アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

投稿者: gams Page 4 of 11

佐久・天狗山「なんやこれルート」

先週、偵察してきた天狗山の岩壁に、一本のラインを引いてきた。
ほかの山行が流れてたまたま偵察に同行することになった、銀嶺会の宮田組長。すっかりこの岩壁に魅せられて(?)、本当は谷川岳あたりでクライミングのはずが、パートナーを巻き込んでの参戦。巻き込まれたのはアンジー(ばりばりの関西系日本人)。彼女とは一度宴会を共にしている。いわゆる人たらし宮田人脈のひとり。いつもニコニコ明るく爽やか笑顔なアルパインクライマー。銀嶺会にも最近入ったらしい。

さらにさらに、八ヶ岳のわが家のご近所さんたち、エリサさんと、バンさんチームが加わって2パーティーでの山行となった。このふたりは山が好きすぎてこの地に来た移住組。バンさんとは今回が初対面。ふたりとも人たらしの大御所、寺沢ネコ人脈でもある。

左から宮田、赤沼、アンジー、バン、エリサ(敬称略)。
登山口でファイトコール・・・のまね。
さあスタート。

エリサ、バンチームはボルト、ハーケン等、行き詰ったときの逃亡キットをもっていないので、天狗山ダイレクトに行くと言っていたが、「まあ様子見て登れそうなところがあれば登ってしまえば?」とそそのかし、下部岩壁まで同行。
登山道で山頂を越え、少しおりたところから南面に下りて行く。ここは偵察の成果でまあまあスムースに下部岩壁に。
あらためて見ると下部岩壁は灌木も多く、すっきりしない印象。
下部岩壁の左稜、または左壁あたりのすっきりしたところを登るか~と岩場の基部に沿って左にトラバース。
でも、昨日の雨のせいかあんまり印象よくないんだよな。泥に足をとられて赤沼は二回もこけるし。

比較的岩の露出の多そうなところからスタートとする。あとでトラックログを見たらどうやら左壁の左稜あたりに取付いていたようだ。

一方エリサ、バンチームはここから引き返し下部岩壁を登ってみることに。

今回のトラックレコード。
天狗山南面を登ったつもりが、どこも傾斜きつくどろどろで、左に逃げて行った結果、左壁の左稜あたりから取付き、男山方面の尾根(登山道あるところ)の側壁あたりを登ったらしい。

岩壁基部をうろちょろ。昨日の雨でじと~っとしていて、よく滑る。さわやかな壁を求めてどんどん左へトラバース。

もうここ登るか!と離陸。壁はじとっと濡れてて、岩の組成も思っていたより脆い。泥に足をこすりつけながら高度を稼ぐ。
左上の立ち木のテラスを目指すのだ。
1P目終了点でビレイ中。
1P目終了点の宮田さん

この上は垂直悪絶フェース。一部人工を交えて垂直部を越えれば行けないこともないが、かなりのハードワークになるのはたしか。難しすぎないルート開拓を標榜するわれわれ向きではないな。

1P目終了点から真上の悪絶フェースを見上げてなぜか笑う二人

悪絶フェースは避けて左にトラバース。
左壁をさらにまわりこんだあたりでフェースに取付く。

2P目。組成が脆く外傾。昨日の雨で足場もどろどろ。

実はこのフェースの左側に灌木のルンゼがあり、そこに逃げれば苦労はしても安全に登れるのだが、ここまででも結構逃げのルートとなっているので、気持ちを奮い起こしてフェース部分を行く。
小さめのホールドの連なりを探しながら、右へ左へと弱点を拾ってルートを伸ばす。カムは小さいのがたまに使える程度。あとは気休めの小灌木とハーケン。ハーケンは2本打って、1本は回収できず残置。
技術的にはこのピッチが最難だった。

2P目をフォローしてくるアンジー。右に見えるスカイラインが左壁左稜かと思われる。

ところで、このピッチのリード中、苦しい態勢でハーケンを打っているあたりでエリサ、バンチームから電話がかかってきた。もちろん出られず2P目終了点から折り返すと、下部岩壁にトライしたが、ボルト、ハーケンなしでは支点がうまくとれず、下降して天狗山ダイレクトに向かったとのこと。あとで聞いたら天狗山ダイレクトから、われわれのハーケンを打つ音が聞こえたそうな。

さて最終となる3P目はこの壁。この写真はリードが終わったあと、アンジーをビレイする宮田さんを少し離れた岩峰上から撮影したもの。

二つのフェースにはさまれたルンゼの灌木で支点をとりつつ、右の壁を登ったり、左の壁を登ったり、ルンゼ内で垂直の木登りをしたり。

終了点で宮田さんを迎える。終了点で登山道に合流する。

宮田さんにとってはこういうクライミングになることは想定内。

アンジーも間もなく終了点

実はこのピッチをリードしながら、こんな泥臭いクライミングになってしまって、開拓クライミングがはじめてのアンジーに呆れられてしまうかな~と心配していたのだが・・・・

アンジーは「なんやこれ?なんやこれ?」と心のなかで呟きながらも、自然と笑いがこみあげてきて、幸せに登ってきたのだそうな。

というわけで、このルートは「なんやこれルート」となった次第。

ルートは合計3P。壁のコンディションが悪かったのもあって、逃げて逃げて、想定よりかなり左のほうを登ることになった。

使ったのはダブルロープ2本、カム小さめ数回、ハーケン2枚(1枚残置)、シュリンゲ多め

2023年6月10日のクライミング
取付き9時半~終了点12時半

山頂をもう一度越えて登山口へ。
そしてまだ明るい午後4時から宴会スタート。途中からまほちゃんも合流。

まほちゃんは山に近いこの地で働き、単身ネパールに行って山に登り、帰ってきたばかり。またしばらくはご近所で働くそうな。

さておじさんは10時半でダウン・・・したものの宴会時間はクライミングより長いね。そして女子チームは0時過ぎまで女子トークをしていたそうで。元気だね。

天狗山南面岩壁の偵察報告

天狗山南面はいくつものスラブ壁、リッジなどが交錯して複雑な地形を形成している。この中でクライミングガイドが開拓、整備した「天狗山ダイレクト」のみが頻繁に登られている。それ以外はネット情報を検索した限りでは情報が皆無なので、クライミング可能性を求めて偵察行をおこなった。

岩場構成について

天狗山南面を構成する岩壁群は複雑に入り組んでおり、それぞれの境界も明確ではないが、おおむね以下の岩壁群となる。(岩壁名は便宜上の仮称)

  • 天狗山ダイレクト
    天狗山山頂下の「上部岩壁群」から東南方向に伸びる岩尾根。人気ルート天狗山ダイレクトはこの尾根に沿って登り、途中いくつかのフェースを越える。
  • 天狗山ダイレクト側壁
    天狗山ダイレクトの南面の側壁群。地形が複雑でどこまでが側壁で、どこからが上部岩壁とは分類しにくい。いくつか支尾根状のリッジもあるようだ。登れそうなラインはいくつかあるが、下から見た限りではルートの状態予測が難しい。おそらく1ピッチ程度で天狗山ダイレクトに出るルートが多くなるように思われる。
  • 右壁
    天狗山ダイレクトの上部から右側に展開する岩壁群が、天狗山から東に延びる稜線(登山道)に沿って展開。急峻だが規模が小さい。
  • 上部岩壁
    山頂直下に展開する急峻なスラブ壁。天狗山ダイレクトの最終ピッチあたりでこの壁の右端あたりを登る。天狗山ダイレクトを開拓したクライミングガイドの佐藤勇介氏によると、上部岩壁にはひなばすビューという5ピッチ110mのルートがあるらしい。(天狗山ダイレクトの途中に木の札に書かれた情報があるとのことだが、誰が登ったかなどの詳細は不明とのこと)。垂直のスラブ壁左よりあたりを登っているように見える。
    上部岩壁の左端はリッジとなっており、比較的容易に登れそうに見える。
    下図は佐藤氏からいただいたひなばすビューの案内。天狗山ダイレクトを登っていくと、上部岩壁の部分を登る手前あたりにかかっている様子。
  • 下部岩壁
    上部岩壁の左稜取付きの下方に展開するスラブ壁で、左右の岩稜にはさまれた岩壁。左稜のさらに左にもスラブ壁があり、そのまま左壁とつながっている。左右の岩稜が比較的容易に登れそうに見える。その間のスラブ壁も弱点を選べばフリーで登れるかもしれない。
  • 左壁
    下部岩壁の左方に展開する岩壁で、2~3本の岩稜と急傾斜なスラブ壁からなる。案外と規模が大きく、登攀対象としても面白そうに見える。右方はそのまま下部岩壁へと連なる。終了点は天狗山から男山に向かう稜線の登山道のすぐ下あたりとなる。
  • 村境尾根側壁
    天狗山から左壁の終了点あたりを越え、男山に向かう稜線登山道の南側側壁にあたる岩壁が横に長く展開する。急峻だが高度差は大きくない。

各岩場の写真

偵察時のトラックレコード。

たった一回の偵察で岩場概念もよくわからない状態でやみくもに撮影してきたもの。GPSのトラックレコードの時間と、写真の時間情報を照合しながらどの岩場かを推定しているので、間違いもあるかと思う。雰囲気が伝わればよしということで。

馬越峠から天狗山への稜線を歩き、天狗山ダイレクト取付きへの下降路付近から見た天狗山ダイレクトの尾根。まずはここから天狗山ダイレクト取付きを目指す。正規の踏み跡より右寄りに岩壁を眺めながらのアプローチ。ちゃんと見ていないがクライミング対象となりそうな岩場は見られなかった。
天狗山ダイレクトの取付き。ここを左にまわりこんで偵察行は進む。この1ピッチ目は左にまわりこんで巻かれる場合もあるそう。
天狗山ダイレクトをまわりこむとすぐに側壁が眼前に。
ダイレクト側壁に沿って少しあがったあたりから撮影。左方に見えるリッジを撮ったもののようだ。下部岩壁のリッジ?
下部岩壁か?
天狗山ダイレクト側壁
天狗山ダイレクト側壁~上部岩壁の一部?
天狗山ダイレクト側壁したから上部岩壁方向を見上げる
天狗山ダイレクト側壁。この壁が上部岩壁につながるようにも見える。
沢のちょうど奥壁になるので、天狗山ダイレクト側壁か、上部岩壁の一部かいまいち判然としない。奥壁は青白いかぶり気味のフェースだが岩質は悪くない。
このあたりのフェースの弱点かと思い撮影。これを登ったら天狗山ダイレクトに出るのか、上部岩壁につながるのか・・・
上部岩壁の左稜
上部岩壁を見上げる
上部岩壁左稜?
下部岩壁終了点付近から左壁方向を見下ろす
上部岩壁左稜取付き付近
左壁上から男山方向
登山道(天狗山から男山に向かい、村境を越えるあたり)から見た、左壁のスカイライン(左稜?)
左壁のスカイライン。手前に村境尾根側壁が見える。
村境尾根側壁
村境尾根側壁
左壁左稜取付き付近
左壁左稜下部
左壁
左壁の全貌を撮影した動画(下部岩壁と言っているのはたぶん間違いで、左壁)
下部岩壁基部

各岩壁へのアプローチ

ピンクのラインは偵察で歩くことのできたところで、断続的に踏み跡がある。獣道も多いが、人跡も感じられる。おそらく何かの採取で入山した人のものではないか。

天狗山ダイレクト側壁~上部岩壁へのアクセスは、天狗山ダイレクト取付きを経由してあがっていくのが早い。

下部岩壁にアクセスするのは、天狗山の登山道を男山方面に進み、左壁上あたりから東南に入山(踏み跡が断続的にある)。上部岩壁取付きと下部岩壁終了点付近の斜面をまわりこんでいくとすぐに下部岩壁基部に到達できる。

左壁は村境尾根の岩場が終わったあたりから、側壁にそってやぶをこいでいけば早い。

最後にちょっとだけ吠えてみる

2020年の11月に、川上村の奥地にひっそりとたたずむ独立峰、五郎山の岩場に楽しい仲間と一本のルートを拓いてから、2年半ほどで派生ルートも含めると7本のラインが登られた。これで五郎山は一段落。
どれも「(自分にとって)難しすぎず、楽しく登れる」というコンセプトで登った。
未知のエリアでのルート開拓というと、どうしてもアルパインクライミング上級者の遊びと思われてしまうような節があるが、そうじゃなくて、それぞれのレベルに合わせて登れるクライミングのスタイルの一つに過ぎないのだと言いたい。

最低限、身を守る技術を身に着けたら、どこでも行ってみればいいんだと思う。行って、見て、自分のレベルで登れそうなところを登ってみて、だめなら下りてくればいい。最近とみに進化したGPS機器やアプリを持参すれば、自由度、安全度はかなりあがる。だめで敗退するときのためのボルトキットやハーケンだけは常に携帯。そうすれば自由で大らかで、うまくすれば静かで最高のクライミングができるかもしれないのだ。

こんな楽しみ方は、上級クライマーよりも筆者(山岳巡礼倶楽部、赤沼です)のような還暦すぎた元クライマーが、仲間と宴会やるための楽しい口実として登るようなスタイルにこそふさわしいようにも思う。

さて。
なんか楽しくなってきちゃったな~
五郎山の次はどこで遊ばせてもらおうか・・・・となったとき、すぐ思い浮かんだのが天狗山。
五郎山のアプローチでも毎度よく見えている大きな岩場の広がり。
でもなぜか天狗山ダイレクトしかみんな行かないみたいなんだよなぁ。
それで様子を眺めに行ってみた。
登ったら楽しそうなところあるよ、あるよ!
左壁なんてフリーの楽しいルートが何本か引けそうだし、下部岩壁から上部岩壁につなげたらマルチの登山っぽいクライミングもできそうだよ。
すげ~フリーのうまい人だったら上部岩壁とか天狗山ダイレクトの側壁なんかもおすすめ。岩は案外と固いし。

岩場へのアプローチも馬越峠から1時間もあればだいたいOK。

かなり楽しいお遊びフィールドだと思った。

自分だって天狗山ダイレクト以外はまだ登ってもいないのに、偵察結果をこうやって公開するのは同好の仲間がいたら嬉しいから。これ見て勝手に登ってもらっても構わないし、われわれもこれから登れるところは手をつけていくつもり。なんならご一緒もしましょう。

それで登ったら、できれば教えてください。ここの情報も一回ぐるっとまわってみただけのものだから、間違いが多いと思われます。そういうのも教えていただけたら嬉しいです。

五郎山、2本の新ルート

五郎山に2本の新ルートを追加してきた。
2020年の11月に五郎山ダイレクトという、五郎山では最初のクライミングルートを作って以来、2年半ほどで派生ルートも含めると7本のラインができたことになる。
これで「難しすぎず楽しく登れそうなライン」はほぼ登り終え、われわれの五郎山通いもいったん卒業ということとなった。

パートナーは五郎山ダイレクトで初めてロープを結んだ長友さん。
仕事が忙しくお疲れモードで、土曜はお休み。日曜だけで2本を登った。

マキヨセ本峰リッジ

右側スカイラインがマキヨセ本峰リッジ

マキヨセ主峰の南面に落ち込む顕著なリッジで、この写真は登山道を西側から登ってマキヨセの稜線に出たあたりからのもの。登ったのはスカイラインの少し向こう側。

マキヨセに向かう登山道が、マキヨセの南面岩壁にあたったところから岩壁基部を右にトラバース。
100メートル程度(?)で顕著な本峰リッジの取付き。

マキヨセ南面の岩壁基部をトラバースすると、すぐにそれとわかるマキヨセ本峰リッジの下へ。上に見えるピラミッド状のピークが特徴。

リッジを少し回り込んだあたりを取付きとする。

渾身のじゃんけんに勝った赤沼リードで離陸。

正面は迫力ある岩壁だが、右から巻き込んでいくと若干組成の弱い感じはあるものの、3級程度の簡単なクライミングであっさりと特徴的なピラミッド状のピークに到達。それにしても素敵な景色、素敵なシチュエーション、快適で難しくないクライミングに幸せ気分が盛り上がる。癒し系クライミングの極みですな。

ピラミッド状ピークでビレイする赤沼

良いとこどりしてゴメンね。長友さん。

ここからは数メートルの簡単な岩稜で樹林に飛び込んで、すぐにマキヨセ主峰。思ったより簡単なクライミングでした。
1P目40m 3級 2P目20m 2級といったところ。

ルート取付き、5月21日9時15分、終了10時20分。約1時間の軽いクライミングでした。

五郎山南壁トラバース満喫ルート開拓

さて。西側からの見た目で結構大変なクライミングを想定していたものの、あっさり1時間のクライミングで終わってしまったマキヨセ本峰リッジ。もう1本登ってしまおう。
この地域(五郎山、マキヨセ一帯の岩場)で、「必然性があって難しすぎないライン」といえばあと一つ。
五郎山南壁のダイレクトどまんなかルートの間の大きなフェースだ。

五郎山ダイレクトと南壁どまんなかルートの間には、気持ちのよさげなフェースが展開しているが・・・・
下部が陰惨で急傾斜の垂壁帯。苔と水滴と闘いながらかぶり気味フェースでのクライミングをしたいか?

それはもう特殊な好みの人たちにまかせるとして、癒し系クライミング愛好家のわれわれのターゲットからは完全にはずれますな。

ちなみにどまんなかルートの右側にも素敵なフェースがあるように見えますが、上図のお絵描きが下手なのもありまして、このへんはあっさり1Pで登れそうなしょぼい系フェースなんです。まあこのあたりは将来暇なときに遊びにきてもいいんですが、当面のターゲットからは除外。

下部の垂壁帯を避けて、どまんなかルートの途中から左にトラバースして、上部だけを登ろうという作戦で、どまんなかルートからスタート。
長友さんリードで離陸。

どまんなかルート1P目終了点となるハング下テラスまでロープを伸ばす。

2P目は赤沼リードでいよいよ左のフェースに向かってトラバース。カンテの向こう側はどうなっていることやら。

カンテを廻り込んだ先はビレー点からは見えない。カンテを廻るあたりがホールドスタンスに乏しい、露出感のあるポイント。

カンテの先は上に見える終了点のテラスに向かってフェースを左上していく。

終了点となる広く気持ちのよいテラスに長友さんも到着。

ダイレクトルートの終了点でもある気持ちのよいテラスでしばしまったり。

さあこれで五郎山でのクライミングも一段落。山頂でも踏んでおりるか~というところだったが・・・・長友さん、今のピッチがお気に入りのようで、今度はリードで登りたいと。

てなわけで懸垂下降でおりて、また登って、今度は赤沼フォローで再度テラスに到着。

どまんなかルートの派生ながら、とても気持ちのよいトラバースを楽しむことのできるラインなので、トラバース満喫ルートと名付けた。

1P 20m4級(どまんなかルート) 2P 40m 5級(オリジナルのトラバース&テラスにあがるライン)

保護中: 2024年山遊び企画メモ

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八ヶ岳・東ギボシ西壁ルンゼ偵察行

2015年の冬、西岳から遠望したギボシの西壁。
そのどまんなかに食い込む真っ黒なルンゼがターゲット。
登攀記録のないこの壁にまずは無雪期にルートを一本開拓し、山巡ルートとした。無雪期のルンゼ自体はあまりにも脆く、最初の垂直部を越えたあと左のリッジに移り、これを登った。最初の垂直部以降、ルンゼは急峻なガレ状に見えた。

垂直部が凍結するか、雪で埋まった冬期なら登れるかもしれない。
条件が揃えば簡単に登れるし、条件が悪ければ登攀不可能。そのどちらかだろうと予想。
東ギボシ山頂の手前稜線から歩いておりれば簡単にアプローチできるが、どうせ登れるかどうかわからないなら、立場川の支流ノロシバ沢を詰めて下から行ってみたい。

それにしてもノロシバ沢って情報少ないね~。
クライマーの間ではわりとよく知られた「バリエーションしましょ」というブログに、冬に登った記録がでていたが、12月で雪が少なく、凍結も甘く、苦労して稜線に抜けた様子。ちなみにブログ主さん、この登攀をした直後に甲斐駒で亡くなってしまったらしく、許可のとりようもなく勝手にリンク張ってしまいました・・・ご冥福をお祈りします。

今回の相棒はYCC(ヤングクライマーズクラブ)の家口さんと、田丸さん。山も酒もパワフルな二人。決して若くはないが・・・・
金曜夜、家口さんの車で北杜市のわが家に移動し、深夜の宴会。
翌早朝まだ暗い船山十字路の先まで車で移動。

いや、水流れてます。
ここのところ大きな寒波もきておらず、凍結状態が心配だったが、この時点であきらめモード。
まあ旭小屋まで行って、状態見て、だめそうなら立場岳でも往復してくるか・・・・と出発。

水の流れる立場川を渡渉して対岸に渡ると、林道があり、踏み跡はないものの、旭小屋あたりまでこれを辿ることができる。

立場川本谷をつめる。踏み跡はまったくなし。
足首からひざ下程度の軽いラッセルだが、水流部は5cm前後くらいの凍結状態で、下を水が流れているところも多い。
ときおり踏み抜いてドボンするし、歩きづらいことこのうえない。

唯一、堰堤にできた氷瀑でアイスクライミングのまね事。氷が硬すぎて結構怖い。

氷の踏み抜きドボン、要注意!

何度かドボンして、濡れた足回りがあっという間に凍り付きながらも意に介さず、パワフルなラッセルで先行してくれる家口さん。いや~助かるわ~。
ちなみにドボン王者は家口さん。次が田丸さん。赤沼はドボンなし。

どうやって越えよう・・・怖いこわい。

快晴無風で気温は低め。マイナス15度くらいかと思われる。
年齢には勝てず寒さ耐性がかなり落ちてます。
若いころはフリースの上に、ダウンなんか着て歩いてたら大汗かいてたもんだけどな~。

ノロシバ沢に入ると水流が減って、全面凍結。安心して歩けるようになった。

この日は日帰りで行けるところまで行って、下山の時間を考えて11時になったら引き返すということにしていた。
この時間内で、あわよくばギボシ西壁ルンゼを登ってしまおうかなんて考えていたのだが、まったくの計算違い。11時時点でノロシバ沢の4分の1程度くらいまでしか行けず、ここでタイムリミット。
残念ながらギボシの全景も見られず引き返すことに。

でもまあ偵察行としては、だいぶ雰囲気がわかったのでOKとしよう。

  • 完全凍結していないとアプローチがかなり厄介。寒波のきたあとを狙うべし。
  • 雪すくなく中途半端は歩きにくいのなんの。あったりまえか~。
  • 雪多すぎるとやっぱつらいよね。あったりまえ。
  • 雪が締まってないとつらいよね。あったりまえ~。
  • つーことは、やっぱ3月あたりの冷え込みのあとを狙うのがいいかね。まあ最初からそうだとは思ってたけどさ。
  • 立場川もノロシバ沢も、とりあえず到達した範囲では氷瀑らしい氷瀑はなし。上部に少しはあるらしいが、技術的問題はなさそう。
  • アプローチは思ったよりだいぶ長い。日帰りで行こうなんて考えが相当甘かったらしい。ノロシバ沢出会いあたりでテント張って、2日行程くらいは必要と思われる。
  • ギボシあたりを遠望した感じでは雪があんまりついてない。これもやはり3月あたりの雪がそこそこあって、締まった時期がよしとの結論になりますな。
水流の横を溜息つきながら下山する田丸さん。動画です。音が出ます。
今回のトラックレコード

当然の打ち上げ。下山は案外早く、午後3時~5時で1次会。一回昼寝して午後8時~午前2時前に至る2次会。3人で2升をコンプリートしました。わたしゃ酔っぱらって、iPhoneをストーブで焼いちゃった。ケースが焦げただけだけど・・・・

西上州・3岩峰の一筆書き登頂(鷹ノ巣岩・碧岩・大岩)

11月最初の週末は、長友さんと山に行くという約束だけがあった。
高山は寒いし、雪山には早い。
(赤沼「この時期はやっぱ西上州あたりの岩峰でクライミングかね~」
(長友)「西上州のクライミング、行きたかったんです!」
(赤沼)「どこか登りたいところある?」
(長友)「あのエリアはまだ妙義と大なげしあたりをちょろっと登ったくらい。西上州らしい岩峰やりたいっす。」

西上州らしい岩峰と言えば、立岩、碧岩、毛無岩、鹿岳あたりかね・・・

(赤沼)「じゃあまず入門ルートとして碧岩の西稜あたり?」
(赤沼心の声)「これならちょろいし、早く帰って宴会できるぞ。うししし」
(長友)「実は手術前(手の怪我で入れていたプレートを抜くらしい)最後のクライミングになるかもしれないので、赤沼さんを使い倒したいっす。」
(赤沼)「碧岩の既成ルートじゃ物足りないのね・・・そーいえばさ~、碧岩のすぐ近くに鷹ノ巣岩があって北稜は長いけど何度か登られてるみたい。そっちのほうがいいか?いや、いっそのこと連続登攀しちゃう?なんならその先にほとんど記録のない大岩って岩峰もあるから一筆書きで登っちゃう~?」
(長友)「それそれっ!やりましょう!」
ネットリサーチのあと・・・
(長友)「でも既成ルートあるところ登って歩くと、コースがジグザグになってしまって美しくないですね~」
(赤沼)「誰が既成ルート登ろうって言ったの?やるなら直線でしょ。ルートなければ作ればいい。鷹ノ巣岩の北稜登って、そこから碧岩に向かって東稜おりて、碧岩は西稜にルートあるからそれ登って、東稜おりて、さらに大岩に西から登れば直線で一筆書きできるよね。」
(長友)「Go! G0! ごぉ~~~~~!」

ルートのイメージ

(赤沼心の声)「しまった・・・・長友さん焚き付けてしまった。この3つの岩峰、それぞれが一日コースじゃん。山中ビバークで全装備背負って登るのつらすぎるな~。じゃあ荷物軽くして日帰りで、だめなら途中でおりてきちゃおう~そしたら宴会、うしししし」
(赤沼)「せっかく3つ連続で登るなら、日帰りでやっつけよう。スピード登攀もたまにはいいんじゃん?」

まあこんな感じの、赤沼の上から目線な対話があってルートが決定。

かくして情報の比較的少ない西上州の岩峰3つを、だいたいのラインだけ決めて、ルートファインディングしつつ、ルートがなければ開拓しつつ、しかも日帰りで終わらせるというハードル高めのプランができあがった。

さてそうなるとテーマは

  • 一日で終わるためにいかにスピードをあげるか。ルーファイに時間をかけない、ロープを使うのは最小限に、支点も必要最小限に、ロープワークの迅速化など。
  • ルートはなるべく3峰を直線的に結ぶことだが、地形を見て必然性のないラインは選ばない。
  • 長友さんは赤沼より早く歩いてはいけない。

【鷹ノ巣岩北稜】

写真は、碧岩方面から振り返った鷹ノ巣岩。右のスカイラインが北稜。

鷹ノ巣岩北稜はネットで検索すると、主に西上州のクライミングを愛するヲタククライマーを中心にそこそこ登られているらしい。
群馬県南牧村の観光地、三段の滝の駐車場から熊倉川を少しだけ上流に登ったところから取付き。日の出とともに取付くつもりが、林道の通行止めで迂回させられ1時間ほどのタイムロス。6時20分出発。すでに陽はだいぶ登っていた。

樹林の急登を行くと、草付きや灌木の混ざった岩場が出始める。

急登なので下界があっという間に遠ざかる。
鷹ノ巣岩本峰までにP1, P2という二つの岩峰を越えて行く。P1につくと鷹ノ巣岩本峰がだいぶ遠くに見える。

それなりに岩場も出てくる。
だいたいの岩場は木の根や草付きもホールドにしつつ、ノーロープで登っていく。途中3~4回ロープを出して鷹ノ巣岩に到達。

P2から鷹ノ巣岩
いやらしいところはロープをつけて。リードはすべて長友さん。
こういうのがかなりいやらしいクライミングになる。
鷹ノ巣岩、9時20分。3時間の登攀。

【鷹ノ巣岩東稜下降】

鷹ノ巣岩から東に向かって、碧岩、さらに大岩を目指す。

鷹ノ巣岩東稜もきりたったリッジ。リッジのすぐ南の急斜面を懸垂下降していく。

【動画】最後は若干かぶり気味のリッジ末端を懸垂下降。
沢が見えたら樹林の急斜面を歩いておりる。

この下が三段の滝上流の沢で、そこから少し対岸にあがると碧岩西稜の取付き。三段の滝上到着10時20分。下降に1時間かかった。

【碧岩西稜】

碧岩西稜は今回のラインの中では一番のポピュラールート。ガイド登山で来る人もいたりして、時には順番待ちが出るほどらしい。混んでるといやだな~

碧岩西稜取付きのコルに向かう。

三段の滝を見学に行ったりしてゆっくり休み、碧岩西稜取付きは10時45分くらい。

先行パーティーが1組いたものの、われわれがノーロープで登っているのを見て、快く先を譲ってくれた。3級程度の岩稜+木登りで飛ばしていく。
今朝登ってきた鷹ノ巣岩を振り返る。右のスカイラインを登り、こちら側のリッジすぐ左側をおりてきたわけだ。
【動画】碧岩西稜をフリーソロ中の長友さん
碧岩山頂すぐ手前の岩場は1Pだけロープを出したいと長友さんが主張。

時間かかって面倒くせ~な~と正直思ったが、実はこれが理想のパートナー。

彼は体力、精神力、登攀力ともに抜群だが、若干チキンな部分あり。
ただ自信があったり、格好つけて突っ込んで来られたんじゃあ危なくて一緒に登ってられないが、怖いときに怖いと言って一歩も引かない冷静さ、頑固さが頼もしい。格好つけないでいられるってすごく格好いい。

お昼の時報と同時に碧岩山頂に到着。

碧岩西稜は約1時間15分での登攀。

鷹ノ巣岩を振り返る。あそこを登っておりてきたか~と感慨しきり。

でもまだ先がある。

【碧岩東稜下降~大岩西稜】

碧岩東稜下降のはずなんだけど、正確に東は切り立ったフェース。

そこを無理におりる必然性は何もないので、少し傾斜の緩い南によるとそこは一般登山者の踏み跡。
のはずなんだが、ロープが張ってあったりはしてもやけにやばいぞ。
ロープ持ったままふられそうなリッジの下山。

結局一番必然性のあるラインには一般(篤志家)登山者向けの踏み跡があり、赤沼は「これ行っちゃえばいいんじゃない?」と言うが、長友さんは「一本北の尾根に入ればより直線的で美しいラインになるはず」と譲らず、楽させてもらえなかった。

西の尾根から大岩を望む。


またまた道なき道を歩き、軽めの岩稜を行くと先ほどの踏み跡に合流して大岩山頂に到着。13時。ほぼ歩きで1時間の行程。
大岩西稜は岩稜部分もあって登れないこともなかったが、はっきり言ってただの崖。あえて登る理由もなかったので歩いてすませた。

大岩山頂
碧岩方向に下山開始。

【写真ギャラリー】

紅葉の尾根を行く長友さん
なに喜んでるんだろ?

さて大岩からの下降は北面のフェースをおりるつもりだったが、道中に忘れ物もあり、碧岩の南面を巻いて三段の滝に至る踏み跡を利用することにした。
三段の滝経由で登山口駐車場着が15時15分。
9時間弱で3つのピークを登って帰ってくることができた。

【装備メモ】

二人とも運動靴とクライミングシューズを履き替えながらの行動。長友さんは急斜面で運動靴にチェーンスパイク装着。赤沼は面倒で靴のまま行動。
ロープはダブル2本。シュリンゲ多数とカム数個。ハーケンは1枚使用後回収。
懸垂下降はすべて灌木利用。

前穂高岳・下又白谷山巡稜下部フェース(F1左壁)

57年前(1965年)の8月に山岳巡礼倶楽部の先輩たちが登った山巡稜を再登しようと出かけた。

山巡稜は下又白谷下部本谷のF1手前の左壁(右岸岩壁)から、ひょうたん池に至るリッジで、下部はF1左壁のいやらしいスラブ壁を攀じ、上部はやぶ尾根を登ったものと思われる。

このルートは昭和37年(1962年)から昭和40年(1965年)にかけて、倶楽部をあげて行った下又白谷研究の一環として登られたもの。
山岳巡礼倶楽部の会報「GAMS」30周年記念号に掲載された記事に、1965年8月7日から8日にかけてこの山巡稜を登ったとの記載がある。
この時、「人間が見ることが出来なかった下又白谷の全貌が明らか」となり、「茶臼菱型岩壁、菱型右方ルンゼ(筆者注:今は菱型ルンゼと呼ばれている。)の発見」をし、さらに下部本谷の壮絶な滝群に目を瞠り、今後の研究テーマとしたようだ。

山巡稜下部フェース(F1左壁)の登攀は悪戦苦闘の連続だったようで、1965年8月7日はF1の落口と同高度の広いテラスまで登り、ロープをフィックスしたベースキャンプに戻り、翌日8日に途中まで「投げ網やザイルシュリンゲ等を使って登り切った」が、「そのうえは何一つないテラテラスラブに行手をはばまれ」、「アイスピンを打ち込」んでザイルトラバースのすえ、「モロくなった岩角をたよりに、リッジを廻り込んで、ガリーに入り」灌木帯に入ったとある。

さて山巡稜の再登計画である。
下又白谷にはだいぶ通って、下部本谷、F1洞穴ルート、菱型ルンゼ菱型スラブ(各スラブ合計3本)上部一尾根第一支稜(ウエストンリッジ)下又白谷奥壁と登ってきた。だが山巡稜はいやらしい露岩とかったるいヤブ尾根というイメージがあって、なかなか食指が向かなかった。

でもここまでくると、あの立ち位置から下又白谷下部本谷や上部の岩壁群を眺めてみたい。なにせ下又白谷登攀の歴史はここから始まったといってもいいのだから。

そういうわけで重い腰をあげた。
パートナーはひとまわり以上若い友人、長友さん。
赤沼のウエストンリッジの記録を読んで同ルートを登ったうえで連絡をくれた。意気投合して最近いくつかのクライミングを共にし、そして今では貴重なパートナーとなった。
やぶ上等、脆壁上等の頼もしいクライマーだ。
不運な事故で右手をつぶしてしまい、まだ治療中。でも登りたいらしい。なら行っちゃおう。

登ったのは2022年10月15日土曜。
長友さんは帰りのバスに間に合わなくても宴会ができるよう、上高地にテント、食料、酒をデポして行こうと主張したが、赤沼は「山巡の先輩が1960年台の装備と技術で登ったルートだよ。半日で終わって帰れるんでない?」と・・・つまり荷物軽くしたいのと、かなり甘く見ていたこともあるわけですな。

登攀具とお弁当だけ持って下又白谷本谷からF1へ。
ないだろうと踏んでた雪渓はまだ少し残っていた。

どうどうと水流を落とす大迫力のF1。その上の、左方向に伸びるスカイラインが山巡稜。つまりF1の左壁のどこかを登らなければこの稜には乗れない。

さあどこから取付くか。

F1左壁(この上のやぶ尾根にたどり着きたい)

赤沼はF1を過去に数回越えている。いずれも下部本谷や菱型スラブ、菱型ルンゼなどへのアプローチとしてだ。
雪渓の状態次第で、毎回ルートが異なる。
雪渓のない時期は左の岩壁を適当に登って、F1落ち口までバンドを拾ってトラバースをしていくのが良策。山巡稜に取付くにはF1落ち口の手前あたりから直上して藪に入ればいいだろう。

雪崩で磨かれたスラブは比較的硬いが、傾斜の緩いところはすべて土砂が堆積していて足場がない。
ごまかしごまかし無理矢理登っていく。見た目よりずっと悪い。
土砂の堆積したバンドをトラバースして弱点を探す。弱点とはいえ、垂直部をいくつか越えないと上には行けない。スラブ状の岩にはカムはあまり使えず、ところどころハーケンでプロテクションをとっていく。
うすかぶりのスラブを越していくと、見覚えのある洞穴がすぐ上にある。赤沼がはじめてこの壁を越えたときに拓いたルート(F1洞穴ルート)に、また寄ってきてしまったらしい。(写真上のハング下が洞穴状のテラスとなっている。)

洞穴ルートを拓いた際にはこの上のスラブで行き詰り、かなり怖い思いをしている。そこだけは避けたい。

1ピッチ目をフォローする長友さん。
傾斜の緩いところには土砂が堆積しているので、ホールド、スタンスは掘り出しながら登る。

2ピッチ目。
さて洞穴は避けたい。右のスラブは傾斜がきついが、岩はよく磨かれていて硬い。難しいフリーになるかもしれんが突っ込んでみるか・・・と、ボルト工作をはじめてみる。バランスをとるためにハーケンの先だけ浅いリスに打ち込んで、タイオフでビレーをとるが、ほとんど効いてない。

打ちながらこの上の様子を見るが、てらてらのスラブ上ではボルトは打てまい。次の支点がとれそうなところまで10mはランナウトするな~

ちと怖気づいて、ボルト工作は中止。
しょうがないので洞穴を目指す。

洞穴下までトラバースをしたはよいが、ここかぶってるね。
ハーケン1本効かせて突っ込むがかなり難しい。
ハイステップでやっと立ちこんだ足と岩の間にシュリンゲが入ってしまって、一瞬パニくりそうになったが、なんとか立て直し洞穴に突入。ほっ。

3ピッチ目。
洞穴はハングになっているので、右を越えるか、左を越えるか。
前回は左を行って大変な思いをしたと記憶している。
迷わず右へ。

と言っても右もかぶったフェースを越えないとその上のスラブには入れない。

ここもハーケン1本効かせて、フリークライミングちっくなムーブでスラブに立ちこむ。

なんとかスラブに入ったが、スラブと言ってもこの傾斜。
上に見えてるのが洞穴の屋根。つまりオーバーハング。

洞穴上のスラブを登って、F1落ち口につながるバンドに出た。
写真は洞穴上のスラブをフォローする長友さん。

F1左壁(前壁)の悪絶ぶりが感じられる写真をもう一枚。長友さんがまもなくバンドにつくところ。

3ピッチ目終了点でビレーする赤沼。
赤沼の真後ろがF1の落口。
ここからF1に行かず直上して上部のやぶ尾根に入ろうという作戦。

3ピッチ目終了点にはリングボルトが2本残置されていた。
自分が昔打ったものか、57年前のものか、それとも誰かが来たのか。
このほかにもかな~り昔風のハーケンやらボルトもあった。

4ピッチ目。
F1にはいかず、真上のやぶ尾根を目指し直上。
傾斜は強いがもうすぐ岩場はおしまいなので、気合を入れて行く。

最後の部分がどこを見てもかぶっている。
右のリッジをのぞき込むがやばそうなので、灌木のある真上を目指す。

このあたりがルート中最難。
このあとピッチの最後は灌木が1本あるハング。
持ってきたあぶみをかけたくなるが、この灌木が唯一の支点なのでフリーで頑張って小テラスへ。もうすぐそこがやぶ尾根だ。

4ピッチ目終了点。やぶ尾根はもうすぐそこ。

だが、だが、だが!

なんと赤沼がどこかで携帯を落としたことに気が付いた!
3ピッチ目終了点ではカメラとして使ったので、落としたのはこのピッチだ。

時刻はもう午後1時をまわっている。
ここまでは緩いラインでも探して朝のうちに来るつもりだったんだが・・・

「長友さん、ごめん!ここから降りていい?」
「いや~実は手の傷も痛み始めてるし、でもこちらから降りようとは言えなかったっす」

みたいなやりとりがあって下山確定。

携帯は3ピッチ目終了点あたりのブッシュで発見。無傷でした。

すごすごと懸垂下降

そんなわけで、山巡稜のトレースはならず。

でもかなり楽しい4ピッチの登攀だった。
いや山巡のじいさんたち(先日メンバーのひとりは亡くなった・・・・てか登った当時は若者だった)やるね~
というかこっちが今現在、彼らが登ったころよりずっとじじいじゃん。

もっとも57年前の登攀は8月なので、壁の半分くらいは雪渓が達していたかもしれないし、どのラインを登ったのかは結局よくわからなかった。

さて。われわれの登ったラインだが、途中にハーケンやらボルトの残置もあり、自分自身も含めて登っているのはたしかで、もちろん初登攀とかではない。

ただ岩登りのルートとしてはかなりユニークな特性を持ったものだとは思う。

まず美しく壮麗なF1の存在を常に感じられる登攀であること。
前壁や対岸の岩場の凄絶としか言いようのない迫力もまたひとつのエッセンスと言える。

そんなわけで岩登りのルートの一つとして(敗退記録としてではなく)紹介しておきたいとは思う。

上は長友さんが書き込んでくれたルート概要。
全4ピッチで各ピッチに最低一か所ずつ傾斜の強いうすかぶりスラブ壁があり、ネイリング技術、ルーファイ力、それになんとかごまかして登る突破力が必要とされる。(クライミング力とは言わないところがみそね・・・へへ。)

帰りの道中、グレードについて話し合った。
クライミングのグレードって主観以外ではありえない。
フリークライミングでよく使われるデシマルグレードは「ムーブ」だけを評価したものだと聞いた。

それって、今回のようなクライミングでのグレード評価にはなじまないよね。次登る人がいて、そんなグレードには何も伝えるところがないし。

じゃあグレードに怖さとか、ネイリング技術とか、ごまかし方?とか、脆さとかの要素を加味していいの?

てなわけでぐだぐだと話し合った結果、「全ピッチに最低一か所は5.9-5.10のムーブはあるし、4ピッチとも全部6級ってことでいいんじゃね?」てなところに落ち着いた。

誰か登って「4級しかね~よ」と言われても反論はしません。でも気を付けて登ってね~

使用ギアは:
ハーケン、アングル、薄刃など多数(懸垂用以外は回収)
ボルト使用せず
カム、1セット弱持参し使ったが全体に効きは甘い
残置ボルト、ハーケン等見つけたものは使用
50メートルダブルロープ2本
4ピッチに約4時間かかった。

霞沢岳の情報(ヤマケイ410号)–東斐山岳会の投稿から–

辺地辺境クライマーのバイブル「日本登山大系」。その霞沢岳の項を執筆したのが山梨の東斐山岳会。
沢の遡行図や概略図などを含めて6ページの記事で、沢渡あたりから六百山までも含めて紹介されており、岩登りに関しては八右衛門沢の右岸側壁が唯一対象となり、いくつかの山岳会によってかつて登られたとのみ記されている。
参考文献として「山と渓谷」410号, 1972年11月号と記載されている。
2年間にわたって霞沢岳の地域研究に取り組んだ、東斐山岳会の記事が投稿されているということらしい。幸い、古本屋で入手することができた。紙媒体とともに情報が失われていくのはもったいないので、せめて概略だけでもここに記しておきたい。(まあこのサイトもいつ消えるかわからんのだけどね・・・)


山と渓谷410号、「地域研究 霞沢岳–北ア最後のバリエーションルートを求めて」(東斐山岳会の投稿)の記事まとめ

【概略】
概略としてまず、霞沢岳の範囲を沢渡付近から六百山までをも含む大きな領域を対象としていることが記載されている。
梓川右岸の穂高をはじめとするメジャーな山にばかり登山者の目はむいていて、この「地味なそれでいて荒々しい男性的な山の食い込む余地はないらしい」と皮肉っぽく書かれている。
こんな時代からさえ、静かな山を愛するクライマーのミーハー登山者に対する皮肉な気持ちが変わらないのだな~と読んだが、記事内でさらに以前にも同じような感慨をもってこの山に臨んだ登山者がいたとわかった。

【登山史】
律儀な昭和の登山者らしく、よく調べてまとめてあるので、以下に抜粋しておく。西暦を付記しておきます。

明治35年8月(1902)
小島烏水 岡野金次郎
霞沢を遡行して、霞沢岳と徳本峠間の尾根を乗越、白沢を下降して上高地に入った。霞沢岳には立ってないと思われる。
明治43年7月、44年7月の2回(1910,1911)
辻村伊助
徳本峠を越えて上高地入り
大正2年8月(1913)
上条嘉門次 ウエストン
八右衛門沢から霞沢岳登頂
大正5年8月(1916)
田中薫
写真撮影のため登頂
昭和5年7月(1930)
慈恵医大山岳部 吉田幸雄 高木文一
三本槍を登攀
昭和16年1月(1941)
一高旅行部 中村徳郎
三本槍を登攀
以降昭和30年台くらいまでいくつかの同様の登山がなされているらしいとの記載
昭和31年6月号山と渓谷誌
石渡清筆「高見光太郎と山」より抜粋
(高見光太郎が)懐かしそうな目付で上高地の景色を、あれこれと、回想している風情だったが、
「だが、霞沢岳に登る人はすくないだろう」と言われ、「あの山は、たしか峯が三つに分かれていた。いい山だが。・・・登る人はすくない方がいいね」と、半ば、山岳の美に接した想いでによってでもいるような口吻だった。
私は、その時、霞沢岳は、上高地入りするちかごろの若い人達には、ひょっとして見落とされており、それを仰望することさえもしない者が多いかも知れないと想った—
昭和39年頃から(1964-)
東斐山岳会の記事から抜粋
霞沢岳の名が山岳雑誌に現われ出したのは、昭和39年ごろからであろう。東京都庁山岳部やグループ・ド・モレーヌが、そのころから記録や案内を雑誌に発表し始めたのである。そのほかに東京白稜会、信州大山岳部、松本登高会、富士電機山岳部、国土地理院山の会などが、霞沢岳のバリアンテを登ってきたようである。

特に、それらの中でも昭和37年暮から38年正月にかけての都庁山岳部の東北尾根、グループ・ド・モレーヌの六百山からの積雪期霞沢岳登頂は、非常に珍しい記録であると同時に、霞沢岳の登山史に残る貴重なものであろう。
昭和46年春(1971)~47年春(1972)
東斐山岳会による集中登山
霞沢本谷、南尾根、産屋沢、千丈沢、無名沢、八右衛門沢、三本槍沢、中畠沢、六百沢、白沢にターゲットを絞り、全部で18ルートをトレース。

前章の最後に「登攀上の注意」が記載されている。
曰く、
● 霞沢岳は一般ハイカーには無理
● 唯一のポピュラールートは八右衛門沢だが、稜線は無雪期にはハイマツがびっしりと生えていて大変である。
● 岩場のルートはとにかくもろい。取付きで硬くても上部はほぼ風化してボロボロになっている。ハーケンが効くかどうか疑問である。
● この山を訪れる人は少ない。静けさを保ちたいが、静かな登頂を願う人、登山に原始の息吹きを求める人たちにはぜひとも登ってもらいたい。登るに値する山だと信じている。

登山の記録

この記事をもとに日本登山大系の記事を書いたと思われるが、情報を整理して書き換えたらしく、各部が微妙に違うのでこちらの記事はこちらの記事で、かなり大雑把な要約のみ記載します。
概念図、遡行図などは記事より勝手に拝借しました。

南尾根

この山の主脈は六百山から霞沢岳を頂点として沢渡に至る尾根だ。
北側はアルペン的要素が強く、尾根も稜と呼ぶにふさわしい形をしている。南側はハイマツこぎの苦労は多いが開放的である。
南尾根は南側の典型で、腰までの笹と背丈以上のハイマツに覆われている。積雪期はラッセルの連続となり、夏冬ともにかなり覚悟のいる尾根である。
記録:
昭和46年8月11日~13日
冬期 昭和46年12月28日~昭和47年1月2日(おそらく冬期初登)

蕨沢

昭和46年5月の記録:
坂巻温泉と中の湯の中間くらいに出会う沢。
出会い付近は沢幅狭くしばらくゴーロが続く。
F4が最初の悪場。左から巻き。
雪渓がでてきて、F5も巻き。
アイゼンをつけて雪渓のうえを歩く。
つめは雪崩の危険を避け、露出したハイマツ帯を選んで登る。

産屋沢

昭和46年8月の記録
小梨平から歩いて入渓。「うぶやばし」の橋名で位置確認。
F4あたりからが核心。

千丈沢

昭和46年8月の記録
出会いから二股よりも、二股から稜線にかけて並ぶ急峻な稜に登攀価値がある。山頂から二股に落ちる稜が一番長く、しかも傾斜が強く手ごわいように見える。

昭和46年5月4日 千丈沢奥壁第一稜
水量は豊かだが、F7から上は雪で埋まっていた。
二股先から枝沢をひとつ見送り、雪の斜面とダケカンバの樹林を登って稜に取付き。樹木の切れた雪稜から稜の右側ルートで、頂上直下からはハイマツ帯となる。

昭和46年5月4日 千丈沢奥壁第四稜
第四稜末端の枝沢から取付き。雪の斜面を登る。
稜は狭くナイフリッジとなりアンザイレンしたが悪い雪壁となり、避けて登る。ここから4ピッチで雪面の氷化した背の低いハイマツ帯となる。

無名沢

昭和46年8月の記録
田代池正面の細い出会いから取付く。
前半は沢が狭く切れ込んでいる。

八右衛門沢

出会いから主稜線に至るまで滝らしい滝もなく石ころだらけの沢。
霞沢岳へのもっとも近いアプローチとして利用されている。
帝国ホテルの斜め前に出会いがあって、そこから霞沢岳の頂上まで片道3時間30分ほど。
三本槍沢との出会いから上は右岸側壁があって、落石が多い。
沢の上部で右股と左股にわかれる。左股は主稜線直下のハイマツ帯のなかにはっきりとした踏み跡がある。右股のガレ場より楽に稜線に抜けられる。
残雪期には急な雪の斜面となる。右岸側壁の奥から大きな岩と雪崩が出てくる。

八右衛門沢右岸側壁

八右衛門沢に入ってしばらく行くと正面に黒々としてゴツゴツした岩峰を見る。下流からは一部しか見えないが稜線から見るとそのスケールの大きさがわかる。
霞沢岳から六百山に至る主稜線から派生した壁で高度差300mほどと思われる。
三本槍沢上部の1ルンゼから主稜線直下の7ルンゼまでを確認。
岩の質は非常にもろくて、どこのルートも自然落石と自分の引き起こす落石に常に神経を張り詰めている必要がある。ルンゼは逃げ場がないので注意。
そのうえきわめて不安定な岩でハーケンやボルトもあまりたよりにならない。
登攀ルートとして考えられるのは、三本槍沢出会いの上部から数えて7本のルンゼとその奥壁、ルンゼとルンゼの間の岩稜、上部に大小のピナクルを持つフェースなど。
ルンゼの登攀は雪の有無で異なるだろう。
登攀を終わると上部は不安定な岩と土の混じった細い稜線とヤブとハイマツをこいで霞沢岳と六百山を結ぶ主稜線に出る。
下降路は5ルンゼは急斜面ではあるが可能。
一般的には八右衛門沢の左股を源頭から下るのが無難。

以下、各ルートの概略と記録とある。
つまり全部を登っているわけではなく、岩場の状況説明と記録の混ざった記事のようだ。

▼1ルンゼ
三本槍沢の出会いのすぐ上が取付き。
ルンゼの中央部のオーバーハングの滝が核心となりそうだが、右岸が登れそう。
▼2ルンゼ
1ルンゼのすぐ右側でコップ状に見える。2~3ピッチの登攀で高度もそれほどなく、登攀対象としては面白くなさそう。上部は1ルンゼと同じプラトー状の草付の坊主の頭(仮称)に出るが、さらに主稜線までがボロボロの岩で、なおかつ両側にすっぱり切れ落ちていて非常に悪い。危険な登攀を強いられる。(登っているのか記事からはよくわからない)
▼3ルンゼ
このルンゼあたりからが側壁の核心。逆くの字に曲がったルンゼで、下部は45度ほどの角度で涸滝をいくつか持ち、上部は屈曲して左に回り込む。
▼4ルンゼ(昭和46年5月の記録。われわれが登ったのもこのルンゼかと思われる。)

雪の斜面を100mほど登ると両岸に壁が狭まり、ルンゼは左に緩く曲がり滝に出会うが、右の氷瀑に数回ステップを切って登ると左の岩に移ることができた。
滝上はもろいガレ場。この上からまた雪渓があらわれ、1ピッチ半で3メートルほどのチムニーを抜ける。この上の岩壁は風化された花崗岩でボロボロ。壁を登ってみたがルートを見つけられず、残置されたボルト2本にあぶみを使って5メートルほど乗り越え、灌木帯に入る。
灌木とブッシュの急斜面を何ピッチかで稜線に出たが、主稜線までは2つのピークを越えなければならず、5ルンゼの雪渓を下降。最後は5メートルほどの滝を懸垂下降して八右衛門沢に戻った。

▼5ルンゼ(昭和46年5月の記録)
出会いのF1は右の側壁を登る。雪のルンゼを登る。
▼6ルンゼ(昭和46年5月の記録)
雪の斜面を登ると斜めのチムニーが30メートルくらいつづく。両岸は極度にもろい岩壁で落石が多数出る。青氷をカッティングしながら登る。
雪の斜面をのぼって稜線に至る。
▼7ルンゼ(昭和46年5月の記録)
八右衛門沢左股の主稜線に出る手前に狭い出会いを持つ。急な雪の斜面が主稜線まで続き、残雪期は下降ルートとしても使える。
▼大ピナクル
5ルンゼと6ルンゼの間に位置する。正面の比較的すっきりしたフェースが登攀ルートとして考えられる。2ピッチ目から急になりボルトとハーケンが打たれており、それを利用して吊り上げで登るとある。上部は垂直の壁で、そのあと傾斜が落ちてボロボロに風化した岩とハイマツの混じったやせた尾根となる。

三本槍沢左股(昭和46年8月の記録

各滝を越え、階段状のF13から上は奥壁となる。
これが予想以上に悪い。
その上は急な草付きで無数の花が咲き乱れる。ハイマツ帯は背丈を越すくらいで、苦しい登行となり、表六百沢の源頭のピークに至る。ここからピークを4つ越し、六百山。

瑞牆山本峰正面壁トムソーヤの冒険

先週、火事場の馬鹿力を出して霞沢岳の岩壁を登ってしまった。
そういう場合、かなりしばらく疲れをひきずることになる。
あっという間に1週間がたち、Nさんとのクライミングを約束した日になった。彼は沢登りで手を怪我してしまい(結構重症)、手術後のリハビリクライミングをしたいというのだ。
どこぞのゲレンデでロープでも垂らしてまったり登るイメージだったのだが、まともにクライミングがしたいという。病んでますな。
まあ病気はお互い様なので、自分自身のクールダウンも兼ねて、もう3回ほども登ったトムソーヤにでも行こうかということになった。アクティブレストというには、ちとアプローチが長すぎるんだけどね・・・・

前日午後、Nさんの高級車で、わが家までのお迎えからクライミング行スタート。赤沼、威張る理由もないが、大威張りです。
この日は瑞牆周辺のマル秘ポイントで、焚火キャンプからスタートという予定でしたが。夕方から雷雨の予報。
急遽、妻、娘、孫娘のくつろぐ我が八ヶ岳宅に宴会場を移し、部屋の隅でスーパーの寿司を肴にちびちび飲むオジサンたちの図。

さてトムソーヤはそこそこの人気ルート。
最近はガイドクライミングのルートにもなったりしているらしい。
巻き込まれないよう朝は早めのスタート。

幸い、誰もいない取付きに到着してクライミング開始。

上はネタバレの取付き写真。
1P目は3~4種類のルートどりが可能に見える。
これがまあ正解なんですが、これから行く人は見ないように。

Nさんはリハビリ目的なので、「行けると思ったピッチは全部リードしていいよ」と言ったら、ここはとりあえずリードしてくれというので、私がリード中。支点とらなさすぎると呪われました。

2P目が有名な洞穴内のチムニー登り。

ヘッドライトつけて、Nさんがとりあえずの攻め。
これ以上登ると敗退できなるなるポイントまで攻めて、すごすごと下りてきました。右手は決して無理できない状態なわけで、しょうがないよね。
この難しくはないが、根性だけはいる2P目も赤沼リード。
頑張り過ぎて頭痛がしてしまった。

ヘッドライトつけたNさんもはいずりあがってきました。右手の指は使わず肘プッシュ。

怪我自慢中のNさん骨突き出たらしいよ。だから~。今登っていいわけ?

さて洞穴上から穴の外に抜けだすピッチはNさんリード。
1歩だけ厄介なムーブあり。
これでNさんアドレナリン放出。
ロープの流れが悪くなるのでここでピッチ切って、リード交代。
このへんから広めの岩稜・・・・というより、巨岩が積み重なった大きな尾根の感じ・・・となり、ルートは好き放題に選べる。
つまり難しいフリーで登るラインも、木登りで行けちゃうラインもあるってこと。
次のピッチはあまり考えず赤沼リードしたが、先週の流れ?で木登りルートを行ってしまった。
「だから~この手で体重かけるのはつらいの~!」と、Nさんからまたしても呪われていたらしい。

この辺から巨岩の間を縫って、好き放題にルートが選べる。これが楽しいのだ。

Nさん、好き放題にリード中。
動画です。
気持ちの良いピーク上で、お気楽肩がらみビレー中(セルフなし)の赤沼。

この先は好き放題にルートを選びつつ、あっという間に山頂直下。
Nさん、なぜか山頂数メートル手前でピッチ切る。

「山頂から観光客(一般登山者のこと)の嬌声が聞こえます。こんな恥ずかしいとこ来たのは赤沼さんですから、責任とってリードで山頂でてくださいね。」

まあそんなわけで、赤沼が格好良く山頂に飛び出たわけだが、観光客の皆様はもっと素晴らしい景色に見とれててまったく気が付かない。

赤沼のコールで気が付いて・・・

この状況から人集まる。(ここ山頂)
Nさん絶好の被写体です。

そんなわけで、山頂でこそこそフードかぶって、なにやらポーズを決めるNさん。エミネムかよっ!

霞沢岳2514峰西壁

霞沢岳は穂高連峰の展望を楽しむ静かな山として知られているが、実は大小の岩稜や岩壁、切れ上がった沢などを多数有する列記とした岩峰だ。
ここを霞沢岳ではなく、南穂高岳とでもすればよかったのにと言う人もいるくらい。
上高地帝国ホテルから霞沢岳にむかって一気に駆け上がる八右衛門沢を見ると、奥にいくつかの岩場が散見できる。しかし谷の奥にあるためか、あまりその存在感を感じさせない。
だが実際、八右衛門沢を遡行してみると、すぐに谷は急激にせりあがり、いつの間にか数々の岩壁に囲まれる。
なかでも上流部右岸側壁(2514m峰の西側)は400-500m規模の顕著な大岩壁となっている。そこは屏風岩のような一枚岩ではなく、急峻なリッジと風化花崗岩のスラブ、それにはいまつなどの草木に覆われた垂直のフェースによって構成されている。

2514m峰西壁の核心部を見上げる
八右衛門沢上流部から右岸側壁を見下ろす。


2015年9月、霞沢岳の岩壁群の偵察のため八右衛門沢を遡行。

2021年にようやくここを登るべく訪れたが、天候不順で敗退、転進。

そして今年、ようやく登ってくることができた。

パートナーは昨年敗退の際の相棒、石鍋礼くん。赤沼よりひとまわり以上年少だが、彼が中学生時代からのつきあいとなる。仕事も家庭もクライミングもメリハリよく大切にしているらしい。
そして女性だけの山岳会、銀嶺会の代表/組長、宮田実穂子さんがどた参加。ハイパーとも言える行動力に、明晰な頭脳と明るい性格の人たらしぶりを生かした人脈がすごい。

7月24日、沢渡から朝一番のタクシーで帝国ホテルへ。
八右衛門沢出会いまではすぐ。

早朝の霧に包まれた沢沿いの林道を歩き、林道がつきたら沢に入る。
沢は上に行くほど傾斜が強くなってくる。
小一時間で霧も晴れ、目指す2514峰西壁(八右衛門沢右岸側壁)が正面に見えた。

三本槍沢を分けると傾斜はさらに急になる。

八右衛門沢の遡行は上に行くほど傾斜を増し、ところどころクライミング技術を要する滝があらわれるが、慣れたクライマーならロープはいらないレベル。
ただ傾斜の増したガレ場は、いつ岩雪崩を誘発するかわからないので、場所によって一人ずつの歩きとする。

2514峰西壁の基部。

岩壁は中央部のリッジと右のスカイラインをなすリッジ、ふたつの大きなリッジを中心に展開する。上の写真中央部のリッジが壁の中央あたりとなる。ここは下部が木に覆われており、また上部は壁の中央部に合流しているため、その先が読めない。
このリッジを巻き込んで、右スカイラインとの間の凹角(ルンゼ)を取付きとする。

凹角に入る。100mほどは沢状をロープなしで簡単なクライミング。
このあたりからロープを出し、1P目とする。
背後に上高地を見下ろす。

1P目取付きからルートを見上げる。

右スカイラインが顕著な岩のリッジ。左は風化花崗岩のぼろぼろのスラブ。そして左は岩壁中央部分のリッジが垂直に、不気味に立ちはだかる。

右側の壁と中央のスラブ帯にはさまれたクラック沿いにクライミング。
壁はつるつるで、硬くフリクションの効く部分を探し出しながらの繊細なクライミング。ミリ単位で高度を稼いでいく感覚が久々で楽しい。

2P目は風化してボロボロのルンゼを右の壁に沿って左上。

中央部からせりあがってきたリッジの小ピーク手前でロープいっぱい。ピッチを切る。

技術的には難しくなく、楽しいピッチ。
3P目で左の小ピーク上に出る。明るく楽しい。

小ピーク上は風がさわやかで気持ちいい。

4P目。目の前は垂直の壁に阻まれる。

逆光でルートが読みづらい。弱点を探しつつじわじわと登るが、傾斜が強くて困難。草付きのラインを選ぶが、ハングに下向きに生えた草木をつかんでの強引なクライミングとなる。灌木の根にあぶみを下げての人工登攀もまじえて全身駆動の登りで手足はぼろぼろ。

4P目終了点。垂直部を越えると風化花崗岩のざらざらフェース。
5P目取付き。ここからさらに急な草付きフェースがつづく。
5P目で灌木に覆われたリッジに入る。リッジ手前がひどい風化花崗岩のスラブで、木に飛びつくようにしてトラバース。

6Pは灌木をつかんでの急傾斜の藪漕ぎ。危険はないが身体にはきつい!

さらに灌木からはいまつの藪漕ぎ100mほどで小さなピーク上に出る。ここで一応ルートは終了?かと思いきや・・・・・

ピークの先は垂直に切れ落ちており、2514m峰と思われるピークの手前には垂直のピナクルが林立している。思わず天を仰ぐ。
3人とも全身駆動のワイルドなクライミングで疲れ果てているのだ。
しかもピナクルは登るには相当難しそうだ。
ここで今日中に下山して宴会やろうというプランは消滅。ビバーク確定ですな。

ピーク上でしばし迷う。

ここからの下山オプションは・・・

1 登ってきたルート下降(支点構築が難しい。手持ちボルトとハーケンでは、灌木が見つからない場合3~4Pの懸垂下降が限界なのでリスクが高すぎる。)
2 左方面に三本槍沢右股を下山(同上)
3 八右衛門沢方面におりている灌木のリッジを懸垂下降(どこまで灌木があるか見えない。支点構築リスクが捨てきれないし、灌木リッジの懸垂下降はロープワークがかなり面倒。)
4 右方面の沢を八右衛門沢方面に下山(同上だが、傾斜がいくらか緩いので滝が少ないかも?)
5 3つのピナクルをすべて根性で登って縦走する。(つらい!つらすぎる!もう精神力も体力も限界だ~!)

とりあえずオプション1, 2, 3はなし。

オプション4の沢下りの可能性を偵察するため、まずは小ピークから沢の上部まで懸垂下降してみる。

沢のほうに少し下って様子を見るが、すぐ下がスラブ状の滝になっていて、その先が見えない。これはあかんな~と上を見上げると、なんとピナクル群を巻いて稜線上に戻れそうなゆるいルンゼが入っているではないか!

これでまんまとピナクル群を巻いて、稜線上の激やぶをこいでなんとか2514峰に到着することができた。

2514峰から巻いてきたピナクル群を振り返る。

左のピナクルが西壁の終了点。その右のルンゼを懸垂下降して3つのピナクルを巻いてはいまつの稜線にあがった。これを縦走したら大変な思いをするところだった。(冷汗)

2514峰山頂にて
ここからは2つのピークを越えて延々のはいまつ藪漕ぎとなるが、2514m峰以降はいくらか人も歩いているらしく、たまに踏み跡もあり、藪漕ぎ自体が少しだけ楽になる。
まもなく霞沢岳のK1。登ってきた尾根を振り返る。
というわけでK1に到着。

もはや霞沢岳ピークハントの余裕はなく、この日は登山道を徳本峠まで行き、ツェルト泊。しかし宮田さんの交渉力よろしきを得て、なんと徳本小屋からビールを入手。打ち上げをして、翌日明神経由下山となった。

【クライミングデータ】

八右衛門沢出会いからK1までのトラックレコード
クライミングルート

八右衛門沢を遡行し、三本槍沢を左に分けるとすぐ右岸が2514m峰西壁。
大きなリッジをひとつ越え、次のリッジ手前のルンゼから取付き。
1P目 ルンゼを左上。クラックと左右のフェース、右側の壁をホールドとして総動員しての繊細なクライミング。50m 5~6級程度。
2P目 ルンゼをさらに左上。岩壁中央部のリッジ上の小ピーク手前まで。50m 4級
3P目 小ピークの上まで50m 4級
4P目 目の前の垂直フェースを直上。半分は草木の根元をつかんでの強引なクライミング。50m 5級A1(灌木の根にあぶみを1回使用)
5P目 草木に覆われた右上ルンゼから右リッジを巻き込み、さらに左にトラバースして灌木帯に入る。30m 4級
6P目 灌木のリッジを直上。50m 2級
7,8P目 灌木リッジ。100m 2級

装備はカム2セット。ハーケン2本使用(1本残置)、残置ハーケン1本発見し使用。ボルト不使用。

タイム
7月24日
05:10 am 八右衛門沢出会い出発
06:00 am 三本槍沢分岐
07:40 am 2514峰西壁基部
08:00 am ルートにしたルンゼ基部
08:30 am 1P目取付き
14:00 pm 終了点のピーク
14:30 pm 終了点より八右衛門沢側に懸垂下降
15:10 pm 2514m峰
16:10 pm 霞沢岳K1
19:30 pm 徳本峠

上記の絵では三本槍の位置を間違えてますm(__)m

参考資料等

霞沢岳でのクライミングに関する資料は非常に少ない。

白水社「日本登山大系」霞沢岳の沢の項に以下の記述がある。
昭和30年台後半、グループドモレーヌ、都庁山岳会などいくつかのグループが八右衛門沢右岸側壁に目をつけ登ったらしい。

ついで上記を執筆した山梨の東斐山岳会のメンバーが昭和40年台に2年にわたり、霞沢岳で18本のルートを登り、山と渓谷410号に記録を投稿した。
記事の要約、紹介はこちら。



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