アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

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野猿返し&宴会

どこか登って、わが八ヶ岳の家で宴会するシリーズ。
もう何回目か忘れたが、そのお題として何度もあがった野猿返し。
お気楽に登れる楽しいクライミングルートらしい。宴会のお題としては理想的。
毎度ほかの開拓に走ってしまったり、天気が悪くて藪山歩いたりとなかなかクライミング実現せず。

今回は強め女子3名がクラック練習に行くので、八ヶ岳のほうに我々夫婦がいれば立ち寄って宴会したいな~というお話。
諸々調整の結果、女子3名と私の4名で野猿返しを登って、宴会して、翌日は女子3名がクラック練習ということになった。仕事と孫相手の忙しい妻は今回の宴会には不参加。

メンバーはドライツーリングの日本代表選手として世界を転戦しているメパンナ笹川さん、女子だけの山岳会、銀嶺会の組長宮田さん、それにふたりの妹分として可愛がられているらしいサキちゃん。

川上村から大弛峠に向かう林道途中から沢を渡って取付きへ。女ボス二人は靴のまま飛び石でヒョイヒョイ、サキちゃんは軽くドボン、私は裸足になってバチャバチャ渡渉。

さすが人気ルート。先行パーティー2名x2組

我々も2組。宮田、赤沼パーティーと笹川、サキちゃんパーティー。
先行は初心者含みでゆっくり登っているので、ごちゃごちゃになりながら先に行かせてもらう。この辺から景色も開け新緑がまぶしい。
ちなみに先行パーティーの女子1名は、何かで宮田組長を知って憧れていたらしいよ。

岩は硬いし、フリクションも効くし、楽しく、気持ちよく登れます。
青空!
この辺からが核心部らしい。
核心部の終了点から手を振ってるの見えるかな?

東股沢をはさんだ対岸の兜岩。たぶんまだクライミングの対象にはなっていないと思われる。偵察に行かねば。
後ろの方に小さく笹川さん、サキちゃんパーティーが見えてる。
左から宮田組長、サキちゃん、メパンナ笹川さん。
終了点で女子3名しゃべり倒しながらの昼食。
シャクナゲの花がいっぱい。

午後3時には早くも宴会開始。おじさんは表でウインナーの七輪焼き中。
クレマティスが満開。

南相木村・立岩~峰雄山

群馬県の西上州エリアには妙義を中心に特異な岩峰が多く、それらを愛好する篤志家たちがいる。
その西、長野県の東信州エリアには八ヶ岳や浅間山などの名峰が連なり、川上村には小川山や男山、天狗山といったクライマー好みの岩山も多い。
南相木村はちょうどそれらの狭間にあって、存在感の薄い感じがする。
つまり・・・・玄人好みの地味な山が多くあるだろうと思われる。
先に投稿した「恩賀高岩偵察行」に行く予定だった日、予報に反してアプローチしたとたん雨が降り出したので、天気の持ちそうなこの南相木村に遊びに行くことにした。(恩賀高岩の偵察はその翌日行った。)

さて観光資源も有名な山も乏しい南相木村にあって、数少ない名所の一つとされているのがこの立岩。
立岩湖のほとりにある60mほどの岩峰で、山頂には祠があって、クライミングのルートもあるらしい。
まずはこいつを登ってみようということになった。

立岩湖への道をドライブしていくと林道の対岸に屹立する立岩が見えた。

立岩へは村道のすぐ先の橋を渡って裏側から登るのが一般的らしい。
高差は正面に比べてだいぶ少なく20m程度か。
階段状の簡単なフェースのようで、ハンガーボルトもべた打ちしてある。

これはすぐ登れるとして、まずは岩の正面側まで基部をまわりこんで偵察におりていく。

真下から見上げた正面壁

傾斜強い、節理ない、組成も柔らかそう・・・・つまりやばそうな壁。
どうも登られた形跡もないようですな。
結局、登られているのはてっぺんに行くだけが目的の易しそうなルートと、その近くにとってつけたようなフリールートらしきものだけの様子。
この正面壁は今回のようなついでな気持ちでは登れるわけもなく、まあてっぺんに行ってこようかと、裏側に戻る。

裏側のルートを野口さんリード中
てっぺんの祠から県道を見下ろす

昼から雨という天気予報を見てでかけたので、かなり早起きして出かけたためまだ時間はたっぷり。

カシミール3Dの地図によれば、南相木村で山頂名の記載された山は二つだけ。峰雄山とずみ岩というもの。ずみ岩というピーク名にはかなりそそられるものがあるが、まずは手前の峰雄山に登ってみよう。

以前調べたところ、立岩から峰雄山に縦走している人がいて、岩場の通過に苦労している由。まあそんな記述を見て、岩登れるところあるかもな~という下心もあって、岩場偵察もかねようというわけ。

注:ちなみに御座山、男山、天狗山などが南相木村の山として紹介されることもあるが、地図をよく見ると御座山の山頂は北相木村、男山、天狗山は川上村にあるように見える。国土地理院の定義では「山とは地面の盛り上がった場所」という意味しかないそうなので、特定の山頂=特定の山とは限らないわけで、御座山などの山体が南相木村にあることもたしかなこととすれば、南相木村の山と言ってもいいのかもしれない。

立岩湖から峰尾山まで稜線が続いている。
縦走は長いので、まずは山頂に行こう。

峰雄山南面の村道から林道に入り、山頂に一番近そうな林道終点から歩き出す。

なんとなく踏み跡もあって歩きやすい。
岩もごろごろと出てくる。比較的硬そうな岩。
ここが山頂。

稜線を立岩方面に少し歩いて別のルートを下りようかと思ったが、南斜面はかなり急なので往路を戻ることとする。

奥に見えるのは御座山かな
ところどころ岩場が出てきて回り込みながらの歩きとなる。

日本一標高の高い場所にあるダムらしい。



西上州/東信州の岩峰たち(恩賀高岩偵察行)

西上州の岩峰群には特別な想いをいだいてきた。
若いころにルートを拓いた毛無岩や、西上州のマッターホルンとうたわれる碧岩、いくつかの歴史秘話に彩られる物語山のメンベ岩、妙義山の特異な岩峰群・・・・奇岩とそれにまつわる物語、そこに棲まうであろう魑魅魍魎や風土に酒、それらのすべてが自分のクライミングへの想いに呼応してきた。
八ヶ岳南麓にベースとなる家を持ってからは、川上村の男山、天狗山でのクライミングなどに行くことが増え、さらに川上村の五郎山にはルート開拓のため何度も通った。御座山を有する相木村や佐久市の山にも訪れるようになった。
深く考えずこれらをまとめて西上州の山と位置付けていた。
あれ?
どこまでが西上州なんだろう?
西上州は上州の西、すなわち群馬県西部の山ということになるだろう。
そうなると御座山は長野県相木村、川上村も佐久市も長野だ。
つまりこれらは西上州ではなく、東信州(東信地区)の山ということになる。

まあ厳密な定義はともかく、相木や川上村の山々には西上州の奇怪な岩峰群とはまた違った、突き抜けた明るさのようなものが感じられる。
西上州の岩峰のイメージは組成の脆い礫岩/凝灰岩であるのに対し、信州に近づくと花崗岩が増えてくるというのもイメージの違いに影響しているかもしれない。

さて恩賀高岩という岩峰がある。

上信越道を佐久から藤岡方面に走ると、碓井軽井沢ICのすぐ先、高岩トンネルの真上に聳える二つの顕著な岩峰だ。クライマーなら誰しも登攀ラインを目で追った覚えがあるのではないだろうか。
この恩賀高岩、碓井軽井沢ICのすぐ近くにあるが、長野県軽井沢町ではなく、群馬県松井田町に位置する。つまり定義的には西上州の山ということになるのかな。
青空が似合う突き抜けた岩峰でありながら、岩質は妙義のそれに近く陰惨で急峻。いろんな意味で西上州と東信州のあわいを彩る特異な立ち位置の山だ。

私も例にもれず、この岩峰が気になっていて、2012年に一度偵察に行った。
ここにルートがあるという情報はなかったので当時は未踏であった可能性が高い。
偵察の結果はあまりの急峻さ、命を守る支点構築の難しさを感じ、登る気にならず、登りたい山リストに放り込んだだけで、今まで放置していた。

しかし近年、雄岳に2本のルートが開拓された。

以下は開拓者、桃奈々さんのブログへのリンク↙
2020年12月恩賀高岩南壁雄岳「右ルンゼ桃岩ルート」
2021年2月恩賀高岩雄岳南壁「御会話ルート」

この2本を開拓した桃奈々さんに連絡をとると、快くアドバイスをいただき、ルート情報も提供くださった。

5月中旬にクライマー仲間4人ほどで、どこか登ってから八ヶ岳のわが家で宴会をしようという話があり、どこを登るかという話し合いでこのルートを提案した。
桃奈々さんによると登るなら桃岩ルートがお薦めだという。
しかし4人で凝灰岩の不安定な岩場をぞろぞろ登るのはいただけない。
そこで二手に分かれ、1パーティーは桃岩ルート、もう1パーティーはおそらく未踏であろう雌岳の南壁を狙うという可能性を検討することにした。

まあそんなわけで、もう一度ちゃんと偵察してみようということになった。


ニコちゃん大魔王、野口さんと彼の後輩、20台の若者ケンちゃんがつきあってくれることになった。
高岩には山頂に至るかなり曲者の一般登山道があるので、まずはこの登山道をあがる。


登山道を行くとあっという間に雄岳、雌岳基部に至る。
登山道はここから峠まで登って、右が雄岳左が雌岳へと道を分ける。
岩場基部でハーネスをつけ、まずはルート開拓狙いの雌岳方面にトラバース。

全体にこういう壁。陰惨で急峻。その意味がわかるかと。

角礫凝灰岩っていうんでしょうか。
セメント様の垂直の岩壁に、クライマーが「たどん」と呼ぶ角ばった石ころがたくさん突き刺さったような岩壁。
たどんをホールドにいけば技術的にはかなり急なところもフリークライミングが可能。ただし滑落から身を守る支点は非常にとりづらく、そのたどんもいつ抜けるかわからない。要するにハイリスクでローグレードな岩場。

クライマーはこれを泥壁と呼びます。

かなり脆い雰囲気はありますが、触ってみるとたどん自体はがっちりと壁に固定されている。
たどんにシュリンゲ(細引き)を結び付けての滑落テストや、岩が抜けそうなリスにハーケンを無理矢理たたきこむハーケンテストなど試みる。
思ったより組成は堅いかも・・・・・でも怖い。

弱点にあたるルンゼを赤沼が試登。

急峻なフェースとルンゼで構成されるこの岩壁の弱点はやはりルンゼか。
ヒルもいたりしてあまり楽しくはないのだが、上部の様子も見たいのでとりあえず1P登ってみることにした。
が、たどん支点ではリスクが高いと判断し、途中からクライムダウン。
ただこのクライミングで支点構築の方法などはだいたい想定することができた。

ついでに雄岳のほうも偵察。

雄岳のほうが若干岩が固めで、組成もはっきりとしている。やはり登るならこっちかな~
桃岩ルートも下から見上げてみた。やはりルンゼの弱点を登っているということがよくわかる。

偵察はこんなところで完了。せっかくだから登山道から山頂に行こう。峠まではわりとすぐ。峠から雄岳に登ってみることにした。

それにしても道が悪い。こ、ここトラバースするの?これ一般登山道?
いや道悪すぎるってば。繰り返すけどこれ一般登山道です。

山頂手前で垂直のルンゼを登るルート。たどんが出ているからクライミング技術自体はそれほどいらない。とは言ってもグレード3級+から下手すると4級ある。慣れたクライマーでもたどんが抜けるリスクを考えたら、ロープを出すレベル。
そこに鎖がたらんと下がっているだけ。
余計なお世話かもしれないけど、意識低い系(?)のハイカーが、足場は崩れないなんて前提でここ登って、足場崩れたらどうなるの?と思ってしまった。このルンゼ部分ちょうど25メートルあったし、落ちたら大概助かりません。

何はともあれ雄岳山頂にあがる。
雌岳ごしに浅間山
一般登山道だが懸垂下降でおりる。
お疲れ様。下山しました。


西上州・九十九谷ゴリラルート

群馬県南牧村の九十九谷は、特異な岩峰を連ねる西上州にあっても特に異様な雰囲気を醸し出す谷だ。
上底瀬村の黒滝山登山口を起点とすると、九十九谷を経て稜線まで約600m。右岸尾根と左岸尾根の間も600mほど。その小さなエリアのなかに、特徴的なスラブを有するリッジが何本も並んでいる。

九十九谷左岸の岩壁

この中間をまっすぐ主稜線につきあげている中間尾根を登るルートがゴリラルートらしい。

ちょっと八ヶ岳の家に行く用があって、ついでにこの谷を偵察がてら周辺をハイキングをしようと計画した。
ひとり宴会も寂しいので、暇そうなニコちゃん大魔王、野口さんを誘うと二つ返事でつきあってくれることになった。いちおうガチャ(クライミング道具)も持って行って、遊べそうなところがあったら遊ぶかとなった・・・・と、まあこの時点で登る気まんまんですな。ニコちゃんは肩やら腰やらを壊しているので、くれぐれも無理させないように奥様から釘を刺されていたのだがあっというまに寝返る私。

沢沿いの登山道を進むと、すぐに沢は伏流となり水がなくなる。
おっと水くむの忘れてきた。いったん登山口まで戻る。ついでにロープも忘れてきた。まあいいか。ニコちゃんのロープ一本でやっちまえ・・・って、今回はなんか適当だな~
登山道が沢を離れるところからは沢をまっすぐ。数分歩くと二股となり、この二股の間がどうやらゴリラルートのある中間尾根らしい。

二股の上に岩場が見える。
左股を少し登ったところからアプローチ(一応ロープを出したので、これが1P目)

2P目。このスラブを右上するらしい。

初登者はこのスラブを30mのランナウトで登ったとか。
今は少し行ったところにリングボルトが一本あり、登ってみるとその手前にもう一本変わり型ハーケンが一本。
おそるおそる登ってみるが、リングボルトの上はたしかに支点がなさそうだ。
しかも傾斜が増してきている。
フリクションは良いものの、立ちこむべき岩の結晶がいつ崩れてもおかしくないこの西上州で、ここに突っ込むのはリスクが高いと判断。
少し右のルンゼ状を登ってみることとした。
1段傾斜の強いフェースを越えさえすればあとは灌木を支点に行けそうだ。
フェース部分にRCCボルトを打ちこんで、微妙なバランスでここを越える。案の定そのあとは問題なくスラブ途中のテラスに到着。

右のルンゼ状からテラスに到着。

3P目。テラスから左上するフェースがいけそうだが、ここも支点に乏しい。
右のカンテをまわりこむと、草付き露岩が岩塔の上に伸びている。ここから岩塔上に。カンテをまわりこむところがいやらしい。

4P目。

傾斜のゆるい岩のリッジ上を登る。

5P目は樹林の岩稜をコンテで。

6P目。右上するクラックからリッジ上へ。
カムで支点をとりながらの快適なクライミング。

6P目をフォローするニコちゃん。

7P目。

このあたりがゴリラルートの一番楽しいあたり。
少し傾斜の増したリッジ上をあがる。難しくはないが支点もないので慎重に。

8P目。樹林の歩きで最後の岩壁まで。

9P目。

フェースを超えるとあとは山頂まで樹林と露岩の歩き。

山頂からは九十九谷の周回コースから下山。
周回コースははしごあり、ナイフリッジありでスリル満点のハイキング。
ルートを登っている間ここを歩いている女性が二人いたようで、終始嬌声が聞こえておりました。

海谷・海老嵓西壁第二フェース心岳会ルート

先月ふとんびしを一緒に登った長友さん、野島さんと、今度は海谷の岩場を登ってきた。

海谷といえば、角礫凝灰岩の悪相をもって知られる岩壁群のせいか、陰惨なイメージしかなかったが、いまや海谷の入口、山境峠にはきれいな駐車場やキャンプ場ができあがり、三峡パークと名を変えており、あの千丈岳南西壁ですら観光の対象となったらしい。

三峡パーク周辺から望む千丈岳南西壁。600mを超える悪相の大岩壁で、クライマーは畏れをもってこれを見るが、登らない人には観光対象らしい。

海谷渓谷は最近では「越後の上高地」などとも呼ばれるようになり、実のところその渓谷美は凄絶を極める。渓谷の奥座をしめる海老嵓の岩壁へは、この海谷渓谷(海川)を渡渉を繰り返しながらつめていく。今回は11月の冷たい川を膝上まで浸かって歩くので、3人とも沢用の装備で完全武装。

さて今回登ったのはこれ。鉢山の支峰、海老嵓西壁第二フェース、心岳会ルート。
海老嵓西壁第二フェースの基部
1P目。逆相の草付き壁を左上しリッジを目指す。草付き得意な野島さんが先陣を切る。

2P目。ここからルートは垂直の側壁からカンテにあがるようだ。ここは少しばかり難しいクライミングとなりそうだ。
こういう場面では赤沼が「リードしたい人~」と聞くと、長友さんが「はいっ!はいっ!」と手をあげるのが今までの例だが、今回の長友さんは体調がよくないらしく、「全フォローで・・・」などと言い出す。そういうわけでここは赤沼リード。

垂直の側壁からカンテに這い上がり、そこから左上。

残置ハーケンに導かれてここに取付くが、最初10メートルくらいはテクニカルなクライミングとなる。

カンテをフォローする長友さん。海川はもうはるか下。
カンテをフォローする野島さん

3P目。美しいカンテは岩壁に吸い込まれ、上部は大きくひらけたスラブ帯となる。次はこの岩壁をまわりこんでスラブ帯に出るピッチ。
2P目で元気の出てきた長友さんがリードを申し出る。

露出感のある楽しいピッチ。
スラブに入ったところで短くピッチを切る。
ここからスラブ帯にはいる。

4P目。大きなスラブ帯。岩は比較的堅く順層だが傾斜は案外と強い。途中にハーケン、ボルトなどの支点がほとんどないので、体調に不安の残る長友さんから、赤沼が強引にリードを奪う。
案の定のランナウト。ごくわずかな節理にハーケンを打ってみたが、あまり効いてないっぽい。

スラブ帯をフォローする長友さん。

5P目。引き続きスラブ帯を赤沼リード。

ここからは緩いスラブとなり草付き帯に突入するので、このピッチで終了として登ってきたルートを懸垂下降することとする。

懸垂下降用にボルト打ち。

このルートは抜けても山頂まではかなりあり、抜ける価値なしと判断。
というか早く降りて宴会しようよう~という声がどこからともなく聞こえてきて、同ルートをおりることにした。
本番のクライミング中にボルト打ちをしたことがないという長友さんが、ボルト打ち実習。

懸垂下降中

海川に戻り、来たルートを戻るわけなんだが・・・・

こんなものがところどころにあるので、菌活師匠野島さんのご指導よろしく下山はあっちうろうろ、こっちうろうろ。河原歩きに登りの倍の時間がかかるわけ。

楽しい菌活の成果を持って、八ヶ岳の赤沼別宅に移動。
そしていつものように宴会の時間に突入してまいります。はい。
それにしても今回も歩きながら、登りながら、車でもそして宴会でもよくしゃべったな~。

雨飾山・ふとんびし右岩峰中央稜

生意気盛りの19歳の時登ったフトンビシを、41年ぶりに再登してしまった。
「こんなルートを二度登るような変人はほかには絶対いませんっ!」と、言い切るのは、長友さん。
たしかにここは、岩の脆さで有名なルートだ。
不本意ながら人からは脆岩愛好家扱いされている私にとっても、このルートは間違いなく「今まで登った脆い岩トップ3」に入る。
それでも登るのは、登攀ラインが圧倒的に美しいから。

ふとんびし核心部を終わって草付き岩稜となるピッチ。

雪崩に磨かれた急峻なスラブと、鋭利に突き上げる細いリッジから構成されるふとんびしの岩峰群。そのなかでも際立って美しく、ピークに向かって一直線にのびているのがふとんびし右岩峰中央稜だ。
長友さんも、ぶなの会の野島さんも、長年このルートへの憧れを抱き続けていたらしい。
3人で穂高の下又白谷にクライミングに行くはずだったのだが、頻発する地震に恐れをなして中止。
「それならふとんびしやっちゃおうか?」となった。

ふとんびし岩峰群、圏谷の底から雨飾山を仰ぎ見る。

さて登攀予定日だった土曜は雨飾山周辺は雨の予報。
天気の回復しそうな日曜にふとんびしを登攀することにして、土曜は得意の五郎山で先日開拓したばかりの「どまんなかルート」へ。肩の故障でクライミングを中断していたニコちゃん大魔王こと野口さんも参加して、めでたくクライミングに復帰。私はなんとクライミングシューズを持ち忘れ、運動靴でのフォロークライミング。

そして日曜の雨飾山は見事な快晴。

荒菅沢のゴルジュを過ぎるとすぐ、ふとんびしの岩峰群に囲まれる。

100名山のひとつだけあって、よく整備された登山道を1時間弱で荒菅沢との合流点。ここから登山道をはずれ沢を登る。まだ本調子ではない野口さんはここから登山道を雨飾山往復。
長友さんが以前進路を阻まれたという雪渓も今はなく、小さなゴルジュ状を抜けるとすぐに大きなスラブの末端に出た。

スラブを左上。見た目よりも悪い。

眼前に広がるスラブの上のほうに草付帯があり、そこからふとんびしの細いリッジが伸びている。右の本流から巻き込んであがるか、左のスラブを登るか。長友さんは本流を行きたそうにしていたが、赤沼が目先の簡単さにつられてスラブ左端を登りだしてしまう。
草付帯まではかるぅ~くロープなしで行くつもりだったのだが、すぐに案外と難しいことに気が付いた。雪崩に磨かれたスラブはホールドに乏しく、しかも泥っぽくてはがれやすい部分が多い。
尻ぬぐいは長友さん。
行き詰って動けずにいる赤沼の横を、ロープをつけてすたこら登っていく。
2ピッチで草付帯に突入。

草付きのリッジにはいあがると展望がひらけるがどうも様子が変だ。
ふとんびしのリッジが横に見えてるんだよね。
あれ?ルート間違えた?
やっぱ右の本流行くべきだった?

ぐだぐだと言う赤沼に構わず、長友さんはさらにロープを伸ばす。
「ルート大丈夫です!ふとんびしのリッジに合流してます!」
とコール。

左稜3ピッチ目。これで右稜と合流してふとんびし核心部へ。

つまり登っていたのはふとんびしの左稜だったというわけ。3ピッチ目で右稜と合流し、あの有名な核心部。ぎざぎざの折れそうな細いリッジのすぐ手前についた。

ふとんびしの核心部を見上げる。
4ピッチ目は核心部のリッジに向かってルンゼ状を直上。
5ピッチ目。ここから核心のリッジ。
5ピッチ目ビレイ中。

リッジにまたがってずり上がる。

6ピッチ目。

さて問題のピッチだ。

41年前の記憶では10センチほどの薄いリッジにまたがってずりあがったような。しかも脆いので、リッジ自体が手で折れそうだ。
「こんなに風化したリッジはもう残ってないと思っていたけれど、40年たってもまだあるってことは折れるほどではないんじゃないの?」

無責任なことを言い散らす赤沼を尻目に、長友さんスタート。
15メートルほど登ったところで、薄いリッジを前に右往左往しはじめた。
ここで慎重派の長友さん、
「5手先までは読めるけど、その先がどうしても読めないのであきらめます。」という囲碁名人のようなご発言。

細くて危険なリッジは回避。

リッジ左に広がるスラブ帯までいったん懸垂下降。
支点がまったくないのでアングルハーケンを一本根本まで叩き込んで、ここからスラブをあがることにする。

登らなかったリッジを敬遠してスラブに下降。

ここまでだいぶ奮闘してくれた長友さんに代わって、7ピッチ目は赤沼がリード。

左のスラブからリッジを巻いていく。

左スラブは先人が何度か登っているはずだが、雪崩に磨かれてしまったか支点はまったくない。
ハーケンと小型カムで支点をとりつつ、核心リッジ上部に至るルンゼは傾斜が強くなるので、手前でボルトを一本根本まで打ち込んでいく。

急なルンゼを越えると細いリッジの上部に復帰。
越えてきたフェースを見下ろす。

このあたりから泥壁度が増してくる。

ところで脆岩(泥壁)=危険という構図が一般的な理解と思いますが・・・・
もちろん脆岩を普通の堅い岩の感覚でがしがし登れば即落ちます。


でも脆岩トップクラスに属するふとんびしあたりでも、岩の芯みたいなものはあって、要は堅い部分を選び、最悪でも掘り出して登る体力と精神力があれば危険とは限らないということが言いたいのですよ。
能書きついでに言うなら、ボルトの固め打ちでもなんでもして、こまめに支点をとるのは脆岩登りの基本と考えています。

でもさすがに還暦過ぎて、精神力と体力まかせみたいな岩登りをするつもりもなかったんだけど、今回は藪こぎ上等、草付き上等、泥壁上等を地で行くタフな沢屋系クライマーお二人と一緒だから、おつきあいさせてもらったわけ。

赤沼は1ピッチ、リードで奮闘したので体力おしまい。

巻いてきた細いリッジを見下ろす。

リッジに復帰したあとは草付きリッジとなるが、終盤に向けて脆さが増してきた。満を持して野島さんの出番。

8P目は脆い草付きリッジ。
8P目ビレイ中の野島さん。

見た目は難しそうに見えないが、岩の硬い部分を掘り出しほりだし、草や灌木をうまく処理しながらのタフなピッチ。
「いや~よく登ったね~!」と驚嘆しつつビレイ点につくと、
「やっと草付き泥壁になって癒される~♪」とのたまう野島さん。
みな得意分野が違うわけですな。さすがさすが。

9P目。まもなく終了点。

まだまだ続くいやらしい岩稜をこなすと、ふとんびしのピークへと続く笹の尾根に出る。全9Pのクライミングだった。

41年前の記録メモには「脆い部分があるが快適な登攀。5時間かかった」とある。だいぶ感触が違うな~。

今回は右往左往したものの、3人で7時間半の登攀。まあまあですな。でも体力落ち目の還暦になってまだこんな登攀ができたのが嬉しい。長友さん、野島さんに大感謝のハグ!


疲れ果てたので雨飾山山頂は行かず、即下山。
雨飾山往復だけして登山口に下りたニコちゃん野口さんは、前夜の宴会の残骸をすべて片付け、テントを干して待っていてくれた。

甲斐駒ヶ岳・摩利支天東壁

獅子吼城からの甲斐駒

八ヶ岳の南山麓から見た甲斐駒ヶ岳の姿が好きだ。
左側のスカイラインが艶めかしい。
ここを登ってやろうと調べると、どうやら摩利支天峰の南西稜もしくは南山稜あたりらしい。
ワイルド系の岩登りになりそうだ(ジャルパインクライミングというらしい)。

資料はあまりない。
アプローチが複雑だったり、原始的でわかりにくかったりするせいか、訪れるクライマーは少ないようだ。

まずは得意の「行ってから考える」方式でやってみることとした。


メンバーは3名。
野島梨恵(ぶなの会)
家口寛(ヤングクライマーズクラブ)
赤沼正史(山岳巡礼倶楽部)

野島さんは休日のほとんどを山で過ごすばりばりの沢屋。
本人は「そうかね?」とか言うが、思い切り沢屋ファッションであらわれた。だって手ぬぐいみたいのかぶって、首にも手ぬぐい巻いて、ズボンの裾を靴下に突っ込んで、使い込んだザックにミゾーバイルつけてりゃ、そりゃーね~(笑)

家口さんは世代的には近い(失礼!少しは私より若い)オールドファッションクライマー。優しくて力持ちなダンディー。私の妻はすっかり彼のファン。エベレストにまで行ってる強者。歩くの速っ!

さて朝イチのバスで北沢峠。登山道を仙水峠までたどり、ここから道をはずれて水晶沢におりる。人の記録を見ると、水晶沢を横切って摩利支天南西稜方向に向かうことが多いようだが、踏み跡らしきものはまったくない。
仙水峠あたりから摩利支天がよく見えるから、どこを登るかはそこで決めようという話になっていたのだが、山頂部はすべてガスに覆われていてほとんどなにも見えない。

ガス(霧)の合間に摩利支天の岩壁が少しだけ顔を見せる。

摩利支天峰は大きく急峻な岩峰だが、その組成は複雑で、南西稜、南山稜、東山稜などのリッジの間に、中央壁、サデの大岩、東壁などの岩壁が層をなし入り組んで配置されている。
全体像が見えなければルートの特定は難しい。

(図は東京新聞出版局「チャレンジ!アルパインクライミング」より勝手に拝借m(__)m)


まずは水晶沢の左岸(上に向かって右側)の南西稜にあがることとする。南西稜側はどこも急峻な、草に覆われた岩壁となっている。水晶沢を少し遡り、滝の手前の弱点をついて登ると樹林帯となる。

樹林帯を登っていくと大きな岩壁にあたる。中央壁か。

この基部を右にたどっていけば南山稜になるはず。
南山稜は記録を見るとそれほど難しくはなさそうだ。
われわれもそのつもりで3人でロープ1本、カム数個にハーケン、ボルト少々という軽装だ。
しかし上部が見通せずルートの特定ができないまま、トラバースしていくと、かなり急峻で威圧感のある大きな谷にはばまれる。
谷を渡った先には顕著なリッジがあり、それが南山稜だろうとあたりをつけ、ロープをつなぎ、急峻で恐ろし気な谷の上部を横切っていく。

岩場基部の狭いバンドは足を置けば表面がざらざらと崩れるような風化花崗岩に弱弱しい灌木が張り付いているような状態で悪い。
めぼしを付けた凹角に入るが入口は軽くかぶっており、草の根本をつかんでエイヤ!とはいずり上がる。プロテクションなしの草付きグレード5.10(笑)。
この時はここさえ越えればあとは楽になるはずと信じていた。希望的に。

すぐ上はオーバーハングしている。

2P目はこのハングを越えないといけない。
ハング左端にクラックが走っているが、なかに泥がつまっていて支点はとれそうもない。ハング下にそって真横にきれいなクラックが入っていて、右のリッジに抜けられそうだ。そしてなんとそのクラックにはカムが残置されている。
先人がいるようだが、これを使ってハングを越えたのか、あるいはこのカムの地点で行き詰って捨て下降ポイントとしたか。

いずれにしてもここまでの支点の貧弱さとアプローチの急峻さを考えると、敗退はしたくないな~というところで意見は一致。
なんとしてもここを越えるぞ!
越えれば楽になるはず!

クラックまではそこそこ厳しいフリークライミング。
残置ハーケンもあるな。
残置カムに支点をとってフリー突破を試みるが、スメアリングを決めたい足元はすべて風化花崗岩でまったくフリクションなし。
即、エイドクライミングに切り替えカム3つでなんとか突破したが、なんせ軽装であぶみも持ってきていないので、沢用の丸スリングに足突っ込んでの、かなり強引な登りとなった。5級A2ってな感じかな。あぶみあればそこまででもないか。

リッジに回り込んだ先は、南山稜にイメージしていたような岩と灌木のミックス壁。思わず「もらった~!」と叫んでしまったのだが・・・・

ミックス壁をはいずりあがるとそこは・・・・まわりじゅうすべて垂直の岩壁に囲まれちゃったよ???
このへんからなんだか様子が変だと気が付く。

しかし下降したくないし、「とにかく抜ければこっちの勝ち」とばかり、ラインを探る。

まわりは全部垂直壁

え~と~
これのどこを登れというのか。
楽しいやぶリッジ登攀のはずだったのでは。
自問しつつもラインを探すと、なんと残置ハーケン発見。
あの残置カムは捨てではなかったのか~
気を強くして残置ハーケンのある左にわずかにクラックラインのあるフェースに取付くが、出だしがかぶっていて一歩がでない。
はい。ついに出ました絵に描いたようなショルダークライミング。
つまり優しくて力持ち、家口さんの両肩に泥だらけの汚いシューズを乗せて、ホールドを探る。
これでなんとかフェースに乗り、クラックにはえた灌木で支点をとりつつじわじわと高度を稼ぐ。

ちなみにこのテラスで先人の落としたらしいテルモスを発見。
テルモス?冬に使うものだよね?
このあたりで、登攀クラブ蒼氷の戸田、原ペアが冬期に開拓したというあの伝説のルートを登っているのではないかという疑惑が頭をかすめる・・・

じわじわ高みを目指すが、なんかその上にも垂直壁が見えてるんだよね。いや無視無視。

このピッチは要所に残置ハーケンがあり、ビレイ点にはリングボルトもあるぞ。ここ3P目も5級A1かな。あぶみあればね。

テラスの上はさらに壁

ああ、もういいです。
もうどんな壁が出てきたって乗り越えてやるもんね~
目の前のフェース、ルートを探ると、自分なら左のクラックがいくつか入ったほうをフリーでがんばるんだが・・・・というところ、右のフェースどまんなかにハーケンが何枚か目視できる。
これは人工登攀で登ってますな~
数個しかないカムを頼りに左フェースにフリーで突っ込むか、あぶみなしで人工ルートに突っ込むか。
究極の選択のすえ、全員のスリングを徴収して右の人工ルートを採用。

そうはいっても、明らかに装備不足なので、支点は控えめに間引きながらの設定。
スリングもできるだけ使いたくないので、可能な限りフリーで、だめなところはハーケンつかむ、ハーケンの上に立つ・・・・

そしてようやく傾斜が落ち、大きなテラスに出た。
4p目はA1(ただしあぶみ使えばの話)
それにしても先人、ただものではない。
ハーケンの使い方、効かせかたが絶妙。
おかげで案外と安心して登ることができた。

大きなテラスに抜けた。


ここから上は傾斜の落ちた岩稜なのでアプローチシューズに履き替え、摩利支天山頂を目指す。
最後はばてばてになりながら激しいやぶを泳いで山頂に到達。

摩利支天のピークはガスの中。

クライミングに4時間程度かかり、北沢峠最終バスには間に合わず。
仙水峠にデポしておいたテントを樹林に張っての祝杯。
行動食のチーズと3分マカロニのわかめご飯の素和え、それにフリーズドライチキンライスが、このうえなく上等な肴に感じられた夕べであった。

さてどこを登ったのか?

南西稜から壁の基部をトラバースした距離を考え、横切った大きな谷が摩利支天前沢だったとすれば、前出の蒼氷、戸田、原ペアの登ったラインにかなり近いと思われる。

戸田、原ペアが冬期開拓したルートを記入したもの。原氏からもらった。

蒼氷のルートかどうかは不明だが、東壁を登ったことはどうやら間違いなさそうだ。

そして私にとってなにより大事なのは、八ヶ岳方面から甲斐駒をのぞんだ際の、あの美しいスカイライン近くを登ったかどうか・・だが。
これはもうほぼ完ぺきに目的達成と言ってよさそうだ。
地形図で確認すると登るべきだったのは、摩利支天の南南西あたり。
東壁であればまさにその方角なのだ。

樹林帯での楽しい宴会の翌朝は、「装備足りなかったけどいい登攀したね~。今度は視界のあるとき南山稜登りなおそうね~」と語りながら朝イチのバスに向かった。

佐久・五郎山南壁「どまんなかルート」開拓

当時中学生だった石鍋礼くんと知り合ったのは30年以上も前の話。
私はほとんど忘れてしまっているが、礼くんの鮮明な記憶では、その中学生を越沢バットレスだの松木沢のアイスクライミングだの、やばいところばかり連れまわしていたらしい。覚えているのは礼くんの実家の天ぷら屋さんで「息子が世話になってます。」とご馳走になったおいしい天ぷらのことだけ・・・できた親ですな。
礼くんはその後フリークライミング修業をして、海外で高難度フリールートを落とすまでになったが、仕事やら家庭やらでしばらくのブランク。そして3年ほどまえに一念発起?して1年間のオフ(キャリアブレイクというらしい)をとってクライミングしまくり、ついにはヨセミテの大岩壁El Capitanまで登ってきてしまったんだと。やるね。

さて私にとって残された課題の一つ、上高地帝国ホテルの裏手に見えている霞沢岳八右衛門沢上流の岩壁群を登ろうというお誘いに、礼くんは二つ返事でつきあってくれることとなった。礼くんはついこの間、穂高の滝谷でクライミングをしてきたばかりで、気持ちが穂高モードになっていたらしい。

準備万端、天気も比較的安定していることを見極めて出発。ところがバスに乗って上高地帝国ホテル前停留所をおりてすぐに、まさかの雨が降り出した。
携帯のレーダーアプリで確認するとどうやらピンポイントでここだけが雨の様子。
「降り出すならバス乗るまえにしてくれよ~」とか「なんでここだけ」とか、ぶつくさ言いながらも、スポット的に天気の悪いエリアに長居は無用と転進を決定。
山でのクライミング用の細いロープ(ダブルロープという)しか持っていないので、小川山などでのフリークライミングはしたくない。
そこで私にとっては7回目となる五郎山に新ルートを付け加えに行くこととなった。どれだけ五郎山好きなの?って声がどこからか聞こえてきそうなんだけど無視無視。

閑話休題。

朝9時台にはいつもの林道終点に駐車。
歩きなれた急登のアプローチを行き、11時には五郎山南壁の取付きへ。

五郎山南壁。左のスカイラインあたりが初登攀ルートの「五郎山ダイレクト」。赤線が今回登った「どまんなかルート」

マキヨセ岩峰と五郎山の鞍部(以下、五郎山コル)から五郎山にむかって左におりて行くと、この壁にあっては長めのラインがとれる五郎山ダイレクトの取付き。五郎山コルからそこまでは下部がオーバーハングしたフェースとなっている。
五郎山コルの稜線と五郎山南壁が接するあたりが、五郎山南壁のほぼ中央部分となる。
つまり南壁の中央部分から左のスカイラインの間は、登れば傾斜の強いフェースから始まる難しいルートとなる。
より美しいラインで、適度に易しく登りたい私としては、南壁の左フェースは当面対象外。
五郎山コルと南壁の接点から右にあたる右フェースはスケールは小さめ。しかしどこもそれほど傾斜がきつくはなく、楽しく登れそうなラインがいくつかある。

どまんなかルートの取付き

マキヨセ、五郎山のコルと南壁の接点を2~3メートル右に行ったあたりの緩めのフェースを取付きとする。ホールド多めで快適なフェース。最低限の支点だけとりながら快適にロープを伸ばすと、上部をハングにふさがれたテラス。ここでピッチを切る。1ピッチで抜けられそうな壁だが、60メートルのダブルロープ1本を半分にして30メートルダブル状態にして登っているので、早めにピッチを切った。ここで約20メートル。

頭上のハング下テラスまでが第一ピッチ(20m)
2ピッチ目を登りだす礼くん

2ピッチ目はハング右側のラインを登る。薄被りながらホールドは比較的豊富。小ハングのちょっとした切れ目をついてここを越える。
そのままフェース直上で五郎山ダイレクトの終了点にもなった山頂左下(西)に広がる大きなテラスの右端に出た。

小ハングを越えていく。
3ピッチ目の登りだし。

このテラスからは樹林を山頂まで行けることはわかっているのだが、すぐ横のフェースが岩茸に覆われてはいるものの登れそう。
少しでも長いルートにするか、とここを登ると、山頂に向かって岩のリッジが伸びているので、そのままリッジ上を登る。
若干ブッシュがあったりして鬱陶しいものの、きれいなリッジで気持ちよく高度をあげると山頂の一角にいきなり飛び出した。

3ピッチ目のフェース上から山頂に向かうリッジに移る。
3ピッチ目はじめのフェースをフォローする礼くん。
山頂に伸びるリッジ。
うしろに見えているのがマキヨセP2ルート上部。


さて山頂到着が12時20分くらい。易しいルートとはいえ1時間半弱で終わってしまった。
踏みあとを五郎山コルまで戻ったがまだ時間もあるので、マキヨセピークへの急峻な踏みあとを歩くくらいなら、マキヨセP2ルートの最終ピッチでも登って眺めのよいマキヨセ岩稜(踏みあとは北側斜面にある)を辿って帰ろうということになった。
このマキヨセP2最終ピッチの取付きまでは五郎山コルから樹林を通って歩いて行かれるのだ。
初登ルートを登るつもりだったが、その左にもう少し長いラインのとれそうなフェースがあり、そちらにルート変更。

マキヨセP2最終ピッチの左ルート。

初登ルートに比べて少し傾斜の強めのフェースを直上するルートを礼くんが選択。

空に向かってぐいぐい登ると尖ったピークに至る気持ちのよいピッチ。
これでこの日のクライミングはおしまい。
何度来ても気持ちのよいピーク。

さて帰りの車中で、ルートに一応名前つけておかないとと二人で検討。
位置的には五郎山南壁中央フェースとでもなるんだが、面白みもないね。
初登ルートの五郎山ダイレクトより、さらに山頂にまっすぐ抜けるルートだから「五郎山もっとダイレクトルート」とか。
いろいろ話し合った結果、あまり悪ふざけもしすぎず、中央ルートとかいうかわりに「南壁どまんなかルート」で行きましょうとなったわけ。

まああの南壁の正面フェースにルートが一本はあっていいし、これで易しめルートの開拓もほぼ一段落かな~という次第。

登ったのは2021年9月11日


五郎山南壁どまんなかルート
1P目 五郎山コルと南壁接点あたりのフェースをハング手前の顕著なテラスまで20m 4級
2P目 ハング右のフェースを直上。山頂直下の大きなテラスの右端まで。20m 4級
3P目 テラス右端のさらに右の岩茸で真っ黒なフェースを登って、山頂に至るスカイラインリッジを山頂まで。3級(一部4級)
登攀時間1時間半程度

マキヨセP2ルート最終ピッチの左ルート
マキヨセP2の顕著な岩峰の先端のみを登る。
初登ルートはハング状の壁の右に切れる凹角だが、今回はハング左のフェースを直上。20m 4級

佐久・マキヨセP2ルート開拓

五郎山から見るマキヨセP2
この下に垂直の下部岩壁が続く。

2020年11月に佐久・川上村の五郎山の岩壁にルート(五郎山ダイレクト)を拓いた際、顕著に見えていた岩峰、マキヨセのP2(もっとも五郎山寄りの目立つ岩峰)を登ってきた。岩峰は上部の尖った岩壁、中央のフェースと傾斜の強い下部壁からなっている。この写真では上部と中央フェースのみが見えている。

パートナーは五郎山ダイレクトの開拓をご一緒した長友さん。40台前半の脂の乗り切ったクライマーであるのはもとより、美意識、信条のはっきりとした聡明な人柄で、クライミング行を楽しくさせてくれる人。

今回はメパンナことS川さん、ニコちゃんことN口さんも同行して開拓の応援と写真撮影をしてくれた。
メパンナはアイゼンとアックスを使ったスポートクライミング、ドライツーリング(略してドラツー)の日本でも有数のプレイヤーで、今や世界を転戦中らしい。一緒に歩きながらもドラツー向きの岩壁がないかとエロい視線をそこここの岩壁にそそいでいた。股関節故障中で、開拓は参加せず。
ニコちゃんは長年アルパインをやってきた頼もしいクライマー仲間だが、やはり肩の故障でクライミングはできず。今回は仲間内で名シェフとして名高い料理の腕前をふるってもらいいい宴会ができた。

二人とも4回目の五郎山。マキヨセP2基部でロープを結ぶ。

このラインは五郎山ダイレクトを登ったあと、長友さんが偵察に来て、トップロープで一部試登をしている。写真にも写っている上部岩壁と中央フェースは登れそうだが、下部岩壁が傾斜が強く、岩も脆そうで恐ろしいとのこと。
歩いて取付きに行くと、たしかに中央フェース真下の岩壁は一部ハングしており、登るのは苦労しそうだ。
岩壁左端の張り出しを巻いて数メートル左に移動すると、軽い凹角状のフェースとなっており、傾斜も若干緩いし、小さなクラックがいくつか走っているので、カムは使えなくても最悪ハーケンを打てばなんとかいけそうだ。垂壁の直上に未練がありそうな長友さんに「弱点ついていこうよ!」と、ここを登ることとする。「逃げの山巡」の伝統は守らねば。

1P目は長友さんのリードで離陸。

メパンナ撮影、動画その1「離陸シーン」

メパンナ撮影動画2「支点なしで離陸」


メパンナ撮影動画3 「命を守るハーケンを打つ!」

こんな感じでスタート!
数メートル、支点がとれないままに登っていき、少し不安になりはじめたあたりで長友さん、ハーケンの設置を決断。ハーケンをあまりにも叩き込みすぎて、結局回収不可能に。(もちろんこれで正解)
ちなみにこれ以降はすべてナチュラルプロテクションで登り、残置物はこれだけとなった。

1P目終了点から。赤沼フォロー中。

1Pを終了したところで中央フェース下のバンドに出た。
この上はまた傾斜が強そうなので、長友さんの想定していたフェース下までバンドをトラバース。

バンドをトラバース中。

このバンドは岩峰横の樹林帯から歩いてくることもできるため、ここまでニコちゃんが来て待っていた。
五郎山側からは顕著に広がる中央フェースは赤沼のリード。フェースいっぱいに岩茸が広がっていて滑るが、傾斜も緩めで節理もほどほどにあって快適に登れる。

2P目。中央フェース。黒いのはすべて岩茸。
2P目、中央フェース登攀中の赤沼。上にいるのがメパンナ。長友さんは下でビレー中。

中央フェースは五郎山側、登山道から張り出した岩壁の上からよく見えるため、ニコちゃんがそこから撮影してくれた。3人写っているのがわかりますかね?上にメパンナが写ってるが、やはり草付きのバンドを歩いて来ていたため。各ピッチごとに仲間が来ていて「まるで山登っていって山頂ついたら駐車場があったみたいな状態だね~」と笑いあいながらの登攀。

2P目、中央フェース登攀中。上の写真とほぼ同じ時刻に下から撮影。
2P目終了。メパンナ撮影。
2P目終了シーンを撮影するメパンナを、五郎山側からニコちゃん撮影。
2P目を長友さんも登ってくる。
長友さん到着。メパンナ撮影。
3P目。簡単な岩稜を上部ピークの基部まで。

ここから3P目はロープもいらない程度の岩稜を最終ピッチとなる上部岩壁の基部に移動。上の写真にも3人写っている。上がリードしている長友さん、下がビレーする赤沼。真ん中は遊び・・・もとい応援!に来ているメパンナ。

3P目終了点で撮影。フォロー中の赤沼。
4P目、上部岩壁。

最終ピッチは最後のとんがりを登りつめる嬉しいピッチ。長友さんのリードで。

最終ピッチをフォローする赤沼。
終了点で自撮り。本当のピークは真後ろの岩の上だが、怖いのでここで撮影。

マキヨセP2ルート、クライミング概要:
1P目
下部岩壁。左寄りのルンゼを直上(5級)25m
2P目
バンドを右にトラバースして中央フェースを直上(4級)25m
3P目
優しい岩稜を上部岩壁基部まで(2級)15m
4P目
上部岩壁(岩峰)を直上(4級)20m
登攀開始5月23日9時30分~終了11時30分)

使用ギアはハーケン1(残置)小~中サイズのカム約2セット
グレードはムーブだけを考えれば甘目かもしれない。
スポートルートではないので、危険度などの主観部分も加味。

穂高・下又白谷菱型スラブについて

手元の山日記では、下又白谷菱型スラブの初登攀をしたのは1980年8月2日となっている。
当時、日本での岩登りといえば、第二次RCC著となる「日本の岩場」というルート図集が唯一体系的な情報であり、下又白谷の項には黒びんの壁と菱型岩壁のみが掲載されていたと記憶する。(黒びんの壁はJECCによりR1, R2などと紹介されていた。別称、下又白壁または白又白壁とも言われる。)
菱型岩壁はその中でももっとも登攀の困難な岩壁のひとつとされていた。
下又白谷は穂高のなかにあってもっとも急峻な岩壁に囲まれたエリアであることは事実であるが、「日本の岩場」における、菱型岩壁に関するおそろしげな記述も、下又白谷=悪絶というイメージに貢献していたかもしれない。

山岳巡礼倶楽部、わたべゆきお氏作成の菱型岩壁周辺写真

さて、わたべ氏が目をつけた菱型岩壁左のスラブ帯の登攀は、それまで下又白谷の地域研究に取り組んできた山岳巡礼倶楽部の1980年夏合宿のテーマの一つとなっていた。

以下、手元のノートから記録を転載する。

1980年8月1日
わたべ氏と徳沢入山

8月2日
下又白谷F1洞穴ルート開拓~F2~菱型ルンゼ~菱型スラブ下部開拓~壁内でビバーク

下又白谷本谷の遡行をするつもりで徳沢より入山。
F1前壁JECCルートはとらず直登ルートを作るべく、JECCルートより右のバンドに取付く。非常に悪いフリー2P(Ⅴ+)を加えた5-6Pで終了。F1上に立つ。ボルト2本、ハーケン約10本使用。
F2を2Pのフリーで越え菱型ルンゼにはいる。
菱型岩壁の左側に展開する3本のスラブへの登攀を試みる。フェース2P終了後、Ⅲ~Ⅳ級のスラブを10Pほど攀り、Ⅴくらいの草付き交じりの岩場を超える。そこで暗くなったので1本の灌木にまたがってのビバーク。水なしのつらいビバーク。

8月3日
ビバーク地上部の草付き(Ⅴ+)を登り、ルートの概念をつかむ。
スラブは3本あり、右寄り1スラブ、2スラブ、3スラブと名付ける。登ってきたのは1,2スラブの中間リッジとなる。2スラブはビバーク地点あたりで傾斜を増し、垂直となっていたので中間リッジに逃げたのだ。
ビバーク地点からは2スラブにおりず、草付き帯を行く。さらに約10Pで登攀終了。はいまつの藪漕ぎで茶臼の頭に至り、奥又経由で徳沢に下山。

赤沼の山日記より

この後、8月5日には下又白谷正面壁中央稜を途中まで登っている。

1980年のルートは山巡ルートとした。この図は「岩と雪」誌に掲載したもの。

さらに翌年1981年の夏合宿で、第2スラブの直登ルートおよび第3スラブの初登攀を行っている。

1981年8月8日
屏風岩を登っていた赤沼、津賀は徳沢に移動。今日入山してきたわたべ、小野寺、赤塚、宮本と合流。

8月9日
全員で下又白谷F1偵察。
雪が多くF1は右端を楽に登れる。フィックスも発見。バンド上に1P新しいルートを伸ばす(注:意味不明)

8月10日
わたべ、赤沼、津賀、赤塚で下又白谷菱型スラブ2スラブを初登攀。山巡ルート開拓の際逃げたルンゼを直上して2スラブに入る。このピッチはⅥ級以上あった。

小野寺、宮本で3スラブを初登攀。
(注:こちらも「岩と雪」誌に掲載したはずだが見つからず)

赤沼の山日記より

下又白谷菱型スラブ山巡ルート開拓についての、わたべ氏の記事も紹介しておく。これは山巡の新人募集冊子に掲載したもの。

◎ 穂高岳下又白谷下部菱形スラブ初登攀(抄)
            わたべ ゆきお

・・・・時刻は八時になっていた。ライトを出しビバークの準備を始めるが、ビレーをしていた所は、二人がしゃがみこむにはあまりに狭すぎるので、細いリッジを五mほど下った所に場所を見つける。ブッシュとブッシュの間にもぐり込むようにして、坐り込み身体をブッシュにくくりつける。私たちがはい上がってきたのとは反対側にもルンゼ状のスラブ(第一スラブ)が走っており、そこまではすっぱりと切れている。リッジの上方はブッシュを混じえた露岩がかぶさっており、下方もブッシュのついた鋭いリッジで、すぐ空間に消えている。つまりは、四方がすべて急峻であって、平らな所はどこにもない。ここまできては、もう下降は考えられず、登り切るしかないのだが、どうなることやら・・・・。
曇天のせいかそう気温は低くないようだ。私は軽羽毛服を取り出し、下半身だけシュラフカバーに沈める。ツェルトはちょっと使える場所ではないし、雨でも降らない限りはいらないだろう。空腹感はそれほど覚えはないが、水のないのが何よりもつらい。
赤沼が「横尾の灯が見える」と言ったのは、横尾ではなく、徳沢だった。夜の森の中にポッカリと徳沢園や天幕たちの明かりが、みじめなビバークの私たちの目の下にあって、それはまるで幸福の定義そのものだ。清冽な水があふれ、ビールやウィスキーのボトルが並び、歌声がしみ出し、それに時折り少女たちの歓声が混じり、花火だって上がるかもしれない。だが、私たちは・・・・。
足先の方が下っているので、ともするとずり落ちて行く。
「上の方も悪いですよ・・・」赤沼が不安を隠さずにいう。さらに、冗談とも本気ともつかずに「これをいい機会に山なんかやめようかな・・・」ともいいだす。「山をやる理由なんかないんだ。別に山でなくても・・・・」
私はいうべき言葉を持たず、ひたすら少しでもマシな体位を求めてセッセと身体を動かす。いままでのいくつもの経験で、意志と、時間と、そして・・・・そういったものが、すべてを解決してくれるのだ。昭和残侠伝(唐獅子牡丹)の高倉健だって、修羅場をいくつもくぐり抜けて立派なヤクザ屋さんになっていったのだ。またフランスのおじさん(サルトル)は「経験には死のにおいがする」といったし、「あらゆる男は、命をもらった死である。もらった命に名誉を与えること。それこそが、賭ける者、戦う者の宿命と名づけられるべきなのだ」とは寺山修司の競馬エッセイによく引用されるウィリアム・サローヤンの言葉だ。要は、運のいい男には人生の終わりよりもルート・登攀の終わりの方が先にやってきて、運が悪ければ、平田や上村のように激しく短い生を終えて夜空輝くお星さまになれるのだ。
夜半、月明かりで目が覚める。半分にも満たない欠けた月だったが、それでも人っ子一人いないこの下又の岩の大伽藍を銀色に浮び上らせるには十分だ。それまで、私は夢の中なのか、それとも実際に身体がずりお落ちたのか、何度も墜落感を覚えてギクっとした。光速でもってブラックホールの中に、私の幼児期の混濁した意識の海の暗黒の中に、収束していくような、ひどくメタフィジカルな、パスカルの深淵のような、メチャクチャ冷汗感覚。
——朝は、もう今すぐくるべきなのだ。
私のビバーク。私の《山》。五彩のトキ。—–心配無用の日々だけがあって、鋭さを持たぬために、瞳孔はやや開きかげんで、抒情は水分を失い、鮮やかな色彩も、急激な気温の変化も、熱すぎる眼差しも危険すぎる街での曖昧なゼリー状のトキ——こいつらを束ねて葬り去るのが、私の《山》でのトキ—–だ。
ようやく、私たちにプレゼントされた夜明けは、重そうな鉛色をしたそれだった。蝶や大滝の稜線には、「ネズミの心はネズミ色、悲しい悲しいネズミ色」の雲たちがザブリとかむさっていた。だが、アリスの歌にもあるように「狂った果実には、青空は似合わない・・・・」(狂った果実)のであって、空が泣き出す前にと、早々に腰を上げることにする。五時だった。
出発前に、昨日の残りのパンとビスケットの一かけらを口に放り込んでみたが、全然唾液がわいてこず、とても喉を通るものではなかった。どんな極上のワインやコニャックよりも、今は《水》だ。私たちのすぐ背後のはずの奥又の池まで行けば、岩の間からしみ出す冷たく甘美な水が涼し気な音を立てているのだ。
赤沼、トップで目の前のブッシュの付いた露岩に取付く。やや、かぶさっており、悪い。彼はその三m程をかち取ると、リッジ上を直上するのではなく、左へとブッシュの中をトラバースして行った。二十m。私がこのブッシュでうるさく、腕力を酷使するピッチを終えてトップの所まで行くと、もう容易とのことだった。すぐ左側には、私たちが突破すべきだったルンゼの涸滝落口が見え、下からは全く予想もし得なかったルンゼ状スラブが真直ぐにのびている。難しそうには見えないが三~四ピッチはあろう。今となってはリッジに逃げてしまったことが悔まれる。
ブッシュを再びリッジ上へ登ると、易しい岩稜となった。左に第二スラブ、右に第一スラブを眺めての登攀である。第一スラブの方が二スラよりも急峻で、よく磨かれていて美しい。登攀自体も難しいだろう。第一スラブはピナクル状の小岩峰で二股になっており、右が本流で菱形岩壁の頭の裏側方面へとのびている。
階段状のリッジを登ると、畳二枚分程の完璧に平らなテラスに出た。ここでビバークをしていれば、二人で楽に横になって寝られたはずだ。ここから目の前の快適な岩稜を三十m程登り、このリッジがピナクル状になる手前で、右に出て、第一スラブの左股ともいうべき小さなルンゼのつめの中に入る。もうすでにここは草付で、さらに草付とブッシュの中を百mくらいも登ると、茶臼の頭へと続く頂稜に出て、広大な下又白谷の上部と前穂の東壁等が望まれた。私たちの待望の、本当の終了点—–そいつが今、私たちの足の下になったのだ。ルート選定には悔まれる点が残ったとはいえ——注:翌年(1981年)第二スラブルートの初登に成功した—–、未踏の、本谷F1の手前から数えれば、二十ピッチを越える私たちの、私たちだけにしか見えない一本のラインがくっきりと引かれたのだ。
一秒でも早く、甘やかな、ココロの内側にまでしみ込んでくるであろう《水》に到達するために、ザイルだけを巻くと、すぐにうるさく繁茂したハイ松の中を池を目指して歩き出した。茶臼の頭は指呼の間に望まれるのだが、踏跡の全くないハイ松こぎには辟易させられる。時折、ハイ松がジンの香りとして強く香る。バテバテになりながら、茶臼の頭には出ずに、トラバースの藪こぎをして、直接池から下又白谷への下降点になるコルに出た。いつもの柔和な面をたたえた奥又白池と人間たちのにおいのつまった天幕たちが眼に飛び込んでくる。私たちは水場に直行し、前穂の私たちに対する友情あるいは好意ともいうべき珠玉の水に口づける。We could drink a pond of water!だったのだ。「生きて帰れた!」などとジョークをいいあい、赤沼と完登の握手をかわす。朝の九時だった。
ビール壜百万本ほどの水を飲み終えると、私たちは雨の降りだした中畑新道を徳沢のウィスキーのもとへと幸福な気持ちで下って行った。

山岳巡礼倶楽部入部のしおりより

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