アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

カテゴリー: 雑談 Page 1 of 5

山伏(やんぶし)

高校山岳部の合宿で光岳に登って以来の南アルプス南部。
光岳より南の、聞いたこともないような山を歩く人がいるなんて想像もしていなかった時代に、藪の中から傷だらけの腕と足をさらして登山道に飛び出て来たおじさん(そのころにしてみればの話)2人。
当時にしてみれば、
「かっこいいな~。いずれはあんな山々を歩けるようになるんだろうか?」と憧れを持ったものだ。
でも17歳で山岳巡礼倶楽部の門を叩いてからは、クライミング三昧。
還暦をだいぶ過ぎてからようやく、憧れの南アルプス南部にやってきた。
クライミング終活の一環で、大した岩場のない山々を老後の遊び場所として軽く考えていたわけだ。
深南部と言われるエリアからは少しはずれるようだが、入門ルートとして山伏に登り、ついでに深南部の登山口周辺をドライブしてまわって概念をつかもうというのが今回の目論見。
実は、山深いエリアとはいえ端っこの山ならちょこっと登って来られるだろうと思っていたのだが、調べてみるとどこも時間がかかりそうで、軽く日帰りできそうなのは山伏くらいしかなかったのだ。
このあたりから「もしかして南アルプス深南部なめてた?」と気が付き始めた。

やたら長いがよく整備された林道のドライブで百畳峠入口の駐車場に行き、前夜泊。

駐車場から百畳峠までは10分ほど。


南アルプス南部って樹林のなかをひたすら我慢して歩くようなイメージだったけど、山伏の稜線に出たら深く大きな山々が展開。明るく嫋やかな山々でした。

1時間もかからず山伏の山頂。

南アルプス初心者なんで、山座特定は難しいけど、赤石山脈の山々から大無間あたりまでの山々が一望のようだ。

明るくひらけた稜線

さて山伏に登って雰囲気を堪能したら、各登山口付近をドライブして偵察。

まずは畑薙ダム。紅葉まっさかりでした。

車止めから少し歩いて観光スポットとなっている吊り橋までお散歩。

地図で見ると寸又峡も近いようだ。
ついでに寸又川方面ものぞいてこようと思ったけど、電車ではたった二駅ほどの井川~寸又峡間の林道は寸断されていて使えない。
行くなら静岡まで大回りしての長距離ドライブとなるので諦め。

それにしてもどこに行こうとしても、長く曲がりくねった林道を延々とドライブする必要があるようで。
なんか南アルプス南部の著名な登山口に行くだけでも大変なことを実感。
深南部の著名なピークを全部踏むだけでも、今の体力が続いたとしてあと50年くらいはかかりそうだぞ。
というわけで、ナメすぎ、知らなすぎの南アルプス南部の初体験ツアーとなりました。はは。

八王子城址「御主殿の滝」の偵察

さて「高尾周辺を遊びつくす作戦」の一環として、「藪尾根歩きも楽しいけど、やっぱりどこかクライミングらしいクライミングもしたいよね」となるのは、クライマーの必然。
「大きめの崖」は見当たらないので、やっぱクライミングするなら滝ですな。
有名な小下沢は支沢の滝も登ってみてだいたいおしまい。
第一回 第二回
底沢の謎も探ったけど、行動自体は藪歩きに終わりましたね。
「ほかにはないのか?」と検索してて見つかったのが八王子城址の、御主殿の滝というやつ。ネット上で写真は見つけたけど、規模感とかまったくわからん。

そして・・・・。
えーと。
血塗られた歴史があるらしい。
心霊スポットとしても有名なんだとか。
誰か登ってないかな?とAIのGeminiくんに質問すると、
「心霊の情報があるので登るのは危険」なんだとか。
あほなんですか?
AIの限界ってやつね。
ネット上にあるデータを上手に収集してきて、うまくまとめるけど、ネットに書いてあることはすべて真実として鵜呑みにするやつ。

いえ、心霊系、スピリチュアル系の話をばかにしているわけではないんです。
怪しげな自称気功師と縁があって一緒に仕事(怪しい仕事ではない)をしていたときに、神道とか仏教とかスピ系の人たちとかにずいぶんと知り合って、半信半疑、興味本位でいろいろやってました。
「わたしゃ触らずに人を吹っ飛ばすことができるのよ」と宣う人格的にやばめな気功の先生が次々と人を吹っ飛ばすのを目の当たりに見ていたけど、「あれは生徒たちが同調圧力で勝手にとんだふりしてるんでしょ」とか思ってた。でもある日自分が吹っ飛んじゃった。
そんなことが続いて、「信じない」、でも「疑わない」っていう基本姿勢に落ち着いたような気がする。
神社仏閣、自然やその他霊的なものも含めてリスペクトはします。でも解釈はしない・・・というかできない。
そして最後に落ち着いたのは、山で生き抜くための方法論として「信じるのは自分の直観だけ」というところだったかも。リスペクトできそうな対象に手をあわせてみたり、祈ってみたり、呼吸をしてみたり・・・いろいろやるけど、それは自分の直観に気が付くための方便だったりするのかもね。
そんでね。直観に気が付くとかかっこういいこと言ってるけど、その実効性は、実は、たぶんない。でも、そういうプロセスを経ることで、なんか聖なる気分になるっていうか、俗臭が抜けて集中力が高まるようなことはあるかもね。

雑談が長くなったけど、「心霊核心」らしい滝のクライミングをするなら、まずはその「心霊」と向き合いましょうというわけで、まずは御主殿のある八王子城址、その守り神の八王子神社にお参りです。呪われた滝にちょっかいだしていいか聞いてみましょう。

八王子城跡ガイダンス施設の駐車場からスタート。
まっ黄色のいちょうがありました。

よく整備された登山道を40分ほどで八王子神社に到着。

手を合わせながらお伺いしてみる。
「滝登ってもいいすかね?」。
よくわからんけど嘲笑われたような気がする。神様に受けてる?
そりゃもう「ご自由に!」ってことなんかなと都合よく解釈。

八王子神社の上、本丸跡をまわりこんだところの祠さんがとても気持ちよく、素敵です。

本丸の裏側へまわって石垣にそってさらに先へ進む。

北高尾山稜にいたる登山道に入ってからも、さまざまな遺構が出現して楽しい。

この辺で遺構はおしまい。あとは登山道をたどって北高尾山稜にいったん出る。

北高尾山稜の富士見台からは熊笹山を越え、途中から今日の目的御主殿の滝がある沢沿いの道をくだる。

熊笹山の先から沢沿いの道をおりると駐車場手前が御主殿の滝。

下りはじめは少し道が荒れ気味だけど、すぐに整備された林道になる。

御主殿址はきれいに整備されて観光客もうろちょろ。


そしてこの橋のすぐ下に御主殿の滝が。

なんかすごそうな滝の絵がある。ここからはまだ滝は見えない。

卒塔婆なんぞも立っていて、いろいろとお供え物?もありますな。

というわけで踏み跡を沢におりるとこれが御主殿の滝らしい。
・・・・・・。
しょぼ。

あ、もちろん雰囲気はありますが、クライミング対象として見た場合の感想ね。
登る価値なし。以上!
いや運動靴で登ってきてもよかったけど、近くで草刈りしているおじさんに怒られそうだし。

その下は軽くゴルジュ状。

林道をくだるとあっという間に駐車場でした。
1週5.8キロ、2時間40分ほどの気持ちのよい半日ハイキングとなりました。

高尾・底沢の謎はまだ謎なんだぞ探検隊

東京の家から、ほどよく近い高尾界隈を遊びつくそう。
といっても人の多い高尾山に行くつもりはなく、マイナーな尾根を伝い歩いたり、沢の支流を辿ってみたり。
下山飯は高尾駅近くの「味はる」ということで定着もしてきた。
底沢は景信山の西、堂所山南面の沢で、この山域では比較的大きめの沢。底沢の集落から底沢峠に至る登山道は歩かれているようだが、沢の記録はほとんど見つからない。
さてどこから手を付けようか。

底沢はこの一帯では比較的規模の大きな沢で支流も多い。

地図を精査していると独特な地形を発見した。

これ。
水流がここだけ太く描かれている。
大きな淵?
大きなゴルジュなら周辺に岩記号があってもいいはずなんだが。

幅約5メートル、長さ約180メートル。
ちょっとしたプール並みの水たまり?

Google earthで見た当該箇所。青く水たまりがあるように見えなくもない。
青で囲ったところが「底沢の謎地形」。踏査計画を立案してみた。

底沢集落をスタートして、沢沿いの林道を辿り、ターゲット部分を通過後は沢沿いに稜線に抜ける。
あとは堂所山を経由して底沢峠からの登山道を下山。
当然ながら下山後は高尾の「味はる」にて報告会。
高尾在住クライマーの山金さんこと山崎金一さん、それに同じく高尾在住クライマーの野口さん梨恵さん夫婦に声をかけてみた。梨恵さんは仕事の都合で報告会のみの参加。
山金さんも避けられない所用ができて、結局報告会のみ。
参加できなくなった山金さんが、前日なんと一人で偵察に行き、ターゲットまでのアプローチを確認してきてくれた。車高の高い車なら林道で行くこともできそうだとのこと。

10月30日、野口、赤沼にて踏査を決行。
実はこの時点ですでに、山金さんの報告やネット調査を通して謎地形部分には連続する堰堤のようなものがあり、その下流には膜ろ過方式の小規模浄水場があることがわかっていた。
調べるとその底沢浄水場は1973年(昭和48年)に給水開始し、1998年(平成10年)に膜ろ過方式設備導入。日量400㎥の最大供給能力があったが、2021年(令和3年)に小規模浄水源の統廃合の一環として廃止されたようだ。
さて浄水場とその上部の堰堤群?とは関係があるのか?
取水堰であったならまだダムのように水たまりがあるのか?
そこは通れるのか?はたまた泳げるか?(笑)
問いは「あの地形はいったいなにものか?」から、「どんな堰堤で、水たまりはあるのか?」と形を変えてのスタートとなった。

底沢集落で沢は二股となる。
底沢峠からの登山道を下山するつもりで、右俣に少し入ったあたりに車を停めて沢沿いの林道を歩き出す。

ほどなく底沢浄水場。
情報通り稼働はしていないようだ。

浄水場周辺。水流はさほど多くない。

林道の終点。山金さんの偵察はここまでだ。
二股となっており、どちらの沢にも踏み跡がある。
この右俣が例の謎堰堤群となる。

堰堤の右岸に伸びる踏み跡を辿る。
水たまりはない。
どうやら取水目的の堰ではなく、土砂防止用の堰堤に見える。

急な小沢に堰堤が続く。

堰堤にかけられたプレートには平成7年(1995年)竣工と記載されていた。
つまり堰堤ができたのは底沢浄水場ができてから20年以上あとのこととなる。浄水場との関係性はないのか、あるいは水源地の保水や保全という意味あいで土砂防止の必要でもでたか?
門外漢の素人としては、堰堤群の謎は結局謎のまま。
でも地図に太い水マークつけるのはなんか違うよね~。
水そんなになかったもん。期待して損したかも。

堰堤群は段々畑のように続き、地図通り180メートルほどでおしまい。

つまり神奈川県の買取り水源地として保全のために必要な堰堤だったってなところですかね。

堰堤の下には水ちょろちょろ。

最後(一番上)の堰堤だけがコンクリート製でした。

堰堤群の上は普通の小沢。
一か所だけ滝状となっていて、右の泥壁を木をつかんで登る。
足下が不安定でちょっと怖かった。

あとはこんな森林の急登。


林業用と思われる踏み跡を拾いながら行けばあっさり堂所山と景信山の間の稜線に飛び出す。

堂所山山頂。このためだけに自撮り棒持ってきた。

底沢峠経由で登山道を下山。
宴会・・・じゃなくて、報告会の時間までだいぶあるので底沢集落を観光しよう。

底沢集会所

底沢集会所のあたりで沢および林道が分岐していて、左の林道に入ると照手姫伝説というのがあって、その舞台でもある七ツ淵というのがあるらしいので、そちらに向かってみる。

のどかな集落です。

そういうことらしいです。

こんな踏み跡を辿って行くとわりとすぐ七ツ淵。

これが七ツ淵。沢靴がないと滑りそう。あ、野口さんは最初から沢靴だった。

なんだかんだ時間をつぶして報告会会場の「味はる」に。
前列左から山金さん、山岳巡礼倶楽部赤沼、YCC野口さん、ぶなの会梨恵さん。
話しがディープに、そしてグローバルに盛り上がったのは言うまでもなし。
そしてうしろが店主の久保さん。
味はるはテレビ東京の「下山飯」というドラマで紹介されてから人気が出ている様子。さあまた高尾で遊んでここで飲もう。

これが店主久保さんの役をやった俳優さん。ふむ。

山巡じじい会約11回【黒曜石巨大露頭】

今年で設立90周年となる山岳巡礼倶楽部。
そういうわけで(てか、たまたま)、3月の鷹取山につづいて今年2回目の山巡じじい会。
今回のお題は「八ヶ岳に眠る謎の黒曜石巨大露頭」。
発端は2020年の山巡じじい会3回目
わたべさんの発案で探索行を行ったもの。
この時は巨大露頭を特定する有力なヒントをつかんだものの到達できずに終了。
そして2024年、赤沼が再訪
目星をつけた場所の周辺をさんざんうろちょろした挙句に発見し、GPSのトラックログを保存してきた。
そして今回、赤沼のガイドで見学ツアーとなった次第。

暇なはずのじいさん達なのに、日程調整に案外と難航して、なんと7月3連休の初日に八ヶ岳の赤沼宅に集合。当然ながら前夜祭。
左から惣之助さん、二階さん、わたべさん。

さて。前夜はだいぶ飲んだものの早起き老人たちは元気に目覚めて出発。
国道の某所に車を停め、GPSログに従って森に突入。

北八ヶ岳の森。
最高の好天なのに、展望もない森を逍遥するなんてもったいないと思っていたけど、薄日のさしこむ苔の森は最高の癒し空間。涼しいし。

露頭に近づくにつれ赤布や踏み跡が出始める。

小一時間の散策で黒曜石露頭に到着。
件の巨大露頭自体は表面的には黒曜石らしくないが、近づくと黒光りする尖った岩肌が見える。
むしろ周辺に黒曜石らしい岩や石ころが無数にあってそれとわかる。

露頭まわりをうろちょろ。

帰りは前回気が付かなかった踏み跡や赤布を発見し、より平坦なルートで国道に戻ることができた。
散策自体はものの2時間ほどで終わってしまった。
少し観光して時間つぶし、本宴会に突入するか~というところだが、何せ学校が夏休みに入った好天の3連休とあって、観光地はすべてが渋滞。
早く八ヶ岳の家に帰って来たものの、みな昨日の宴会と今日の山歩きで疲れ気味。
ビールを少し飲んだらあとは水飲みながら野菜中心の食事にとどまり、山岳巡礼倶楽部90周年イベントについての打ち合わせなどしつつ夜は更けていった。

秋田駒ヶ岳&東北遊び歩き

妻の誕生祝いがてら、どこか登っておいしいものを食べてこようという計画。さあどこに行こう。

安達太良山やら黒姫山やらいろいろ考えていたけど、梅雨入りを思わせる不安定な気候でころころと変わる予報のため、行く先が決定できない。
前日の予報では唯一秋田あたりが高気圧に覆われることがわかって、急遽秋田駒ヶ岳まで足を伸ばすことにした。
夕方東京を出て、登山口まで7時間以上のロングドライブ。

コースはどれにしよう?
朝、秋田駒ヶ岳もありかね?とか言ってから仕事に出かけたので、今日家にいた妻は結構リサーチ済み。私はネットで誰かのブログを読んでみた程度。

私「一番軽そうなのは北側8合目小屋の駐車場から行くやつかな?」
妻「そこはまだ道が開通してないみたいよ。南の国見温泉からになるわね。」
私「残雪はどうかな?」
妻「去年の今頃のYou tubeを見たら、ムーミン谷というコースは木道の上をずっと歩いていて、雪の上も少し歩いているみたいだけど、私だけチェーンアイゼンがあればいいくらいかもね。」
私の心の声「ムーミン谷の写真見たら、クライミングによさげな岩峰があるぞ。偵察もしてこれるかもね~」
私「んじゃあ、国見温泉からムーミン谷のルートに入って、男岳の手前から阿弥陀池のほうに峠を越えて、山頂登ってから尾根コースを戻ればいいね。ちょっと長いけど、コースタイムで7時間程度みたい。がんばるか~!」

妻は軽登山靴にチェーンアイゼン持参。私は運動靴。
軽いノリで出発。

想定ルート。国見温泉から尾根をあがって、途中から左に入るのがムーミン谷ルート。男岳の手前から稜線にあがるつもり。

国見温泉の駐車場に午前様で到着。7時間半ほどのドライブだった。
2時間ほど車中で仮眠をとってから出発。
1時間の歩きで比較的なだらかな稜線に出る。これは秋田駒ヶ岳の一角をなす横岳から南西に伸びて来た稜線。
高山植物の多い山らしく、まだ時期は早いようだが道沿いにはそれらしき花々が。われわれお花に詳しくないので、写真を撮ってきてあとでGoogle画像検索で花名を特定する作戦だったが、いまいちわからないのが多いね~。


稜線から田沢湖を望む。
なだらかに横岳に伸びあがる稜線。空も真っ青で気持ちいい~♪

稜線の途中からムーミン谷への分岐。
左から雌岳、男岳、横岳かな。なんかそこそこ雪があるみたいだぞ。


登山道は雪渓に覆われてなくなってますよ。
妻がYou tubeで見た昨年の今頃とは状況がだいぶ違うっぽい。
これじゃあムーミン谷名物のお花はあるわけなし。
今年は残雪が多いのはわかっていたけど、だいぶ軽く考えていたね。はは。

谷の右側はデブリ(雪崩のあと)が残ってます。
小規模のブロック雪崩や落石がたまに落ちてくるので、左よりにルートをとって行く。あまり人も入っていない様子だが、同じようなラインを歩いている足跡が少しだけある。ラインどりから見て山慣れた人でしょうね。

妻もだいぶ慣れてきて、アイゼンなしでもこんなところが歩けるようになってきた。

左のなだらかな稜線から、こちらのムーミン谷にそれてきた。

妻は人生初めてのブロック雪崩と落石を見てビビり気味。

左のピークが男山。その右側の斜面を登るつもりだったけど、雪渓に覆われていて、落石も怖い。妻はこんな雪斜面登りたくないと言うし。


まあ確かに、登ろうと思っていた斜面は少しリスクが高めなので、このままムーミン谷をつめて男岳の向こう側の稜線まで回り込むことにする。

五百羅漢あたりかな?このへんの岩峰が登れるか偵察したかった。ピッチは出ないけど登れないことはなさそう。これを左からまわりこんで稜線目指します。
稜線に這い上がる手前に急な雪の斜面があって、登山道を完全にブロックしてる。雪の横の急斜面から雪の上に乗るあたりが今回のハイライト。
付近はフキノトウが群生してる。

こんなやばいところに来てしまい、妻は怒り出すかな?と思ったら、「なんかアドベンチャーで楽しいね♪」とか喜んでるわ。

ここからすぐ上が稜線。向こうに田沢湖。この稜線から登山道を歩いていくとすぐに男岳。
稜線に出た。
左側の谷(ムーミン谷)から回り込むようにこの稜線にあがってきた。まもなく男岳山頂あたりを登る妻。
男岳山頂から振り返るムーミン谷方面。この辺一帯を含めて秋田駒ヶ岳ということになる。独特の地形ですな。
山頂。天気はよいし、それなりに冒険的だったし、独特の山の雰囲気があったしと妻もここですでに大満足。ほんといい山です。
男岳からはよく整備された登山道。見えているのは阿弥陀池。ここを経由して最初に登って来たなだらかな稜線を下る。左の最高峰男女岳は割愛。もう満足したからどうでもよくなっちゃった。
ここからはよく整備された登山道を下る。ここを往復でもよかったねと言ったら、妻は「今日登って来たところのほうが楽しかった」のだそうで。
歩いてきたルートを振り返る。
花、花、花
のんびりと下る。

7時間ちょっとの山歩きでした。

へたくそなホーホケキョ。
ムーミン谷から稜線にはいあがる手前。急な雪斜面にはばまれた。

この日は秋田在住の友達から教わった水沢温泉泊。
乳頭温泉の手前の静かな温泉街。
お風呂も料理も最高でした。

さてどうしよう?
これから天気が下り坂だから、山はもういいや。
前食べておいしかった米沢牛の店でディナーしたいという妻。
では一日ゆっくりと寄り道しながら米沢までくだることとしよう。

結局歩いたルート
田沢湖ドライブ中
昨日登って来た秋田駒ヶ岳
角館の武家屋敷
この後秋田の友達から薦められた安藤醸造でだしやら、味噌やらを大人買い。
通りすがりの素敵な神社

なんだかとっても不思議で素敵な街、ますだ。

そして米沢焼肉のあとは一気に東京まで帰ってきました。

鳥居峠から栗屋山

このエリアを特定する名前がないものか調べてみたがわからなかった。
西は韮崎あたりから塩川ダム、信州峠を越えて川上村に抜ける小尾街道(穂坂路)。北東に金峰、瑞牆。南に茅ヶ岳や金が岳や曲岳。
奥秩父西部の茅ヶ岳山麓エリアとでも言ったらいいのかな?
その中心に甲府幕岩や樫山岩塔などの岩場があって、スポーツクライマーにはわりと知られた場所ではある。

先月、金が岳に連なる兎藪という山に遊んだ際、その一帯に伝わる修験道や金峰山への参道(みたけ道)に至る古道、天狗や仙人についての逸話などを聞きかじった。
小尾街道に沿っては信玄の烽火台や、山城址も多い。
「おもしろい土地だな~。北杜市の家からも近いしもう少し歩き回ってみよう」。

今回は比志城址に近い鳥居峠というところから、尾根を東方面に歩いてみよう。その先には地図に記載がないが、栗屋山というのがあるようなので、そこを目的にしてみよう。今回も妻とのんびり山散歩のつもり。

韮崎から塩川ダムに向かう県道23号を北上。小尾街道または穂坂路というやつですな。
塩川ダム手前の鳥居峠トンネル手前から小森川沿いの道に入り、最初の大渡という村落から歩き始め。トンネルの上に見えてる峠が鳥居峠だ。

トンネル方向に村の道を行く。


石仏たち
峠に向かう切通し(村の道はここを通らず大回りしている)
兎藪方面
そこここに藤の花
これも石仏?
あっという間に鳥居峠が見えてくる
鳥居峠にもうすぐ
鳥居峠の北側は舗装された林道があった。こちらから来たほうがよかったかな?
鳥居峠から東に向かう尾根に階段
階段の上に修験者の像があった。寛永とか書いてあったような。江戸時代?ここを越えてなだらかな尾根を東へ向かう。
下草もなく歩きやすい。
全体に赤い。赤松か。
尾根はところどころ細くなるが歩きやすい。
栗屋山手前のピークで視界が開ける。金峰山、瑞牆山などが遠望できる。

金峰山

瑞牆山

栗屋山
八が岳が見えた。
栗屋山山頂から樫山の村を見下ろす。
南の林道まで急な斜面をおっかなびっくり下る。
あとは歩いてきた尾根の南の林道を戻るだけ。
藤の花びら
右が歩いてきた尾根。南側はずっと崖になっている。
石仏など。林道沿いに多い。
お気楽半日コースでした。

波田の若澤寺址

松本から槍ヶ岳に至る梓川渓谷。
その出入口にあたる波田町付近は、歴史上かなりの要衝の地であったらしい。
波田町誌によれば(「アルプス越えの鎌倉街道」からの孫引きで)、
「縄文時代から梓川渓谷は飛騨(岐阜県)、越中(富山県)などの他国との交流に使われた渓谷」であり、鎌倉時代にはアルプス越えの鎌倉街道が作られ、蒙古来襲のこともあって、日本海沿岸や北陸地方の警備、交易の道となっていた。
信州の波田地域は(少なくとも鎌倉幕府の時代には)異国への出入口であった。
警備のため、そして交易のため、ここが重要なベースとなっていたらしい。
若澤寺は奈良時代、行基によって創建され、各時代の権力者から庇護を受けてきた。江戸時代の後期にはその壮大さから「信濃日光」とまで呼ばれていたらしいが、明治新政府による廃仏毀釈により廃寺となった。

これにより若澤寺にあった仏像などの多くは他の寺に移され、若澤寺のあった場所は跡地として保存されている。

さて。
アルプス越えの鎌倉街道の探索を少しずつ行っているわけだが、その本意は、昔の人々の営為を想像しながらの山歩きなわけ。
若澤寺址は筆者にとって、ただの「それほど知られていない観光地」であって、山歩き的にはさほど重要ではないが、一応押さえておいたほうが今後の山歩きがより楽しくなるかな・・・・・という程度で行ってみることとした。

若澤寺址だけでは一日の遊びとしては物足りない。
まずは以前にも行った檜峠に行って見る。
昨年の今頃やたらとフキノトウが出ていたので、ちょっとそういう目論見もあったのだが、今回は残念ながらみんな伸びきっていた。

檜峠近くに1479.6mの三角点を有するピークがある。
以前檜峠からここを目指したが、獣の気配が濃厚すぎて引き返してきたことがある。
今回は熊対策万全で来たので、足を伸ばしてみた。

なかなか楽しい藪山歩きでした。
このピークは三等三角点があって、点名「檜峠」でした。

さて若澤寺。
若澤寺は山中に広がる大きな寺だったが、廃寺となった際、その一部が移設されたという田村堂前に車を停めて観光ハイキング開始。

田村堂から上波田の町内を歩いてアプローチ。

山中の林道歩きとなる。樹間の光が気持ちよい。

若澤寺跡地。よく整備、保存されてます。

木曽・南沢山

妻との雪山登山シリーズ。
先日の黒斑山がとてもよかったので、またどこか軽い雪山に行こうということになった。
妻は長い歩きは嫌だと言う。
山での泊まりも「寒いから」不可。
怖いところもだめ。
展望はよくて晴れてないとつまらん。
条件がなかなか厳しい。
私はクライミングのできる岩山ばっかり行ってて軽い山はあまり知らない。展望にも基本的に興味なし。最近妻と行くようになってはじめて「展望のよい山もよいな」と気が付いたところ。
人気のある山を調べればいくらでもでてくるけど、今度は私が「人が多いのがいや」なので、登山者が多いとすぐに下りようとか言い出すし。

ぐだぐだと悩んでいるとき、陽子ちゃんが共通の友人に連れられて、北杜市の別荘に遊びにきた。これが初対面で、この時は城址からはじめて、登山道のない里山を歩いた。

彼女は、我が家にも何度か来て一緒に登ったこともあるクライマーT君の相方だった人。T君は最近剣岳でクライミング中滑落して亡くなってしまった。
T君はとても無口な人で、一緒に宴会をした妻も「T君楽しくないのかな」と思っていたようだ。
でも陽子ちゃんから話しを聞くと、「人が好きでみんなが話をしている中にいるのが大好き」な人だったんだと。人ってわからんものだ。
T君は情報のないところでルートを探りながら登るのが好きだったらしい。また歴史的好奇心も相当持っていたようだ。
陽子ちゃんと一緒に古戦場を訪ねた際、いつまでもただの原っぱを眺めていて帰ろうとしないので聞くと、「武将たちが繰り広げる闘いの様子」をありありと妄想中だったとか。
もっと話ができていたら、楽しい山行がともにできたのかもしれないな。

さて、クライミングもするけど山歩きの大好きな陽子ちゃんから、「奥さんと一緒に行くなら」とお薦めされたのが南沢山。
冬の樹氷で有名な、雪山初心者に好まれる山らしい。
それなりに人気もあって、登山者が多そうなので平日に決行。

せいなの森キャンプ場近くから始まる登山道がポピュラーらしい。ここに車を停めてスタート。

いつものように、妻は「雪のうえはすべてアイゼンをつける作戦」。雪がしまって硬くなっているので初心者にはこれが正解。
少し暖かい日が続いたので樹氷は期待できない。
トレースばっちりで歩きやすい。
稜線に出たが、案の定樹氷はない。
残念ながら雲多め。
稜線に出るまでは結構急な道だったが、山頂付近は広くなだらかな雪原。
山頂まで2時間半程度。
暖かい日。
山頂でまったりとカップラーメンなど食べて過ごす。
雪も少し緩んできたので私はアイゼンはずしてずるずる滑りながら下山。妻はアイゼンはいて一歩ずつ着実に。
打ち上げはミート池田で買った高級サーロインでステーキ。

佐久・御陵山の皇子峰

皇子峰というのは山巡赤沼の得意技、面白がっての誇張命名ですよ。もちろん。御陵山(おみはかやま)北面(南相木村側)のやぶ岩峰のことです。

つい先日、南相木ダム手前のずみ岩を登った帰路、ほの見えたきれいな二等辺三角形のやぶ岩峰。
やばい(いろんな意味でね)岩峰があったら登ってやろう・・・というのが最近の行動様式なわけで、まずはそれがどこなのかの特定作業。
どうやら以前に歩いたことのある御陵山の北面にあるピークらしい。それがわかった瞬間、「墳墓」と言う言葉が頭に浮かんだ。
一人でもいいけど、やぶ岩歩きの好きな仲間でも誘って一緒に行ってみるか~と思っていたら、1年以上会ってない長友さんから山に行こうとお誘いが。かつて南相木を一緒に歩き回った相棒だ。
タイミングよすぎでしょ。

4日後の金曜朝には二人で南相木村。
御陵山里宮という神社(祠?)から行動開始。


さてなぜ「墳墓」という言葉が浮かんだのか。

南相木村の地図上に名前のないような山々を辿り歩き、隣村川上村の岩峰を登り歩くうち、「悲運の皇子、重仁親王がこの地に住んだ」という言い伝えが耳に入ってきていた。
言い伝えが実話であるという前提で話をまとめると以下のようになる。


平安時代末期、皇位継承問題に端を発した保元の乱で敗れた崇徳上皇と、その皇子重仁親王は讃岐に配流され、崇徳上皇は配流先で罪人として扱われ、失意のうちに亡くなる。その後敵方を中心に大事件が多く起きたことから、怨霊として描かれるようになり、平将門、菅原道真とともに日本三大怨霊のひとりとも言われる。
一方皇子の重仁親王は、保元の乱で崇徳上皇に荷担した武士方の総将格であった信濃の村上基国を頼って身を寄せ、その庇護のもと千曲川を遡って南相木村から臨幸峠を越えて、川上村の御所平、御殿窪(みどのくぼ)に安住。ここで兵を調練したり鷹狩をしたりしつつ、再起をかけて過ごしていたが若くして病に倒れた。
その名残として川上村に古名として地名や遺跡が残っている。
歴史学者で佐久の郷土史家、楜沢竜吉氏から、佐久に疎開していた作家の佐藤春夫が歴史史料の提供を受けたらしい。佐藤春夫は「佐久の内裏」という作品に「佐久川上村御所平要図」という史料をもとにした古名などについて記載している。(定本佐藤春夫全集第13巻に収載)

御所平 御殿窪(みどのくぼ)

竜昌寺(現、富澤山 龍昌禅寺)の裏にある御殿窪に重仁親王が住んだ。背後の山は今も内裏山と呼ばれている。(写真は龍昌寺の山門と内裏山)

この地には熊野神社があり、のちに龍昌寺が移されてきた。当時の天皇家は熊野神社とのつながりが深く、頻繁に熊野詣でを行ってきた。

住吉神社

龍昌寺の千曲川をはさんだ向かい側に位置する。
住吉神社は熊野神社の別当。

住吉神社から龍昌寺方面。左の山が内裏山。
住吉神社から撮影。右端が赤顔山。さらにその右方向に天狗山、そして御陵山が連なる。この一帯が重仁親王のいた御所平の中心地となる。

ちなみに千曲川は熊野と同じ三山信仰の三峰詣の街道筋でもあった。

御霊社(御霊神社)

御殿窪と同様、内裏山の麓に位置する。

川上村公民館発行の館報かわかみ 第104号(昭和43年)には「村上基国のもとを親王が辞するとき白馬を進献され、臨幸峠を越えて川上村に入った際の姿が御霊社のご神体である」との記載がある。

川上村では重仁親王を祀った神社として護っていたようだが、今はなぜか入口が藪の奥に埋もれ、祠はまるで隠されるように安置。
産泰神社と名前も変えられている。

重仁親王、三大怨霊の皇子だよ。やはり失意のうちに亡くなってるんだけどなんか今は忌避してない?こんなことして大丈夫なん?というのは赤沼の心の声。

このほかに古名として兵を調練したかのような「馬場平」、貴族のスポーツ鷹狩をしたのか「鷹揚場」、「天主の台」、「鷹放」、「兵部」などの地名もあったようだ。

以上は主に雨海博洋氏筆「悲運の皇子、重仁親王の流離譚」より引用させていただいた。


以上が本当の史実であれば、御所平の奥に控える御陵山は、その名前からいっても重仁親王の墳墓であると考えるのが自然ではなかろうか。

御陵山山頂の祠

山頂の祠に奉納されてきたらしい神具の説明。雨ごいの神事によるものと記載がある。なぜか南相木村教育委員会。
しかし17世紀とあるし、ここが重仁親王の墳墓として祀られていたのだとしても矛盾はしない。だいたい御陵(おみはか)と雨乞いって結びつくのかね?

そして不思議なことに御陵山の北、南相木村にも御所平という地名があり、御陵山里宮という小さな神社が現存する。

この神社は御陵山の北側の尾根が南相木川に落ちて来た、三川というところに建つ。そして尾根はここからまっすぐに、件の三角やぶ岩峰(皇子峰)を経て、御陵山に至る。
そして南相木村にも里仁親王の流離譚があり、御陵山はまさに里仁親王の墳墓であると伝えられている。
重仁親王の言い伝えに酷似してますな。
ちなみに里仁親王という名は史書にはないのだが、藤原政権時代に謀反人として名前を歴史から抹消されたのだとか・・・

さてさて真実はどこにあるのか。

どこかに事実があるのか、村上基国がその野心から勝手に親王を担いだのか、あるいはどこにでもある貴種流離譚のひとつで、自治体がそれを利用したり、忌避したりなのか?

そういうわけで、話は長くなったけど、歴史的ロマンのある、墳墓のような岩峰を、悲運の皇子を偲びつつ敬意をもって踏破してみようかと。そういうことになった次第。

南相木村の御陵山里宮の前からはじまる林道に入り、適当なところで車を停めて、御陵山の北に延びる尾根を登り始める。
結構な岩尾根っぽいし、あの岩峰(皇子峰)も急峻な露岩が出てっぽい。
ロープを持つかどうか迷ったが、長友さんと赤沼のふたりならそういうのは得意分野だしいらんだろう!ということで軽装でスタート。

樹林を踏み跡だか獣道だかを辿る。歩きやすいし、気持ちいいし、
「登山道をぞろぞろ歩いてる人がかわいそうだよね~」とか二人して言いたい放題。

初冬の小春日和って感じのむちゃくちゃ感じのよい尾根筋。

踏み跡らしいものがあったのは、送電線のメンテのためもあったのかな。

いくつか小ピークを越えていく。

前半はかなり歩きやすい。

尾根どおしでルートも明瞭。

このあたりは岩峰だらけ。露岩が出始め、急な木登り露岩登りとなってくる。

急な岩峰が連続する。慎重にルーファイしながらピークを登ったり下りたり。

露岩をクライムダウン中。

越えてきた小ピークを振り返る。

結構いやらしい木登りと露岩登り。にこにこと登ってくる長友さんにあとで聞いたら、手袋の形状やらムーブやらいろいろと研究してノウハウを蓄積しているらしい。

突っ込んだ岩峰が案外悪くていったん下降中ですが、実はこの先で事件が。
赤沼の腰ベルトにつけていた熊よけスプレーのストッパーがやぶでなくなり、下降中、木の枝でスイッチが押されてしまったのだ。
幸い大事には至らなかったが、スプレーの液体を処理した布に触った手で触れた場所のすべてが、ひりひりと発熱。一晩ほどかっかしてましたわ。

皇子峰はもう目前。なんか難しそうに見えるぞ。

どこを越えてやろうか。できれば中央突破したいね。

しばしルーファイタイム。

良い子のみなさん。長友さんの木登り露岩登りテクニックを、この動画から学んでください。いろんなノウハウが見てとれますよ。(いやまじで)

南相木ダムが遠望できる。

皇子峰に到着!

皇子峰から少し下ってまた登ると天狗山から御陵山への稜線。登山道があって、ここからはすぐに御陵山山頂に着く。

御陵山山頂から天狗山方面。天狗山の向こうは八ヶ岳が白くなってる。

御陵山山頂

にわか祝詞を奏上

さて下降は一本西よりの尾根を考えていたが、長友さんが「沢を下りちゃいましょう」というのでただついて行く。長友さんの読みがあたってあっという間に車を停めてある林道に出た。




天狗山ダイレクトから

あっこちゃん(中江明子さん)と天狗山。
昨年敗退した下部フェースを登るかと出かけたけど、寒さに負けて転進。天狗山ダイレクト。
(敗退の顛末はこちらに記載してます。)

天狗山南面の岩壁群では唯一、天狗山ダイレクトというルートが知られていて、あとの岩壁はほぼ情報がなかった。
情報の多い既成ルートにだけ人が集まり、あの広大な岩壁群に何もないのがもったいない。
そこに昨年から手を付け始めて、難しすぎずに登れそうなラインを狙って、6本ほど登って来た。(登ったラインの概要はこちら)
今さら一度は登った既成ルート、天狗山ダイレクトになんで行ったかと言うと、単なる宴会前のお茶濁しなんだけど・・・・壁のまんなかを一直線にあがるこのルート、実は自分の作ってきたルートのよき展望台だということがわかった。

東岩稜

いくつかの小さなフェースの連続した岩稜。
やぶ尾根歩き、ときどき岩登りというのんびり楽しめるやさしめのルート。

右壁右稜

天狗山ダイレクトに並行するように山頂に伸びあがる岩稜。
左が切れ落ちてた壁で、右は樹林帯。ちょうどその境目の岩稜を登るやさしく楽しいルート。

そして写真は撮らなかったけど南稜もよく見えた。

どれも山歩き以上、クライミング未満みたいなルートで、「ルート開拓」というよりは「ルート発掘」と言ったほうがしっくりくるようなところ。

最近はこういう山遊びが楽しくて仕方がない。
「情報のないところは怖いところ」ではないと思うよ。
情報がないから、「行って見て」、「自分に登れそうなラインにとりついてみて」、「だめならおりてくればいいんでない?」という遊び方ができるんじゃないかな。

こういうルートは誰かがすでに登っているかもしれないし、「ルート開拓」とか、「初登攀」とかいう言い方にはそぐわない。だから「ルート発掘」なんて言った方がいいのかもと思った。
最初に登ったあと、東岩稜も南稜もこの記録を見て登ってくれた人がいるし、右壁右稜も登りたいという人を案内したりもした。それがとっても嬉しい。

60歳過ぎて、クライミング人生が終わるまでに登れるルートがあと何本あるのかな。そんな想いを抱き始めて、難しいことやかっこいいことがしたいんではなく、いい仲間と「あーでもない、こーでもない」と言いながら、こうやって山と触れ合い、じゃれあって遊びたいんだよね~ということに気が付いた。

開拓とかいうもんじゃなくて、いい遊び場を発掘していきたいな~。

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