アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

投稿者: gams Page 2 of 11

佐久・赤顔山南壁左稜

その辺の崖(壁?)です。
川上村の男山、天狗山、五郎山と岩峰でのクライミングも大方(自分に登れそうなラインは)片付きはじめて、ついにその辺の崖に手を出そうかという段階・・・・なのかな?

まあ気にはなっていたわけです。
天狗山の手前に割と印象的な赤く脆そうな崖があって、それなりに目立っていたんで。
ナナーズ川上村店あたりからは結構迫力あるように見えるし。
ちなみにナナーズ川上村店では、つよつよクライマーが二人もレジ打ってたりするし(2024年6月現在)、その敷地内にはルーフロックというクライミングショップがあって、代表の北平さんはじめすごいクライマーだらけ。
その周辺でも赤顔山(あかづらやま)の岩場はそれなりに注目?はされていたみたい。(ルートがあるという未確認情報もあり)

それともう一つ。
悲運の皇子、重仁親王が南相木村から臨幸峠を越えて川上村の御所平に居を構えていたという説がありまして。
その説によると、白馬に乗って臨幸峠を越えてきた重仁親王の姿がご神体として祀られたのが、赤顔山の下(一角にある内裏山というのが本体?)御霊社であるらしい。


川上村村誌によるとそのような記載があるらしい(私は未確認)が、今では産泰神社として藪と墓場の裏に隠されたかのように祀られております。

そして臨幸峠からつづく稜線上にあるのが天狗山、馬越峠、そしてなんと御陵山(おみはかやま)。御霊神社(産泰神社)の上が内裏山、そして赤顔山。なんか悲運の皇子との関連性を疑ってしまうような地名が並んでおりますな~。ちょっとそんな興味というか、やじうま目線もあって赤顔山にはなんとなく気が引かれておりました。

さて6月20日。
どこか山行きたいな~と山巡唯一の若手部員真帆ちゃんに都合を聞くと、「午後半休ならとれますけど・・・」って。
私は私でちょっといろいろ疲れ気味だったりするし、長い山歩きよりは軽いクライミングがいいなと思い、「じゃあ気になっていた赤顔山に手を出すか!」となった次第。
先日南稜に行った際駐車した大深山遺跡の駐車場から歩けば近そうだし、壁も大きくはない。半日あれば十分だろう。

大深山遺跡見学者用の駐車場からスタート。

すぐに大深山遺跡。
縄文中期の遺跡で全国でもまれにみる大型遺跡で、竪穴式住居が52戸も見つかったそうだ。

大深山遺跡を越えてさらに林道を使って山腹をトラバースしていくと、赤顔山の南面岩壁が見えてくる。
思っていたより崖の規模が大きいかも。
真帆ちゃんは「これは崖じゃなくて、列記とした壁です!」と主張。

いずれにせよ悪そうな岩場だな。

よく観察すると左によるほど傾斜は落ちて行き、登れるかもという感じ。右側は赤くて脆そうな岩でかなりオーバーハングしている。

登るのははじめから想定していた左の壁ぎわライン。
木登りに終わるのか、少しは岩登りができるのか。
少なくとも右側の稜よりは岩が多く露出して見える。

林道が終わったところから左稜の末端を目指して樹林をトラバースしていく。

それとすぐにわかる左稜の尾根に出て、少し登るといかにも取付き!という岩場となる。難しくはなさそうだが一応ロープをつけてスタート。

じゃんけんに勝った赤沼からリード。
お!なんか楽しいぞ!
岩は硬いしフリクションもよし。
絵に描いたような楽しい3級岩稜コースではないか~!

「楽しいではないですか~!」
と登ってくる真帆ちゃん。

そのまま真帆ちゃんが2P目に突入するが、かなり傾斜も落ちてほぼ歩き。

一応ビレイはしてます的な?

ここからはロープはずして行こうか~と、雑に巻いたロープを肩に歩き出す。木の根っこつかんで、時折出てくる露岩のクライミング。松の葉っぱが滑って少し怖い。

岩登りとは言えないが、いい感じの尾根歩き。でも右側は岩壁が切れ落ちていて大迫力。

尾根の右側は迫力の岩壁が展開。
右稜はなんだか木に覆われてそうだな。

登るとしたらいくらか傾斜の落ちる左よりですな。天狗山と同じ岩質だとしたら逆相で結構苦労するかも。

時折ロープを出すけど、いらないレベルでした。

こんな感じの岩稜をすたすたと登っていくので、身体にはこたえるが、どんどんと高度を稼いでいけます。

尾根の最後がかぶった岩場になっている。

一応ロープをつけて登っていくとまもなく終了点。

なんだか絵に描いたような終了点。
この尾根、岩登りっぽくはないんだけど、最初と最後がクライミングルートっぽいのが笑える・・・というか、とても楽しい気分になるところですな。

というわけで、自撮りのツーショット。

岩場の終了点から赤顔山までは踏み跡らしきものもあり、軽く赤顔山山頂を往復。

赤顔山山頂手前には少し岩登りっぽくなるポイントもある。

赤顔山山頂の標識は文字が消えているものの、その上に小さく山名が書いてあった。北杜市のパン屋エルベテルのウィンナーロールとツーショット。

左稜を登ったから、今度は右稜を下降してみようと、岩場の終了点あたりまで戻ってくる。下には川上村が広がる。ナナーズがよく見えてるね。

川上村のナナーズを望遠撮影。ルーフロックもわかるね。

右稜は案の定岩場とは言えず、樹林ごしに歩いておりていく。少しおりるとさっき登って来た左稜が見える。

右稜の急斜面をおりていくと傾斜の緩い笹薮となって、登って来た林道に出る。

赤顔山南面岩壁左稜を登って、右稜を下りたわけ。こちらがトラックレコード。

11:20am 大深山遺跡
12:15pm 左稜取付き
13:00pm 左稜終了点
13:40pm 赤顔山山頂
14:20pm 右稜下降終了
14:40pm 大深山遺跡駐車場

半日かからないかる~い岩稜クライミング&ハイキングでした。

山巡じじい会第八回草戸山&ごん助

山巡じじい会。
すなわち老齢化のため滅亡しかけていた山岳巡礼倶楽部の生き残りメンバーが集まって、軽い山登りと宴会をするという集まり。
もう今回で8回目。
いつからやってるんだろうと山行一覧を見たら、案外と最近始めたんだよね。

第一回 2019年5月 弘法山
第二回 2020年5月 草戸山
第三回 2020年9月 八が岳・冷山
第四回 2020年10月 矢倉岳
第五回 2021年10月 湯河原・城山
第六回 2022年1月 源太ヶ城
第七回 2022年3月 佐久・海ノ口城址

そして今回が第八回というわけ。

さて今回はどこ行こうか。
パシリ赤沼がいろいろと頭を巡らせていると・・・・
二階さんからここで打ち上げしようぜとのアイデア。

高尾、浅川町の「いろりの里 ごん助」

宴会場が決まったので、山は以前にも使った高尾山近くの草戸山に決定。

いつもの面子は全員参加。
下又白谷の本当のフロンティア惣之助さん。
下又白谷研究を深めたわたべさん。
山巡が初登頂したトリニティーピークのサミッター二階さん。
そしてまだまだ下又白谷あたりうろちょろしてる、パシリの赤沼
そして今回は何か勘違い?して山巡に入部してきた真帆ちゃんも参加。

宴会場の予約時間からコースタイム(標準の2倍で計算)を逆算して、高尾山口駅11時集合。

しか~し。
最も時間がかかると想定していた惣之助さんがやたらと元気。
先頭でどんどん進んで、なぜか若手が置いて行かれる。

「このスピードだったら宴会場に早く着きすぎます。」と赤沼。

「なあに惣ちゃんはすぐばてて止まるから」と二階さん。

でもあれ?あれ?

山頂までそのペースで行ってしまったよ。
てかまあかる~い山なんですけどね。そもそも。

それにしても、この癖の強いおしゃべりじいさんたちとは初対面の真帆ちゃん。
あっという間に溶け込んで、なんなら一番大きな声でしゃべり続け、爺さんたちのおしゃべりが幾分控えめですらあったり。
先頭を歩く赤沼はその様子を聞きながら笑いをこらえてましたよ。

あっという間に山頂。

だいぶ時間が余るな~

いつものじじい会は酒肴持参で、山頂宴会をやることが多かったけれど、今回は宴会場の予約が午後3時半。時間をつぶそうにも飲み食いするものもあるわけないよな~~~~~

てかザックからいろいろ出てくるし。

宴会場までの道のりはゆっくり歩いて一時間程度なんで、午後2時に出れば余裕。

そういうわけで山頂のベンチで1時間以上の宴会(一次会?)。
なんかみんな楽しそうだな~

よくしゃべる真帆ちゃんもお姫様扱いされてまんざらでもない様子。

あとから現代クライマーの先端にいる真帆ちゃんに、じじいたちの印象を聞いたら「ザ・昭和の山屋って感じですね~」って。まあその通りなんだけど。

そしてほろ酔い加減の下山をして。

ごん助で宴会開始です。

惣之助さん楽しそう。

真帆ちゃんと共通の知り合いの多い二階さん。ツーショットを撮って誰かに送りたいらしい。

そして一番の酒豪もどうやら真帆ちゃんだったらしい。主役決定。

一次会のはずだったごん助宴会が二次会となり。

今回はいつもと違って酔っ払い千鳥足によるけが人も出ず、無事に終了。

そして赤沼と真帆ちゃんはそのまま高尾のニコちゃん(YCC)宅で奥様の梨恵さん(ぶなの会)も加わっての三次会。

テムレスで家事してるニコちゃん。

酔っ払いギター弾く赤沼

そして翌日はニコちゃん、真帆ちゃん、赤沼で甲府の兜岩でフリークライミング。赤沼がチョーク袋を使う貴重なフリークライミング映像ですよ。そう脆くない壁も登るのだ。

そしてニコちゃん、赤沼が暑さと二日酔いでへべれけになった後も、真帆ちゃんは一人難しそうなところを攻め続けておりました。


佐久・天狗山「モフモフスラブ」& 宴会

「モフモフスラブ」は、昨年10月に登った右壁右稜の別名(?)ということになりますかね。これです↓。

モフモフの苔に覆われたこのピッチを登ってみた~いという、(女子だけの山岳会、銀嶺会の)宮田組長のリクエストに答えて、右壁右稜を再登攀することになった次第。まあいわゆる「観光的なクライミング」ってことですかね。

宮田組長に面子今のところ二人だから誰か誘ってもよいよ、と言ったら笹川淳子さん(通称メパンナ)を連れてきた。
「メパンナは一期生だから・・」と宮田組長。

そもそも赤沼とメパンナがFacebookを通じて知り合い、何度か一緒に山に行くうちに私のことを「開拓師匠」とか、「ボロ壁師匠」とか、はては「泥壁師匠」とか呼び始め、謎の師妹関係が生じていたらしく。
ちなみにメパンナは今やドライツーリングの世界で名をはせて、日本代表選手として世界を転戦中。
そしてメパンナ経由で知り合った宮田組長は「二期生」ということになるらしい。いや別に楽しく登っていただけで、何かを指導した覚えもないし・・・

まあそれはともかく。
割と長いおつきあいとなった仲間3人で観光クライミングに出かけたわけ。

さて10月8日(土曜)朝、川上村ナナーズで集合。
赤沼は前日五郎山あたりをうろちょろして、実はすでにお疲れモード。

左から宮田組長、赤沼、メパンナ。

赤沼は2回目なので「全部リードしていいよ」と言うと、二人でじゃんけんしてメパンナから登り始め。
「選手権を控えているので絶対怪我だけはしたくない。」とか言っているわりに泥っぽい壁をさっさと登っていきます。

宮田組長リード中

右壁右稜は有名な「天狗山ダイレクト」の右側にある樹林と接する岩稜で、樹林に逃げればいくらでも逃げられるけど、なるべく岩場の露出部分を登ろうよというルート。終了点は天狗山ダイレクトと同じ。

岩を選べばそれなりに高度感もあります。新緑が眩しい。
モフモフスラブピッチの導入部
以前より苔が白い気はする。苔がすべるが傾斜もさしてないので、難しいクライミングにはなりません。
赤沼はほぼフォロー

そして終了点。そこに腰を下ろす人影。
なんと真帆ちゃんでした。てかクライミング中のトランシーバーに割り込んできて、来ていることはわかっていたんだけど・・・

北杜市で出稼ぎしながらクライミング三昧中の真帆ちゃんは、なんと北杜市での仕事のお昼休みに天狗山山頂まで駆け上がり、終了点で待ち伏せしていた。

真帆ちゃん登場(右端)

そして午後の仕事に間に合わせるべく、山頂で記念撮影のあとさっさと下っていった。20分後には写真入りメッセージがきていたので、それくらいで駆け下りたものと思われる。

そして恒例、北杜市の赤沼家宴会。
あれ?一人増えてる?
宮田組長のお隣は越百小屋の名物のん兵衛女将、タマさん。
宮田組長の人たらし人脈の一人で、赤沼が「一緒に越百小屋行って紹介してくれ」と言っていたのだが、まさかここに連れてくるとは。
そして赤沼はすでに疲労の頂点。しばらく飲み食いしていったん退出。(寝室にね)

宴会場が騒々しくなったなと起きるとまたまた真帆ちゃん登場。
午後の仕事が終わって駆けつけてきた。ちなみに翌日も早朝から仕事。

その後タマさん、メパンナのジャニヲタ会話や、宮田、赤沼のクラリネットーギターデュオ、宮田カラオケ独演会と続き、最後は午前3時に至る女子トークとなったらしい。赤沼は日をまたぐ前に撃沈しておりました。

佐久・天狗山左壁「たまひよルート」開拓

たまひよルート開拓と言ったものの、岩登り要素よりは左壁の弱点を辿ってとりあえず左壁をトレースしたというところ。壁の正面突破はせず、田丸さんが日和ってルートどりしたから「たまひよルート」。

今回のパートナーはYCC (東京ヤングクライマーズクラブ)の家口さんと田丸さん。いつものでこぼこ酒飲みコンビ。

左壁は天狗山南面の岩場群の左端に広がるスラブ壁。

天狗山南面岩壁偵察時の写真
左壁の中心付近を田丸さんリードで離陸

一部垂直部の核心があり、ハーケンを叩き込んで突入するがかなり苦戦気味。節理の甘い岩壁なので灌木があてにならない。なんどか灌木をつかんで身体を上げようとした挙句、灌木が抜けて滑落。5~6メートル落ちてハーケンで停止。
幸い怪我もなかった様子だが、田丸さんこれでちと意地になったか?家口さんと私でルート変更を主張するが、もう一度トライするという
そして同じ場所で2度目の滑落。
「いや~あと3センチで登れたんだ!もう一度!」とか言う田丸さんを問答無用で戻って来させて、ルート変更。

左壁の岩壁基部に沿って右上。ちょっとしたテラスまで灌木、草付き帯をたどっていくと大きなテラス。というかすでにこの時点で壁全体の半分くらいまでの高さに達しているが・・・・
ここから再度、田丸さんリードで取付き。
今度は打って変わって慎重なルート選択で、バンドを2ピッチ左上していき、左壁左稜上に近いテラスに到達。
そして簡単なリッジを登って行くと終了点。
左壁の(おそらくは)初トレースとはなったものの、岩登り要素としては「巻き」に近いかな。

というわけで、田丸さんが日和って登った「たまひよルート」。
でもまあこれで左壁の様子がわかった。左壁はどこを登っても結構難しそうだな。

佐久・天狗山東岩稜

馬越峠から天狗山への登山道の途中に、ちょっとした前衛ピークがある。その南面に3段くらいになったフェースがある。今回は各フェース右側のリッジをつないで登り、東岩稜とした。というか、登ってみたら3段フェースというよりは、普通に岩稜と感じられた。

2023年10月に3段フェースを狙ってここを訪れたが、それぞれのフェース自体は急峻で思ったよりも小ぶりだったため転進して、天狗山ダイレクトに並行するように天狗山山頂に伸びるリッジを登って右壁右稜と名付けた。

さらに2024年4月、今度は各フェースの右側リッジ部分を続けて登って一本のルートとしてみようと再度訪れたが、コンディションが悪く、またまた転進して天狗山南面岩壁群に向かって伸びる岩稜を登り、南稜とした。

さて2024年5月11日、3回目の訪問。ようやく馬越峠への林道の冬期通行止めも解除されたので、馬越峠からのアプローチとした。
昨年10月に来ているのでアクセスはわかっている。
馬越峠からゆっくりと20分も歩けば天狗山の前衛ピーク。南に岩稜が落ちているのがわかる。
その手前から急な樹林を南に下る。右側に見えている岩稜に沿って行けば取付きまでは30分ほど。

パートナーは南稜にご一緒したニコちゃん。私と同年代のおじさん。
仕事を引退して、時折登山ガイドなんかをやっているそうだ。

緩いフェースから登り始め。
急峻なフェースが積み重なっているけど、弱点を選んで登っていけば容易に登れる。
3P目あたりは露出感がでてきて楽しい。
樹林の歩き、ゆるい岩稜、急なフェースなどが交互に出てくる。
岩が乾いていれば快適に高度を稼げる。苔が多いので雨のあとは行きたくない感じ。
やさしいところはどんどんランナウトで。
好きなラインどりで登る。難しくもやさしくも登れる。
垂直部を越えてくるニコちゃん。
6P目の急なスラブ壁が核心。1本だけ残置ハーケンがあった。山岳巡礼倶楽部のわたべ氏が、数10年前このあたりにハーケンを打ったとか言っていたのがこれのことかな?ルート中を通して唯一の人跡。
岩登りらしい楽しいパート。
あっという間に登ってしまった。前衛ピークで記念撮影。

ロープは歩きの部分も含めて全7ピッチだした。ロープをたたんでから1ピッチ分くらい歩いたので、ロープ8本分くらいのスケール。

トラックレコード

行って、見て、登れそうなところを登るという、最近お気に入りの山登りスタイルでした。

アルプス越えの鎌倉街道第二弾–檜峠散策

信州、梓川沿いの山腹を、比較的なだらかな地形を辿りつつ、安房峠付近を越えて飛騨、平湯に至る古道「アルプス越えの鎌倉街道」。3月にその信州側の山道の起点となる祠峠の道を歩いた。(リンク:祠峠に鎌倉街道を想う。)

そして4月20日。今度は乗鞍スカイラインの起点付近(大野川の集落あたり)から沢渡に至る、檜峠の道を散策してきた。

雪道をラッセルして歩いた前回とうってかわり、フキノトウがそこかしこに顔をだす春いっぱいの林道を、残雪の霞沢岳や焼岳を眺めつつののどかな散策となった。

鎌倉街道、鎌倉古道などというといかめしい感じもするが、そもそもここは中世からの生活道路であったと言われる。その昔、山道を歩いて旅することが「最高のレクリエーション」だったのだろうなと想像がふくらむ。
アルプス越えの鎌倉街道の想定ルートを地形図に重ねてみると、等高線のまばらな、要するに緩やかな場所が選ばれていることにも驚かされる。そしてここは今や穂高連峰前衛の、日本を代表する風光明媚な景勝地でもあり、その道中がどれだけレクリエーショナルであったかという想像を楽しみながらの、しかし人けのまったくない静かな散策でもあった。

4月の2日間、山巡の若手女子、真帆ちゃんと八ヶ岳でクライミングを楽しむ予定だったのだが、まさかの寒さと風で転進。1日目は小川山や某秘密の岩場を渡り歩いてフリークライミング修業。でも2日続けて真帆ちゃんのフリースキルについていくのもつらいので、アルプス越えの鎌倉街道踏破を前提とした偵察行を提案。

さて檜峠。
鎌倉街道の推定ルートは祠峠から檜峠へとつづく。祠峠と檜峠の間が、今は乗鞍スカイライン上となる大野川集落。そこから沢渡に至る山道が檜峠の道。そして檜峠から沢渡の間は地図では車の通れる林道のようだ。ここを歩いて峠まで往復してみよう。

沢渡バスターミナルのちょうど向かい側あたりの林道に入る。林道に入った途端、観光バスや車の連なる喧噪を離れ静かな山となる。

林道は奥まで車で入れそうだが、今回はすぐに車を停めて歩いてみることとする。

車を停めた場所から沢渡バスターミナルを見下ろす。
山の向こうにちらっと見える白い山は霞沢岳のようだ。

しばらくは舗装された林道。

ほどなく舗装はなくなり、ダートの林道となる。

焼岳や霞沢岳が樹間に見える。

そこかしこにフキノトウが。あまりにたくさんあるので、今夜食べる分だけいただく。

多くは摘まず、写真を撮る真帆ちゃん。

この先が檜峠。

檜峠に到着。

檜峠から大野川集落方面には登山道らしき踏み跡が伸びている。道は典型的な切り通し(薬研堀)の形状となっている。これぞ鎌倉街道の特徴らしい。

登山道を少しおりたあたりから蛙らしき鳴き声が。行ってみると蛙の大群が沼地に集まり、子作りの真っ最中らしい。

なかなか騒々しい。

林道わきに車を停めての2時間強の散策だったが、残雪の山々を望みつつ、春の気配の感じられるのどかで楽しい一日だった。上高地周辺の喧噪のまっただなかにありながら静かな時間を過ごすことができたのがとても幸せに感じられた。

祠峠に鎌倉街道を想う。

3月14日、祠峠を目指して雪道を歩いてきた。
ここは鎌倉街道の一部らしい。
でも鎌倉街道ってそもそもなによ?
なんで鎌倉から離れたこんな山中に鎌倉街道?
その道どこに向かってて、どう利用されてたの?

いくつものクエスチョンマークで頭がいっぱいになる。

少し調べているうちに、「アルプス越えの鎌倉街道」という本に出会い入手した。
この本を手がかりとして関連資料を乱読、雑読するうちに、自分なりの勝手なイメージができてきた。

  • 「アルプス越えの鎌倉街道」は飛騨側の高山から平湯温泉に至り、安房峠のあたりを越えて信州側の梓川に抜けるものだった。
  • もとは生活道路だったものを、鎌倉街道として整備したらしい。
  • いわゆる平安や奈良時代の古道のような人馬が走り抜ける広く大きな直線道とは違い、山中の踏み跡などを歩きやすくした「切通または薬研堀」という程度の整備だった。
  • 鎌倉時代には蒙古や南朝勢力も含めた日本海側に対する政治的、軍事的境界線としての意味もあったり、宗教的な境界線にもあたる警備上の重要拠点だった。また武田家も木曽攻めの際、この道を利用したとの記述がある。
  • 一方、生活道であった(らしい)この道は、急峻でしかも楽しくない谷間の地形を避け、焼岳や乗鞍岳、あるいは穂高などの展望のよい、比較的なだらかな場所を選んでいるように見える。「道中を楽しむ」という文化に支えられた道であったように思えてならない。合理主義とは違う、道の意味合いに気が付いてから、この道を辿ってみることに俄然興味が湧いてきた。


祠峠は、松本から上高地を目指す途上、奈川渡ダム(梓湖)の西側にある標高1300mほどの峠。この祠峠が「アルプス越えの鎌倉街道」、信州側の山道のはじまりのようだが、「登山口?」の村がダムで水没したのがきっかけで廃道となったようだ。
その昔、峠付近に10戸ほどの集落があったが廃村となり、今は祠だけが残っているという。今でも、廃村マニアや歴史好きハイカーなんかが時折訪れているようだ。

ここを歩いてみたのは、穂高や霞沢岳などに何度も通っていたので、道中の里山を1日歩くのも一興と思ったということもある。時期的に雪山散策となった。
ちなみに、以前南側からここを目指したが、奈川渡ダム建設のために水没した集落周辺の橋と細い林道のアプローチに手間取り、駐車スペースも見いだせずに引き返している。

今回は北側からのアプローチ。乗鞍スカイラインの途上に車を停め、大野川の集落から歩き出す。

全ルートを通して重めの雪に覆われていて、ひざ下から腿くらいのラッセルでの歩きとなった。積雪、風、寒い夜、暖かい日などが続いていて、雪崩が起きやすい状況は予測できたので、樹林越しに行けなければ引き返すつもりだったが、祠峠までは大丈夫だった。それでもごく小規模な雪崩はそこかしこで起きていた。

歩いたルート
まだまだ雪に覆われた大野川の集落

大野川は「アルプス越えの鎌倉街道」の著者、服部祐雄氏の出生地でもあるらしい。

集落下の川には橋がかかっている。これを渡って行く。
橋から川を見下ろす。
道に沿って電線が伸びているが、折れた電柱もある。もちろん電気は通っていない。
約2時間半で峠に到着。祠が見えてきた。
倒れかけた鳥居
祠の前後になぜか木が。

祠の後ろはともかく、真ん前に立っている気が謎。
樹齢ってよくわからないが、あえて木の真後ろに祠は立てないだろうから、少なくともこの木の樹齢くらいは誰も祠を守ったりはしていなかったってこと?

朽ちた建物の一部?
鳥居側から見た祠
標識があった。
鳥居横にも朽ちた建物跡
峠の向こう側(南の奈川方面)

地形からして踏み跡があるようだ。凹状になっているのは、後で調べたところ、鎌倉街道の特長で薬研堀(切通)というらしい。人工的に掘って作られたものだとか。

来たルートを戻ると、車を停めた乗鞍スカイラインが見えてきた。

さて祠峠の往復はラッセルが大変だったものの4時間ほどで終了。なかなかに楽しい雪山散策だった。

【アルプス越えの鎌倉街道のルートについて】



佐久・天狗山南稜

川上村のナナーズあたりから天狗山を見上げると、山頂直下の南面岩壁群に向かってまっすぐに伸びあがる、顕著な稜線がある。これを登ってきた。
(注:上の写真は少し西側から撮影したもので稜線を描きいれると横にトラバースしているように見えるが、実際はまっすぐ岩壁に向かっている。)

スタートは大深山遺跡の広い駐車場。
赤線トラックレコードの右側が稜線で、1466mピーク、1616mピークが地図に記載されているが、この稜線に関する情報は見当たらない。

今回の面子は、この3月で仕事を引退し、これから登山ガイドをするというニコちゃん(YCC)と、バリバリ沢屋の梨恵さん(ぶなの会)、それに赤沼(山岳巡礼倶楽部)の3人。

本来の目的は、天狗山の東側前衛峰の南面岩壁に一本の線を引こうというものだったが、前日の雨でまだコンディションが悪いことと、馬越峠への林道がまだ冬期通行止めなので、アプローチが大変なこともあって、いまいちやる気がでず。
前から気になっていたこの南面の稜線を登ってみることにしたもの。
下から見る限りわりと急峻で岩とやぶのミックスに見える。登攀具少々とロープ1本だけを持参することとした。

馬越峠への道から左に大深山遺跡に向かうと、遺跡に向かう人のためらしい大きな駐車場がある。ここに車を停めてスタート。

駐車場のすぐ前の林道を少しあがって、右に見える尾根までトラバース。尾根の末端に着いた。露岩の多い樹林の尾根という感じ。雨に濡れた苔のはえた岩がとてもよく滑るので、なるべく土の部分を選んで登っていく。

尾根は起伏が激しい。急な部分と平坦な部分が交互に出てくる。

ところどころ岩稜となり、展望も開けてくる。

ところどころ露岩となる。危険そうなところはすぐにロープを出していく。

ロープは3人で50mを一本。半分に折り返して25mダブルとして使用。

1466m峰と1616m峰の真ん中辺のピーク。このあたりから天狗山南面の岩場がだいぶ迫ってくる。

岩と樹林の岩稜にところどころ急な岩峰が飛び出ている感じ。

岩峰と岩峰の間は樹林の尾根。うっすらと踏み跡らしきものがあったりなかったり。山仕事の人が入ることはあるが、ロープが欲しくなるような岩峰部分は巻いているのかも。

目の前に天狗山南面の岩峰群が迫ってくる。この尾根は左壁(天狗山の概念はこちらを参照)あたりに向かって伸びている。

来た尾根を振り返る。
1466m峰と1616m峰の間のピークが南稜の屈折点となっている。

1616m峰に立つ。

天狗山が迫って各岩壁が鮮明に見えてくる。下記参照。

1616m峰でくつろぐニコちゃん、梨恵さん夫婦

西側の斜面はすべてソーラー発電設備で埋め尽くされている。この設備に沿って下山するが、林道が設備のために寸断されていて、ここにあったはずの登山道は廃道になっている。

廃道となった登山道あたりに出る。山頂へは何度も行っているので、ここからだいたい廃道にそって下山。

ソーラー発電設備のフェンスに沿って、寸断された林道を歩いて大深山遺跡の駐車場に戻る。

大深山遺跡駐車場から登山道との合流点まで約3時間の行程だった。
岩が濡れていたため念のためにロープを5回だしたが、乾いた状態ならもっと快適に早く登れるだろう。
天狗山でのクライミングというと馬越峠からのアプローチになっていたが、山裾からダイレクトに岩場に至るこの稜から、上部の岩壁につないでいくのも将来の課題として面白いように思う。

お昼に終わってしまったので、秘密の岩場で少しだけフリークライミング。
これが梨恵さんの人生2回目のクラックのリードだったそうな。

比志津金山塊・雨竜山

今秋狙っているヒマラヤの某山ソロクライミングの資金調達のため、北杜市で出稼ぎ中&クライミング修業中の斉藤真帆ちゃん。彼女の休日にあわせて3月8日、日帰りで山歩きに出かけた。

中央高速バスで山梨入りして真帆ちゃんの車で拾ってもらう。

男子のたしなみ(?)として運転を代わるが、道路上の雪でなんか若干滑るぞ、この車。コンパクトカーながらスタッドレスは履いているらしいんだが・・・
「中古のスタッドレスだから少しは減ってるかもしれないですけど~」とか言ってる真帆ちゃん。

もともと狙っていたのは西上州の人跡少ない岩稜なんだけど、雪に覆われた林道をかなり奥まで入る必要があり、結局あきらめて転進。転進先はいつもの比志津金山塊。主だったピークは踏んでいるけど、林道から近すぎて登り残した雨竜山。篤志家専門のマイナーピークだが、林道比志海岸寺線の途中、大尾根峠(比志津金山塊の最高峰笠無はここから北上して登れる。)から南下すれば20-30分もあれば着けそうな位置。冬期通行止めで大尾根峠まで入れないことは承知のうえで、みずがき湖側から行けるところまで車であがって歩くプラン。

塩川ダム側の県道23号から林道を1.5kmほど登ったところで倒木があって行き止まり。ここから歩きとする。

上図のスタート地点に車を停めて歩きだす。

林道を歩くつもりだったが、車を停めたところは尾根上になっていてかすかに踏み跡もある。方向的には雨竜山なのでここからいったん谷におりて山腹にとりついてみることにした。

山腹の急斜面から雨竜山に達する尾根を目指す。
土、根っこ、堆積した葉っぱのうえに中途半端に雪がついていて、かなり気を使う登り。結構危険なので、歩きやすさよりも落ちた時の安全度を考えてルート選択。

ようやく尾根に上がる。このまま尾根をあがっていくと少しずつ傾斜が落ちてきて雨竜山に達する。

山頂には一応山名標識があった。

下りは大尾根峠に向かって一気に駆け下る。こちらは北面で雪も適度についているので歩きやすい。正面は八ヶ岳。

【雑談】五郎山合宿だ!

もともとは関西系クライミング女子アンジーと3日間どこか行こうという話。
それがいろいろとこんがらがって・・・
1日目はアンジーとかる~く楽しいクライミングをしたけど、2日目はなんと登山界の大御所ガメラ氏が合流することに。
若いころに何度か顔はあわせて、挨拶くらいはしたことがあるものの、登りや飲みをご一緒するチャンスもないままに、約40年ぶり?の再会。この山巡ブログを見て「こういうクライミングを一緒にしたい」と言ってくれていたのでお誘いしていた次第。
そしてガメラ氏の友人、中尾さんも参加。会ったとたん、ほとんど通学しないままなぜか卒業した大学名を言われ、「え?なんで知ってるの?」。私がたまに顔を出していた山岳部の先輩とヒマラヤに同行したとのことで、「後輩にやばいやつがいるんだよ」と聞いていたらしい。やばいか自分?
中尾さんもヒマラヤでの初登攀やら、瑞牆あたりでの開拓だの相当なクライマーですな。
そしてガメラ氏にもだいぶお世話になっているらしい、弟分の礼くん。
さらに赤沼の別荘のある北杜市に、クライミング移住してきたエリサさんも参加。

2日目はこの大所帯、6名でどこか登って、北杜市のわが家で宴会しようということになった。
先日エリサさんと開拓に行って、あまりの疲労とシャリバテで(たぶん)、登攀中記憶喪失に陥ってしまって敗退した天狗山のフェースを、強い人達に登ってもらおうか?というアイデアもあったんだけど・・・
6人でがやがややるなら、今まで7本ほどのルートを作った五郎山岩峰のお披露目でもさせてもらおうと思いなおした。

五郎山についてはこちらをご参照ください。

五郎山の岩場までは2時間弱の急登。
五郎山の岩場登場

さてパーティー分けの方法は赤沼が提案。

ガメラ氏と中尾氏がじゃんけん。
五郎山経験者の赤沼と礼くんがじゃんけん。
つよつよ女子クライマー二人がじゃんけん。
勝ったチームと負けたチーム。3人x2パーティーで登ろうということで。

結果、
ガメラ氏、アンジー、赤沼のカメさんチーム
中尾さん、エリサさん、礼くんのウサギさんチーム
に分かれることになった。

カメさんチームはマキヨセP2ルート。
ウサギさんチームはどまんなかルート。

この二つのルートはお互い向かいあった壁なので、お互いの写真が撮りあえるのだ。

カメさんチームはマキヨセP2ルート。3ピッチのルート。
ガメラさんのリードでスタート。いや、ここが一番難度の高いピッチなので、さりげなく押し付けた。

2P目、3P目は素敵なフェース登り。アンジーのリード。

対岸のどまんなかルートを登るウサギさんチーム。
あれ?どまんなかルートはスカイラインのリッジを登ったんだけど、少し下の岩の多いラインを登ってるな。派生ルートできちゃった。

どまんなかルート派生パートを登る中尾さん。

登り終わったカメさんチーム
どまんなかルートを登り終わって、五郎山山頂のウサギさんチーム
ウサギさんチームは登り足りなかったのか、さらにカメさんチームの登ったP2マキヨセルートの2P目以降を登りに行った。写真は2P目をリード中のエリサさん。
カメさんチームは五郎山山頂まで登山道を歩き、この写真を撮影。P2マキヨセの終了点ピークに立つエリサさん。

マキヨセP2終了点のウサギさんチーム

早めに終わって下山。これから宴会だ~
宴会開始。左3人が60台前半グループ。右3人がまだまだ若者?グループ。

同時代を生きたクライマー同士の話は何十年前に遡り、亡くなった友人たち、まだ生きてる友人たち、谷川岳通いの話、今の瑞牆山の話・・・・盛りだくさんの話題が飛び交いましたね。さすがに。

ところでちょっと怖いというか、ショッキングな話。

記憶が相当やばい。
思い出せない、忘れてるのは日常茶飯事なんだけど。
記憶が間違ってる?
最近というか、ここ数年多いんだけど。

たとえば、
「あの有名クライマー夫婦、いつも噂ばっかりで一度お会いしてみたいな~」
「なに言ってるの?若いころ一緒に登ったし、何度も飲んだじゃない。」

たとえば、
「あの人と登ったのはさすがによく覚えてるよ。あれは19xx年だった。いいクライミングだったわ~」
「は?その人その1年ほど前に亡くなったよね?」

たとえば、
「まあ自分のクライミンググレードは5.11が限界でしょう。それ以上登ったことないし。」
「5.12のルート、初見リードで開拓したの知ってるけど?」

こんな調子。

これって還暦すぎたら普通?

今回みたいに昔話するとそういうのを切に感じるわけ。
記憶が混濁してる。
で、いろいろと記憶を反芻したりしていたら、大きな事故やら高度障害やらで、記憶喪失になった経験があったわ。いや、そのこと自体を忘れてて、この間エリサさんと登攀中に記憶が飛んだとき、「こういうの初めてなんだよね」とか言ってるし。

老いとともに、いかに自分の能力を客観評価して、山登り自体をグレードダウンして、クライミング人生を全うするか。これが最近ずっとテーマなんだけど、自分の(クライミング)能力ってなに?

体力・・・今のところゆっくり登ればまだ大丈夫っぽい。
技術・・・クライミングはもはや大してうまくはならないけど、そうそう下手にもならないらしい。ゆっくり、無理せず登れば大丈夫かなぁ・・・
判断力・・・経験値はどんどん大きくなっていくわけで、判断力もそれにともなってよい方向に・・・・というところで、ちょっと待てよ!となった。
経験値って、今まで記憶してきたことの集積から導き出されるものでないの?
だとしたら記憶がやばいと、経験値も飛ぶ?
記憶がとんだら、判断できない?

ここまで考えてきて、登攀中に記憶をとばした私がパートナーのエリサさんに言った言葉を思い出した。

「今、岩場にいてクライミングしてることはわかる。やり方もわかる。でも今どうしたらいいか判断できない。このまま登ればいいのか・・・・」

これでエリサさん、びびって「早く下りなさい!」と言ってくれて、事なきをえたんだけどね。

つまり、記憶混濁⇀経験値混濁⇀判断できない・・・ってことじゃん。

これ山では一番まずいかも。

老害としか言いようのないような遭難もよく起きてるみたいですが、案外こんなあたりから判断ミスって起きてたりするのかなぁ。

経験値を失った、老いぼれ登山家はただの老害。

とりあえずそう自省しておこう。

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