アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

月: 2025年5月

兎藪と山の人たち

兎藪(うさぎやぶ)と呼ばれる変わった名前のピークに行ってきた。
きっかけは北杜市の我がセカンドハウスから、茅ヶ岳と金峰山の間に見える台形の山姿が気になったから。
Google earthや地図アプリなどを使って特定したピークがこの兎藪だった。
地形図を頼りに5月最初の暖かいとき、妻とともに傾斜の緩い西側から登ってきた。

須玉町江草の獅子吼城址から車で行けるところまで林道に入るが、途中で草が生い茂ってきたのでそこから歩き。

林道から兎藪西側の緩斜面帯へは、林道から急な山腹を這い上がる。這い上がった先は別世界。どこまでも緩く広い斜面が広がる気持ちのよい樹林帯だった。

西側斜面にはところどころ踏み跡もある。
途上石垣やら水場のような遺構もあり、ここに生活していた人たちがいたことが感じられる。

この西側に広がる天国のような高原の樹林帯がすっかり気に入ってしまっい、そこいら中に生えている山椒の若葉をおにぎりにくっつけてのランチタイム。そしてお昼寝をしてからの下山。

ところで兎藪のピークにある三角点の点名は「孫左衛門」。
兎藪の登山口にあたる江草付近には孫左衛門に関する言い伝えがあるらしい。
孫左衛門については、山梨地誌のはしりである「甲斐国志」(江戸時代1814年発刊)に記載があるようだ。
甲斐国志巻之二十「山川部」を拾い読みしてみた。
金嶽 茅嶽(金が岳 茅ヶ岳)の項に次のような記載がある。(読解があやしいので不正確ですが)
「浅尾村(江草より少し南)の樵夫(きこり)孫左衛門は、山中に入って仙人となった。どれほどの時間だったものかはわからないが、曲岳あたりに遊んだり、大石や深谷の間を歩いたり、鹿を追って走ったり、岩の上に跨っていたりして、その蓬髪で目の大きな巨人が草木の服をまとっているところを里人に見られたこともある。」

ほかにも少しずつ違う言い伝えがあるようだが、修験道の舞台でもあった金峰山とその周辺には修験者が少なからず往来していただろうし、また山の民たる樵や炭焼きなどもいたはずで、そうした「山の民」を異形のもの「孫左衛門」と呼んでいたのかもという想像がふくらむ。(修験の人と山の仕事師たちがどのくらいかかわりがあって、時代的接点があったかなどについては今後の課題ですな。)

兎藪の先は金が岳にいたる急峻な稜であり、修験者もここらを歩き回っていたらしいことは、甲斐国志にも記載がある。
兎藪の西側に広がる広大な高原には水場もあり、石垣などの遺構もあることから、山仕事の場であり、あるいは人も住んでいたかもしれない。

そして江草は金峰山に至る9本の御嶽道と呼ばれる古道の入り口のひとつでもあった。地形図を見るとなぜ江草?となるのだけれど、甲斐国志以前の金峰山詣では、まず金峰山南麓の金桜神社にお参りしてから山頂の本体、五丈岩に向かうのが常道であったことを考えると、これが金峰山への入り口ではなく、金桜神社への道であったということを思うと、わかりやすいような気がする。

兎藪あたりを根拠地のひとつとする山の民「孫左衛門」たちは、あるいは金峰山詣での人たちの、江草道における登山ガイドなども務めていたんじゃないか?などと妄想をふくらませているわけです。

波田の若澤寺址

松本から槍ヶ岳に至る梓川渓谷。
その出入口にあたる波田町付近は、歴史上かなりの要衝の地であったらしい。
波田町誌によれば(「アルプス越えの鎌倉街道」からの孫引きで)、
「縄文時代から梓川渓谷は飛騨(岐阜県)、越中(富山県)などの他国との交流に使われた渓谷」であり、鎌倉時代にはアルプス越えの鎌倉街道が作られ、蒙古来襲のこともあって、日本海沿岸や北陸地方の警備、交易の道となっていた。
信州の波田地域は(少なくとも鎌倉幕府の時代には)異国への出入口であった。
警備のため、そして交易のため、ここが重要なベースとなっていたらしい。
若澤寺は奈良時代、行基によって創建され、各時代の権力者から庇護を受けてきた。江戸時代の後期にはその壮大さから「信濃日光」とまで呼ばれていたらしいが、明治新政府による廃仏毀釈により廃寺となった。

これにより若澤寺にあった仏像などの多くは他の寺に移され、若澤寺のあった場所は跡地として保存されている。

さて。
アルプス越えの鎌倉街道の探索を少しずつ行っているわけだが、その本意は、昔の人々の営為を想像しながらの山歩きなわけ。
若澤寺址は筆者にとって、ただの「それほど知られていない観光地」であって、山歩き的にはさほど重要ではないが、一応押さえておいたほうが今後の山歩きがより楽しくなるかな・・・・・という程度で行ってみることとした。

若澤寺址だけでは一日の遊びとしては物足りない。
まずは以前にも行った檜峠に行って見る。
昨年の今頃やたらとフキノトウが出ていたので、ちょっとそういう目論見もあったのだが、今回は残念ながらみんな伸びきっていた。

檜峠近くに1479.6mの三角点を有するピークがある。
以前檜峠からここを目指したが、獣の気配が濃厚すぎて引き返してきたことがある。
今回は熊対策万全で来たので、足を伸ばしてみた。

なかなか楽しい藪山歩きでした。
このピークは三等三角点があって、点名「檜峠」でした。

さて若澤寺。
若澤寺は山中に広がる大きな寺だったが、廃寺となった際、その一部が移設されたという田村堂前に車を停めて観光ハイキング開始。

田村堂から上波田の町内を歩いてアプローチ。

山中の林道歩きとなる。樹間の光が気持ちよい。

若澤寺跡地。よく整備、保存されてます。

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