送電線のメンテのためもあったのかな。

いくつか小ピークを越えていく。

前半はかなり歩きやすい。

尾根どおしでルートも明瞭。

このあたりは岩峰だらけ。露岩が出始め、急な木登り露岩登りとなってくる。

急な岩峰が連続する。慎重にルーファイしながらピークを登ったり下りたり。

露岩をクライムダウン中。

越えてきた小ピークを振り返る。

結構いやらしい木登りと露岩登り。にこにこと登ってくる長友さんにあとで聞いたら、手袋の形状やらムーブやらいろいろと研究してノウハウを蓄積しているらしい。

突っ込んだ岩峰が案外悪くていったん下降中ですが、実はこの先で事件が。
赤沼の腰ベルトにつけていた熊よけスプレーのストッパーがやぶでなくなり、下降中、木の枝でスイッチが押されてしまったのだ。
幸い大事には至らなかったが、スプレーの液体を処理した布に触った手で触れた場所のすべてが、ひりひりと発熱。一晩ほどかっかしてましたわ。

皇子峰はもう目前。なんか難しそうに見えるぞ。

どこを越えてやろうか。できれば中央突破したいね。

しばしルーファイタイム。

良い子のみなさん。長友さんの木登り露岩登りテクニックを、この動画から学んでください。いろんなノウハウが見てとれますよ。(いやまじで)

南相木ダムが遠望できる。

皇子峰に到着!

皇子峰から少し下ってまた登ると天狗山から御陵山への稜線。登山道があって、ここからはすぐに御陵山山頂に着く。

御陵山山頂から天狗山方面。天狗山の向こうは八ヶ岳が白くなってる。

御陵山山頂

にわか祝詞を奏上

さて下降は一本西よりの尾根を考えていたが、長友さんが「沢を下りちゃいましょう」というのでただついて行く。長友さんの読みがあたってあっという間に車を停めてある林道に出た。




天狗山ダイレクトから

あっこちゃん(中江明子さん)と天狗山。
昨年敗退した下部フェースを登るかと出かけたけど、寒さに負けて転進。天狗山ダイレクト。
(敗退の顛末はこちらに記載してます。)

天狗山南面の岩壁群では唯一、天狗山ダイレクトというルートが知られていて、あとの岩壁はほぼ情報がなかった。
情報の多い既成ルートにだけ人が集まり、あの広大な岩壁群に何もないのがもったいない。
そこに昨年から手を付け始めて、難しすぎずに登れそうなラインを狙って、6本ほど登って来た。(登ったラインの概要はこちら)
今さら一度は登った既成ルート、天狗山ダイレクトになんで行ったかと言うと、単なる宴会前のお茶濁しなんだけど・・・・壁のまんなかを一直線にあがるこのルート、実は自分の作ってきたルートのよき展望台だということがわかった。

東岩稜

いくつかの小さなフェースの連続した岩稜。
やぶ尾根歩き、ときどき岩登りというのんびり楽しめるやさしめのルート。

右壁右稜

天狗山ダイレクトに並行するように山頂に伸びあがる岩稜。
左が切れ落ちてた壁で、右は樹林帯。ちょうどその境目の岩稜を登るやさしく楽しいルート。

そして写真は撮らなかったけど南稜もよく見えた。

どれも山歩き以上、クライミング未満みたいなルートで、「ルート開拓」というよりは「ルート発掘」と言ったほうがしっくりくるようなところ。

最近はこういう山遊びが楽しくて仕方がない。
「情報のないところは怖いところ」ではないと思うよ。
情報がないから、「行って見て」、「自分に登れそうなラインにとりついてみて」、「だめならおりてくればいいんでない?」という遊び方ができるんじゃないかな。

こういうルートは誰かがすでに登っているかもしれないし、「ルート開拓」とか、「初登攀」とかいう言い方にはそぐわない。だから「ルート発掘」なんて言った方がいいのかもと思った。
最初に登ったあと、東岩稜も南稜もこの記録を見て登ってくれた人がいるし、右壁右稜も登りたいという人を案内したりもした。それがとっても嬉しい。

60歳過ぎて、クライミング人生が終わるまでに登れるルートがあと何本あるのかな。そんな想いを抱き始めて、難しいことやかっこいいことがしたいんではなく、いい仲間と「あーでもない、こーでもない」と言いながら、こうやって山と触れ合い、じゃれあって遊びたいんだよね~ということに気が付いた。

開拓とかいうもんじゃなくて、いい遊び場を発掘していきたいな~。

南相木・ずみ岩東尾根

ようやく熊出没情報も減ってきた。
夏の間不安定だった天気もこの何日かよさそう。
よし!例のやつ行っちゃえ!

てなわけで、テント持参で乗鞍界隈で藪漕ぎ・・・のはずが。
山が白いのです。

あれ?もう雪降っちゃった?
霜かもしれんけど。
霜だとしても藪漕ぎしたらずぶぬれだよね。

そういうわけで転進先は前から気になってたずみ岩。

いっつもエクストリームハイカーのブログやらなんやらを種本として、楽し気な岩場見つけたりしては遊んでいるわけですが、そんな「行ってみる」リストに載ってるずみ岩です。
なにげにレベル高いハイカーたちがなぜか岩場が怖くて引き返したとか、そういう記述が多い山です。
西の尾根から行く人が多いようですが、南相木ダム側の東尾根が最短。こっちから行ってみよう。

ご存じ、なぁ~~~~んにもない村、南相木村。
唯一の観光資源?南相木ダムのちょっと手前から歩き出し。(ちなみにとっても大きなロックフィルダム、南相木ダムはすげ~壮観だからぜひ観に行ってください。)

登山道はほぼないので、林道から適当に山腹にとりつきます。

GPS頼りで稜線目指しますが基本、斜面は急です。
紅葉を一気に飛び越えて散ってしまった赤や黄色の落ち葉のラッセル状態で、結構危険な場面が続きます。

稜線はなかなか気持ちがいいぞ。

稜線で自撮り

東の稜線を登って行くとだんだんに岩場っぽくなってきます。

山頂近くはしゃくなげが密生していますが、根本部分が少しだけ刈り払われてます。これにだいぶ助けられながら行くと、露岩に腐ったロープがだらり。

「え?これ行くんかいな?」
だいぶやばいすよ。下は切れ落ちていて、落ちたら助かりそうもないし、手がかりになりそうな木も根っこが浮いてる。そしてぶらさがったロープもぼろいし結び方もあやしい。
よく見ると、このルートはないでしょってのがわかりますな。
ロープと関係ないところが安定して登れまっせ。
なんかかなりやばい人?がルート設定したんかな~。
ハイカーが引き返したのってこのポイントかな?
ルートだと思って行ってしまって、事故が起きたりしないといいのですが。

ずみ岩。近づいてきました。

岩稜歩きも楽しめます。

振り返ると南相木ダム。

ずみ岩のピーク。

ピークでも自撮り。ウインドブレーカーをガムテープで補修してますが、背中はこの間のワイドクラック登りでずたずた。でもまだ使ってるし。買えよな!

話しそれますが、背負ってるのはグレゴリーの高級ザック。
妻とテント泊登山に行くのに、なんでもかんでも背負わされる前提で買ったいいやつで、腰ベルトやらが優秀なんで整備された登山道では最高なんですが・・・
藪はだめです。あっちこっち引っかかって歩きにくいこと。
藪は超シンプルなずだ袋型登攀ザックが一番ですね。

あのやばい岩場を下るのもなんだし、帰りはやぶ尾根をおりて茶屋ノ平なるあたりに。地図では登山道があるはずなんだけど、なぜかいきなり林道が現れる。しかも登山道とは関係のない方向に伸びてる。
林道無視してまたやぶこいで下山完了。

約3時間の楽しい藪&岩歩きでした。

瑞牆山十一面岩

金峰山の千代の吹上、第三岩稜の中間部分(上部と下部を登った登り残し)を登る計画だったが、さすがに11月に入って気温が低いうえ、風の強い予報。
「これは楽しくないよね~」ということでの転進。

パートナーは瑞牆山でいくつもの高難度ルートを拓いてきた中尾政樹さん。ヒマラヤ、サトパント南壁の初登やシブリン北稜を登った、アルピニストでもある。

「千代の吹上が中止なら、瑞牆山で軽いクライミングでもして、情報交換がてら飲みましょうか?」という魅力的なお誘い。
難しいルートばかりの印象で、怖くて手を出せなかった瑞牆山を、そこの主のような人に案内してもらえる絶好のチャンス。逃すわけにはいかないよね。

朝ゆっくり目に駐車場で待ち合わせ、どこに行くのかも知らずただついていく。天気も上々。なんかガイド登山の客というか、素敵なレストランで有名シェフにおまかせフルコース頼んでワイン飲んでるような気分?
どこに連れてってくれるのかな~ルンルン♪てなもんで。

40分ほどの歩きでついたのは、中尾さんも岩場の名前をまだ決めかねているようなところらしい。位置的には十一面岩の末端の末端の末端・・・あたりらしい。すでに登られたワイドクラックから、まだ掃除の終わってない(誰かほかのクライマーが掃除してるかも?なんてことらしいが)、未踏かもしれないクラックにつなげようという作戦。

ここは中尾さんも以前登っているらしい。赤沼も久々でテーピングばっちり・・・のつもりが、ずっと使わなかったテーピングが古すぎて粘着力が怪しい。
「それはだいぶ古いね~。いつから使ってないの。」
と笑われましたです。

中尾さんリードで離陸。
出だしがかぶっているけど、核心部は上のほうだった。

赤沼もがんばって、いんぐりもんぐり中。
ワイドクラックって息が切れるし還暦すぎのおじさんのやる遊びではないよな~。中尾さんは息も切らしてなかったみたいだけど。

ぜーはーぜーはー。
リードしてるみたいに見えるけど、ちゃんと上にロープついてます。

2P目も中尾さんには既登部分。
真っ暗なチムニー内を、クラックを使って登り、最後はうしろの壁に体重かけて休めるという特典つき。きわめて楽しいピッチです。

この辺が核心部。

さて未踏かもしれないこのピッチ。
「誰か掃除してくれてるらしい。登ってみよう~」と中尾さん。

でも取付き部分のハングが脆すぎてだめ。
ここは浮石落とし切らないとだめということで、頭の中は宴会モードに。

当然夕方から我が家で酒宴。
まあ話がはずむこと。
楽しい夜は更けていきました。

たまにこういう観光気分のクライミングもいいもんだね~、って割といつもそんな調子か?

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