たまたまハイカーのブログで、その素晴らしい岩峰の写真を見て、通いだして早くも5回目の五郎山。
1回目:五郎山の偵察
2回目:五郎山ダイレクトルート開拓
3回目:冬のハイキングで五郎山(敗退)
4回目:マキヨセP2ルート開拓
5回目:マキヨセP2ルート再登
というわけ。
傾斜が強めで、命を守るプロテクションも取りにくい五郎山ダイレクトに比べて、マキヨセP2は比較的安全に登れて、岩登り自体も難しすぎず、なにより屹立したピークに向かって登っていく爽快さがある。(五郎山ダイレクトもその爽快さは同じですが。)
つまり、仲間とわいわい楽しく登るにはマキヨセP2はお薦めルート。
なんだか妙に楽しいルートになった。
何度でも行きたいと思う。
そもそも自分は山(岩)登りに何を求めているんだろう?
「より高き、より困難」?
まさかまさか。
もちろんそれを求めている人はいるだろうし、自分だって勘違いして追求した時期はある。そういう人を否定するつもりもない。むしろ尊敬する。
でも自分のクライミングの原風景は、なんかそれとは違うんだよな~。
今まで楽しい!と思った山(岩)登りは、たとえばドロミテの岩峰、旧ユーゴスラヴィアの石灰岩岩峰、西上州の岩峰群、スペインの砂漠化しつつあるワイン畑のまんなかに聳える岩峰、上高地から前穂高岳手前の真正面に立ち上げる尖った岩峰に至るリッジ・・・・なんだ全部岩峰だぞ?
つまりすべては下から見える美しいラインをつめあげて、その成果を肴に仲間と楽しく騒いだ、「クライミング」と「宴会」がともにある山旅ということになるらしい。
それとどうやらもう一つ、重要な要素があるかもしれない。
遊び場(プレイグラウンド)が、与えられ、整備された観光地でも登山道でもなく、持ってる情報が自分の目でみる視覚データに限られること。そこを自分の判断だけで自分で設定したルールに従って登っていく自由さ、潔さ、その自由が必然的に内包するある種の困難さや畏れを越えていく喜び。でも山と戦うとか、人と戦うとかそんな要素はまったくなく、ただひたすら山というフィールドと戯れる感覚が好きだ。
そんな意味でマキヨセP2ルートは自分にとって理想だった。
開拓の相棒は長友さん。
ひとまわり若いクライマーだけど、志向性が近いらしく、私にとってはもはやランドマーク的な思い出となった前穂高岳東南面の美しいリッジの登攀記録に触発されて、そこを登りに行ってくれた人。それが縁で知り合った。
そして今回も、最近知り合ったクライマーたちとの最初のクライミング。
だから楽しいものにしたかった。実際楽しいクライミングとなった。クライミングを復活して、仲間が増えつつあるのも嬉しい。
この尖った先っちょがマキヨセP2の終了点、前回はこの上に立たなかった(座ったけど・・)。
今度はおそるおそる立ち上がってみた。あ、写真撮るのわすれた!
赤ヘルメットのミカさんは、半年ほど前にキャンプ場で行われた、彼女の結婚祝い宴会で知り合ったばかり。最終ピッチをリードしてきて、夫ジロさんをビレー中。