アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

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西上州・3岩峰の一筆書き登頂(鷹ノ巣岩・碧岩・大岩)

11月最初の週末は、長友さんと山に行くという約束だけがあった。
高山は寒いし、雪山には早い。
(赤沼「この時期はやっぱ西上州あたりの岩峰でクライミングかね~」
(長友)「西上州のクライミング、行きたかったんです!」
(赤沼)「どこか登りたいところある?」
(長友)「あのエリアはまだ妙義と大なげしあたりをちょろっと登ったくらい。西上州らしい岩峰やりたいっす。」

西上州らしい岩峰と言えば、立岩、碧岩、毛無岩、鹿岳あたりかね・・・

(赤沼)「じゃあまず入門ルートとして碧岩の西稜あたり?」
(赤沼心の声)「これならちょろいし、早く帰って宴会できるぞ。うししし」
(長友)「実は手術前(手の怪我で入れていたプレートを抜くらしい)最後のクライミングになるかもしれないので、赤沼さんを使い倒したいっす。」
(赤沼)「碧岩の既成ルートじゃ物足りないのね・・・そーいえばさ~、碧岩のすぐ近くに鷹ノ巣岩があって北稜は長いけど何度か登られてるみたい。そっちのほうがいいか?いや、いっそのこと連続登攀しちゃう?なんならその先にほとんど記録のない大岩って岩峰もあるから一筆書きで登っちゃう~?」
(長友)「それそれっ!やりましょう!」
ネットリサーチのあと・・・
(長友)「でも既成ルートあるところ登って歩くと、コースがジグザグになってしまって美しくないですね~」
(赤沼)「誰が既成ルート登ろうって言ったの?やるなら直線でしょ。ルートなければ作ればいい。鷹ノ巣岩の北稜登って、そこから碧岩に向かって東稜おりて、碧岩は西稜にルートあるからそれ登って、東稜おりて、さらに大岩に西から登れば直線で一筆書きできるよね。」
(長友)「Go! G0! ごぉ~~~~~!」

ルートのイメージ

(赤沼心の声)「しまった・・・・長友さん焚き付けてしまった。この3つの岩峰、それぞれが一日コースじゃん。山中ビバークで全装備背負って登るのつらすぎるな~。じゃあ荷物軽くして日帰りで、だめなら途中でおりてきちゃおう~そしたら宴会、うしししし」
(赤沼)「せっかく3つ連続で登るなら、日帰りでやっつけよう。スピード登攀もたまにはいいんじゃん?」

まあこんな感じの、赤沼の上から目線な対話があってルートが決定。

かくして情報の比較的少ない西上州の岩峰3つを、だいたいのラインだけ決めて、ルートファインディングしつつ、ルートがなければ開拓しつつ、しかも日帰りで終わらせるというハードル高めのプランができあがった。

さてそうなるとテーマは

  • 一日で終わるためにいかにスピードをあげるか。ルーファイに時間をかけない、ロープを使うのは最小限に、支点も必要最小限に、ロープワークの迅速化など。
  • ルートはなるべく3峰を直線的に結ぶことだが、地形を見て必然性のないラインは選ばない。
  • 長友さんは赤沼より早く歩いてはいけない。

【鷹ノ巣岩北稜】

写真は、碧岩方面から振り返った鷹ノ巣岩。右のスカイラインが北稜。

鷹ノ巣岩北稜はネットで検索すると、主に西上州のクライミングを愛するヲタククライマーを中心にそこそこ登られているらしい。
群馬県南牧村の観光地、三段の滝の駐車場から熊倉川を少しだけ上流に登ったところから取付き。日の出とともに取付くつもりが、林道の通行止めで迂回させられ1時間ほどのタイムロス。6時20分出発。すでに陽はだいぶ登っていた。

樹林の急登を行くと、草付きや灌木の混ざった岩場が出始める。

急登なので下界があっという間に遠ざかる。
鷹ノ巣岩本峰までにP1, P2という二つの岩峰を越えて行く。P1につくと鷹ノ巣岩本峰がだいぶ遠くに見える。

それなりに岩場も出てくる。
だいたいの岩場は木の根や草付きもホールドにしつつ、ノーロープで登っていく。途中3~4回ロープを出して鷹ノ巣岩に到達。

P2から鷹ノ巣岩
いやらしいところはロープをつけて。リードはすべて長友さん。
こういうのがかなりいやらしいクライミングになる。
鷹ノ巣岩、9時20分。3時間の登攀。

【鷹ノ巣岩東稜下降】

鷹ノ巣岩から東に向かって、碧岩、さらに大岩を目指す。

鷹ノ巣岩東稜もきりたったリッジ。リッジのすぐ南の急斜面を懸垂下降していく。

【動画】最後は若干かぶり気味のリッジ末端を懸垂下降。
沢が見えたら樹林の急斜面を歩いておりる。

この下が三段の滝上流の沢で、そこから少し対岸にあがると碧岩西稜の取付き。三段の滝上到着10時20分。下降に1時間かかった。

【碧岩西稜】

碧岩西稜は今回のラインの中では一番のポピュラールート。ガイド登山で来る人もいたりして、時には順番待ちが出るほどらしい。混んでるといやだな~

碧岩西稜取付きのコルに向かう。

三段の滝を見学に行ったりしてゆっくり休み、碧岩西稜取付きは10時45分くらい。

先行パーティーが1組いたものの、われわれがノーロープで登っているのを見て、快く先を譲ってくれた。3級程度の岩稜+木登りで飛ばしていく。
今朝登ってきた鷹ノ巣岩を振り返る。右のスカイラインを登り、こちら側のリッジすぐ左側をおりてきたわけだ。
【動画】碧岩西稜をフリーソロ中の長友さん
碧岩山頂すぐ手前の岩場は1Pだけロープを出したいと長友さんが主張。

時間かかって面倒くせ~な~と正直思ったが、実はこれが理想のパートナー。

彼は体力、精神力、登攀力ともに抜群だが、若干チキンな部分あり。
ただ自信があったり、格好つけて突っ込んで来られたんじゃあ危なくて一緒に登ってられないが、怖いときに怖いと言って一歩も引かない冷静さ、頑固さが頼もしい。格好つけないでいられるってすごく格好いい。

お昼の時報と同時に碧岩山頂に到着。

碧岩西稜は約1時間15分での登攀。

鷹ノ巣岩を振り返る。あそこを登っておりてきたか~と感慨しきり。

でもまだ先がある。

【碧岩東稜下降~大岩西稜】

碧岩東稜下降のはずなんだけど、正確に東は切り立ったフェース。

そこを無理におりる必然性は何もないので、少し傾斜の緩い南によるとそこは一般登山者の踏み跡。
のはずなんだが、ロープが張ってあったりはしてもやけにやばいぞ。
ロープ持ったままふられそうなリッジの下山。

結局一番必然性のあるラインには一般(篤志家)登山者向けの踏み跡があり、赤沼は「これ行っちゃえばいいんじゃない?」と言うが、長友さんは「一本北の尾根に入ればより直線的で美しいラインになるはず」と譲らず、楽させてもらえなかった。

西の尾根から大岩を望む。


またまた道なき道を歩き、軽めの岩稜を行くと先ほどの踏み跡に合流して大岩山頂に到着。13時。ほぼ歩きで1時間の行程。
大岩西稜は岩稜部分もあって登れないこともなかったが、はっきり言ってただの崖。あえて登る理由もなかったので歩いてすませた。

大岩山頂
碧岩方向に下山開始。

【写真ギャラリー】

紅葉の尾根を行く長友さん
なに喜んでるんだろ?

さて大岩からの下降は北面のフェースをおりるつもりだったが、道中に忘れ物もあり、碧岩の南面を巻いて三段の滝に至る踏み跡を利用することにした。
三段の滝経由で登山口駐車場着が15時15分。
9時間弱で3つのピークを登って帰ってくることができた。

【装備メモ】

二人とも運動靴とクライミングシューズを履き替えながらの行動。長友さんは急斜面で運動靴にチェーンスパイク装着。赤沼は面倒で靴のまま行動。
ロープはダブル2本。シュリンゲ多数とカム数個。ハーケンは1枚使用後回収。
懸垂下降はすべて灌木利用。

前穂高岳・下又白谷山巡稜下部フェース(F1左壁)

57年前(1965年)の8月に山岳巡礼倶楽部の先輩たちが登った山巡稜を再登しようと出かけた。

山巡稜は下又白谷下部本谷のF1手前の左壁(右岸岩壁)から、ひょうたん池に至るリッジで、下部はF1左壁のいやらしいスラブ壁を攀じ、上部はやぶ尾根を登ったものと思われる。

このルートは昭和37年(1962年)から昭和40年(1965年)にかけて、倶楽部をあげて行った下又白谷研究の一環として登られたもの。
山岳巡礼倶楽部の会報「GAMS」30周年記念号に掲載された記事に、1965年8月7日から8日にかけてこの山巡稜を登ったとの記載がある。
この時、「人間が見ることが出来なかった下又白谷の全貌が明らか」となり、「茶臼菱型岩壁、菱型右方ルンゼ(筆者注:今は菱型ルンゼと呼ばれている。)の発見」をし、さらに下部本谷の壮絶な滝群に目を瞠り、今後の研究テーマとしたようだ。

山巡稜下部フェース(F1左壁)の登攀は悪戦苦闘の連続だったようで、1965年8月7日はF1の落口と同高度の広いテラスまで登り、ロープをフィックスしたベースキャンプに戻り、翌日8日に途中まで「投げ網やザイルシュリンゲ等を使って登り切った」が、「そのうえは何一つないテラテラスラブに行手をはばまれ」、「アイスピンを打ち込」んでザイルトラバースのすえ、「モロくなった岩角をたよりに、リッジを廻り込んで、ガリーに入り」灌木帯に入ったとある。

さて山巡稜の再登計画である。
下又白谷にはだいぶ通って、下部本谷、F1洞穴ルート、菱型ルンゼ菱型スラブ(各スラブ合計3本)上部一尾根第一支稜(ウエストンリッジ)下又白谷奥壁と登ってきた。だが山巡稜はいやらしい露岩とかったるいヤブ尾根というイメージがあって、なかなか食指が向かなかった。

でもここまでくると、あの立ち位置から下又白谷下部本谷や上部の岩壁群を眺めてみたい。なにせ下又白谷登攀の歴史はここから始まったといってもいいのだから。

そういうわけで重い腰をあげた。
パートナーはひとまわり以上若い友人、長友さん。
赤沼のウエストンリッジの記録を読んで同ルートを登ったうえで連絡をくれた。意気投合して最近いくつかのクライミングを共にし、そして今では貴重なパートナーとなった。
やぶ上等、脆壁上等の頼もしいクライマーだ。
不運な事故で右手をつぶしてしまい、まだ治療中。でも登りたいらしい。なら行っちゃおう。

登ったのは2022年10月15日土曜。
長友さんは帰りのバスに間に合わなくても宴会ができるよう、上高地にテント、食料、酒をデポして行こうと主張したが、赤沼は「山巡の先輩が1960年台の装備と技術で登ったルートだよ。半日で終わって帰れるんでない?」と・・・つまり荷物軽くしたいのと、かなり甘く見ていたこともあるわけですな。

登攀具とお弁当だけ持って下又白谷本谷からF1へ。
ないだろうと踏んでた雪渓はまだ少し残っていた。

どうどうと水流を落とす大迫力のF1。その上の、左方向に伸びるスカイラインが山巡稜。つまりF1の左壁のどこかを登らなければこの稜には乗れない。

さあどこから取付くか。

F1左壁(この上のやぶ尾根にたどり着きたい)

赤沼はF1を過去に数回越えている。いずれも下部本谷や菱型スラブ、菱型ルンゼなどへのアプローチとしてだ。
雪渓の状態次第で、毎回ルートが異なる。
雪渓のない時期は左の岩壁を適当に登って、F1落ち口までバンドを拾ってトラバースをしていくのが良策。山巡稜に取付くにはF1落ち口の手前あたりから直上して藪に入ればいいだろう。

雪崩で磨かれたスラブは比較的硬いが、傾斜の緩いところはすべて土砂が堆積していて足場がない。
ごまかしごまかし無理矢理登っていく。見た目よりずっと悪い。
土砂の堆積したバンドをトラバースして弱点を探す。弱点とはいえ、垂直部をいくつか越えないと上には行けない。スラブ状の岩にはカムはあまり使えず、ところどころハーケンでプロテクションをとっていく。
うすかぶりのスラブを越していくと、見覚えのある洞穴がすぐ上にある。赤沼がはじめてこの壁を越えたときに拓いたルート(F1洞穴ルート)に、また寄ってきてしまったらしい。(写真上のハング下が洞穴状のテラスとなっている。)

洞穴ルートを拓いた際にはこの上のスラブで行き詰り、かなり怖い思いをしている。そこだけは避けたい。

1ピッチ目をフォローする長友さん。
傾斜の緩いところには土砂が堆積しているので、ホールド、スタンスは掘り出しながら登る。

2ピッチ目。
さて洞穴は避けたい。右のスラブは傾斜がきついが、岩はよく磨かれていて硬い。難しいフリーになるかもしれんが突っ込んでみるか・・・と、ボルト工作をはじめてみる。バランスをとるためにハーケンの先だけ浅いリスに打ち込んで、タイオフでビレーをとるが、ほとんど効いてない。

打ちながらこの上の様子を見るが、てらてらのスラブ上ではボルトは打てまい。次の支点がとれそうなところまで10mはランナウトするな~

ちと怖気づいて、ボルト工作は中止。
しょうがないので洞穴を目指す。

洞穴下までトラバースをしたはよいが、ここかぶってるね。
ハーケン1本効かせて突っ込むがかなり難しい。
ハイステップでやっと立ちこんだ足と岩の間にシュリンゲが入ってしまって、一瞬パニくりそうになったが、なんとか立て直し洞穴に突入。ほっ。

3ピッチ目。
洞穴はハングになっているので、右を越えるか、左を越えるか。
前回は左を行って大変な思いをしたと記憶している。
迷わず右へ。

と言っても右もかぶったフェースを越えないとその上のスラブには入れない。

ここもハーケン1本効かせて、フリークライミングちっくなムーブでスラブに立ちこむ。

なんとかスラブに入ったが、スラブと言ってもこの傾斜。
上に見えてるのが洞穴の屋根。つまりオーバーハング。

洞穴上のスラブを登って、F1落ち口につながるバンドに出た。
写真は洞穴上のスラブをフォローする長友さん。

F1左壁(前壁)の悪絶ぶりが感じられる写真をもう一枚。長友さんがまもなくバンドにつくところ。

3ピッチ目終了点でビレーする赤沼。
赤沼の真後ろがF1の落口。
ここからF1に行かず直上して上部のやぶ尾根に入ろうという作戦。

3ピッチ目終了点にはリングボルトが2本残置されていた。
自分が昔打ったものか、57年前のものか、それとも誰かが来たのか。
このほかにもかな~り昔風のハーケンやらボルトもあった。

4ピッチ目。
F1にはいかず、真上のやぶ尾根を目指し直上。
傾斜は強いがもうすぐ岩場はおしまいなので、気合を入れて行く。

最後の部分がどこを見てもかぶっている。
右のリッジをのぞき込むがやばそうなので、灌木のある真上を目指す。

このあたりがルート中最難。
このあとピッチの最後は灌木が1本あるハング。
持ってきたあぶみをかけたくなるが、この灌木が唯一の支点なのでフリーで頑張って小テラスへ。もうすぐそこがやぶ尾根だ。

4ピッチ目終了点。やぶ尾根はもうすぐそこ。

だが、だが、だが!

なんと赤沼がどこかで携帯を落としたことに気が付いた!
3ピッチ目終了点ではカメラとして使ったので、落としたのはこのピッチだ。

時刻はもう午後1時をまわっている。
ここまでは緩いラインでも探して朝のうちに来るつもりだったんだが・・・

「長友さん、ごめん!ここから降りていい?」
「いや~実は手の傷も痛み始めてるし、でもこちらから降りようとは言えなかったっす」

みたいなやりとりがあって下山確定。

携帯は3ピッチ目終了点あたりのブッシュで発見。無傷でした。

すごすごと懸垂下降

そんなわけで、山巡稜のトレースはならず。

でもかなり楽しい4ピッチの登攀だった。
いや山巡のじいさんたち(先日メンバーのひとりは亡くなった・・・・てか登った当時は若者だった)やるね~
というかこっちが今現在、彼らが登ったころよりずっとじじいじゃん。

もっとも57年前の登攀は8月なので、壁の半分くらいは雪渓が達していたかもしれないし、どのラインを登ったのかは結局よくわからなかった。

さて。われわれの登ったラインだが、途中にハーケンやらボルトの残置もあり、自分自身も含めて登っているのはたしかで、もちろん初登攀とかではない。

ただ岩登りのルートとしてはかなりユニークな特性を持ったものだとは思う。

まず美しく壮麗なF1の存在を常に感じられる登攀であること。
前壁や対岸の岩場の凄絶としか言いようのない迫力もまたひとつのエッセンスと言える。

そんなわけで岩登りのルートの一つとして(敗退記録としてではなく)紹介しておきたいとは思う。

上は長友さんが書き込んでくれたルート概要。
全4ピッチで各ピッチに最低一か所ずつ傾斜の強いうすかぶりスラブ壁があり、ネイリング技術、ルーファイ力、それになんとかごまかして登る突破力が必要とされる。(クライミング力とは言わないところがみそね・・・へへ。)

帰りの道中、グレードについて話し合った。
クライミングのグレードって主観以外ではありえない。
フリークライミングでよく使われるデシマルグレードは「ムーブ」だけを評価したものだと聞いた。

それって、今回のようなクライミングでのグレード評価にはなじまないよね。次登る人がいて、そんなグレードには何も伝えるところがないし。

じゃあグレードに怖さとか、ネイリング技術とか、ごまかし方?とか、脆さとかの要素を加味していいの?

てなわけでぐだぐだと話し合った結果、「全ピッチに最低一か所は5.9-5.10のムーブはあるし、4ピッチとも全部6級ってことでいいんじゃね?」てなところに落ち着いた。

誰か登って「4級しかね~よ」と言われても反論はしません。でも気を付けて登ってね~

使用ギアは:
ハーケン、アングル、薄刃など多数(懸垂用以外は回収)
ボルト使用せず
カム、1セット弱持参し使ったが全体に効きは甘い
残置ボルト、ハーケン等見つけたものは使用
50メートルダブルロープ2本
4ピッチに約4時間かかった。

霞沢岳の情報(ヤマケイ410号)–東斐山岳会の投稿から–

辺地辺境クライマーのバイブル「日本登山大系」。その霞沢岳の項を執筆したのが山梨の東斐山岳会。
沢の遡行図や概略図などを含めて6ページの記事で、沢渡あたりから六百山までも含めて紹介されており、岩登りに関しては八右衛門沢の右岸側壁が唯一対象となり、いくつかの山岳会によってかつて登られたとのみ記されている。
参考文献として「山と渓谷」410号, 1972年11月号と記載されている。
2年間にわたって霞沢岳の地域研究に取り組んだ、東斐山岳会の記事が投稿されているということらしい。幸い、古本屋で入手することができた。紙媒体とともに情報が失われていくのはもったいないので、せめて概略だけでもここに記しておきたい。(まあこのサイトもいつ消えるかわからんのだけどね・・・)


山と渓谷410号、「地域研究 霞沢岳–北ア最後のバリエーションルートを求めて」(東斐山岳会の投稿)の記事まとめ

【概略】
概略としてまず、霞沢岳の範囲を沢渡付近から六百山までをも含む大きな領域を対象としていることが記載されている。
梓川右岸の穂高をはじめとするメジャーな山にばかり登山者の目はむいていて、この「地味なそれでいて荒々しい男性的な山の食い込む余地はないらしい」と皮肉っぽく書かれている。
こんな時代からさえ、静かな山を愛するクライマーのミーハー登山者に対する皮肉な気持ちが変わらないのだな~と読んだが、記事内でさらに以前にも同じような感慨をもってこの山に臨んだ登山者がいたとわかった。

【登山史】
律儀な昭和の登山者らしく、よく調べてまとめてあるので、以下に抜粋しておく。西暦を付記しておきます。

明治35年8月(1902)
小島烏水 岡野金次郎
霞沢を遡行して、霞沢岳と徳本峠間の尾根を乗越、白沢を下降して上高地に入った。霞沢岳には立ってないと思われる。
明治43年7月、44年7月の2回(1910,1911)
辻村伊助
徳本峠を越えて上高地入り
大正2年8月(1913)
上条嘉門次 ウエストン
八右衛門沢から霞沢岳登頂
大正5年8月(1916)
田中薫
写真撮影のため登頂
昭和5年7月(1930)
慈恵医大山岳部 吉田幸雄 高木文一
三本槍を登攀
昭和16年1月(1941)
一高旅行部 中村徳郎
三本槍を登攀
以降昭和30年台くらいまでいくつかの同様の登山がなされているらしいとの記載
昭和31年6月号山と渓谷誌
石渡清筆「高見光太郎と山」より抜粋
(高見光太郎が)懐かしそうな目付で上高地の景色を、あれこれと、回想している風情だったが、
「だが、霞沢岳に登る人はすくないだろう」と言われ、「あの山は、たしか峯が三つに分かれていた。いい山だが。・・・登る人はすくない方がいいね」と、半ば、山岳の美に接した想いでによってでもいるような口吻だった。
私は、その時、霞沢岳は、上高地入りするちかごろの若い人達には、ひょっとして見落とされており、それを仰望することさえもしない者が多いかも知れないと想った—
昭和39年頃から(1964-)
東斐山岳会の記事から抜粋
霞沢岳の名が山岳雑誌に現われ出したのは、昭和39年ごろからであろう。東京都庁山岳部やグループ・ド・モレーヌが、そのころから記録や案内を雑誌に発表し始めたのである。そのほかに東京白稜会、信州大山岳部、松本登高会、富士電機山岳部、国土地理院山の会などが、霞沢岳のバリアンテを登ってきたようである。

特に、それらの中でも昭和37年暮から38年正月にかけての都庁山岳部の東北尾根、グループ・ド・モレーヌの六百山からの積雪期霞沢岳登頂は、非常に珍しい記録であると同時に、霞沢岳の登山史に残る貴重なものであろう。
昭和46年春(1971)~47年春(1972)
東斐山岳会による集中登山
霞沢本谷、南尾根、産屋沢、千丈沢、無名沢、八右衛門沢、三本槍沢、中畠沢、六百沢、白沢にターゲットを絞り、全部で18ルートをトレース。

前章の最後に「登攀上の注意」が記載されている。
曰く、
● 霞沢岳は一般ハイカーには無理
● 唯一のポピュラールートは八右衛門沢だが、稜線は無雪期にはハイマツがびっしりと生えていて大変である。
● 岩場のルートはとにかくもろい。取付きで硬くても上部はほぼ風化してボロボロになっている。ハーケンが効くかどうか疑問である。
● この山を訪れる人は少ない。静けさを保ちたいが、静かな登頂を願う人、登山に原始の息吹きを求める人たちにはぜひとも登ってもらいたい。登るに値する山だと信じている。

登山の記録

この記事をもとに日本登山大系の記事を書いたと思われるが、情報を整理して書き換えたらしく、各部が微妙に違うのでこちらの記事はこちらの記事で、かなり大雑把な要約のみ記載します。
概念図、遡行図などは記事より勝手に拝借しました。

南尾根

この山の主脈は六百山から霞沢岳を頂点として沢渡に至る尾根だ。
北側はアルペン的要素が強く、尾根も稜と呼ぶにふさわしい形をしている。南側はハイマツこぎの苦労は多いが開放的である。
南尾根は南側の典型で、腰までの笹と背丈以上のハイマツに覆われている。積雪期はラッセルの連続となり、夏冬ともにかなり覚悟のいる尾根である。
記録:
昭和46年8月11日~13日
冬期 昭和46年12月28日~昭和47年1月2日(おそらく冬期初登)

蕨沢

昭和46年5月の記録:
坂巻温泉と中の湯の中間くらいに出会う沢。
出会い付近は沢幅狭くしばらくゴーロが続く。
F4が最初の悪場。左から巻き。
雪渓がでてきて、F5も巻き。
アイゼンをつけて雪渓のうえを歩く。
つめは雪崩の危険を避け、露出したハイマツ帯を選んで登る。

産屋沢

昭和46年8月の記録
小梨平から歩いて入渓。「うぶやばし」の橋名で位置確認。
F4あたりからが核心。

千丈沢

昭和46年8月の記録
出会いから二股よりも、二股から稜線にかけて並ぶ急峻な稜に登攀価値がある。山頂から二股に落ちる稜が一番長く、しかも傾斜が強く手ごわいように見える。

昭和46年5月4日 千丈沢奥壁第一稜
水量は豊かだが、F7から上は雪で埋まっていた。
二股先から枝沢をひとつ見送り、雪の斜面とダケカンバの樹林を登って稜に取付き。樹木の切れた雪稜から稜の右側ルートで、頂上直下からはハイマツ帯となる。

昭和46年5月4日 千丈沢奥壁第四稜
第四稜末端の枝沢から取付き。雪の斜面を登る。
稜は狭くナイフリッジとなりアンザイレンしたが悪い雪壁となり、避けて登る。ここから4ピッチで雪面の氷化した背の低いハイマツ帯となる。

無名沢

昭和46年8月の記録
田代池正面の細い出会いから取付く。
前半は沢が狭く切れ込んでいる。

八右衛門沢

出会いから主稜線に至るまで滝らしい滝もなく石ころだらけの沢。
霞沢岳へのもっとも近いアプローチとして利用されている。
帝国ホテルの斜め前に出会いがあって、そこから霞沢岳の頂上まで片道3時間30分ほど。
三本槍沢との出会いから上は右岸側壁があって、落石が多い。
沢の上部で右股と左股にわかれる。左股は主稜線直下のハイマツ帯のなかにはっきりとした踏み跡がある。右股のガレ場より楽に稜線に抜けられる。
残雪期には急な雪の斜面となる。右岸側壁の奥から大きな岩と雪崩が出てくる。

八右衛門沢右岸側壁

八右衛門沢に入ってしばらく行くと正面に黒々としてゴツゴツした岩峰を見る。下流からは一部しか見えないが稜線から見るとそのスケールの大きさがわかる。
霞沢岳から六百山に至る主稜線から派生した壁で高度差300mほどと思われる。
三本槍沢上部の1ルンゼから主稜線直下の7ルンゼまでを確認。
岩の質は非常にもろくて、どこのルートも自然落石と自分の引き起こす落石に常に神経を張り詰めている必要がある。ルンゼは逃げ場がないので注意。
そのうえきわめて不安定な岩でハーケンやボルトもあまりたよりにならない。
登攀ルートとして考えられるのは、三本槍沢出会いの上部から数えて7本のルンゼとその奥壁、ルンゼとルンゼの間の岩稜、上部に大小のピナクルを持つフェースなど。
ルンゼの登攀は雪の有無で異なるだろう。
登攀を終わると上部は不安定な岩と土の混じった細い稜線とヤブとハイマツをこいで霞沢岳と六百山を結ぶ主稜線に出る。
下降路は5ルンゼは急斜面ではあるが可能。
一般的には八右衛門沢の左股を源頭から下るのが無難。

以下、各ルートの概略と記録とある。
つまり全部を登っているわけではなく、岩場の状況説明と記録の混ざった記事のようだ。

▼1ルンゼ
三本槍沢の出会いのすぐ上が取付き。
ルンゼの中央部のオーバーハングの滝が核心となりそうだが、右岸が登れそう。
▼2ルンゼ
1ルンゼのすぐ右側でコップ状に見える。2~3ピッチの登攀で高度もそれほどなく、登攀対象としては面白くなさそう。上部は1ルンゼと同じプラトー状の草付の坊主の頭(仮称)に出るが、さらに主稜線までがボロボロの岩で、なおかつ両側にすっぱり切れ落ちていて非常に悪い。危険な登攀を強いられる。(登っているのか記事からはよくわからない)
▼3ルンゼ
このルンゼあたりからが側壁の核心。逆くの字に曲がったルンゼで、下部は45度ほどの角度で涸滝をいくつか持ち、上部は屈曲して左に回り込む。
▼4ルンゼ(昭和46年5月の記録。われわれが登ったのもこのルンゼかと思われる。)

雪の斜面を100mほど登ると両岸に壁が狭まり、ルンゼは左に緩く曲がり滝に出会うが、右の氷瀑に数回ステップを切って登ると左の岩に移ることができた。
滝上はもろいガレ場。この上からまた雪渓があらわれ、1ピッチ半で3メートルほどのチムニーを抜ける。この上の岩壁は風化された花崗岩でボロボロ。壁を登ってみたがルートを見つけられず、残置されたボルト2本にあぶみを使って5メートルほど乗り越え、灌木帯に入る。
灌木とブッシュの急斜面を何ピッチかで稜線に出たが、主稜線までは2つのピークを越えなければならず、5ルンゼの雪渓を下降。最後は5メートルほどの滝を懸垂下降して八右衛門沢に戻った。

▼5ルンゼ(昭和46年5月の記録)
出会いのF1は右の側壁を登る。雪のルンゼを登る。
▼6ルンゼ(昭和46年5月の記録)
雪の斜面を登ると斜めのチムニーが30メートルくらいつづく。両岸は極度にもろい岩壁で落石が多数出る。青氷をカッティングしながら登る。
雪の斜面をのぼって稜線に至る。
▼7ルンゼ(昭和46年5月の記録)
八右衛門沢左股の主稜線に出る手前に狭い出会いを持つ。急な雪の斜面が主稜線まで続き、残雪期は下降ルートとしても使える。
▼大ピナクル
5ルンゼと6ルンゼの間に位置する。正面の比較的すっきりしたフェースが登攀ルートとして考えられる。2ピッチ目から急になりボルトとハーケンが打たれており、それを利用して吊り上げで登るとある。上部は垂直の壁で、そのあと傾斜が落ちてボロボロに風化した岩とハイマツの混じったやせた尾根となる。

三本槍沢左股(昭和46年8月の記録

各滝を越え、階段状のF13から上は奥壁となる。
これが予想以上に悪い。
その上は急な草付きで無数の花が咲き乱れる。ハイマツ帯は背丈を越すくらいで、苦しい登行となり、表六百沢の源頭のピークに至る。ここからピークを4つ越し、六百山。

霞沢岳2514峰西壁

霞沢岳は穂高連峰の展望を楽しむ静かな山として知られているが、実は大小の岩稜や岩壁、切れ上がった沢などを多数有する列記とした岩峰だ。
ここを霞沢岳ではなく、南穂高岳とでもすればよかったのにと言う人もいるくらい。
上高地帝国ホテルから霞沢岳にむかって一気に駆け上がる八右衛門沢を見ると、奥にいくつかの岩場が散見できる。しかし谷の奥にあるためか、あまりその存在感を感じさせない。
だが実際、八右衛門沢を遡行してみると、すぐに谷は急激にせりあがり、いつの間にか数々の岩壁に囲まれる。
なかでも上流部右岸側壁(2514m峰の西側)は400-500m規模の顕著な大岩壁となっている。そこは屏風岩のような一枚岩ではなく、急峻なリッジと風化花崗岩のスラブ、それにはいまつなどの草木に覆われた垂直のフェースによって構成されている。

2514m峰西壁の核心部を見上げる
八右衛門沢上流部から右岸側壁を見下ろす。


2015年9月、霞沢岳の岩壁群の偵察のため八右衛門沢を遡行。

2021年にようやくここを登るべく訪れたが、天候不順で敗退、転進。

そして今年、ようやく登ってくることができた。

パートナーは昨年敗退の際の相棒、石鍋礼くん。赤沼よりひとまわり以上年少だが、彼が中学生時代からのつきあいとなる。仕事も家庭もクライミングもメリハリよく大切にしているらしい。
そして女性だけの山岳会、銀嶺会の代表/組長、宮田実穂子さんがどた参加。ハイパーとも言える行動力に、明晰な頭脳と明るい性格の人たらしぶりを生かした人脈がすごい。

7月24日、沢渡から朝一番のタクシーで帝国ホテルへ。
八右衛門沢出会いまではすぐ。

早朝の霧に包まれた沢沿いの林道を歩き、林道がつきたら沢に入る。
沢は上に行くほど傾斜が強くなってくる。
小一時間で霧も晴れ、目指す2514峰西壁(八右衛門沢右岸側壁)が正面に見えた。

三本槍沢を分けると傾斜はさらに急になる。

八右衛門沢の遡行は上に行くほど傾斜を増し、ところどころクライミング技術を要する滝があらわれるが、慣れたクライマーならロープはいらないレベル。
ただ傾斜の増したガレ場は、いつ岩雪崩を誘発するかわからないので、場所によって一人ずつの歩きとする。

2514峰西壁の基部。

岩壁は中央部のリッジと右のスカイラインをなすリッジ、ふたつの大きなリッジを中心に展開する。上の写真中央部のリッジが壁の中央あたりとなる。ここは下部が木に覆われており、また上部は壁の中央部に合流しているため、その先が読めない。
このリッジを巻き込んで、右スカイラインとの間の凹角(ルンゼ)を取付きとする。

凹角に入る。100mほどは沢状をロープなしで簡単なクライミング。
このあたりからロープを出し、1P目とする。
背後に上高地を見下ろす。

1P目取付きからルートを見上げる。

右スカイラインが顕著な岩のリッジ。左は風化花崗岩のぼろぼろのスラブ。そして左は岩壁中央部分のリッジが垂直に、不気味に立ちはだかる。

右側の壁と中央のスラブ帯にはさまれたクラック沿いにクライミング。
壁はつるつるで、硬くフリクションの効く部分を探し出しながらの繊細なクライミング。ミリ単位で高度を稼いでいく感覚が久々で楽しい。

2P目は風化してボロボロのルンゼを右の壁に沿って左上。

中央部からせりあがってきたリッジの小ピーク手前でロープいっぱい。ピッチを切る。

技術的には難しくなく、楽しいピッチ。
3P目で左の小ピーク上に出る。明るく楽しい。

小ピーク上は風がさわやかで気持ちいい。

4P目。目の前は垂直の壁に阻まれる。

逆光でルートが読みづらい。弱点を探しつつじわじわと登るが、傾斜が強くて困難。草付きのラインを選ぶが、ハングに下向きに生えた草木をつかんでの強引なクライミングとなる。灌木の根にあぶみを下げての人工登攀もまじえて全身駆動の登りで手足はぼろぼろ。

4P目終了点。垂直部を越えると風化花崗岩のざらざらフェース。
5P目取付き。ここからさらに急な草付きフェースがつづく。
5P目で灌木に覆われたリッジに入る。リッジ手前がひどい風化花崗岩のスラブで、木に飛びつくようにしてトラバース。

6Pは灌木をつかんでの急傾斜の藪漕ぎ。危険はないが身体にはきつい!

さらに灌木からはいまつの藪漕ぎ100mほどで小さなピーク上に出る。ここで一応ルートは終了?かと思いきや・・・・・

ピークの先は垂直に切れ落ちており、2514m峰と思われるピークの手前には垂直のピナクルが林立している。思わず天を仰ぐ。
3人とも全身駆動のワイルドなクライミングで疲れ果てているのだ。
しかもピナクルは登るには相当難しそうだ。
ここで今日中に下山して宴会やろうというプランは消滅。ビバーク確定ですな。

ピーク上でしばし迷う。

ここからの下山オプションは・・・

1 登ってきたルート下降(支点構築が難しい。手持ちボルトとハーケンでは、灌木が見つからない場合3~4Pの懸垂下降が限界なのでリスクが高すぎる。)
2 左方面に三本槍沢右股を下山(同上)
3 八右衛門沢方面におりている灌木のリッジを懸垂下降(どこまで灌木があるか見えない。支点構築リスクが捨てきれないし、灌木リッジの懸垂下降はロープワークがかなり面倒。)
4 右方面の沢を八右衛門沢方面に下山(同上だが、傾斜がいくらか緩いので滝が少ないかも?)
5 3つのピナクルをすべて根性で登って縦走する。(つらい!つらすぎる!もう精神力も体力も限界だ~!)

とりあえずオプション1, 2, 3はなし。

オプション4の沢下りの可能性を偵察するため、まずは小ピークから沢の上部まで懸垂下降してみる。

沢のほうに少し下って様子を見るが、すぐ下がスラブ状の滝になっていて、その先が見えない。これはあかんな~と上を見上げると、なんとピナクル群を巻いて稜線上に戻れそうなゆるいルンゼが入っているではないか!

これでまんまとピナクル群を巻いて、稜線上の激やぶをこいでなんとか2514峰に到着することができた。

2514峰から巻いてきたピナクル群を振り返る。

左のピナクルが西壁の終了点。その右のルンゼを懸垂下降して3つのピナクルを巻いてはいまつの稜線にあがった。これを縦走したら大変な思いをするところだった。(冷汗)

2514峰山頂にて
ここからは2つのピークを越えて延々のはいまつ藪漕ぎとなるが、2514m峰以降はいくらか人も歩いているらしく、たまに踏み跡もあり、藪漕ぎ自体が少しだけ楽になる。
まもなく霞沢岳のK1。登ってきた尾根を振り返る。
というわけでK1に到着。

もはや霞沢岳ピークハントの余裕はなく、この日は登山道を徳本峠まで行き、ツェルト泊。しかし宮田さんの交渉力よろしきを得て、なんと徳本小屋からビールを入手。打ち上げをして、翌日明神経由下山となった。

【クライミングデータ】

八右衛門沢出会いからK1までのトラックレコード
クライミングルート

八右衛門沢を遡行し、三本槍沢を左に分けるとすぐ右岸が2514m峰西壁。
大きなリッジをひとつ越え、次のリッジ手前のルンゼから取付き。
1P目 ルンゼを左上。クラックと左右のフェース、右側の壁をホールドとして総動員しての繊細なクライミング。50m 5~6級程度。
2P目 ルンゼをさらに左上。岩壁中央部のリッジ上の小ピーク手前まで。50m 4級
3P目 小ピークの上まで50m 4級
4P目 目の前の垂直フェースを直上。半分は草木の根元をつかんでの強引なクライミング。50m 5級A1(灌木の根にあぶみを1回使用)
5P目 草木に覆われた右上ルンゼから右リッジを巻き込み、さらに左にトラバースして灌木帯に入る。30m 4級
6P目 灌木のリッジを直上。50m 2級
7,8P目 灌木リッジ。100m 2級

装備はカム2セット。ハーケン2本使用(1本残置)、残置ハーケン1本発見し使用。ボルト不使用。

タイム
7月24日
05:10 am 八右衛門沢出会い出発
06:00 am 三本槍沢分岐
07:40 am 2514峰西壁基部
08:00 am ルートにしたルンゼ基部
08:30 am 1P目取付き
14:00 pm 終了点のピーク
14:30 pm 終了点より八右衛門沢側に懸垂下降
15:10 pm 2514m峰
16:10 pm 霞沢岳K1
19:30 pm 徳本峠

上記の絵では三本槍の位置を間違えてますm(__)m

参考資料等

霞沢岳でのクライミングに関する資料は非常に少ない。

白水社「日本登山大系」霞沢岳の沢の項に以下の記述がある。
昭和30年台後半、グループドモレーヌ、都庁山岳会などいくつかのグループが八右衛門沢右岸側壁に目をつけ登ったらしい。

ついで上記を執筆した山梨の東斐山岳会のメンバーが昭和40年台に2年にわたり、霞沢岳で18本のルートを登り、山と渓谷410号に記録を投稿した。
記事の要約、紹介はこちら。



南相木グレートトラバース(エクステンディッド)

徒然に地図を眺めていて、何気に訪れてみた城山(海ノ口城址)。
そこから長野県のなぁ~~~んにもない村、南相木村での山歩きが始まった。
南相木村の村界はほとんどが登山道もないような山稜だ。
城山を歩いた後、長野県南牧村との村界尾根をすべて歩き、(酔狂で)南相木グレートトラバースと名付けた。鹿や狸の踏み跡をたどっての素敵な山歩きとなった。
今回はその起点となった馬越峠から反対側(東)に向かって、川上村との村界尾根を歩いてみた。グレートトラバースルートがアップグレード(Extended)されたわけで、城山からはじまって、南牧村との村界尾根にさらに川上村との村界尾根が加わったものを新しい南相木グレートトラバースとしてしまおう。
この先は北の村界尾根を踏破し、それらすべてを包含して「南相木村サーキット」ないしは「ラウンド南相木」とでも名付けてしまおうと思っている(笑)

さて今回も車2台で行って、1台は下山予定地にデポ、もう一台で登山口に向かう作戦。

相棒は長友さん。車も持っているし、山に関しても全幅の信頼がおけるパートナー。ただ彼は4月に右手を怪我してしまい、今はリハビリ中。右手でのクライミングは無理だし、転んで手をつくのもNG。
それでもプロテクターで手を固めての参戦。頼もしいというか無謀というか。

彼の状態を考慮して、馬越峠から登山道のある御陵(おみはか)山往復というぬるいプランを提案したのだが、逆にさんざん長駆登山をそそのかされ、南相木村/川上村の村界尾根全踏破をすることとなり、結局18キロ近くにおよぶ8時間半のロングランとなった。

下山予定地の南相木ダムの駐車場に車を1台デポ。
日本一標高の高いダムと言われるここを訪れるのはすでに4回目。
さて今日中にここに帰って来られるのか?

南相木村村界尾根の南側山稜(南相木グレートトラバース)を横切る唯一のまともな車道、小沢しなの入トンネルを越えて川上村側に抜ける。
登山口となる馬越峠は南相木村、川上村間の峠道で、当然南相木村側からもあがることができるのだが、当分の間は南相木側が工事中で通行止め。なので遠回りしてあがるのだ。

馬越峠から東に向かって歩き出す。

馬越峠から西へ登山道を辿れば先日も通った天狗山。反対側は擁壁となっているが、左の隅に踏み跡があり、登山道に入れる。御陵山までは比較的よく整備された道。

御陵山って、この山域に唯一残る伝説、悲運の皇子重仁親王の陵?とか思ってたけど、違うことが書いてありますな。まあ強引に結び付けて仮説をたててみたりするのも楽しいでしょうが、それはまた今度。

壊れかけた祠に手を合わせてさらに先へ。
振り返れば天狗山
登山道はなくなるが尾根は歩きやすい。踏み跡もそこここに残っている。

御陵山から東に1.5キロ程度縦走した先、1753m峰あたりが地形的には今回の核心部。何せ長友さんは、転んで手をつくことが絶対許されないのだ。

岩稜ぽくなってくる。慎重にルートファインディングしていく。
川上村側にまたまたソーラ出現。

そういえば馬越峠の手前も伐採中とあって、大量の樹林を切り倒していた。どうやら川上村は南斜面のすべてをソーラにするつもり?
薄っぺらい偽善と拝金の匂いがプンプンして不快感マックス。

しばらく岩稜がつづく

尾根がなだらかになってきたあたりで、川上村から南相木村に抜ける林道をまたぐ。

尾根は延々とつづく。少し飽きも入ってくる。

ところでほとんどの行程を長友さんに先導してもらった。
体力差を補うのにこれはかなり有効だった。
道を読んで、GPSで確認して、ペース配分して・・・という作業がかなり体力を使っているんだろうと思う。
ただひたすら長友さんの後ろ姿を追って歩くのが楽で、癖になりそうだ。
これも長友さんに全幅の信頼がおけるがゆえ。道もたまには間違うが、それは自分も同じだし。間違いも含めて信用してついていく。そんな気持ちになれるのがなぜか嬉しい。

今回は8時間半ほどの行程だったが、道中のかなりの部分を二人で喋り散らした。これも毎度のパターン。

長友さんによれば私の登山は「最高に享楽的」なんだそうな。
最大限の誉め言葉として受け取る。

クライミングばかりやってた10台最後から20台のころ。
仲間がばたばたと亡くなっていくのを見ていて、自分の寿命も長くて30くらいだろうと思っていた。だったら死ぬまでの残り少ないクライミング行を最大限に楽しいものにしないと・・・と思った。
無駄な山行をなるべくしないよう、少しでも多くの感情を味わい、多くのものを見て、怖い想いもして、多様な山の楽しみに、クライミングという最高にクリエイティブな表現行為を通して触れなければならないという強迫観念に突き動かされていたように思う。

30過ぎても、40過ぎても、50過ぎてもなぜかまだ生きていて。
だんだんそんな切羽詰まった気持ちも薄れてきて。
でも還暦過ぎて、人生の終わりまでの時間を数えはじめた今、なぜかあの頃に近い感覚が戻ってきているみたい。
死ぬまでにできるクライミングはもう限られている。
だから無駄な暇つぶしみたいな山はやりたくない。
すごい山とか難しい山をやりたいわけではなく、自分として納得のいく山との触れ合い方、素敵なパートナーたちとの関係性、岩や山肌の感触、まだまだあるだろう未知の感情・・・・そういう無数で多様なものをすべて自分のなかに封じ込めて死にたいな~
なんて話を道中ず~っと話していた。

もちろん長友さんの登山論、美意識などについても興味深く拝聴した。
今回は前のように高いところから低いところに縦走するという楽な道をとらず、登りの多い道中になったのも長友さんのそんな美意識によるものが多い。そのへんこだわらない私は従うのみ。

道半ばを過ぎた1907m峰あたりでお昼。今回は飢えないようにおにぎりいっぱい持ってきた。

私の持ってきたシャトレーゼのよもぎ饅頭、長友さんのカロリーたっぷりビスケット、ウィダーインゼリーなど、おにぎり以外の食の楽しみをとっておいて、「あのピークについたらこれを食べよう!」というのを大きな楽しみに道を進める。

今回の最高到達地点。高天原山。国土地理院の地図には山名記載がなかったが、Geographicaには出ていた。ここで南相木村/川上村の村界尾根はおしまい。

ここから北に、今度は群馬県上野村との村界尾根に入る。すでに南相木ダムの東側に回り込んでいるので、このままダムに下りれば今回は終了。

南相木村の山は、北斜面がなぜかみなシダに覆われている。尾根をたどってダムにおりようと思ったが、シダに覆われた足元が見えなくて、倒木や苔に覆われた岩が滑るので危険。

尾根をやめて沢下りにする。三川は南相木側、奥三川湖(南相木ダムのあるところ)の最上流だ。

南相木ダムの遊歩道から三川に伸びる林道に着く。
南相木ダムの遊歩道をぐるっと半周して、デポ車を停めた駐車場へ。
南相木ダムに到着

【記録】

トラックレコード(西から東へ)

左端の馬越峠から歩き出し。東へ御陵山。その先は登山道はなし。
踏み跡をたどってさらに東へ。オソネ、東沢の頭と名付けられたピークを越えてさらに東へ。
再東端は高天の原山。北東には御巣鷹山。このまま東へ行けば三国山。

高天の原山から北上し、途中から適当に西の尾根に入る。三川の沢を下って南相木ダムに到着。

歩いた日:2022年6月26日

馬越峠 7時30分発
1753m峰 9時30分
オソネ  11時11分
1907m峰 12時10分
1935m峰 13時15分
高天の原山 13時45分
三川林道  15時15分
南相木ダム駐車場 16時着
全行程約17.5km 8時間半の歩きだった。

野猿返し&宴会

どこか登って、わが八ヶ岳の家で宴会するシリーズ。
もう何回目か忘れたが、そのお題として何度もあがった野猿返し。
お気楽に登れる楽しいクライミングルートらしい。宴会のお題としては理想的。
毎度ほかの開拓に走ってしまったり、天気が悪くて藪山歩いたりとなかなかクライミング実現せず。

今回は強め女子3名がクラック練習に行くので、八ヶ岳のほうに我々夫婦がいれば立ち寄って宴会したいな~というお話。
諸々調整の結果、女子3名と私の4名で野猿返しを登って、宴会して、翌日は女子3名がクラック練習ということになった。仕事と孫相手の忙しい妻は今回の宴会には不参加。

メンバーはドライツーリングの日本代表選手として世界を転戦しているメパンナ笹川さん、女子だけの山岳会、銀嶺会の組長宮田さん、それにふたりの妹分として可愛がられているらしいサキちゃん。

川上村から大弛峠に向かう林道途中から沢を渡って取付きへ。女ボス二人は靴のまま飛び石でヒョイヒョイ、サキちゃんは軽くドボン、私は裸足になってバチャバチャ渡渉。

さすが人気ルート。先行パーティー2名x2組

我々も2組。宮田、赤沼パーティーと笹川、サキちゃんパーティー。
先行は初心者含みでゆっくり登っているので、ごちゃごちゃになりながら先に行かせてもらう。この辺から景色も開け新緑がまぶしい。
ちなみに先行パーティーの女子1名は、何かで宮田組長を知って憧れていたらしいよ。

岩は硬いし、フリクションも効くし、楽しく、気持ちよく登れます。
青空!
この辺からが核心部らしい。
核心部の終了点から手を振ってるの見えるかな?

東股沢をはさんだ対岸の兜岩。たぶんまだクライミングの対象にはなっていないと思われる。偵察に行かねば。
後ろの方に小さく笹川さん、サキちゃんパーティーが見えてる。
左から宮田組長、サキちゃん、メパンナ笹川さん。
終了点で女子3名しゃべり倒しながらの昼食。
シャクナゲの花がいっぱい。

午後3時には早くも宴会開始。おじさんは表でウインナーの七輪焼き中。
クレマティスが満開。

南相木村・立岩~峰雄山

群馬県の西上州エリアには妙義を中心に特異な岩峰が多く、それらを愛好する篤志家たちがいる。
その西、長野県の東信州エリアには八ヶ岳や浅間山などの名峰が連なり、川上村には小川山や男山、天狗山といったクライマー好みの岩山も多い。
南相木村はちょうどそれらの狭間にあって、存在感の薄い感じがする。
つまり・・・・玄人好みの地味な山が多くあるだろうと思われる。
先に投稿した「恩賀高岩偵察行」に行く予定だった日、予報に反してアプローチしたとたん雨が降り出したので、天気の持ちそうなこの南相木村に遊びに行くことにした。(恩賀高岩の偵察はその翌日行った。)

さて観光資源も有名な山も乏しい南相木村にあって、数少ない名所の一つとされているのがこの立岩。
立岩湖のほとりにある60mほどの岩峰で、山頂には祠があって、クライミングのルートもあるらしい。
まずはこいつを登ってみようということになった。

立岩湖への道をドライブしていくと林道の対岸に屹立する立岩が見えた。

立岩へは村道のすぐ先の橋を渡って裏側から登るのが一般的らしい。
高差は正面に比べてだいぶ少なく20m程度か。
階段状の簡単なフェースのようで、ハンガーボルトもべた打ちしてある。

これはすぐ登れるとして、まずは岩の正面側まで基部をまわりこんで偵察におりていく。

真下から見上げた正面壁

傾斜強い、節理ない、組成も柔らかそう・・・・つまりやばそうな壁。
どうも登られた形跡もないようですな。
結局、登られているのはてっぺんに行くだけが目的の易しそうなルートと、その近くにとってつけたようなフリールートらしきものだけの様子。
この正面壁は今回のようなついでな気持ちでは登れるわけもなく、まあてっぺんに行ってこようかと、裏側に戻る。

裏側のルートを野口さんリード中
てっぺんの祠から県道を見下ろす

昼から雨という天気予報を見てでかけたので、かなり早起きして出かけたためまだ時間はたっぷり。

カシミール3Dの地図によれば、南相木村で山頂名の記載された山は二つだけ。峰雄山とずみ岩というもの。ずみ岩というピーク名にはかなりそそられるものがあるが、まずは手前の峰雄山に登ってみよう。

以前調べたところ、立岩から峰雄山に縦走している人がいて、岩場の通過に苦労している由。まあそんな記述を見て、岩登れるところあるかもな~という下心もあって、岩場偵察もかねようというわけ。

注:ちなみに御座山、男山、天狗山などが南相木村の山として紹介されることもあるが、地図をよく見ると御座山の山頂は北相木村、男山、天狗山は川上村にあるように見える。国土地理院の定義では「山とは地面の盛り上がった場所」という意味しかないそうなので、特定の山頂=特定の山とは限らないわけで、御座山などの山体が南相木村にあることもたしかなこととすれば、南相木村の山と言ってもいいのかもしれない。

立岩湖から峰尾山まで稜線が続いている。
縦走は長いので、まずは山頂に行こう。

峰雄山南面の村道から林道に入り、山頂に一番近そうな林道終点から歩き出す。

なんとなく踏み跡もあって歩きやすい。
岩もごろごろと出てくる。比較的硬そうな岩。
ここが山頂。

稜線を立岩方面に少し歩いて別のルートを下りようかと思ったが、南斜面はかなり急なので往路を戻ることとする。

奥に見えるのは御座山かな
ところどころ岩場が出てきて回り込みながらの歩きとなる。

日本一標高の高い場所にあるダムらしい。



西上州/東信州の岩峰たち(恩賀高岩偵察行)

西上州の岩峰群には特別な想いをいだいてきた。
若いころにルートを拓いた毛無岩や、西上州のマッターホルンとうたわれる碧岩、いくつかの歴史秘話に彩られる物語山のメンベ岩、妙義山の特異な岩峰群・・・・奇岩とそれにまつわる物語、そこに棲まうであろう魑魅魍魎や風土に酒、それらのすべてが自分のクライミングへの想いに呼応してきた。
八ヶ岳南麓にベースとなる家を持ってからは、川上村の男山、天狗山でのクライミングなどに行くことが増え、さらに川上村の五郎山にはルート開拓のため何度も通った。御座山を有する相木村や佐久市の山にも訪れるようになった。
深く考えずこれらをまとめて西上州の山と位置付けていた。
あれ?
どこまでが西上州なんだろう?
西上州は上州の西、すなわち群馬県西部の山ということになるだろう。
そうなると御座山は長野県相木村、川上村も佐久市も長野だ。
つまりこれらは西上州ではなく、東信州(東信地区)の山ということになる。

まあ厳密な定義はともかく、相木や川上村の山々には西上州の奇怪な岩峰群とはまた違った、突き抜けた明るさのようなものが感じられる。
西上州の岩峰のイメージは組成の脆い礫岩/凝灰岩であるのに対し、信州に近づくと花崗岩が増えてくるというのもイメージの違いに影響しているかもしれない。

さて恩賀高岩という岩峰がある。

上信越道を佐久から藤岡方面に走ると、碓井軽井沢ICのすぐ先、高岩トンネルの真上に聳える二つの顕著な岩峰だ。クライマーなら誰しも登攀ラインを目で追った覚えがあるのではないだろうか。
この恩賀高岩、碓井軽井沢ICのすぐ近くにあるが、長野県軽井沢町ではなく、群馬県松井田町に位置する。つまり定義的には西上州の山ということになるのかな。
青空が似合う突き抜けた岩峰でありながら、岩質は妙義のそれに近く陰惨で急峻。いろんな意味で西上州と東信州のあわいを彩る特異な立ち位置の山だ。

私も例にもれず、この岩峰が気になっていて、2012年に一度偵察に行った。
ここにルートがあるという情報はなかったので当時は未踏であった可能性が高い。
偵察の結果はあまりの急峻さ、命を守る支点構築の難しさを感じ、登る気にならず、登りたい山リストに放り込んだだけで、今まで放置していた。

しかし近年、雄岳に2本のルートが開拓された。

以下は開拓者、桃奈々さんのブログへのリンク↙
2020年12月恩賀高岩南壁雄岳「右ルンゼ桃岩ルート」
2021年2月恩賀高岩雄岳南壁「御会話ルート」

この2本を開拓した桃奈々さんに連絡をとると、快くアドバイスをいただき、ルート情報も提供くださった。

5月中旬にクライマー仲間4人ほどで、どこか登ってから八ヶ岳のわが家で宴会をしようという話があり、どこを登るかという話し合いでこのルートを提案した。
桃奈々さんによると登るなら桃岩ルートがお薦めだという。
しかし4人で凝灰岩の不安定な岩場をぞろぞろ登るのはいただけない。
そこで二手に分かれ、1パーティーは桃岩ルート、もう1パーティーはおそらく未踏であろう雌岳の南壁を狙うという可能性を検討することにした。

まあそんなわけで、もう一度ちゃんと偵察してみようということになった。


ニコちゃん大魔王、野口さんと彼の後輩、20台の若者ケンちゃんがつきあってくれることになった。
高岩には山頂に至るかなり曲者の一般登山道があるので、まずはこの登山道をあがる。


登山道を行くとあっという間に雄岳、雌岳基部に至る。
登山道はここから峠まで登って、右が雄岳左が雌岳へと道を分ける。
岩場基部でハーネスをつけ、まずはルート開拓狙いの雌岳方面にトラバース。

全体にこういう壁。陰惨で急峻。その意味がわかるかと。

角礫凝灰岩っていうんでしょうか。
セメント様の垂直の岩壁に、クライマーが「たどん」と呼ぶ角ばった石ころがたくさん突き刺さったような岩壁。
たどんをホールドにいけば技術的にはかなり急なところもフリークライミングが可能。ただし滑落から身を守る支点は非常にとりづらく、そのたどんもいつ抜けるかわからない。要するにハイリスクでローグレードな岩場。

クライマーはこれを泥壁と呼びます。

かなり脆い雰囲気はありますが、触ってみるとたどん自体はがっちりと壁に固定されている。
たどんにシュリンゲ(細引き)を結び付けての滑落テストや、岩が抜けそうなリスにハーケンを無理矢理たたきこむハーケンテストなど試みる。
思ったより組成は堅いかも・・・・・でも怖い。

弱点にあたるルンゼを赤沼が試登。

急峻なフェースとルンゼで構成されるこの岩壁の弱点はやはりルンゼか。
ヒルもいたりしてあまり楽しくはないのだが、上部の様子も見たいのでとりあえず1P登ってみることにした。
が、たどん支点ではリスクが高いと判断し、途中からクライムダウン。
ただこのクライミングで支点構築の方法などはだいたい想定することができた。

ついでに雄岳のほうも偵察。

雄岳のほうが若干岩が固めで、組成もはっきりとしている。やはり登るならこっちかな~
桃岩ルートも下から見上げてみた。やはりルンゼの弱点を登っているということがよくわかる。

偵察はこんなところで完了。せっかくだから登山道から山頂に行こう。峠まではわりとすぐ。峠から雄岳に登ってみることにした。

それにしても道が悪い。こ、ここトラバースするの?これ一般登山道?
いや道悪すぎるってば。繰り返すけどこれ一般登山道です。

山頂手前で垂直のルンゼを登るルート。たどんが出ているからクライミング技術自体はそれほどいらない。とは言ってもグレード3級+から下手すると4級ある。慣れたクライマーでもたどんが抜けるリスクを考えたら、ロープを出すレベル。
そこに鎖がたらんと下がっているだけ。
余計なお世話かもしれないけど、意識低い系(?)のハイカーが、足場は崩れないなんて前提でここ登って、足場崩れたらどうなるの?と思ってしまった。このルンゼ部分ちょうど25メートルあったし、落ちたら大概助かりません。

何はともあれ雄岳山頂にあがる。
雌岳ごしに浅間山
一般登山道だが懸垂下降でおりる。
お疲れ様。下山しました。


西上州・九十九谷ゴリラルート

群馬県南牧村の九十九谷は、特異な岩峰を連ねる西上州にあっても特に異様な雰囲気を醸し出す谷だ。
上底瀬村の黒滝山登山口を起点とすると、九十九谷を経て稜線まで約600m。右岸尾根と左岸尾根の間も600mほど。その小さなエリアのなかに、特徴的なスラブを有するリッジが何本も並んでいる。

九十九谷左岸の岩壁

この中間をまっすぐ主稜線につきあげている中間尾根を登るルートがゴリラルートらしい。

ちょっと八ヶ岳の家に行く用があって、ついでにこの谷を偵察がてら周辺をハイキングをしようと計画した。
ひとり宴会も寂しいので、暇そうなニコちゃん大魔王、野口さんを誘うと二つ返事でつきあってくれることになった。いちおうガチャ(クライミング道具)も持って行って、遊べそうなところがあったら遊ぶかとなった・・・・と、まあこの時点で登る気まんまんですな。ニコちゃんは肩やら腰やらを壊しているので、くれぐれも無理させないように奥様から釘を刺されていたのだがあっというまに寝返る私。

沢沿いの登山道を進むと、すぐに沢は伏流となり水がなくなる。
おっと水くむの忘れてきた。いったん登山口まで戻る。ついでにロープも忘れてきた。まあいいか。ニコちゃんのロープ一本でやっちまえ・・・って、今回はなんか適当だな~
登山道が沢を離れるところからは沢をまっすぐ。数分歩くと二股となり、この二股の間がどうやらゴリラルートのある中間尾根らしい。

二股の上に岩場が見える。
左股を少し登ったところからアプローチ(一応ロープを出したので、これが1P目)

2P目。このスラブを右上するらしい。

初登者はこのスラブを30mのランナウトで登ったとか。
今は少し行ったところにリングボルトが一本あり、登ってみるとその手前にもう一本変わり型ハーケンが一本。
おそるおそる登ってみるが、リングボルトの上はたしかに支点がなさそうだ。
しかも傾斜が増してきている。
フリクションは良いものの、立ちこむべき岩の結晶がいつ崩れてもおかしくないこの西上州で、ここに突っ込むのはリスクが高いと判断。
少し右のルンゼ状を登ってみることとした。
1段傾斜の強いフェースを越えさえすればあとは灌木を支点に行けそうだ。
フェース部分にRCCボルトを打ちこんで、微妙なバランスでここを越える。案の定そのあとは問題なくスラブ途中のテラスに到着。

右のルンゼ状からテラスに到着。

3P目。テラスから左上するフェースがいけそうだが、ここも支点に乏しい。
右のカンテをまわりこむと、草付き露岩が岩塔の上に伸びている。ここから岩塔上に。カンテをまわりこむところがいやらしい。

4P目。

傾斜のゆるい岩のリッジ上を登る。

5P目は樹林の岩稜をコンテで。

6P目。右上するクラックからリッジ上へ。
カムで支点をとりながらの快適なクライミング。

6P目をフォローするニコちゃん。

7P目。

このあたりがゴリラルートの一番楽しいあたり。
少し傾斜の増したリッジ上をあがる。難しくはないが支点もないので慎重に。

8P目。樹林の歩きで最後の岩壁まで。

9P目。

フェースを超えるとあとは山頂まで樹林と露岩の歩き。

山頂からは九十九谷の周回コースから下山。
周回コースははしごあり、ナイフリッジありでスリル満点のハイキング。
ルートを登っている間ここを歩いている女性が二人いたようで、終始嬌声が聞こえておりました。

海谷・海老嵓西壁第二フェース心岳会ルート

先月ふとんびしを一緒に登った長友さん、野島さんと、今度は海谷の岩場を登ってきた。

海谷といえば、角礫凝灰岩の悪相をもって知られる岩壁群のせいか、陰惨なイメージしかなかったが、いまや海谷の入口、山境峠にはきれいな駐車場やキャンプ場ができあがり、三峡パークと名を変えており、あの千丈岳南西壁ですら観光の対象となったらしい。

三峡パーク周辺から望む千丈岳南西壁。600mを超える悪相の大岩壁で、クライマーは畏れをもってこれを見るが、登らない人には観光対象らしい。

海谷渓谷は最近では「越後の上高地」などとも呼ばれるようになり、実のところその渓谷美は凄絶を極める。渓谷の奥座をしめる海老嵓の岩壁へは、この海谷渓谷(海川)を渡渉を繰り返しながらつめていく。今回は11月の冷たい川を膝上まで浸かって歩くので、3人とも沢用の装備で完全武装。

さて今回登ったのはこれ。鉢山の支峰、海老嵓西壁第二フェース、心岳会ルート。
海老嵓西壁第二フェースの基部
1P目。逆相の草付き壁を左上しリッジを目指す。草付き得意な野島さんが先陣を切る。

2P目。ここからルートは垂直の側壁からカンテにあがるようだ。ここは少しばかり難しいクライミングとなりそうだ。
こういう場面では赤沼が「リードしたい人~」と聞くと、長友さんが「はいっ!はいっ!」と手をあげるのが今までの例だが、今回の長友さんは体調がよくないらしく、「全フォローで・・・」などと言い出す。そういうわけでここは赤沼リード。

垂直の側壁からカンテに這い上がり、そこから左上。

残置ハーケンに導かれてここに取付くが、最初10メートルくらいはテクニカルなクライミングとなる。

カンテをフォローする長友さん。海川はもうはるか下。
カンテをフォローする野島さん

3P目。美しいカンテは岩壁に吸い込まれ、上部は大きくひらけたスラブ帯となる。次はこの岩壁をまわりこんでスラブ帯に出るピッチ。
2P目で元気の出てきた長友さんがリードを申し出る。

露出感のある楽しいピッチ。
スラブに入ったところで短くピッチを切る。
ここからスラブ帯にはいる。

4P目。大きなスラブ帯。岩は比較的堅く順層だが傾斜は案外と強い。途中にハーケン、ボルトなどの支点がほとんどないので、体調に不安の残る長友さんから、赤沼が強引にリードを奪う。
案の定のランナウト。ごくわずかな節理にハーケンを打ってみたが、あまり効いてないっぽい。

スラブ帯をフォローする長友さん。

5P目。引き続きスラブ帯を赤沼リード。

ここからは緩いスラブとなり草付き帯に突入するので、このピッチで終了として登ってきたルートを懸垂下降することとする。

懸垂下降用にボルト打ち。

このルートは抜けても山頂まではかなりあり、抜ける価値なしと判断。
というか早く降りて宴会しようよう~という声がどこからともなく聞こえてきて、同ルートをおりることにした。
本番のクライミング中にボルト打ちをしたことがないという長友さんが、ボルト打ち実習。

懸垂下降中

海川に戻り、来たルートを戻るわけなんだが・・・・

こんなものがところどころにあるので、菌活師匠野島さんのご指導よろしく下山はあっちうろうろ、こっちうろうろ。河原歩きに登りの倍の時間がかかるわけ。

楽しい菌活の成果を持って、八ヶ岳の赤沼別宅に移動。
そしていつものように宴会の時間に突入してまいります。はい。
それにしても今回も歩きながら、登りながら、車でもそして宴会でもよくしゃべったな~。

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