アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

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新潟・金城山高棚川つばくろ岩

金城山は巻機山の北西約5.5kmほどに位置する1396mの山。
つばくろ岩は金城山から東方向に伸びる登山道のない藪尾根800mほどのところにあるイワキの頭というピーク南面の急峻なスラブ壁で、高差250mほど、幅300mほどにわたって展開している。一言でその特徴を言えば、越後の超マイナーな悪壁。
1970年台ころにあらかわ山の会、江戸川山の会、東京稜行会などによって何本かのルートが登られ情報もまとめられ、あらかわ山の会のホームページには一部公表されていたらしいが、今年2025年に会が解散となりホームページとともに情報もなくなってしまった。

今回のパートナーは野島梨恵さん(ぶなの会)。
今までに甲斐駒ヶ岳摩利支天の岩壁や雨飾山ふとん菱、それに海谷の海老嵓などでクライミングを共にした頼れる相棒。

「自分は草付き泥壁の中で至福を感じる沢屋」と言い切ってるだけあって、まるで呼吸をするように沢を歩き藪をこいでいく。

前穂高の南面で赤沼懸案のリッジルート開拓につきあっていただく予定だったが、天候不順で転進。
梨恵さんは15年も前からつばくろ岩を狙って情報を集めており、何度かこのエリアを訪れてはいたが、まだつばくろ岩本体を特定することもできずにいた。
転進先はここにした。

上の写真に写っているこのあたりがつばくろ岩だったということが、登ってみてはじめてわかった。

実はこのつばくろ岩、赤沼の知り合いでもある山登魂山岳会の鮎、オーブコンビが2009年5月に登り、往復たった6時間で登山口に帰還している。
それを見て昼までには帰るつもりでいたのだが・・・・

5月の残雪を利用してのアプローチとは裏腹別物。
「雪がなくても河原歩きで簡単に行けるだろう」なんて考え、無雪期の越後の沢の悪さを想定していなかったのはそもそも大ポカだった。

雪崩に磨かれた花崗岩系の滝がいくつも続く。
ボルダリングレベルの難しいクライミングで越えたり、延々と草付きと露岩を越えて巻いたりが連続する。
赤沼が登りだした側壁は悪すぎていきづまり、泥クラックに突っ込んだカムを捨てて懸垂しておりたり・・・・
梨恵さんがチョックストン滝を、空身になってカムと泥に打ち込んだハンマーのエイドで越えたり・・・・
垂直の藪をロープクライミングで尾根まであがっての高巻きがあったり・・・・
岩壁の取付き付近まで実に7時間の奮闘的な沢クライミングとなった。

さてどうやら取付き付近にたどりついたようだ。
で、どこ登ればいいんだ?
まわりじゅう垂直の藪と垂直のぬめりまくったルンゼといや~な感じのスラブ壁しか見えん。
しょうがないので↑こいつの右端のほうを登りだしてみる。
いやな態勢でハーケン打ったりしながらようやく岩壁帯にたどりついたけど、簡単に登れそうには見えない。
山登魂の2人はフリーソロであっさり越えてるらしいんだが、これどう見てもロープつけて、ボルト打ちながら奮戦する壁でしょ?
ふと振り返ると、谷の向かい側に気持ちよさそうな、つまり傾斜のゆるいスラブ壁が稜線近くまで続いているじゃあありませんか。
さっさと懸垂でおりて、そちらにトラバース。


いやいや。こんな快適なスラブ壁でしたよ。
これがたぶん山登魂のふたりの登ったS字スラブだろう。

ともあれ楽しい岩登り自体はあっという間におしまい。
これでだいぶ高度は稼げたけどね。

稜線に近づくと傾斜の強い藪漕ぎといやらしい露岩のミックス、つまりとてもとても越後らしい岩壁になってくる。佐梨の岩壁登ったことある人ならどんな感じかわかると思う。
下に向かって生えてるしゃくなげの根をつかんで、ぬめった露岩に足をこすりつけて、ほぼ腕力で身体を持ち上げて行くような、体力の消耗の激しいクライミング。根っこをがっちり持っている限り怖い感じはしないんだけど、間違って落ちたらまあ助からないでしょう。(そういうパートは余裕なくて写真も撮ってないす。)

岩壁部分を抜けて少し傾斜が落ちてくるも、藪漕ぎはかわらず。

もうすぐ稜線。


稜線にでたところのピーク「いわきの頭」。
登山道の通っている金城山までは1キロほどの藪稜線。
暗くなると同時くらいに金城山にたどりつき、あとは嵐となってしまった中、すべりやすい登山道をおりて登山口にたどりついた。14時間ほどの行程となった。

高棚川林道途中0622am-二股0855am-小峠付近1030am-つばくろ岩基部1330pm-イワキ頭1618pm-金城山1744pm-観音山(雲洞)登山口2030pm-タクシー-高棚川林道駐車地2045pm

地蔵岳・離山岩峰群

地蔵岳の北にひときわ目立つ岩峰群がある。
それらの最高峰は地図には離山と記載がある。

鳳凰三山の地蔵岳方面から見ると左手の岩峰が離山(2307m)。
その右手に2峰、3峰、4峰と並んでいる。
ネットで調べると藪岩愛好家やヘビーハイカーなどがたまに登っているようだ。

離山(岩峰群)の位置
アプローチも含めたトラックログ

ここを訪れた人たちの多くは石空川の駐車場をスタートして、北東のやぶ尾根からアプローチし、離山岩峰群を縦走したあと地蔵岳に抜けている。
岩峰たちは主に風化花崗岩の傾斜の強い岩壁で形成されているようで、登山者の多くはその弱点、すなわち急傾斜の木ややぶに覆われた斜面を登り、下降は懸垂下降をまじえて通過している様子。
クライマー視点で訪れたらどこまで遊べるのか?
そんなテーマで登りに行ってみた。

パートナーは石鍋礼くん。
彼が中学生のときからのつきあいなので「少年」と呼んでいるが、もうアラフィフのれっきとしたおじさん。
フリークライミングが得意でエルキャピタンなんかも登っちゃってる。

誰もいない石空川の林道奥にある駐車場にテントを張って前泊。
かなり長い行程となるので、早朝暗いうちに出発した。
先人の記録に倣い、吊り橋を渡ったあたりから離山の北東に伸びる尾根に取付く。
ときおり傾斜の強いところもあるものの、はじめのうちはゆったりとした樹林の尾根。

気持ちのよい森であちらこちらに茸が顔をだしている。
「これ松茸じゃね?」みたいのもあったけど、茸はわからないので素通り。

1914m峰の手前のピークあたりから露岩が出始める。

いよいよ離山。4峰が近づくと、行く手に次々と岩壁が立ちはだかる。
苔むした露岩のフェースと樹林や藪に覆われた急なルンゼで構成される岩場が多い。

複雑な地形を読みつつ岩場を越えて行く。
地形が複雑な分、登るルートの選択肢も多いので、難しくもやさしくも登れるのが楽しい。

いよいよ岩峰群に突入。
ルートの選択肢は減ってくる。
苔むした脆い岩場をおそるおそる登るか、木登りに逃げるか。
我々はもちろん、できる限り岩場を越えて行く作戦。

木登りに逃げるか岩で苦労するか。自分との闘い(笑)がつづく。
ここではいったん正面突破を試みる・・・・が、ハングに行く手をはばまれ・・・・・いったん木登りに逃げ・・・・「あのハングさえ越えれば中央突破の気持ちいいラインになるぞ」と再チャレンジ。
ぼろぼろクラックにねじこんだサイズのあわないカム(カム4個しか持ってこなかった)と、抜けそうな枝に通したスリングでのエイド(人工登攀)で限界ぎりぎりのクライミング。
こんな遊びがつづく。

赤沼が「このフェース、フリーで登れるんじゃね?」とトライするも恐ろしすぎて即敗退。ところがそこをじっと見つめる礼くん。
「これやってみていいすか?」と日ごろ高難度フリークライミングをこなす礼くん。
「もちろん好きなだけやってちょ」と赤沼。
荷揚げ用のバックロープも付けて空身で登る気満々の礼くん。

「でもさ。途中で支点とれないし、落ちたらその下、切れ落ちてるから大きめの怪我しそうだよ。」と赤沼が手前の木から伸びあがってカムを一つ設置。
「さあ、どうぞ!」

しか~し。取付きで岩を触りながらもじもじする礼くん。
「あははは。これが風化花崗岩じゃ!すべてのホールドがはがれるつもりで登りなさい!」と上から目線の赤沼。
そして「やめてもいいよ。左から巻けるよ~」と悪魔のささやき。
「・・・・・やめます。」としょんぼりする礼くん。
ぐわははは。これが脆壁じゃと無駄に鼻の穴をひろげて偉ぶる赤沼。

岩峰のくだりは木登りの反対、木下り?で行くが、木が途切れてきたら即懸垂下降。

離山本峰が近づいてくるにつれ、風化花崗岩の巨石が無造作に置かれたような地形になってくる。
ルートファインディングの重要性が増してくるけど、ほぼ勘と運の世界。

ざらざらに風化したスラブ帯は手掛かりがなくて、下は切れ落ちていたりしてなかなかに怖い。

まわり中こんなフェースに囲まれる。
ルーファイが難しい。

離山本峰は越えて、あとは地蔵岳に向かうだけ。
でもここからが大変だった。
巨石がごろごろしていて、その間はハイマツとシャクナゲの藪に覆われた尾根を究極のルーファイが求められる。
ハイマツのクレバスと巨石の間にはまって身動きつかなくなった礼くんがトランシーバーでアドバイスを求めてきたりもあったけど、だいぶ先まで行ってしまった赤沼は手の出しようもなく「知らんがな」と、ただ彼の自助努力を待つのみ。

藪漕ぎしながら振り返ると登って来た離山の岩峰群。その向こうは北岳かな。

巨石の間をいんぐりもんぐり地蔵岳を目指す。

地蔵岳のオベリスクが見えて来たころはもう暗くなってきちゃったよ。

周り中岩だらけ、やぶだらけ。今日帰れるんかいな?っていう風情の動画。

すでに暗い地蔵岳に到達し、夜を徹して歩き、駐車場に帰還したのはすでに深夜となってしまったわけ。
いや~長かったな~。
一応ツェルトで泊まれる体制はあったけど、北杜市の別荘に行って、風呂入って酒飲みたいし、がんばって20時間も歩いてしまった。

さてこのルート、若くて元気な人たちは10時間ちょっとくらいで踏破してますな。一般的には18時間くらい?
まあ自分たちなら15時間で踏破して、夜早めに別荘で酒飲みだすくらいのつもりだったんだけど・・・・
わけわからんクライミングでつぶした時間3~4時間、実は藪漕ぎが苦手だった礼くんのオーバータイムも考えればまあこんなもんか。
実はアラカン赤沼、20時間も歩けたことでちょっぴり自信つけちゃったりもしたよ。はは。

金峰山・千代の吹上第三岩稜A峰正面壁

金峰山山頂近く、千代の吹上の上を行く稜線登山道から眼下に望まれる独特な姿の岩峰が、3~4つの岩峰から形成される第三岩稜の一番上の岩峰(A峰)だ。

A峰を下(南面)から見上げるとこうなる。
この正面壁を登って、特徴あるチムニーにはさまり、このピークに立ちたい。
ちなみに側壁からこのピークには以前立っている。(下記リンク参照)

そしてようやくこのチムニーから念願のピークによじ登ることができた。
そしてこのクライミングで千代の吹上通いも一段落かな。

今回のパートナーは頼れる兄貴、中尾政樹さん。
B峰のクライミングもご一緒してくれた。

前回は長いアプローチを嫌って、前夜大日小屋に宿泊したが、あまりの臭さ、汚さに辟易して今回は早朝発の日帰りプラン。
砂払いの頭手前から第三ルンゼを下降。左岸に向かってA峰B峰のコルへ。
上の動画はコルからA峰周辺を撮影したもの。

コルから短い懸垂一回で取付きへ。

壁の中央付近のクラックを目指して中尾さん離陸。
「岩が脆くてどれもはがれそうだよ~」などと叫ぶ兄貴。
しかもクラックは節理がちゃんと入っていなくて苦労している様子。(赤沼は木の葉陰でビレイしているので様子がよくわからない)
そして「残置ボルトがあった~」と。
古めのリングボルトらしい。
どうやら誰か登っているみたいですな。
残置ボルトがあるとはいえ、チップが見えるほどの浅打ちで、危険な感じとのこと。
中尾さん「どうせなら登られているラインよりは、まだ登られていないラインから行こう。」と、その浅打ちボルトにそっとテンションをかけながらクライムダウンしてくる。

左よりのラインに向けてやりなおし。
10メートルほど?あがったところで、壁の中央に向けてトラバースとなるが、ロープが浮石を落とすと赤沼直撃の位置だったので、ここでいったんピッチを切ってくれた。

ここからも風化した花崗岩をだましだまし壁の中央部に行き、そのまま上部へ。ちょっとしたリッジをまわりこんで行ったため、赤沼からは様子が見えないがロープは着実に伸びて行き2ピッチ目も終了。

2ピッチ目フォロー中の赤沼

2ピッチ目も脆いところがあって気は使うけど、それほど難しくもなく、割と楽しいクライミングで例のチムニーの真下まで。
そしてこのピッチにも残置ボルトがあった。
ロープピッチとしてはそのままピークアウトできそうだがここで2ピッチ目終了。
最後のおいしいところを赤沼のためにとっておいてくれたみたい。
「最後のピッチ登る?」と言ってくれたけど、「いや今回は中尾さんが最後までやっちゃってくださいよ。こういうワイド系は中尾さんの得意分野だし。」と赤沼。

さっそくワイドクラックにはさまって楽しそうな中尾さん。
最初のこの辺が核心のようだ。
そしてチムニー内は狭すぎてヘルメットが邪魔のようで、脱いで荷揚げ用バックロープでおろしてきた。

中尾さんの身体はどんどん奥へと吸い込まれていき、すぐにピークアウト。
赤沼はせっかくのトップロープなので、核心部は中に入っていんぐりもんぐりするのを避け、レイバックでワイルドに登ってみる。

チムニーにはさまって嬉しい赤沼

ピークに出た~。
最近得意の自撮り棒で記念撮影。

A峰のピークからも少し岩稜がつづくが、面倒なのでロープをはずして樹林ごしに登って行き、途中から岩稜上に。

岩稜を少しあがったところから中尾さんの雄姿を撮影。
この画がほしくてあえて樹林から岩稜のうえに出たわけ。

もう一枚。

さて打ち上げには菊地ガメラ氏も合流して四方山話。
「今日登ったところは未踏だろうと思ってたけど、登られていたみたいですよ。」と赤沼。
「あれだけ目立つ岩場だから結構登られてるんじゃないの?そういえばY野井さんあたりが、ヒマラヤの練習のためにあの辺をだいぶ登ったらしいよ」と山岳界の事情通ガメラ氏。
Y野井さんレベルのクライマーなら、ナチュラルプロテクションで登るだろうし、練習意識なら記録なんかださないだろうし・・・・ということで、この一帯も何度かは登られているんだろうなという印象。
ともあれ、初登攀に興味があってのクライミングでもなく、あまり人に知られない楽しいラインを発掘することができたのがとても嬉しい次第。
第一岩稜、第三岩稜、第四岩稜の主だった(自分に登れそうな)ラインは完結。
第二岩稜、第一フェース、第二フェースは残っているけど、すでにだいぶ登られていて情報もあるので、「ルート発掘」的興味としてはまあ対象外。

そんなわけで千代の吹上通いはいったん卒業かな~。

金峰山・千代の吹上第三岩稜B峰

懸案の第三岩稜B峰に一本のラインを引いてきた。

D峰を登った際にD峰の頭から撮影したB峰。
全3ピッチとなったが、1ピッチ目は写っていない。

第三岩稜についてはほとんど情報がなく、2024年9月に登ったときに概ね4つの岩峰からなることがわかり、上からA, B, C, D峰と仮称した。


2024年9月には一番下のD峰を登っただけで時間切れ。
同年10月にA峰を登った。

A峰(B峰の頭から撮影)は、この特徴的なチムニーを登って頭に出たかったが、向かって右側のルンゼからアプローチした際は下部フェースにルートを見出せず、右側から巻き込むようにしてこの上に立った。

その際残置ボルト一本を確認している。過去に似たようなラインで登った記録があるようだが、われわれが登った際は、残置ボルトのあるルートはとらなかった。一部かぶっているような気もするがはっきりしない。

さてA峰は不本意なラインではあったが、登ってその頭に立った。
D峰も登った。C峰は登攀価値はあまりないと判断。
今回の狙いは最後に残されたB峰。なかなかの大物に見える。

パートナーは中尾政樹さん。
シブリン南壁の初登攀、サトパント北稜の登攀などの実績を持つほか、黒部や瑞牆山などを中心に高難度ルートを多数開拓してきた心強いパートナーだ。赤沼より少しだけ年上のパイセン。
千代の吹上には前から関心を持っていたとのことで、お誘いするとすぐに食いついてきたものの、「アプローチが遠いな~」とか言うし。
なので瑞牆山荘登山口から入山し2時間ほどで到着する大日小屋をベースとして、翌早朝出発するというプランを提案。心の中で、「じいじたちの、のんびりクライミングプラン」と勝手に名付けた。

大日小屋から金峰山方面に2時間弱で砂払の頭。
ここから第三岩稜、第四岩稜の間のルンゼをおりてアプローチする。

第四岩稜のスラブ帯が右に見るあたりから、左手には先日登ったD峰の頭が見えてくる。D峰とC峰のコルに上がろうと思っていたが、露岩が多くて難しそう。
少し上に戻って樹林の斜面をあがっていくとちょうどC峰とB峰のコルに出た。

B峰とC峰の間を懸垂でおりながら、B峰のルートを探る。

歩いても下りられそうなところだが、B峰に見惚れて歩いていて怪我なんぞしてもつまらないので・・・・

中央がD峰の頭。右手前がC峰。D峰を登った際、頭から懸垂下降でC峰側に下りたが、その際の残置支点が途中からよく見えた。
1P目をリード中の赤沼。最後のクラック部分が1P目の核心。
ゼーハー言いながら1P目終了。30mくらい。
1P目フォロー中の中尾さん。
2P目は次のテラスまで。中尾さんリード中。20mくらい。
2P目フォロー中の赤沼。後ろ左がD峰。右がC峰。
2P目ビレイ中の中尾さん。後ろのクラックが3P目。
お天気最高。眺めも最高。
2P目終了点の小ピークからいったんクライムダウンして取付き。

3P目をリード中の赤沼。クラックをひろいながら高度を稼ぐ。
ピーク手前のクラックが難しそうなので、ブッシュ帯に入ったらピッチを切って、一番難しそうな核心部分を頼れる兄貴、中尾さんにまかせる作戦。

ビレー中の中尾さんを振り返る。D峰がだいぶ下方になってきた。

ところがブッシュ内は足場がなく、しょうがないのでそのまま核心のクラックに突っ込む。ロープはすでに30m以上出ていて重いのだが・・・
ブッシュから真上(右)のクラックを登るのが順当と思われたが、中に浮石がたくさんあって、これを落とすとビレーヤー直撃の可能性もあるので、左のクラックへ。
このクラックに移るところがかぶり気味。
フリークライミングにこだわりのない赤沼は即あぶみを取り出してカムエイド2ポイントでクラック内へ。そこから高度感のある気持ちよいクラック登り。このピッチでNo.6も含めて2セットのカムをほぼ使い切り。
でもあまりのロープの重さに終了点についてしばらくは横になってゼーハーゼーハー。
最難関の核心部で50mほどのロープピッチになってしまった。
中尾さんはここもフリーでフォロー。
「カムの回収がうまくいかなくて、1テンションやっちゃった。」とか言ってたけど、ロープが重すぎてビレーしてた赤沼は気が付かず。言わなきゃわかんないのにね。

3P目フォロー中の中尾さん。
3P目終了点。すぐ横がB峰の頭。

B峰の頭からA峰を望む。A峰につなげて、あのバルタン星人のはさみのようなチムニーを登りたかったが、ここで体力も時間もいっぱいいっぱい。
やぶのリッジを歩いて、A峰手前からルンゼ方向に行くと、下降点だった砂払いの頭に戻ることができた。
「この次はA峰を下のフェースから登って、最後のチムニーからA峰の頭に飛び出よう」と話ながら帰途についた。

B峰1ピッチ目終了点で撮影した、周辺の説明動画。

瑞牆山東尾根

寒波襲来で新雪のプチバリエーションを一人、こそこそと登ってきました。

「寒くてつらい冬壁なんぞもういかなくてもいいか・・・」
なんて思い出してからもう10年以上になるかな。
でもがりがり登ることを諦めてみたら、老化(体力の低下)を客観的に見定めつつ、「ルート発掘」ともいうべき無理のないスタイルに、自然と移行してきたようだ。
さてそんななかで今年の最大テーマは、前穂高岳東南面の情報のまったくないリッジのクライミング。
ウォルター・ウエストンやら旧制松本高校山岳部やらの、足跡を辿るクライミング旅をしているうちに見つけたところ。
ここは経験的に素敵なクライミングになるだろうと期待値が高まるところ。

昨年もここを狙っていたんだけど、天気がどうとか、熊がなんだとか・・・結局のところ、体力的な自信のなさがネックとなって言い訳つづけて登れず。

でも全装担いでとはいえ、1泊2日の無雪期登攀。
登り込んで調整のできた身体なら、この年齢でもまだまだ登れるはずだぞ。

というわけで、この何年か妻を相手にやってきたステップアップ登山を自分に課してみることにした。
つまり簡単なところから徐々にグレードアップしていって、目的達成しようというプラン。まあ普通のことなんですけど。
登山はほとんど未経験の妻とは、そのやり方で穂高岳に登頂し、雪山も登り、そしてテント泊登山や沢登りもやってきた。
今度は初心者を導く上から目線の登山ではなく、体力、気力を見定めながらの自分自身のステップアップなのだ~!・・・って挫折を防ぐためにちょっとほら吹いてみましたよ。

初回はどこがいいかな~。
ルートの楽しさよりも長く歩くことが主眼だね。
南相木サーキット(南相木村の村界尾根をすべて歩いて村を一周するプランで、南半分は終了している)でも完成させるか。
そのつもりで北杜市の別荘まで出かけたんだけど、朝起きてみたら一面の銀世界。そういえば寒波来てたっけか。
新雪に覆われた藪尾根は歩きにくいし、楽しくない。
どうせ銀世界ならもっと冬山らしい瑞牆でも行くか!
瑞牆山の東に延びる尾根には岩マークがたくさんついていて、地図には登山道もない。調べてみたら、瑞牆のバリエーションルートとして訪れる人もちょこちょこいるらしい。よし、そこへ行ってみよう。

矢印(赤)が一般登山道のアプローチ&下山ルート
破線が登山道のない東尾根

瑞牆山荘から入山。
豪雪地帯ではないけど、登山道をはずれるので念のために輪かんを持参。
岩場も出てきそうだし、ストックのほかに一応ピッケルも持ってみた。まあいつもの、持ち歩くだけの過剰装備で終わるんじゃないかと想像していたわけです。この時点では。

昨夜未明から降った雪で登山道は覆われている。
しかしまあ、そこは元のトレースがしっかりとついた百名山。
とくにラッセルということもなく、登山靴で快適に歩く。

樹林越しに東尾根あたりも見えて来た。(ピントがあわず見づらいね)

このあたりから登山道をはずれて、樹林の尾根に入るはず。
トレースをはずれて踏み込んでみたら腰まで潜った。こりゃ登山靴のみではきつい。

何年振りに輪かん装着。つけ方を思い出すのに時間がかかった。

ところどころ赤布がある。無雪期ならトレースもありそうだ。

尾根はいったん下り、コルから登り返すと岩場が増えてくる。
こんな岩峰がいくつかあるが、赤布のルートは右に迂回して大きく巻いている。無雪期に岩峰沿いを登ったら面白いかも。

尾根上にはこんな露岩がでてき始める。輪かんのまま越えて行くには結構デリケートなクライミングが求められる。

この辺が核心のようだ。
藪から巻くルートも見つからず。
右端のスラブ壁にお助け固定ロープがあるものの強度的にも、張り方も信頼が置けない。
落ちたら谷底だな。
面倒くさいけど輪かんをはずしてアイゼン装着。
ところどころに生えてるシャクナゲの根っこにピッケルのピックを叩き込みつつ、雪の中のスタンスをアイゼンの爪で探りながらじわじわと進む。
ついにピッケルまで登場してしまった。なんならもう一本アックスがあれば安定して登れたな~。

核心部を越えた。ここから先はまたラッセル&木登りになりそうだ。

上部の岩峰は赤布に従って右側を大きく巻いて行く。
疲れ果てたころ瑞牆山への一般登山道に合流。左に10分もかからず山頂。

顔が疲れ果ててます

山頂はやや曇り気味。

寒波襲来とあって、朝は地吹雪、突然晴れ、そしてまた雪てな天候。
全体的には赤布を追って歩いて行けばそんなにきつい山登りではなかった。でも寒さとこの変わりやすい天候で冬期登攀気分にもひたることができた。
行動時間約7時間半。
これでへばるのは調整の初期段階としては想定内。
一般道を走り下りて、あっというまに登山口におりてきました。
道をはずれてみて、はじめて道のありがたさがわかるな~。

佐久・御陵山の皇子峰

皇子峰というのは山巡赤沼の得意技、面白がっての誇張命名ですよ。もちろん。御陵山(おみはかやま)北面(南相木村側)のやぶ岩峰のことです。

つい先日、南相木ダム手前のずみ岩を登った帰路、ほの見えたきれいな二等辺三角形のやぶ岩峰。
やばい(いろんな意味でね)岩峰があったら登ってやろう・・・というのが最近の行動様式なわけで、まずはそれがどこなのかの特定作業。
どうやら以前に歩いたことのある御陵山の北面にあるピークらしい。それがわかった瞬間、「墳墓」と言う言葉が頭に浮かんだ。
一人でもいいけど、やぶ岩歩きの好きな仲間でも誘って一緒に行ってみるか~と思っていたら、1年以上会ってない長友さんから山に行こうとお誘いが。かつて南相木を一緒に歩き回った相棒だ。
タイミングよすぎでしょ。

4日後の金曜朝には二人で南相木村。
御陵山里宮という神社(祠?)から行動開始。


さてなぜ「墳墓」という言葉が浮かんだのか。

南相木村の地図上に名前のないような山々を辿り歩き、隣村川上村の岩峰を登り歩くうち、「悲運の皇子、重仁親王がこの地に住んだ」という言い伝えが耳に入ってきていた。
言い伝えが実話であるという前提で話をまとめると以下のようになる。


平安時代末期、皇位継承問題に端を発した保元の乱で敗れた崇徳上皇と、その皇子重仁親王は讃岐に配流され、崇徳上皇は配流先で罪人として扱われ、失意のうちに亡くなる。その後敵方を中心に大事件が多く起きたことから、怨霊として描かれるようになり、平将門、菅原道真とともに日本三大怨霊のひとりとも言われる。
一方皇子の重仁親王は、保元の乱で崇徳上皇に荷担した武士方の総将格であった信濃の村上基国を頼って身を寄せ、その庇護のもと千曲川を遡って南相木村から臨幸峠を越えて、川上村の御所平、御殿窪(みどのくぼ)に安住。ここで兵を調練したり鷹狩をしたりしつつ、再起をかけて過ごしていたが若くして病に倒れた。
その名残として川上村に古名として地名や遺跡が残っている。
歴史学者で佐久の郷土史家、楜沢竜吉氏から、佐久に疎開していた作家の佐藤春夫が歴史史料の提供を受けたらしい。佐藤春夫は「佐久の内裏」という作品に「佐久川上村御所平要図」という史料をもとにした古名などについて記載している。(定本佐藤春夫全集第13巻に収載)

御所平 御殿窪(みどのくぼ)

竜昌寺(現、富澤山 龍昌禅寺)の裏にある御殿窪に重仁親王が住んだ。背後の山は今も内裏山と呼ばれている。(写真は龍昌寺の山門と内裏山)

この地には熊野神社があり、のちに龍昌寺が移されてきた。当時の天皇家は熊野神社とのつながりが深く、頻繁に熊野詣でを行ってきた。

住吉神社

龍昌寺の千曲川をはさんだ向かい側に位置する。
住吉神社は熊野神社の別当。

住吉神社から龍昌寺方面。左の山が内裏山。
住吉神社から撮影。右端が赤顔山。さらにその右方向に天狗山、そして御陵山が連なる。この一帯が重仁親王のいた御所平の中心地となる。

ちなみに千曲川は熊野と同じ三山信仰の三峰詣の街道筋でもあった。

御霊社(御霊神社)

御殿窪と同様、内裏山の麓に位置する。

川上村公民館発行の館報かわかみ 第104号(昭和43年)には「村上基国のもとを親王が辞するとき白馬を進献され、臨幸峠を越えて川上村に入った際の姿が御霊社のご神体である」との記載がある。

川上村では重仁親王を祀った神社として護っていたようだが、今はなぜか入口が藪の奥に埋もれ、祠はまるで隠されるように安置。
産泰神社と名前も変えられている。

重仁親王、三大怨霊の皇子だよ。やはり失意のうちに亡くなってるんだけどなんか今は忌避してない?こんなことして大丈夫なん?というのは赤沼の心の声。

このほかに古名として兵を調練したかのような「馬場平」、貴族のスポーツ鷹狩をしたのか「鷹揚場」、「天主の台」、「鷹放」、「兵部」などの地名もあったようだ。

以上は主に雨海博洋氏筆「悲運の皇子、重仁親王の流離譚」より引用させていただいた。


以上が本当の史実であれば、御所平の奥に控える御陵山は、その名前からいっても重仁親王の墳墓であると考えるのが自然ではなかろうか。

御陵山山頂の祠

山頂の祠に奉納されてきたらしい神具の説明。雨ごいの神事によるものと記載がある。なぜか南相木村教育委員会。
しかし17世紀とあるし、ここが重仁親王の墳墓として祀られていたのだとしても矛盾はしない。だいたい御陵(おみはか)と雨乞いって結びつくのかね?

そして不思議なことに御陵山の北、南相木村にも御所平という地名があり、御陵山里宮という小さな神社が現存する。

この神社は御陵山の北側の尾根が南相木川に落ちて来た、三川というところに建つ。そして尾根はここからまっすぐに、件の三角やぶ岩峰(皇子峰)を経て、御陵山に至る。
そして南相木村にも里仁親王の流離譚があり、御陵山はまさに里仁親王の墳墓であると伝えられている。
重仁親王の言い伝えに酷似してますな。
ちなみに里仁親王という名は史書にはないのだが、藤原政権時代に謀反人として名前を歴史から抹消されたのだとか・・・

さてさて真実はどこにあるのか。

どこかに事実があるのか、村上基国がその野心から勝手に親王を担いだのか、あるいはどこにでもある貴種流離譚のひとつで、自治体がそれを利用したり、忌避したりなのか?

そういうわけで、話は長くなったけど、歴史的ロマンのある、墳墓のような岩峰を、悲運の皇子を偲びつつ敬意をもって踏破してみようかと。そういうことになった次第。

南相木村の御陵山里宮の前からはじまる林道に入り、適当なところで車を停めて、御陵山の北に延びる尾根を登り始める。
結構な岩尾根っぽいし、あの岩峰(皇子峰)も急峻な露岩が出てっぽい。
ロープを持つかどうか迷ったが、長友さんと赤沼のふたりならそういうのは得意分野だしいらんだろう!ということで軽装でスタート。

樹林を踏み跡だか獣道だかを辿る。歩きやすいし、気持ちいいし、
「登山道をぞろぞろ歩いてる人がかわいそうだよね~」とか二人して言いたい放題。

初冬の小春日和って感じのむちゃくちゃ感じのよい尾根筋。

踏み跡らしいものがあったのは、送電線のメンテのためもあったのかな。

いくつか小ピークを越えていく。

前半はかなり歩きやすい。

尾根どおしでルートも明瞭。

このあたりは岩峰だらけ。露岩が出始め、急な木登り露岩登りとなってくる。

急な岩峰が連続する。慎重にルーファイしながらピークを登ったり下りたり。

露岩をクライムダウン中。

越えてきた小ピークを振り返る。

結構いやらしい木登りと露岩登り。にこにこと登ってくる長友さんにあとで聞いたら、手袋の形状やらムーブやらいろいろと研究してノウハウを蓄積しているらしい。

突っ込んだ岩峰が案外悪くていったん下降中ですが、実はこの先で事件が。
赤沼の腰ベルトにつけていた熊よけスプレーのストッパーがやぶでなくなり、下降中、木の枝でスイッチが押されてしまったのだ。
幸い大事には至らなかったが、スプレーの液体を処理した布に触った手で触れた場所のすべてが、ひりひりと発熱。一晩ほどかっかしてましたわ。

皇子峰はもう目前。なんか難しそうに見えるぞ。

どこを越えてやろうか。できれば中央突破したいね。

しばしルーファイタイム。

良い子のみなさん。長友さんの木登り露岩登りテクニックを、この動画から学んでください。いろんなノウハウが見てとれますよ。(いやまじで)

南相木ダムが遠望できる。

皇子峰に到着!

皇子峰から少し下ってまた登ると天狗山から御陵山への稜線。登山道があって、ここからはすぐに御陵山山頂に着く。

御陵山山頂から天狗山方面。天狗山の向こうは八ヶ岳が白くなってる。

御陵山山頂

にわか祝詞を奏上

さて下降は一本西よりの尾根を考えていたが、長友さんが「沢を下りちゃいましょう」というのでただついて行く。長友さんの読みがあたってあっという間に車を停めてある林道に出た。




天狗山ダイレクトから

あっこちゃん(中江明子さん)と天狗山。
昨年敗退した下部フェースを登るかと出かけたけど、寒さに負けて転進。天狗山ダイレクト。
(敗退の顛末はこちらに記載してます。)

天狗山南面の岩壁群では唯一、天狗山ダイレクトというルートが知られていて、あとの岩壁はほぼ情報がなかった。
情報の多い既成ルートにだけ人が集まり、あの広大な岩壁群に何もないのがもったいない。
そこに昨年から手を付け始めて、難しすぎずに登れそうなラインを狙って、6本ほど登って来た。(登ったラインの概要はこちら)
今さら一度は登った既成ルート、天狗山ダイレクトになんで行ったかと言うと、単なる宴会前のお茶濁しなんだけど・・・・壁のまんなかを一直線にあがるこのルート、実は自分の作ってきたルートのよき展望台だということがわかった。

東岩稜

いくつかの小さなフェースの連続した岩稜。
やぶ尾根歩き、ときどき岩登りというのんびり楽しめるやさしめのルート。

右壁右稜

天狗山ダイレクトに並行するように山頂に伸びあがる岩稜。
左が切れ落ちてた壁で、右は樹林帯。ちょうどその境目の岩稜を登るやさしく楽しいルート。

そして写真は撮らなかったけど南稜もよく見えた。

どれも山歩き以上、クライミング未満みたいなルートで、「ルート開拓」というよりは「ルート発掘」と言ったほうがしっくりくるようなところ。

最近はこういう山遊びが楽しくて仕方がない。
「情報のないところは怖いところ」ではないと思うよ。
情報がないから、「行って見て」、「自分に登れそうなラインにとりついてみて」、「だめならおりてくればいいんでない?」という遊び方ができるんじゃないかな。

こういうルートは誰かがすでに登っているかもしれないし、「ルート開拓」とか、「初登攀」とかいう言い方にはそぐわない。だから「ルート発掘」なんて言った方がいいのかもと思った。
最初に登ったあと、東岩稜も南稜もこの記録を見て登ってくれた人がいるし、右壁右稜も登りたいという人を案内したりもした。それがとっても嬉しい。

60歳過ぎて、クライミング人生が終わるまでに登れるルートがあと何本あるのかな。そんな想いを抱き始めて、難しいことやかっこいいことがしたいんではなく、いい仲間と「あーでもない、こーでもない」と言いながら、こうやって山と触れ合い、じゃれあって遊びたいんだよね~ということに気が付いた。

開拓とかいうもんじゃなくて、いい遊び場を発掘していきたいな~。

瑞牆山十一面岩

金峰山の千代の吹上、第三岩稜の中間部分(上部と下部を登った登り残し)を登る計画だったが、さすがに11月に入って気温が低いうえ、風の強い予報。
「これは楽しくないよね~」ということでの転進。

パートナーは瑞牆山でいくつもの高難度ルートを拓いてきた中尾政樹さん。ヒマラヤ、サトパント南壁の初登やシブリン北稜を登った、アルピニストでもある。

「千代の吹上が中止なら、瑞牆山で軽いクライミングでもして、情報交換がてら飲みましょうか?」という魅力的なお誘い。
難しいルートばかりの印象で、怖くて手を出せなかった瑞牆山を、そこの主のような人に案内してもらえる絶好のチャンス。逃すわけにはいかないよね。

朝ゆっくり目に駐車場で待ち合わせ、どこに行くのかも知らずただついていく。天気も上々。なんかガイド登山の客というか、素敵なレストランで有名シェフにおまかせフルコース頼んでワイン飲んでるような気分?
どこに連れてってくれるのかな~ルンルン♪てなもんで。

40分ほどの歩きでついたのは、中尾さんも岩場の名前をまだ決めかねているようなところらしい。位置的には十一面岩の末端の末端の末端・・・あたりらしい。すでに登られたワイドクラックから、まだ掃除の終わってない(誰かほかのクライマーが掃除してるかも?なんてことらしいが)、未踏かもしれないクラックにつなげようという作戦。

ここは中尾さんも以前登っているらしい。赤沼も久々でテーピングばっちり・・・のつもりが、ずっと使わなかったテーピングが古すぎて粘着力が怪しい。
「それはだいぶ古いね~。いつから使ってないの。」
と笑われましたです。

中尾さんリードで離陸。
出だしがかぶっているけど、核心部は上のほうだった。

赤沼もがんばって、いんぐりもんぐり中。
ワイドクラックって息が切れるし還暦すぎのおじさんのやる遊びではないよな~。中尾さんは息も切らしてなかったみたいだけど。

ぜーはーぜーはー。
リードしてるみたいに見えるけど、ちゃんと上にロープついてます。

2P目も中尾さんには既登部分。
真っ暗なチムニー内を、クラックを使って登り、最後はうしろの壁に体重かけて休めるという特典つき。きわめて楽しいピッチです。

この辺が核心部。

さて未踏かもしれないこのピッチ。
「誰か掃除してくれてるらしい。登ってみよう~」と中尾さん。

でも取付き部分のハングが脆すぎてだめ。
ここは浮石落とし切らないとだめということで、頭の中は宴会モードに。

当然夕方から我が家で酒宴。
まあ話がはずむこと。
楽しい夜は更けていきました。

たまにこういう観光気分のクライミングもいいもんだね~、って割といつもそんな調子か?

金峰山・千代の吹上第三岩稜A峰

金峰山の南面に展開する岩壁群、千代の吹上。
アプローチが長いこともあってか、あまり登られていないが、その中でも記録の見当たらない第三岩稜。
先月(2024年9月)ここを訪れ、第三岩稜がおおよそ4つの岩峰からなっていることがわかった。便宜上、上からA峰、B峰、C峰、D峰と名付け、その時はD峰の正面壁を登って来た。

パートナーはハンターでカメラマンの田丸さん(東京ヤングクライマースクラブ)。
藪歩きがすさまじく速く、鹿に出くわすと人格が変わる。
自動車メーカーの専属で撮影をしていたこともあって、車にも詳しいらしい。

前回はなが~い瑞牆山荘からのアプローチでばてたので、今回は大弛峠から金峰山を越えて行くこととした。これで1時間ほど節約できる。前夜は大弛峠にて、田丸さんの車中泊仕様の軽バンで宴会。案の定飲みすぎの感が・・・

前回D峰を登ったのでつづきを登ろうという予定。
小さく見えるC峰は割愛して、B峰~A峰を続けて登るつもり。
かなりロングルートとなりそうなので、大弛峠を早朝出発のつもりだったが、前日の雨が乾くのに時間がかかりそう(という口実で飲んだんだけど)なので、目的をA峰のみに絞って少しゆっくり目に出発。

稜線から撮影した第3岩稜の上部。左のほうに見えているピークがA峰の頭。(下から見るとここで第3岩稜が終わって見える)
おぢさん二人で名づけるとしたらたった一つのワードしか思いつかないA峰の頭。下から見るとよりそれらしい。ここに立ちたい。

稜線から見て第3岩稜の左側ルンゼをクライムダウン。懸垂下降しようかという程度の急な斜面だが、樹林を使えばなんとか下りられる。

目的のA峰の下部に到着。
B, C, D峰が下方に見渡せる。
D峰の頭には先月懸垂下降用に作った支点につけた捨て縄が見えている。
B峰は上から見てA峰より右よりに稜線を伸ばしている。そしてB峰とA峰の下部はのっぺりしたスラブ帯でつながって見える。B峰からA峰につなげるとしたら、このスラブを登るか、弱点となりそうな草付きを登ることになるのか。

B峰からさらに上に伸びる岩稜。

B峰上部の岩稜は第3岩稜に向かって伸びてきており、その終了点が合流しているのか独自に稜線に向かっているのかは確認できなかった。
手前のスラブ壁はA峰の下部ともいえるところ。この下がさらにB峰の側壁とつながっているようだ。
このスラブ壁は手掛かりがなく、簡単には登れそうもないので、A峰のピナクル部分の末端から取付くこととした。

A峰の1ピッチ目(正面のフェースはグラウンドアップでは手がつけられず、ピークを右側から回り込むようなラインとなった。)

1ピッチ目の出だしはクラックがいくつか切れ込んだフェース。後半はフレアしながら右上するワイドクラック。
まだ若干濡れているし、フェース部分は表面が風化していて、気を付けないとスタンスを壊しそう。
見た目より悪いフェースから右上ワイドクラック。
クラック左側がハングになっているため、右のカンテにトラバースしたいのだが、風化しているうえ、ホールドも乏しく苦労する。
ハング下の泥つきクラックにいれたカムにあぶみをかけて右フェースに乗り移ろうとするが、どうしてもハングに頭がつかえてバランスがとれずに振られてしまう。今回借りて来た、私のより高級な妻のヘルメットを泥ハングに何度もこすりつけてしまった・・・・
バランスを維持するためフェース部分にボルトを打ち、そこにもあぶみをかけてなんとか右のフェースに乗り移ることができた。ふ~。
あまりの激闘ぶりにビレイしていた田丸さんも緊張していて、赤沼の雄姿は撮影ならず。

1ピッチ目。右上するワイドクラックからフェースに移る部分を登る田丸さん。

2ピッチ目。
1ピッチ目でA峰ピークの右側裏に回り込んできたので、振り返った頭上がA峰ピーク。登路を探して少し右(手前)に草付き帯をトラバース。

薄い苔に覆われた露岩帯を木登り。いやらしい登りだ。
A峰ピークよりも稜線よりに大きなスラブ壁が見えており、登り口まで行ってみた。手の付けられそうもないフェースに残置ボルトが一本。
ん?誰か来たのはわかるが、ボルトの上は登れそうもないぞ。
どうも登ったようには見えないので、A峰ピーク寄りに戻る。
ジェードル状になった薄被りのシンクラックがある。
泥もつまっているし大変そうだが、もうここ以外に登路がなさそうなので、1ピッチ目で疲弊した身体に鞭打って取付く。

3ピッチ目のシンクラックはいきなりのカムエイド。左側がかぶり気味で、またまたバランスのとりづらい登り。
右の風化花崗岩に右足をこすりつけ、左足はあぶみという状態で苦労して伸びあがってはつぎのカムを設置するというハードな登り。小型カム中心に6ポイントで右のフェースに移る。

第3岩稜の主稜線部分に出て3ピッチ目を終了。件のピークは後ろ側になってしまった。

4ピッチ目は金峰山の稜線に向かって伸びあがる岩稜。

小ピークをひとつ登ったところでピッチを切ってもらう。
件のA峰ピークの上で写真を撮ってもらうためだ。

ビレイ点から戻るようにA峰ピークまで行って写真を撮ってもらう。

またいでいる隙間をのぞき込むと、50cm程度のチムニーが下のほうまで続いている。ここを登りたかったな~。ここを登って、この隙間から顔を出すことができたら、中尾さんには悪いけど別の意味?で「生まれる気分」が味わえたかも。(瑞牆山で中尾さんの開拓したルートの名前です。)

これが第3岩稜最後のピーク。

最終部分は面倒そうなフェースなので割愛して、ここから左にトラバースして樹林に入る。

第3岩稜終了点

歩き部分もいれて全7ピッチのクライミングでした。
A峰だけちょろっと登って、物足りなかったら第2、第3岩稜の中間にある小さな岩峰でも登ろうかなんて言っていたが、激闘ピッチふたつを含むハードな内容となり、もう二人ともへろへろでした。

金峰山・千代の吹上第三岩稜D峰正面壁ルート開拓

金峰山山頂の西側稜線の南面に、千代の吹上という岩壁群があることはよく知られている。
高差約200m, 幅約200mにわたって展開する金峰山最大の岩壁群だ。
白水社の日本登山大系では第一~第四岩稜の間に展開する7本のルートが紹介されている。
同書でも「開拓の歴史が浅く」とあるとおり足跡は少ないようだ。
ネット情報を参照しても情報は少なく、第二岩稜周辺と第四岩稜が時折登られたり、近年第二フェースにルートが開拓された情報が見つかる程度だ。

【山巡の今までのクライミング】
2023年6月 第四岩稜
記録のまったく見当たらない第三岩稜を目指したが、ルートの取付きがわからず、結果として第四岩稜~白い尖峰を登って来た。
2023年7月 第一岩稜
第四岩稜を登った際遠望した、美しい第一岩稜を登って来た。
楽しいクライミングを通して、千代の吹上の全体像を、かなりの迫力をもって見ることができた。知る限り記録も見当たらなかったので、「岩壁観光ルート」と命名。第一岩稜は既登であるとのコメントもいただいたが詳細は不明のまま。初トレースであるかどうかはどうでもよいとして、とても美しいラインの好ルートなので多くの人に登ってもらいたい。
実際知り合いのクライマーが後日これを登り、楽しいルートだったとのコメントをいただいたのが嬉しい。

さて第四岩稜を登った際、ガスの合間に見え隠れしていた迫力ある岩壁群が第三岩稜と思われる。かなり難しそうだ。
記録は見当たらず、難しすぎて誰も登っていないのか、それとも登攀価値のないつまらない岩稜なのか?
そんな好奇心もあって、第三岩稜を訪ねてみた。

結論から言うと、第三岩稜はひとつのリッジというよりも4~5個程度の尖峰の集合体であり、各岩峰は南面を中心にそれぞれ素敵なフェースやクラックから構成されているクライミングの楽しめそうなエリアだ。
便宜上上ピナクル1~ピナクル4と呼ぼうかと思ったが、日本登山大系で第一岩稜の終了点がP1、第四岩稜あたりがP3と記載されており、まぎらわしいので、上から第三岩稜A峰~D峰と仮称した。

登山大系の概念図にA~D峰を書き加えてみた。

2024年9月13日

山巡の若手女子、斉藤真帆ちゃんと第三岩稜に向かう。
瑞牆山荘から第四岩稜と第三岩稜の間の下降点(左写真、砂払いノ頭)まで約3時間半。

第三岩稜最下部の岩峰(D峰)は、千代の吹上全体でももっとも低い位置から始まる岩壁かと思われる。取付きまでは急なルンゼを約45分のクライムダウン。右岸の第四岩稜の美しいスラブの取付きより少し下くらいから左岸にトラバースして岩壁基部。

D峰基部付近から第四岩稜を望む。

D峰正面壁を見上げる。
これはなかなかの岩壁ですぞ、と感激しているが、実はこれが第三岩稜全体からすれば下部のほんの一部であることをあとで知る次第。
高度がここまでおりればこの岩壁の上が長いことは想定されたが、「どうせ木登りで終わるんじゃない?」なんて、この時点では軽く考えていたのだ。
下部はスラブ壁で、2ピッチ目あたりにいやらしそうなクラックが見えている。
ちょっと悪そうなので、2ピッチ目で山巡の鉄砲玉、真帆ちゃんを投入すべく計算して、1ピッチ目は赤沼リードでスタート。

1ピッチ目スタート
左手には第四岩稜が見える。

1ピッチ目の核心はこのフレークをつかんでえいやと登るうすらかぶりフェースか。
この右手にかなり古い残置ロープを発見。誰か登っているのか?と思ったが、残置の場所やロープの形状から何かの採集のためのものではないかと思われた。あるいはかなり昔の試登用だった可能性も。

1ピッチ目終了点から2ピッチ目を仰ぎ見る。

2ピッチ目は基部からも見えたように急なフェースのまんなかにクラックが一本走り、上部はハング気味となっている。

クラックの形は美しいが、泥と草が詰まっているだろうな~
クライミング自体もそこそこ難しそうだし、泥臭いクライミングになりそうだ。

ということで、予定どおり鉄砲玉、真帆ちゃんの投入。
こういうピッチの突破には若さが必要だよね。


真帆ちゃん、ロープを渡すと黙って突っ込みます。
クラックの核心部。

真帆ちゃん、泥のつまったクラックでプロテクション設置に苦労しているようだが、掃除作業のあとアブミに乗ってカムエイドで核心部を突破。

核心のクラック上から振り返って撮影。
クラックのあとはハングにぶつかる。

ハング下も悪いらしく、苦労しながらトラバースして上部の樹林に飛び込んだ。Good Job!

「あんな悪いピッチをよく頑張った!さすがだね~」とか言いつつフォローしていくと、「赤沼さんにクライミングが遅い!と言われるんじゃないかと心配してた」とか・・・・はは。自分は残置してもらったあぶみをいきなりつかんで登っておいて、言うかそんなこと。

さて3ピッチ目。
ビレー点についた時、真帆ちゃんがやけににやけてるなと思ったら、3ピッチ目は真帆ちゃんの大好きなワイドクラックがきれいに口をあけているではありませんか。

赤沼「ん?登りたいの?別に登ってもいいよ?」
真帆「いや別にどっちでもいいですけど・・・・」

なぁんてはっきりしないので、順番どおり赤沼リード。
まあこの時点でこの先は木登りで終了と勝手に想像していたもので、1ピッチくらいは頑張っちゃってもいいかなと思った次第。

左側のハンドクラックで行けるかなと思っていたけど、どんどん中に吸い込まれていくタイプのやつでした。

「赤沼さん、ワイドもやれるじゃないですか~!」などとおだてられつつ、頑張っちゃってます。

3ピッチ目後半はD峰の先端近くまでチムニー。
「ワイドあるかもよ~」と事前の憶測だけで真帆ちゃんに伝えていたため、真帆ちゃんはワイド用のでっかいカムを持ってきてくれていたけど、それでもこのチムニーはプロテクションとれませんな。ただただ壁のなかでいんぐりもんぐり高度を稼いでトップアウト。ザックを置いてきたので荷揚げで体力使い果たし。

真帆ちゃんも楽しそうに登って来た。

最後の最後で使った大きめカムを回収。「役にたったでしょ?」と見せたかったらしい。

D峰の頭に立ってみると、なんとまだこんな岩壁が立ちはだかってますよ。
真正面がB峰と仮称したやつ(C峰は左手下にあって写っていない。比較的小ぶり)。
そのうしろにぴょこんととんがっているのが一応A峰と仮称したやつ。AもBも独立した尖った岩峰に見えますな。
右手に聳えているのは第二岩稜。
この時点で今日は時間切れ。なにせアプローチ4時間あるので、この先を登っていたら間違いなく帰りは真っ暗。それ以前に相当ばててますな。われわれ。

D峰の下に見えてるC峰。小さめだが一応独立岩峰ぽいのでCとしてみた。

足下となったD峰はやはり尖った岩峰で、ピークからはむこうがわに懸垂下降をするしかなさそう。懸垂支点とするのに使えそうな木もないので、ボルトを打ったことのない真帆ちゃんの練習がてら2本打って(途中で赤沼に交代)懸垂。

本日はここから下山と決め、アプローチでおりてきたルンゼまでD峰の側壁部を3ピッチの懸垂下降。

下りて来たルンゼをぜいぜい言いながら登り返し、登山道を瑞牆山荘まで下山。
約12時間の行動となった。

D峰の頭に懸垂支点がなかったことからも、D峰正面壁は未踏だったのだろうと思われる。(情報あればぜひコメントいただきたく。)
そしてD峰から、上部の岩峰につなげれば最低でも10ピッチは越える長いルートとなると思われる。しかも内容も相当濃いものとなるのは必至。
アプローチが長いので、取付きで一泊くらいのつもりでやらないとだめだろうな~
気力が高まったらやってみるかもしれないし、どなたか試みる方がいるなら喜んで情報は提供させていただきます。なんか上の岩峰たちも未踏な気がするな~

関係ないけど、アプローチから通してこの辺ってきのこの宝庫らしい。
もひとつ関係ないけど水晶もいっぱい落ちてるらしい。真帆ちゃんは大喜びで拾い集めてました。
今回のトラックログ

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