アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

カテゴリー: 雑談 Page 3 of 4

野猿返し&宴会

どこか登って、わが八ヶ岳の家で宴会するシリーズ。
もう何回目か忘れたが、そのお題として何度もあがった野猿返し。
お気楽に登れる楽しいクライミングルートらしい。宴会のお題としては理想的。
毎度ほかの開拓に走ってしまったり、天気が悪くて藪山歩いたりとなかなかクライミング実現せず。

今回は強め女子3名がクラック練習に行くので、八ヶ岳のほうに我々夫婦がいれば立ち寄って宴会したいな~というお話。
諸々調整の結果、女子3名と私の4名で野猿返しを登って、宴会して、翌日は女子3名がクラック練習ということになった。仕事と孫相手の忙しい妻は今回の宴会には不参加。

メンバーはドライツーリングの日本代表選手として世界を転戦しているメパンナ笹川さん、女子だけの山岳会、銀嶺会の組長宮田さん、それにふたりの妹分として可愛がられているらしいサキちゃん。

川上村から大弛峠に向かう林道途中から沢を渡って取付きへ。女ボス二人は靴のまま飛び石でヒョイヒョイ、サキちゃんは軽くドボン、私は裸足になってバチャバチャ渡渉。

さすが人気ルート。先行パーティー2名x2組

我々も2組。宮田、赤沼パーティーと笹川、サキちゃんパーティー。
先行は初心者含みでゆっくり登っているので、ごちゃごちゃになりながら先に行かせてもらう。この辺から景色も開け新緑がまぶしい。
ちなみに先行パーティーの女子1名は、何かで宮田組長を知って憧れていたらしいよ。

岩は硬いし、フリクションも効くし、楽しく、気持ちよく登れます。
青空!
この辺からが核心部らしい。
核心部の終了点から手を振ってるの見えるかな?

東股沢をはさんだ対岸の兜岩。たぶんまだクライミングの対象にはなっていないと思われる。偵察に行かねば。
後ろの方に小さく笹川さん、サキちゃんパーティーが見えてる。
左から宮田組長、サキちゃん、メパンナ笹川さん。
終了点で女子3名しゃべり倒しながらの昼食。
シャクナゲの花がいっぱい。

午後3時には早くも宴会開始。おじさんは表でウインナーの七輪焼き中。
クレマティスが満開。

川上村のマイナーピーク、雨降山

クライマーにはお馴染みの金峰山川沿いの林道は、途中の分岐から右へ行けば西俣沢のキャンプ場、左に入れば大弛峠を越えて山梨に至る。
大弛峠の手前に最近人気のクライミングルート「野猿返し」がある。
それほど難しくなく、宴会ネタとして登るのにちょうどよいらしい。

もう何回目になるのかも忘れたが、どこか楽しく登って、その話をネタに八ヶ岳のわが家で飲もう!という、Climb & Drinkの集まり。
今回お題は野猿返しとなった。
面子はいつでもハイパー宮田さん、ダンディー家口さん、ニコちゃん大魔王野口さんと私の4名。

土曜朝、現地手前のスーパー「ナナーズ」に集合。
前日から降った雨はようやくあがったものの、岩場は濡れてるだろうな~
一応登山口までは行ってみたものの案の定岩場は濡れて黒々としているので、即刻転進プランの雨降山登山に切り替え。まあおいしく酒が飲めれば登る場所にはさほどこだわらないわけ。

雨降山は野猿返しのある金峰山川東股の右岸の尾根上にある。
雨降山登山は宮田さんから提案されていたが、私もこの尾根には前から関心を持っていて、北の千曲川のほうから入山を試みたが、入山禁止の柵が延々と張り巡らされていてあきらめた場所だ。
野猿返しのあたりからなら尾根上に出られるのではないかと、ひそかに狙っていたルートでもあった。

ネットで検索すると、この尾根は岩峰をいくつか配置する結構厳しめの尾根っぽい。

大弛峠への林道から支流の右岸にある踏み跡から入山。

堰堤がいくつかあって、最後の堰堤で踏み跡がとだえる。
ここから傾斜の比較的緩そうな山腹をあがってみることにする。

地形的には間違ったルート選択ではなかったと思うが、この斜面ではかなり大規模な間伐が行われたらしく、倒木だらけで歩きにくい。

雨上がりの湿度もあって全員汗まみれでの歩きとなった。

稜線に近づくにつれて岩場が出てき始める。
全身泥まみれの行進
山頂手前のピークあたりは、露岩+しゃくなげの藪漕ぎとなり苦労したが、山頂手前のコルでようやく視界が開ける。
しゃくなげに覆われたここがなんと雨降山山頂
記念撮影

倒木と露岩としゃくなげの藪に苦しんだ往路を避け、植生の疎らそうな沢方面に下る。
なかなか素敵な斜面で歩きやすい
小さくてかわいいスミレ類が豊富で、スミレマニアの宮田さんは大喜び
楽しい山のあとの宴会は異様な盛り上がりを見せ・・・



ビバ!南相木村–臨幸峠~村界尾根の無名峰

2022年5月2日

スマホの無料GPSアプリも普及し、地図に道のない山はかなり身近なものとなってきた。
1)カシミール3Dで地図を眺める。
2)気になったピークの地域名や標高で検索
3)まあ大概、地図に記載のない山の名前とGPSトラックデータ入りのヤマレコデータなんぞが見つかる。
4)トラックデータをiPhoneに転送して、そのあたりに出かける。

そんな山の楽しみ方も普通にできるようになってきた。

さて最近ちょっと気になってる南相木村の山々。

マイナーな山ヲタクの掃きだめ、ヤマレコあたりを見てもこの地域の情報は希少だ。
でも地形データを眺める限り、ここは絶対楽しいはず。
どうも宝の山な匂いがする。

臨幸峠という峠が気になる。
南相木と佐久をつなぐ小沢志なの入トンネルが開通する以前は山道があったが、今では廃道に近い状態らしい。
この臨幸峠から南方向は、きれいな尾根が男山と天狗山間の稜線にまで伸びている。北方向は、先日登った海ノ口城址のある城山に至る。この尾根は佐久の南牧村と南相木村の村界尾根にあたる。
山歩きの記録がないか検索してみたがなにも見つからない。
これはかなり疑わしい。パトロールに行かざるをえまい。

先日登った立岩の横から伸びる林道の行き止まりに車を停めて出発。

臨幸峠までは沢沿いの急斜面。古い踏み跡はあるらしいが、シダ類に覆われて判別つかず。妻は気持ち悪い~を連発。
臨幸峠に出ると展望が開ける。樹林の間に北岳~甲斐駒~八ヶ岳~浅間山などが見える。男山もすぐ近く。
尾根に出てシダ類から解放され、ご機嫌な妻
1544mピーク。期待した山名表示等は一切なし。
先日登った峰雄山かな?
今日はここまで。1591m峰。やはり山名標識などない。
最終到達地点。
往路を戻る。
臨幸峠からの下り。地図上は沢沿いに破線の記載があったが、踏み跡が沢の左岸尾根方面に伸びているのを発見。こちらのほうがシダ類の急斜面を回避できて快適。
樹間を蛇行する快適な尾根道を下山。
下山後は南相木ダムの観光。ずみ岩、天狗山などが眺望できる。

南相木村・立岩~峰雄山

群馬県の西上州エリアには妙義を中心に特異な岩峰が多く、それらを愛好する篤志家たちがいる。
その西、長野県の東信州エリアには八ヶ岳や浅間山などの名峰が連なり、川上村には小川山や男山、天狗山といったクライマー好みの岩山も多い。
南相木村はちょうどそれらの狭間にあって、存在感の薄い感じがする。
つまり・・・・玄人好みの地味な山が多くあるだろうと思われる。
先に投稿した「恩賀高岩偵察行」に行く予定だった日、予報に反してアプローチしたとたん雨が降り出したので、天気の持ちそうなこの南相木村に遊びに行くことにした。(恩賀高岩の偵察はその翌日行った。)

さて観光資源も有名な山も乏しい南相木村にあって、数少ない名所の一つとされているのがこの立岩。
立岩湖のほとりにある60mほどの岩峰で、山頂には祠があって、クライミングのルートもあるらしい。
まずはこいつを登ってみようということになった。

立岩湖への道をドライブしていくと林道の対岸に屹立する立岩が見えた。

立岩へは村道のすぐ先の橋を渡って裏側から登るのが一般的らしい。
高差は正面に比べてだいぶ少なく20m程度か。
階段状の簡単なフェースのようで、ハンガーボルトもべた打ちしてある。

これはすぐ登れるとして、まずは岩の正面側まで基部をまわりこんで偵察におりていく。

真下から見上げた正面壁

傾斜強い、節理ない、組成も柔らかそう・・・・つまりやばそうな壁。
どうも登られた形跡もないようですな。
結局、登られているのはてっぺんに行くだけが目的の易しそうなルートと、その近くにとってつけたようなフリールートらしきものだけの様子。
この正面壁は今回のようなついでな気持ちでは登れるわけもなく、まあてっぺんに行ってこようかと、裏側に戻る。

裏側のルートを野口さんリード中
てっぺんの祠から県道を見下ろす

昼から雨という天気予報を見てでかけたので、かなり早起きして出かけたためまだ時間はたっぷり。

カシミール3Dの地図によれば、南相木村で山頂名の記載された山は二つだけ。峰雄山とずみ岩というもの。ずみ岩というピーク名にはかなりそそられるものがあるが、まずは手前の峰雄山に登ってみよう。

以前調べたところ、立岩から峰雄山に縦走している人がいて、岩場の通過に苦労している由。まあそんな記述を見て、岩登れるところあるかもな~という下心もあって、岩場偵察もかねようというわけ。

注:ちなみに御座山、男山、天狗山などが南相木村の山として紹介されることもあるが、地図をよく見ると御座山の山頂は北相木村、男山、天狗山は川上村にあるように見える。国土地理院の定義では「山とは地面の盛り上がった場所」という意味しかないそうなので、特定の山頂=特定の山とは限らないわけで、御座山などの山体が南相木村にあることもたしかなこととすれば、南相木村の山と言ってもいいのかもしれない。

立岩湖から峰尾山まで稜線が続いている。
縦走は長いので、まずは山頂に行こう。

峰雄山南面の村道から林道に入り、山頂に一番近そうな林道終点から歩き出す。

なんとなく踏み跡もあって歩きやすい。
岩もごろごろと出てくる。比較的硬そうな岩。
ここが山頂。

稜線を立岩方面に少し歩いて別のルートを下りようかと思ったが、南斜面はかなり急なので往路を戻ることとする。

奥に見えるのは御座山かな
ところどころ岩場が出てきて回り込みながらの歩きとなる。

日本一標高の高い場所にあるダムらしい。



南相木・城山(海ノ口城址)

そもそもは礼くんと週末の春山を楽しむ予定でいた。
前から目をつけていた、ギボシの西壁に食い込むルンゼでもやるか、礼くん希望の蓼科山に登るか・・・・と検討していたが、天気予報がいまいち。
加えて山巡じじい会をやろうという話もあり。
諸々調整のすえ、土曜は礼くんと赤沼が藪山ハイキングをしてから八ヶ岳の家に入り、二階さんとソーノスケさんはロープウェイ利用で入笠山を歩いてから合流して宴会という運びになった。

さあ藪山チームはどこに行こう。

カシミール3Dの地図をつらつら眺めていると、小海線佐久海ノ口駅の東の山塊が目についた。
川上村の男山や天狗山のあたりから北に延びる小さな山脈だ。
小海線をはさんで西側には北八ヶ岳の連峰。
うまくすれば眺めもいいかもしれない。
ちょっと登ってから宴会というプランには手ごろな規模でもある。

山脈のなかで男山、天狗山をのぞけば唯一山名のついている城山というところに行ってみよう。

無人の佐久海ノ口駅に車を停めて周回するコースを設定してみた。

無人駅の佐久海ノ口はのどかな雰囲気


駅から線路沿いに少し北上し、千曲川にかかる橋を渡る。
林道を登っていく。

駅から適当に引いたラインに沿って歩いてきただけなんだが、なぜかところどころに「海ノ口城址」という道標がある。
ん?
そういえば山の名前は城山。
あ!
城址なんだ~

という呑気な・・・というか、山名見て気が付かなかったんかい。
でも海ノ口城?
聞いたことあるような。

はい。結論を言うと、この海ノ口城は武田信玄初陣の地として有名なお城でした。
NHKの大河ドラマ「風林火山第8話」ぢゃん!

これこれ。風林火山第8話からキャプチャーしてみた。

平賀源内の立てこもる海ノ口城。
武田信虎(信玄の父ちゃん)が7,8千人の兵で攻めるが、山本勘助の策に守られた城はなかなか落ちない。信玄は初陣なので後方待機。
雪が降ってきて城攻めはあきらめ、引き上げる。
シンガリを勤める若干16歳の信玄は300人の兵で奇襲をかけ、城を落とす。

ま、そんなお話でした。

そういうわけで、期せずして今回も歴史山旅の歴おやじとなった次第。

標高1400mにも満たない山脈で、もろ里山かと思いきや案外と気持ちのよい稜線歩きとなる。
まもなく山頂

城山山頂。3~4日前に雪が降って積もっていたので冬靴はいて行ったが、ほとんど解けていた。
山頂から別の尾根を下山。はっきりと道があるわけではないが歩きやすい稜線。
大芝峠からは車道を辿って駅に向かうが、崩壊が激しくて車は通れない状態。
3時間弱のハイキングで里に戻ってきた。

道中たった二つだけ見つけたフキノトウの味噌和え。

2022年新年じじい会

昨12月、二階さんから「忘年山行やろうぜ!」という声があったのだが、赤沼がちと忙しかったものでお流れ。
その責任をとって新年、山巡じじい会を企画した。

行先は北杜市須玉町の城址。今は廃道となった、自衛隊の切り開いた林道を行く。

メンバーは後期高齢者に突入した最長老そーのすけさん。なんと下又白谷の全貌をはじめて世に明かした記念すべき山行であった「下又白谷山巡稜」初登攀メンバーのひとり。
パン屋のわたべさん。下又白谷研究の第二世代の代表ですな。赤沼とともに下又白谷本谷の遡行や、菱型スラブの初登攀もやってます。今は温暖な小田原でのんびり暮らしてます。
で、二階さん。山巡としては快挙だった、カラコルム山群の未踏の7000m峰、トリニティーピークの初登頂時のサミッター。
それに還暦にして最年少、赤沼の4名。
オールドクライマー集合の図です。

いつもは山に登って山頂あたりで宴会ってのが毎度のパターンですが、時期的にとても寒いし、「高度500メートル以上、1時間以上の歩きはだめ」とか言い出す人もいるし。
諸々配慮して、先日歩いた源太ヶ城址を散策して、近くの赤沼別宅で宴会という企画をたてました。

大門ダムの擁壁上にでると八ヶ岳がきれいに見える。

昨年11月に初めて登った際は、自衛隊の切り開いた林道の末端が擁壁になっていて、大門ダムにまっすぐおりることはしなかった。
今回は大門ダムに車を停めて、擁壁のはしのほうから林道にあがることにした。

擁壁のはしのほうにはしごがあって急坂からダム上に出られる。


そーのすけさん。うん十年前から変わらぬ登山ウェアに注目!

わたべさんは昔から伊達でしたね~
源太ヶ城本丸址?山頂で記念撮影。
宴会は下山後って言ってるのに、どこからともなくビールが出てくるし。

そして赤沼宅で宴会はつづきます。

自衛隊の作った林道から、謎の山城跡へ–源太ヶ城

源太ヶ城(跡)は、比志津金山塊のはずれ、大門ダムのすぐ東南の山城。
甲斐源氏ゆかりの黒源太清光が築城し、武田時代に活躍した津金衆が本拠としていたらしい。
武田信玄の狼煙台のひとつがここにあったという。

地図、下方のウッドペッカーキャンプ場からまっすぐ北に歩いて行くと、自衛隊の作った林道に合流する。

この林道、大門ダムのすぐ南から始まって源太ヶ城の南をぐるっとまわって東から北に巻き込んで山頂直下の二の丸(?)あたりに至る約2キロの道。幅は6メートル程度らしいが、すでに廃道となって倒木やら草に覆われている。もっとも登山道としては申し分のない快適な道。

大門ダムからのスタート地点は法面保護の擁壁が作られていて、道が寸断されている。
つまりこの林道には入口がない。

そもそもなんでこんな道が作られたのか。しかもなぜ自衛隊なのか。

途上にあった自衛隊顕彰碑やら、共有地記念碑なるものにあった記述を参照すると経緯は以下のようになる。

山梨県が、入会地であったこの山の入会地の譲渡を受け、県有地とする。
そのうえで1973年、須玉町長が自衛隊に依頼し、道を作ってもらった。

山城による観光振興を狙ったのか、それとも国防上の深淵なる作戦なのか。まあ実際のところ観光狙って失敗したってところなんでしょうが、山頂付近にはまるでロケット砲(花火?)の土台みたいなものがいくつもあったりして、後者と考えたほうがなにかと楽しいですな。

さてウッドペッカーキャンプ場から自衛隊の道に合流したあとは、林道を行かず山腹に直接とりつき、まっすぐに山頂を目指す。

15分程度で稜線に至る。

山頂には祠があり、なにやら蘊蓄の書かれた板標がありますが、よく読めませんな。

山頂あたり

山頂の一角に廃材。以前ここにあったという狼煙台かな?

山頂の北西部で自衛隊の林道と出会う。ここは二の丸といったところか。

自衛隊の林道を下山

林道終点まで歩くと擁壁となって切れ落ちており、これ以上は行けなさそう。

2キロの林道をすべて歩いたが、入口のない林道なので、ウッドペッカーキャンプ場への道の分岐までまた戻り、下山した。

帰路、擁壁のあたりをよく見たら、草付きの林道あとのようなものがジグザグに伸びており、ここから林道入口に歩いて行けるかもしれない。

山巡思い出話

私が高校山岳部に物足りなくなり、山岳巡礼倶楽部に入部したとき、クラブを創立した高橋定昌さんは70手前。神田駅構内の喫茶店や、秋葉原のはずれにあったえびはらというレトロな喫茶店での集会にも顔を出されていた。
いつもおじいさんが二人いるな~と思っていたもう一人はたしか田中さんという方で、お二人ともジャケットに山巡のロゴをあしらったおしゃれなループタイといういでたちだった。お二人は孫世代の新人にとても優しく接してくれた。私がクライミングに自信をつけて生意気ばかり言っていたころ、田中さんにとって思い入れの強い谷川岳一ノ倉沢の2ルンゼに、もう一度登りたいと言われ、アシストを約束したのに自分のクライミングに忙しくて結局果たせなかった。これが今となっては大きな心残りだ。

このころの山巡は活気にあふれており、毎回個性あふれる人たちが集まってきては大声で会話が弾んでいた。ひとりチベット奥地の独立国ムスタンに潜入した高橋照さんにお会いしたのもそのころだった。
下町の山岳会らしく自営業や職人が多いなかでいつもばりっとしたスーツで集会に来ていた松坂チアキさんは当時の山巡を引っ張るリーダー的存在だったが、迫力がありすぎて近寄りがたかった。高校生から見たら中高年のおじさんだと思っていたけど、私が入会したころはまだ30代後半。ちょうど4年前の今頃、後立山近くで悠々自適のすえ、山釣りの帰途、駐車場で倒れて亡くなった。
チアキさん前後の世代の人たちが山巡のひとつの高揚期を作ったらしく、下又白谷の研究の中心でもあった。
下又白谷の下部本谷の概要をはじめて明らかにし、菱型岩壁の存在を世に知らしめた人たちともおそらくお会いしているのだろうが、残念ながら個人的な記憶にはあまり残っていない。その中心にあって下又白谷奥壁(当サイト内では前衛壁として紹介)の初登攀を行った檜山、山田ペアの檜山さんから先月突然連絡をいただいた。山田さんの訃報であった。
下又白谷の話をお聞きしておくのだった。

山岳巡礼倶楽部の部員バッヂ

さてまだ高校生だった私を山に連れて行ってくれたのは、当時20代後半から30歳くらいの現役部員。

そのころの部長、太田さんには谷川デビューをさせてもらった。ヒマラヤの登山を夢見て多くの資料を集めていたが、(たしか)仕事の関係で実現せず、それらの資料を遺品として残して6年ほど前に病没された。
下又白谷研究を再開させたパン屋のわたべさんと、昭和56年豪雪の槍ヶ岳で暴風に飛ばされた私を「どこ行くんだ?」とかとぼけながら止めてくれた二階さんとはいまだに「山巡じじい会」として軽い山登りをしている。

小野寺さん、川崎さん、国分さんはその後行方知れず。

結局山岳巡礼倶楽部としての最後の盛り上がりは、穂高徳沢をベースに、下又白谷の菱型スラブに3本のルートを拓いたあたりだったかもしれない。

私はその後、先鋭的なクライミングを求めて山巡を離脱。
やりたい放題のクライミングをした末、50代になってまた縁があってわたべさんや二階さんと再会。
すでに解散していた山巡の名前を成り行きで使わせてもらいはじめたのは、山巡に関わった多くの登山、多くの人々、歴史がそのまま立ち消えになるのはもったいないとようやく気が付いたから。
せめて名前だけは残そうとあらためて山巡を名乗って山登りをはじめたがはや私も還暦となった。
さあビッグネーム、どうやって残していったらいいものやら。

赤沼筆

佐久・五郎山マキヨセP2ルート再登

たまたまハイカーのブログで、その素晴らしい岩峰の写真を見て、通いだして早くも5回目の五郎山。
1回目:五郎山の偵察
2回目:五郎山ダイレクトルート開拓
3回目:冬のハイキングで五郎山(敗退)
4回目:マキヨセP2ルート開拓
5回目:マキヨセP2ルート再登
というわけ。

傾斜が強めで、命を守るプロテクションも取りにくい五郎山ダイレクトに比べて、マキヨセP2は比較的安全に登れて、岩登り自体も難しすぎず、なにより屹立したピークに向かって登っていく爽快さがある。(五郎山ダイレクトもその爽快さは同じですが。)
つまり、仲間とわいわい楽しく登るにはマキヨセP2はお薦めルート。

なんだか妙に楽しいルートになった。
何度でも行きたいと思う。

そもそも自分は山(岩)登りに何を求めているんだろう?
「より高き、より困難」?
まさかまさか。
もちろんそれを求めている人はいるだろうし、自分だって勘違いして追求した時期はある。そういう人を否定するつもりもない。むしろ尊敬する。
でも自分のクライミングの原風景は、なんかそれとは違うんだよな~。

今まで楽しい!と思った山(岩)登りは、たとえばドロミテの岩峰、旧ユーゴスラヴィアの石灰岩岩峰、西上州の岩峰群、スペインの砂漠化しつつあるワイン畑のまんなかに聳える岩峰、上高地から前穂高岳手前の真正面に立ち上げる尖った岩峰に至るリッジ・・・・なんだ全部岩峰だぞ?
つまりすべては下から見える美しいラインをつめあげて、その成果を肴に仲間と楽しく騒いだ、「クライミング」と「宴会」がともにある山旅ということになるらしい。

それとどうやらもう一つ、重要な要素があるかもしれない。

遊び場(プレイグラウンド)が、与えられ、整備された観光地でも登山道でもなく、持ってる情報が自分の目でみる視覚データに限られること。そこを自分の判断だけで自分で設定したルールに従って登っていく自由さ、潔さ、その自由が必然的に内包するある種の困難さや畏れを越えていく喜び。でも山と戦うとか、人と戦うとかそんな要素はまったくなく、ただひたすら山というフィールドと戯れる感覚が好きだ。

岩峰を登っている姿が客観的にイメージできるというのも楽しい要素かも。

そんな意味でマキヨセP2ルートは自分にとって理想だった。

開拓の相棒は長友さん。
ひとまわり若いクライマーだけど、志向性が近いらしく、私にとってはもはやランドマーク的な思い出となった前穂高岳東南面の美しいリッジの登攀記録に触発されて、そこを登りに行ってくれた人。それが縁で知り合った。
そして今回も、最近知り合ったクライマーたちとの最初のクライミング。
だから楽しいものにしたかった。実際楽しいクライミングとなった。クライミングを復活して、仲間が増えつつあるのも嬉しい。

開拓時は長友さんがリードした最初のピッチだけ、今回はリードさせてもらった。

この尖った先っちょがマキヨセP2の終了点、前回はこの上に立たなかった(座ったけど・・)。
今度はおそるおそる立ち上がってみた。あ、写真撮るのわすれた!
赤ヘルメットのミカさんは、半年ほど前にキャンプ場で行われた、彼女の結婚祝い宴会で知り合ったばかり。最終ピッチをリードしてきて、夫ジロさんをビレー中。

ミカさん、ジロさん夫妻と同じ山岳会に属するI口さんとは今回はじめて知り合った。同じ世代、同じ仲間を共有することもあって話が弾んだ。
家で待ってた妻も加わって宴会開始。


比志津金山塊・笠無

笠無(1,476m)は比志津金山塊の最高峰。なぜか笠無山ではなく、笠無と呼び捨ての山で、一般的な地形図には登山道も山名も記載されていない。
実のところ、比志津金山塊自体がほとんど知られていない山脈であり、ここで山名が記載されているのは先日たまたま登ってみた斑山くらいのものらしい。
それにも関わらずネットで検索をすると結構な数の登山者が訪れて(といっても篤志家には違いないが)いるようで、地図に記載のない山名がわかるわけだ。
八ヶ岳、南アルプスをはじめ屈指の山岳展望が得られることに加え、縄文時代の遺跡が多くでてきたり、「甲斐国誌」に記載のある棒道や穂坂路にはさまれた文化的、歴史的にも重要な土地であり又、きのこや山菜、美しい広葉樹や松林などにも恵まれた自然の豊かな地域であることもたしかだ。

今回の目的は比志津金山塊の最高峰「笠無」に登ること。
確たる登山道こそないが、この山に至る踏みあとは縦横無尽にありそうだ。登山者の記録によく名前の出る「比志の塒」、「摩利支天」、それに笠無に近い重要な文化財でもある海岸寺の裏山「海岸寺山」もはずせないということで、これらを横断するルートを想定してみた。

今回は岩登りの仲間4名。とは言ってもクライミングだけでなく、山登り全体の好きな大人の集まり(?)で、里山ハイキング案にもすぐに同意してわいわいと行くこととなった。
車が2台あるのを幸い、一台を下山予定の海岸寺近くにデポする作戦で行く。海岸寺からは林道、比志海岸寺線を塩川ダム方向に向かい大尾根峠(地図に名前はない)から尾根を北上することにした。

大尾根峠に車を置いて登山開始。伐採後に残る踏みあとを辿る。

稜線に出たら、笠無と逆方向に向かい「比志の塒」を往復。
比志の塒には山名の書かれた板があったようだが、腐りかけていて判読不能。
摩利支天ってどんなところ?と思っていたが、岩の上に摩利支天と書かれた石碑があった。
ここはなかなかの展望ポイントでもある。
笠無山頂

笠無までは比較的はっきりとした踏みあとがあり、あっさり山頂に至る。
ここから先は尾根筋のはっきりしないところも増えてくる。南に下る尾根には踏みあとがいくつかあり、迷い込みやすい。文明の利器GPSを駆使して方角を定めて行く。
それにしても気持ちのよい山だ。新緑の広葉樹にほぼ覆われており、ところどころが松林となっている。きのこ類も多く途中できくらげを収穫。
多少道をはずしても藪はそれほど深くないので、自由自在に歩ける。
山容も変化に富んでおり、歩いていても飽きがこない。

本当にいい山だ。

道中珍しい道標。だがこの先踏みあとははっきりせず、結局地図とGPS頼りになる。
樹林のなかを自由に歩き回る。いつの間にか笑っている人、歌を歌いだす人。多幸感に包まれる人。
海岸寺山まで約4時間の道のり。海岸寺はもうすぐだ。

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