登攀日:2012年10月2日 (赤沼ほか1名)
下又白谷の奥壁と聞いても知らない人がほとんどだろう。
かなり詳しい(マニアック?)な人でもせいぜい菱形岩壁を思い浮かべる程度ではないだろうか?
数十年前に下又白谷の地域研究を始めた山岳巡礼倶楽部の先輩たちは、下部本谷F1手前の前壁から明神東稜に抜ける岩稜(山巡稜と命名)を登り、本谷の滝群の概念をはじめて把握。
その地域研究の一環として「下又白谷の奥壁」初登攀の記録が山岳巡礼倶楽部の会報「GAMS30周年記念号」に記載されている。(詳細はこちらを参照)
1980年台に再開した下又白谷通いのなかで、前穂の奥又側、一尾根第一支稜ともいうべきウエストンリッジや一尾根正面壁の登攀を通して、上部岩壁群の概要も少しずつわかってきた。
GAMS30周年記念号で下又白谷奥壁とされていたのは、筆者が下又白谷上部の概要をまとめた際に「前衛壁」としていた部分と考えられる。
下又白谷でもっとも奥に位置し、明神岳にまっすぐつきあげる岩壁を登ったため、位置関係を正確にさせるため、勝手ながらGAMS30号で発表された「奥壁」は、前衛壁として紹介させていただくこととした。
下又白谷の上部岩壁群で登攀対象となると考えられるのは、
一尾根から明神にかけての稜線につきあげる3~4本の岩稜とその側壁群、
さらに明神岳に直接せりあがる大きなスラブ壁、そしてその前衛ともなる前衛壁となる。
下又白谷奥壁山巡ルートを登った際の経路を赤破線表示。
さて奥壁へは下又白谷の上部本谷からアプローチすることとなる。
かつてウエストンが嘉門次とともに下り立ったのは、ひょうたん池からだが、今回は少しでも上部から下りたほうが楽だろうということで奥又白池から行くことにした。
徳沢付近から下又白谷上部を望む。
奥又白池からの下又白谷奥壁。(登ったルートを書き入れてあります)
奥又白池から茶臼コルを経由、ガレガレの沢を下又白谷本谷に向かっておりていき、上部から下りてくる岩稜の末端あたりを巻き込むようにトラバースしていく。
本谷の向こう側は明神岳東稜上の、ひょうたん池のコル。
東稜が岩場になるあたりの右下からが垂直の岩壁となっており、位置からみてそこを下又白谷奥壁の前衛壁とした。
前衛壁に沿って登って行くと、ガレがだんだんに急になり、インゼルとのコル状のうえに出る
。 ここを奥壁新ルートの取り付きとした。
ここからやぶに覆われた左のリッジに取りつく。
1ピッチ半でやぶがなくなり岩稜となるが、3ピッチほどで垂直の壁にはばまれ、岩稜はそのまま奥壁のフェースへとつながる。
岩稜が消えたあたりから上部を仰ぐ。
顕著な真っ白なスラブが伸びあがっているが、ここはスレート状の剥奪しやすい岩質で、しかも岩が白い砂に覆われており非常に怖い。
白いスラブから登ってきたあたりを振り返る。
ここから上部に見えるピナクル状の垂直壁を目指す。
ぼろぼろのスラブ壁をほとんどランナウトで登っていく。
垂直のピナクル下部をバンドを拾ってトラバースを繰り返しつつ高度をじわじわと稼いでいく。
脆いのでハーケンは岩を破壊してしまう。
小型のカム類でわずかに支点をとっていく。
核心となるこのあたりはカムをいれるクラックすらなく、岩角にちょうちょ結びしたシュリンゲを唯一の頼りに勝負することとなった。
この支点で、真下はすっぱり切れ落ちたぼろぼろの岩。
こわいこわい。
垂直部をようやく越える。
これで安心!と思ったらここからさらに脆さが増してきた。
大きな岩も、小さな岩も浮いたものはすべてたたき落としつつザイルを伸ばす。
それにしてもトラバースの多いルートとなった。
脆い岩にうんざりしてきたころ明神の稜線に向けて少しずつ傾斜が落ちてきて、夕方暗くなるころようやく稜線に飛び出した。
明神岳の山頂はここからすぐだった。
ルート概略 ①~② 約4ピッチの岩稜
②~③ 急なフェースにあたったら右へトラバース。
白くて脆いスラブ状壁を右上に登って行き、右のリッジを目指す。2ピッチ。
③~④ このあたりが核心。
真上は垂直のピナクル状岩壁。
右へ右へとバンドを拾って逃げていくが、すぐに剥離するスレート状のフレークをつかんで垂直部を何度か越えないとならず非常に怖い。3ピッチ
ここから山頂までは少しずつ傾斜が落ちてくるが、岩は上へ行くほど脆い。
全10ピッチのルートとなった。(ロープを出したのは9ピッチ)
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