アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

投稿者: gams Page 1 of 13

山岳巡礼倶楽部のサイトを運営している赤沼です。
人手不足につき、登っているのもほぼ赤沼中心です。

高尾・小下沢逆沢~景信山

つい一昨日、山巡のじじーズで行った小下沢にすぐまた行くことになった。
自分としては支流をつめて景信山まであがる心づもりだったのだが、じじーズ山行では支流の滝を登っただけで帰ってきてしまったので、リベンジの意味あいもある。どうせやぶ沢だろうと想像はしていたが、それでも自分にとっての空白部を歩くことに意味があるわけで。
パートナーはアカネさん。
音大を出てからウィーンにまで留学した実力派のソプラノ歌手で、大学で音楽関係の教鞭もとっている。
その傍らテレマークから沢登り、クライミングまでをこなすアクティブな女性でもある。
昨年は東京文化会館小ホールで開催された彼女のソロリサイタルで、歌声は堪能させてもらったが、直接会って話をしたことはない。
メッセージのやりとりで一緒にとある岩壁にご一緒しようとなったはいいが、だったら一度くらいは会って酒くらい飲んでおかないとね~・・・・というわけで今回ご一緒することになった。
つまりまたまた「飲み」がメインの沢登り。

狙う支流は北高尾の小下沢コースの林道から分かれて、北から景信山に伸びる沢。並行して登山道?が通っているようだが、沢とは交錯していて源頭部分は状況がわからない。
先週じじーズと大騒ぎしながら登った滝を越えて、その不明部分を通って景信山に登る計画。


飲みの時間から逆算して、朝ゆっくり目に出発。小下沢林道からアプローチ。

2日前にじじーズと登った滝はあっさり越える。
というか、赤沼のリードしたルートは物足りないらしく、あえてやばそうなラインを登って滑ってみたり、遊び登りしてるわ、この人。

滝の上は予想どおりの渓相です。
蜘蛛の巣だらけの藪沢。

赤沼が倒木をひょいとまたいで行くと、
「え?」と、けげんな顔をするアカネさん。
「マムシまたいだよ~」って。
早く言ってよ。
まったく気が付かなかったわ(汗)

並行して伸びて来た道に合流。
ここからしばらくは沢沿いの道(踏み跡程度)を行く。

源頭部は沢を離れて右岸の尾根上のコルを目指す。
短いけど急登。
湿度があって暑いわ。

景信山までは一投足。

登山道を小仏までおりて、一昨日と同じ「味はる」さんには予定どおり開店と同時に飛びこんでしゃべり倒した。
短いながら、普通のクライマーはぜったい嫌がる蜘蛛の巣だらけのやぶ沢~道のない斜面の急登。
それを「いつもの沢のあとの藪漕ぎからしたら楽勝ですよ~」と淡々と話す強めのパートナーひとりゲット。
来月予定しているクライミングが楽しみになってきたぜい。

ところでこの支流。マイナーだし名前なんぞないよね・・・と調べたら、物好きはどこにもいるらしく、登った記録もあった。
これは逆沢という沢だったらしいよ。
高尾のプチバリエーション目指す篤志家にはお薦めです。

山巡じじい会約12回目【高尾・小下沢】

高尾在住クライマーのリエさんから、下山飯に最適な居酒屋を3軒ほど教えてもらった。
その話をすると即座に食いついてくる二階さん。
かくして下山後の飲みから入る山登り。
まあいつもの山巡じじいズの典型パターンです。
さて高尾に下山する山登りっと・・・・
登山道を普通に歩くのは暑すぎるよな~
では涼みがてら沢登りに行きましょう。
そしてこれもリエさんから教わった小下沢。
小下沢は滝も少なく、いわゆるウォーターウォーキングの沢で、沢沿いには林道がずっと平行しているので、水の中を歩いたり林道を歩いたり自由に遊び歩きができるらしい。
支流にはリエさんのつけた踏み跡もあるとのこと。
メンツは箱根あたりでひとり歩きをして休養日になってるわたべさんが不参加で、惣之助さん、二階さんと赤沼の3名。

高尾駅北口から小仏行きのバスで、大下下車。
ここから歩き出します。
飲みだす時間から逆算しつつ歩くルートを決める作戦。

林道の適当なところから沢におります。
平凡な沢なので、飽きたら林道にあがります。

支流をひとつわけると水量はぐっと減ります。

支流に大きめの滝。
「あれ登れんじゃね?」と二階さん。
そして二階さんのザックから20メートルほどのロープがでてきます。
太さ5~6mmですね。細い細い。
赤沼「もしかしてそのロープつけて滝を登れと・・・」
二階さんは誰かのブログでこの滝に目を付け、あわよくば登ろうというつもりでいたらしいす。

支点なんかないし、この細いロープはリードで落ちたら保たないだろうし、つまりは赤沼にロープセッターをやれと、そういうことのようです。

時間的にこの滝登って引き返すことになったので、空身で登ります。

滝の1段目上から撮影

滝は3段20メートルってなところでしょうか。
1段目は小さいけれど、なかなか難しそうです。
でもよく見ると水流の左にホールドも続いているようなので慎重に登ります。

1段目リード終了。左の水線を登った。

1段目を登ってくる二階さん。
あれ?なんかハーネスまで持ってきてたの?私と惣之助さんはロープを腰にブーリン結びで巻き付けてるだけなんですが・・・・?
途中でロープにぐっと体重がかかったように思ったけど、きっと気のせいでしょう。

「二階おまえルートの選び方が悪いよ~」
とか言いつつ得意げに登ってくる惣之助さん。
沢靴でなく普通の運動靴だし。
下又白谷の山巡稜を初登攀して、その時見た菱型岩壁を紹介した往年の名クライマー。後期高齢者になってもまだクライミングいけてますね~。

2段目をフォローする二階さん。なんかすごいシャワークライミングになってます。

2段目を登る二階さん(動画です。音声注意)

2段目を登る惣之助さん。(動画です。音声注意)

3段目も登って3人自撮り。
さてここまではよしとして、実は右岸の巻道を下りるのが核心でした。
かなりやばい感じの踏み跡で、下は滝なんで落ちたらちょっとただではすまない感じ。
念のため立ち木にロープをセットして、赤沼はごぼう(懸垂下降でなくただロープをつかんでおりること)で先行します。
滝の上をトラバースしていく感じで、バランスのとりにくい下降になります。
さて2番手は惣之助さん。
なにせお歳なので、ひやひやしながら見守ります。
と、露岩の上のトラバースポイントで足を滑らせ滝のほうに滑っていきます。
いや、いくらロープがあるとはいえ、後期高齢者の腕力では体重を支えられないだろう。
かなりやばい状況と判断しましたがどうやら身体は振られただけで止まってます。
実は惣之助さんごぼうではなく、肩がらみ懸垂下降の体制で降りてきていたのでした。このびしょ濡れの細いロープで肩がらみなんて。惣之助さんは自分の年齢や能力をわかっていて、あえてその手を使っていたわけですな。やばいクライミングをしながら長生きしてきた人ってこうなんだよなと思いましたよ。さすがです。
この滑落場面も動画に収めてましたが、ここは惣之助さんの名誉のため非公開(笑)。

ただ沢を歩くだけでなく、少しでも滝を登ったことですっかり満足して、ここで宴会開始。もちろんザックからは酒がでてきます。

そして下山宴会は焼き鳥屋の味はる
以前、リエさんの夫、高尾在住のニコちゃんこと野口さんと一度飲んだことのあるお店。
時々店をしめてヒマラヤあたりに行ってしまう山大好き店主さんのお店です。下山飯にはほんと最適。

おいしい焼き鳥を食べながらさんざん飲み散らかしてお開きとなりました。
が、赤沼は酔っ払いすぎて高尾駅に携帯を落とし、東京の最寄り駅についてから高尾までもう一往復することになったのでした・・・・(泣)

山巡じじい会約11回【黒曜石巨大露頭】

今年で設立90周年となる山岳巡礼倶楽部。
そういうわけで(てか、たまたま)、3月の鷹取山につづいて今年2回目の山巡じじい会。
今回のお題は「八ヶ岳に眠る謎の黒曜石巨大露頭」。
発端は2020年の山巡じじい会3回目
わたべさんの発案で探索行を行ったもの。
この時は巨大露頭を特定する有力なヒントをつかんだものの到達できずに終了。
そして2024年、赤沼が再訪
目星をつけた場所の周辺をさんざんうろちょろした挙句に発見し、GPSのトラックログを保存してきた。
そして今回、赤沼のガイドで見学ツアーとなった次第。

暇なはずのじいさん達なのに、日程調整に案外と難航して、なんと7月3連休の初日に八ヶ岳の赤沼宅に集合。当然ながら前夜祭。
左から惣之助さん、二階さん、わたべさん。

さて。前夜はだいぶ飲んだものの早起き老人たちは元気に目覚めて出発。
国道の某所に車を停め、GPSログに従って森に突入。

北八ヶ岳の森。
最高の好天なのに、展望もない森を逍遥するなんてもったいないと思っていたけど、薄日のさしこむ苔の森は最高の癒し空間。涼しいし。

露頭に近づくにつれ赤布や踏み跡が出始める。

小一時間の散策で黒曜石露頭に到着。
件の巨大露頭自体は表面的には黒曜石らしくないが、近づくと黒光りする尖った岩肌が見える。
むしろ周辺に黒曜石らしい岩や石ころが無数にあってそれとわかる。

露頭まわりをうろちょろ。

帰りは前回気が付かなかった踏み跡や赤布を発見し、より平坦なルートで国道に戻ることができた。
散策自体はものの2時間ほどで終わってしまった。
少し観光して時間つぶし、本宴会に突入するか~というところだが、何せ学校が夏休みに入った好天の3連休とあって、観光地はすべてが渋滞。
早く八ヶ岳の家に帰って来たものの、みな昨日の宴会と今日の山歩きで疲れ気味。
ビールを少し飲んだらあとは水飲みながら野菜中心の食事にとどまり、山岳巡礼倶楽部90周年イベントについての打ち合わせなどしつつ夜は更けていった。

月山・山伏修業(体験)の人々

すっかり山にはまってしまった妻とのほぼ月一回ペースの山歩き。
私が妻の要望を聞きながら最適な山を探すスタイルから、最近は妻が勝手にリサーチして山を決めてくるスタイルになってきた。
今月のお題は「月山」。
6月に行った秋田駒ヶ岳が楽しかったせいかまた、東北の高山植物で有名な山シリーズ。
前夜7時間ほどのドライブで登山口へ行って車中泊。月山8合目登山口への県道は冬期閉鎖から開通したばかりだった。朝から登って温泉宿でのんびり休んでから帰るというパターンも定着してきた感じ。
直前に登った人のブログによれば、登山道に雪は残っているがアイゼンはいらないらしい。

午前中の天気がよさそうなので早めに出発。
平日の朝早くから駐車場はなんか騒然としていて、おそろいのヘルメットに沢装備?っぽい体格のよいお兄さんたちのグループがいるかと思えば、白装束の山伏姿の団体もいるぞ。そして警察官が寄ってきて「ここで行方不明になっている人がいるので、情報があったら連絡してください。」と遭難者の特徴なんかの書かれたチラシを受け取った。それはそれはご苦労様。ほんと頭が下がるわ。
つまりヘルメットのグループは警察の捜索隊だったわけですな。

県警のヘリも午前中ずっと飛び回っていたけどこの日は見つからなかったらしい。

ニッコウキスゲの群落の木道からスタート。歩き始めが8合目なんでいきなりの良いとこどり。
朝のうちは天気がよくて鳥海山も遠望できた。

さすがに百名山。道もよく整備されてるね。

標高があがるとそこかしこに雪が残っているが、登山道は大した雪斜面もなく、運動靴で十分歩けるレベル。

高山植物はまさに花盛り。
高山植物初心者のわれわれは事前に「月山でこの時期に見られる花」の写真を集めて、花名とともにプリントして行ったのだが、そのプリントを車に忘れるといういつものやつ。

佛生小屋を過ぎると少し急なところもでてくる。

山頂手前はしばらく雪の上を歩くようになる。

雪の上を行くと、いつの間にか月山頂上への分岐を通りこし、月山神社をまわりこむようにして月山頂上小屋に来てしまった。
月山神社は500円払ってお祓いを受けないと立ち入りできないんだそうで、面倒なのでパス。てか駐車場で会った山伏姿の一行が大勢ここにいて混雑してそうだったのもあったし・・・。

最近われわれの間でブームの山頂カップヌードル。
月山神社を巻いて戻り、月山神社と双子峰みたくなっている山頂へ。こっちは無料。
下山中。すでに「ああチングルマね」とか「またイワカガミか」みたいな感じになってる。

というわけで往路を下山後、湯田川温泉で打ち上げして帰ったわけですが。

ちょっと山伏のお話。

山頂まで前方を件の山伏装束の人々が歩いていて、月山神社でもわらわらしていて、そしてわれわれがランチを終えて通りかかると、彼らは月山小屋でお弁当タイム。
それを外から覗き込んだ妻が「ほぼ全員欧米人よっ!」って。
「そういえばほら貝下手くそだったよね~。」と私。
道中もそのほら貝を聴きながら、「横に行ってパオーンとか叫んだらこっちのが本物ぽく聞こえるかも。」なんて軽くディスりつつ。

この人たちってどんな動機でこんなことしているんだろう?
誰がそういうツアー?を企画してるんだろう?
そもそも本気で修業したいのか、ただ観光的に体験してるだけなのか?
いろいろ気になったんで、帰宅してからGeminiさん(GoogleのAI機能)と相談。ネット情報を網羅的に調べてもらった。最大公約数的な二次的情報をとることに関してはAIってきわめて優秀ですな。

まず山伏とはなんだったのか?から始めてみよう。
質問「中世の山伏の実態について調べてちょうだい」
Deep Researchかけたら報告書膨大すぎ。
抄訳してもらったものをさらに人力で要約すると。

庄内観光サイトの「観光の舞台裏Vol.7 山伏/出羽三山宿坊 養清坊 当主 星野博」という記事だ。

羽黒町で400年以上宿坊を営む星野家に生まれた当主は、山伏としてそれを継ぐものとして育った。紆余曲折を経て彼は「出羽三山の魅力を多くの人に伝えたい」と切望するようになる。
山を鼓舞する目的のために作ったグループはやがて400人ものボランティアを迎え、荒廃した寺を復元、整備したり、かつて多くの月山詣での人々でにぎわった山小屋を復元するなどの活動をはじめた。
そんななかで山伏修業のすばらしさも訴える。
文化を絶やしてはいけないと、星野氏自身が協会長を務める、羽黒町観光協会で山伏修業体験塾なども手掛けている。

アルファベットで「Shugendo」というワードをGoogle検索すると、Wikipediaにつづいてまっさきに羽黒町による山伏トレーニングの案内サイトがヒットする。

こういった資料類を読むにつけ、山伏修業体験を呼びかける側も、それに感応して参加する側にも本気度を感じてきた。

山伏体験塾は外国人ツーリストに特化した観光アミューズメントなどではなく、修験道の文化に感応した人に等しく与えられた機会であり、実際日本人も予約がなかなかとれないほどの盛況ぶりが伺える。
今や山岳信仰という、今は特に根源的な重要性を持つ文化に、日本人よりも海外の人たちがより深く共鳴して、熱心に参加機会を探っているのかな~と、居住まいを正す必要を感じた次第。

月山は想像通りものすごく素敵な山だった。でも有名登山ルートゆえの俗っぽさを感じて、月山周辺はもうこれでいいかな・・・と思っていたのだが、出羽三山もコンプリートしなければかな~?

金峰山・千代の吹上第三岩稜B峰

懸案の第三岩稜B峰に一本のラインを引いてきた。

D峰を登った際にD峰の頭から撮影したB峰。
全3ピッチとなったが、1ピッチ目は写っていない。

第三岩稜についてはほとんど情報がなく、2024年9月に登ったときに概ね4つの岩峰からなることがわかり、上からA, B, C, D峰と仮称した。


2024年9月には一番下のD峰を登っただけで時間切れ。
同年10月にA峰を登った。

A峰(B峰の頭から撮影)は、この特徴的なチムニーを登って頭に出たかったが、向かって右側のルンゼからアプローチした際は下部フェースにルートを見出せず、右側から巻き込むようにしてこの上に立った。

その際残置ボルト一本を確認している。過去に似たようなラインで登った記録があるようだが、われわれが登った際は、残置ボルトのあるルートはとらなかった。一部かぶっているような気もするがはっきりしない。

さてA峰は不本意なラインではあったが、登ってその頭に立った。
D峰も登った。C峰は登攀価値はあまりないと判断。
今回の狙いは最後に残されたB峰。なかなかの大物に見える。

パートナーは中尾政樹さん。
シブリン南壁の初登攀、サトパント北稜の登攀などの実績を持つほか、黒部や瑞牆山などを中心に高難度ルートを多数開拓してきた心強いパートナーだ。赤沼より少しだけ年上のパイセン。
千代の吹上には前から関心を持っていたとのことで、お誘いするとすぐに食いついてきたものの、「アプローチが遠いな~」とか言うし。
なので瑞牆山荘登山口から入山し2時間ほどで到着する大日小屋をベースとして、翌早朝出発するというプランを提案。心の中で、「じいじたちの、のんびりクライミングプラン」と勝手に名付けた。

大日小屋から金峰山方面に2時間弱で砂払の頭。
ここから第三岩稜、第四岩稜の間のルンゼをおりてアプローチする。

第四岩稜のスラブ帯が右に見るあたりから、左手には先日登ったD峰の頭が見えてくる。D峰とC峰のコルに上がろうと思っていたが、露岩が多くて難しそう。
少し上に戻って樹林の斜面をあがっていくとちょうどC峰とB峰のコルに出た。

B峰とC峰の間を懸垂でおりながら、B峰のルートを探る。

歩いても下りられそうなところだが、B峰に見惚れて歩いていて怪我なんぞしてもつまらないので・・・・

中央がD峰の頭。右手前がC峰。D峰を登った際、頭から懸垂下降でC峰側に下りたが、その際の残置支点が途中からよく見えた。
1P目をリード中の赤沼。最後のクラック部分が1P目の核心。
ゼーハー言いながら1P目終了。30mくらい。
1P目フォロー中の中尾さん。
2P目は次のテラスまで。中尾さんリード中。20mくらい。
2P目フォロー中の赤沼。後ろ左がD峰。右がC峰。
2P目ビレイ中の中尾さん。後ろのクラックが3P目。
お天気最高。眺めも最高。
2P目終了点の小ピークからいったんクライムダウンして取付き。

3P目をリード中の赤沼。クラックをひろいながら高度を稼ぐ。
ピーク手前のクラックが難しそうなので、ブッシュ帯に入ったらピッチを切って、一番難しそうな核心部分を頼れる兄貴、中尾さんにまかせる作戦。

ビレー中の中尾さんを振り返る。D峰がだいぶ下方になってきた。

ところがブッシュ内は足場がなく、しょうがないのでそのまま核心のクラックに突っ込む。ロープはすでに30m以上出ていて重いのだが・・・
ブッシュから真上(右)のクラックを登るのが順当と思われたが、中に浮石がたくさんあって、これを落とすとビレーヤー直撃の可能性もあるので、左のクラックへ。
このクラックに移るところがかぶり気味。
フリークライミングにこだわりのない赤沼は即あぶみを取り出してカムエイド2ポイントでクラック内へ。そこから高度感のある気持ちよいクラック登り。このピッチでNo.6も含めて2セットのカムをほぼ使い切り。
でもあまりのロープの重さに終了点についてしばらくは横になってゼーハーゼーハー。
最難関の核心部で50mほどのロープピッチになってしまった。
中尾さんはここもフリーでフォロー。
「カムの回収がうまくいかなくて、1テンションやっちゃった。」とか言ってたけど、ロープが重すぎてビレーしてた赤沼は気が付かず。言わなきゃわかんないのにね。

3P目フォロー中の中尾さん。
3P目終了点。すぐ横がB峰の頭。

B峰の頭からA峰を望む。A峰につなげて、あのバルタン星人のはさみのようなチムニーを登りたかったが、ここで体力も時間もいっぱいいっぱい。
やぶのリッジを歩いて、A峰手前からルンゼ方向に行くと、下降点だった砂払いの頭に戻ることができた。
「この次はA峰を下のフェースから登って、最後のチムニーからA峰の頭に飛び出よう」と話ながら帰途についた。

B峰1ピッチ目終了点で撮影した、周辺の説明動画。

秋田駒ヶ岳&東北遊び歩き

妻の誕生祝いがてら、どこか登っておいしいものを食べてこようという計画。さあどこに行こう。

安達太良山やら黒姫山やらいろいろ考えていたけど、梅雨入りを思わせる不安定な気候でころころと変わる予報のため、行く先が決定できない。
前日の予報では唯一秋田あたりが高気圧に覆われることがわかって、急遽秋田駒ヶ岳まで足を伸ばすことにした。
夕方東京を出て、登山口まで7時間以上のロングドライブ。

コースはどれにしよう?
朝、秋田駒ヶ岳もありかね?とか言ってから仕事に出かけたので、今日家にいた妻は結構リサーチ済み。私はネットで誰かのブログを読んでみた程度。

私「一番軽そうなのは北側8合目小屋の駐車場から行くやつかな?」
妻「そこはまだ道が開通してないみたいよ。南の国見温泉からになるわね。」
私「残雪はどうかな?」
妻「去年の今頃のYou tubeを見たら、ムーミン谷というコースは木道の上をずっと歩いていて、雪の上も少し歩いているみたいだけど、私だけチェーンアイゼンがあればいいくらいかもね。」
私の心の声「ムーミン谷の写真見たら、クライミングによさげな岩峰があるぞ。偵察もしてこれるかもね~」
私「んじゃあ、国見温泉からムーミン谷のルートに入って、男岳の手前から阿弥陀池のほうに峠を越えて、山頂登ってから尾根コースを戻ればいいね。ちょっと長いけど、コースタイムで7時間程度みたい。がんばるか~!」

妻は軽登山靴にチェーンアイゼン持参。私は運動靴。
軽いノリで出発。

想定ルート。国見温泉から尾根をあがって、途中から左に入るのがムーミン谷ルート。男岳の手前から稜線にあがるつもり。

国見温泉の駐車場に午前様で到着。7時間半ほどのドライブだった。
2時間ほど車中で仮眠をとってから出発。
1時間の歩きで比較的なだらかな稜線に出る。これは秋田駒ヶ岳の一角をなす横岳から南西に伸びて来た稜線。
高山植物の多い山らしく、まだ時期は早いようだが道沿いにはそれらしき花々が。われわれお花に詳しくないので、写真を撮ってきてあとでGoogle画像検索で花名を特定する作戦だったが、いまいちわからないのが多いね~。


稜線から田沢湖を望む。
なだらかに横岳に伸びあがる稜線。空も真っ青で気持ちいい~♪

稜線の途中からムーミン谷への分岐。
左から雌岳、男岳、横岳かな。なんかそこそこ雪があるみたいだぞ。


登山道は雪渓に覆われてなくなってますよ。
妻がYou tubeで見た昨年の今頃とは状況がだいぶ違うっぽい。
これじゃあムーミン谷名物のお花はあるわけなし。
今年は残雪が多いのはわかっていたけど、だいぶ軽く考えていたね。はは。

谷の右側はデブリ(雪崩のあと)が残ってます。
小規模のブロック雪崩や落石がたまに落ちてくるので、左よりにルートをとって行く。あまり人も入っていない様子だが、同じようなラインを歩いている足跡が少しだけある。ラインどりから見て山慣れた人でしょうね。

妻もだいぶ慣れてきて、アイゼンなしでもこんなところが歩けるようになってきた。

左のなだらかな稜線から、こちらのムーミン谷にそれてきた。

妻は人生初めてのブロック雪崩と落石を見てビビり気味。

左のピークが男山。その右側の斜面を登るつもりだったけど、雪渓に覆われていて、落石も怖い。妻はこんな雪斜面登りたくないと言うし。


まあ確かに、登ろうと思っていた斜面は少しリスクが高めなので、このままムーミン谷をつめて男岳の向こう側の稜線まで回り込むことにする。

五百羅漢あたりかな?このへんの岩峰が登れるか偵察したかった。ピッチは出ないけど登れないことはなさそう。これを左からまわりこんで稜線目指します。
稜線に這い上がる手前に急な雪の斜面があって、登山道を完全にブロックしてる。雪の横の急斜面から雪の上に乗るあたりが今回のハイライト。
付近はフキノトウが群生してる。

こんなやばいところに来てしまい、妻は怒り出すかな?と思ったら、「なんかアドベンチャーで楽しいね♪」とか喜んでるわ。

ここからすぐ上が稜線。向こうに田沢湖。この稜線から登山道を歩いていくとすぐに男岳。
稜線に出た。
左側の谷(ムーミン谷)から回り込むようにこの稜線にあがってきた。まもなく男岳山頂あたりを登る妻。
男岳山頂から振り返るムーミン谷方面。この辺一帯を含めて秋田駒ヶ岳ということになる。独特の地形ですな。
山頂。天気はよいし、それなりに冒険的だったし、独特の山の雰囲気があったしと妻もここですでに大満足。ほんといい山です。
男岳からはよく整備された登山道。見えているのは阿弥陀池。ここを経由して最初に登って来たなだらかな稜線を下る。左の最高峰男女岳は割愛。もう満足したからどうでもよくなっちゃった。
ここからはよく整備された登山道を下る。ここを往復でもよかったねと言ったら、妻は「今日登って来たところのほうが楽しかった」のだそうで。
歩いてきたルートを振り返る。
花、花、花
のんびりと下る。

7時間ちょっとの山歩きでした。

へたくそなホーホケキョ。
ムーミン谷から稜線にはいあがる手前。急な雪斜面にはばまれた。

この日は秋田在住の友達から教わった水沢温泉泊。
乳頭温泉の手前の静かな温泉街。
お風呂も料理も最高でした。

さてどうしよう?
これから天気が下り坂だから、山はもういいや。
前食べておいしかった米沢牛の店でディナーしたいという妻。
では一日ゆっくりと寄り道しながら米沢までくだることとしよう。

結局歩いたルート
田沢湖ドライブ中
昨日登って来た秋田駒ヶ岳
角館の武家屋敷
この後秋田の友達から薦められた安藤醸造でだしやら、味噌やらを大人買い。
通りすがりの素敵な神社

なんだかとっても不思議で素敵な街、ますだ。

そして米沢焼肉のあとは一気に東京まで帰ってきました。

鳥居峠から栗屋山

このエリアを特定する名前がないものか調べてみたがわからなかった。
西は韮崎あたりから塩川ダム、信州峠を越えて川上村に抜ける小尾街道(穂坂路)。北東に金峰、瑞牆。南に茅ヶ岳や金が岳や曲岳。
奥秩父西部の茅ヶ岳山麓エリアとでも言ったらいいのかな?
その中心に甲府幕岩や樫山岩塔などの岩場があって、スポーツクライマーにはわりと知られた場所ではある。

先月、金が岳に連なる兎藪という山に遊んだ際、その一帯に伝わる修験道や金峰山への参道(みたけ道)に至る古道、天狗や仙人についての逸話などを聞きかじった。
小尾街道に沿っては信玄の烽火台や、山城址も多い。
「おもしろい土地だな~。北杜市の家からも近いしもう少し歩き回ってみよう」。

今回は比志城址に近い鳥居峠というところから、尾根を東方面に歩いてみよう。その先には地図に記載がないが、栗屋山というのがあるようなので、そこを目的にしてみよう。今回も妻とのんびり山散歩のつもり。

韮崎から塩川ダムに向かう県道23号を北上。小尾街道または穂坂路というやつですな。
塩川ダム手前の鳥居峠トンネル手前から小森川沿いの道に入り、最初の大渡という村落から歩き始め。トンネルの上に見えてる峠が鳥居峠だ。

トンネル方向に村の道を行く。


石仏たち
峠に向かう切通し(村の道はここを通らず大回りしている)
兎藪方面
そこここに藤の花
これも石仏?
あっという間に鳥居峠が見えてくる
鳥居峠にもうすぐ
鳥居峠の北側は舗装された林道があった。こちらから来たほうがよかったかな?
鳥居峠から東に向かう尾根に階段
階段の上に修験者の像があった。寛永とか書いてあったような。江戸時代?ここを越えてなだらかな尾根を東へ向かう。
下草もなく歩きやすい。
全体に赤い。赤松か。
尾根はところどころ細くなるが歩きやすい。
栗屋山手前のピークで視界が開ける。金峰山、瑞牆山などが遠望できる。

金峰山

瑞牆山

栗屋山
八が岳が見えた。
栗屋山山頂から樫山の村を見下ろす。
南の林道まで急な斜面をおっかなびっくり下る。
あとは歩いてきた尾根の南の林道を戻るだけ。
藤の花びら
右が歩いてきた尾根。南側はずっと崖になっている。
石仏など。林道沿いに多い。
お気楽半日コースでした。

兎藪と山の人たち

兎藪(うさぎやぶ)と呼ばれる変わった名前のピークに行ってきた。
きっかけは北杜市の我がセカンドハウスから、茅ヶ岳と金峰山の間に見える台形の山姿が気になったから。
Google earthや地図アプリなどを使って特定したピークがこの兎藪だった。
地形図を頼りに5月最初の暖かいとき、妻とともに傾斜の緩い西側から登ってきた。

須玉町江草の獅子吼城址から車で行けるところまで林道に入るが、途中で草が生い茂ってきたのでそこから歩き。

林道から兎藪西側の緩斜面帯へは、林道から急な山腹を這い上がる。這い上がった先は別世界。どこまでも緩く広い斜面が広がる気持ちのよい樹林帯だった。

西側斜面にはところどころ踏み跡もある。
途上石垣やら水場のような遺構もあり、ここに生活していた人たちがいたことが感じられる。

この西側に広がる天国のような高原の樹林帯がすっかり気に入ってしまっい、そこいら中に生えている山椒の若葉をおにぎりにくっつけてのランチタイム。そしてお昼寝をしてからの下山。

ところで兎藪のピークにある三角点の点名は「孫左衛門」。
兎藪の登山口にあたる江草付近には孫左衛門に関する言い伝えがあるらしい。
孫左衛門については、山梨地誌のはしりである「甲斐国志」(江戸時代1814年発刊)に記載があるようだ。
甲斐国志巻之二十「山川部」を拾い読みしてみた。
金嶽 茅嶽(金が岳 茅ヶ岳)の項に次のような記載がある。(読解があやしいので不正確ですが)
「浅尾村(江草より少し南)の樵夫(きこり)孫左衛門は、山中に入って仙人となった。どれほどの時間だったものかはわからないが、曲岳あたりに遊んだり、大石や深谷の間を歩いたり、鹿を追って走ったり、岩の上に跨っていたりして、その蓬髪で目の大きな巨人が草木の服をまとっているところを里人に見られたこともある。」

ほかにも少しずつ違う言い伝えがあるようだが、修験道の舞台でもあった金峰山とその周辺には修験者が少なからず往来していただろうし、また山の民たる樵や炭焼きなどもいたはずで、そうした「山の民」を異形のもの「孫左衛門」と呼んでいたのかもという想像がふくらむ。(修験の人と山の仕事師たちがどのくらいかかわりがあって、時代的接点があったかなどについては今後の課題ですな。)

兎藪の先は金が岳にいたる急峻な稜であり、修験者もここらを歩き回っていたらしいことは、甲斐国志にも記載がある。
兎藪の西側に広がる広大な高原には水場もあり、石垣などの遺構もあることから、山仕事の場であり、あるいは人も住んでいたかもしれない。

そして江草は金峰山に至る9本の御嶽道と呼ばれる古道の入り口のひとつでもあった。地形図を見るとなぜ江草?となるのだけれど、甲斐国志以前の金峰山詣では、まず金峰山南麓の金桜神社にお参りしてから山頂の本体、五丈岩に向かうのが常道であったことを考えると、これが金峰山への入り口ではなく、金桜神社への道であったということを思うと、わかりやすいような気がする。

兎藪あたりを根拠地のひとつとする山の民「孫左衛門」たちは、あるいは金峰山詣での人たちの、江草道における登山ガイドなども務めていたんじゃないか?などと妄想をふくらませているわけです。

波田の若澤寺址

松本から槍ヶ岳に至る梓川渓谷。
その出入口にあたる波田町付近は、歴史上かなりの要衝の地であったらしい。
波田町誌によれば(「アルプス越えの鎌倉街道」からの孫引きで)、
「縄文時代から梓川渓谷は飛騨(岐阜県)、越中(富山県)などの他国との交流に使われた渓谷」であり、鎌倉時代にはアルプス越えの鎌倉街道が作られ、蒙古来襲のこともあって、日本海沿岸や北陸地方の警備、交易の道となっていた。
信州の波田地域は(少なくとも鎌倉幕府の時代には)異国への出入口であった。
警備のため、そして交易のため、ここが重要なベースとなっていたらしい。
若澤寺は奈良時代、行基によって創建され、各時代の権力者から庇護を受けてきた。江戸時代の後期にはその壮大さから「信濃日光」とまで呼ばれていたらしいが、明治新政府による廃仏毀釈により廃寺となった。

これにより若澤寺にあった仏像などの多くは他の寺に移され、若澤寺のあった場所は跡地として保存されている。

さて。
アルプス越えの鎌倉街道の探索を少しずつ行っているわけだが、その本意は、昔の人々の営為を想像しながらの山歩きなわけ。
若澤寺址は筆者にとって、ただの「それほど知られていない観光地」であって、山歩き的にはさほど重要ではないが、一応押さえておいたほうが今後の山歩きがより楽しくなるかな・・・・・という程度で行ってみることとした。

若澤寺址だけでは一日の遊びとしては物足りない。
まずは以前にも行った檜峠に行って見る。
昨年の今頃やたらとフキノトウが出ていたので、ちょっとそういう目論見もあったのだが、今回は残念ながらみんな伸びきっていた。

檜峠近くに1479.6mの三角点を有するピークがある。
以前檜峠からここを目指したが、獣の気配が濃厚すぎて引き返してきたことがある。
今回は熊対策万全で来たので、足を伸ばしてみた。

なかなか楽しい藪山歩きでした。
このピークは三等三角点があって、点名「檜峠」でした。

さて若澤寺。
若澤寺は山中に広がる大きな寺だったが、廃寺となった際、その一部が移設されたという田村堂前に車を停めて観光ハイキング開始。

田村堂から上波田の町内を歩いてアプローチ。

山中の林道歩きとなる。樹間の光が気持ちよい。

若澤寺跡地。よく整備、保存されてます。

【山巡じじい会】鷹取山

山巡じじい会は約10回目らしい。
毎度全員が参加しているわけではなく、さらに各自の記憶が曖昧とあって、実際のところが不明なのだ。
前回は高尾山近くの草戸山。
小田原在住のわたべさんには遠かったので、今回はわたべさんにも来やすい鷹取山とした。

二階さん
「あの岩場の公園で、赤沼のクライミング眺めながら芋煮会やろう」

赤沼
「いやなんか最近クライミングは届け出制になってるらしくて面倒くさいわ。それに火気厳禁って張り紙もあるとか。そもそも酔っ払いフリーソロなんぞやってたのは超昔の話ですよ。(やってたんかい!)」

二階さん
「じゃあ草戸山のときと一緒で山歩いてから居酒屋で下山飯(酒)な」

赤沼
「だったらザックに酒いれてきて山頂で一次会やるの禁止ですよっ」

赤沼心の声
「そうは言ってもこのじいさん達絶対酒持ってくるし、なんならガスコンロと肴もでてくるよな、自分もワンカップくらいは持って行こう」

二階さんが得意の嗅覚で追浜あたりで昼飲みの出来る居酒屋情報ゲット。

そういうわけでじいさん達、東逗子駅集合で歩き出します。
雨降ってます。寒いです。
前日までは20度超えの陽気だったのに。
予報では小雨だったけど、土砂降りです。

歩き出しはまだ小雨だった。
神武寺あたりから雨が強まりだし

雨で視界が悪いけど、煙った山の斜面にところどころ桜が色を添えていて風情があります。

神武寺の鐘あたりから土砂降り

神武寺山山頂にて。
左から惣之助さん、わたべさん、二階さん。

雨でぬれた岩場が滑ります。

懐かしの岩場に到着

宴会できるところを探して彷徨います。

あの山頂の展望台で宴会できるかも。

いやだめでしょ。風が強いし、雨も吹き込んでるよ。

公園の東屋に向かったけど先客がいるよ。女性ばかりのグループみたい。
赤沼は女性ばかりの中にじいさん達が乱入して酒飲み始めるなんてあり得ないでしょと思っていたら・・・・じいさん達はさっさとお話して、場所をつめてもらってるし。このじいさん達、妙に人懐っこいところがあるのですよ。

案の定出てくるんだな。ワインボトル2本、ガスコンロ、ビール等々
ホットワインが美味い気候でしたね。

なんだか楽しそうなじいさん達

追浜に向かって下山。桜並木ですね。天気が良かったら人が多くて宴会できなかったかも。

なかなかの桜並木

そして2次会の昼飲み。

赤沼以外の3人はもうすぐ全員が後期高齢者。
この中では赤沼、若手扱いされてます。
なんだか還暦すぎてからいろいろ楽しくなってきたよ。

男社会の猿山の価値観なのかな。
極端にいうと闘いに勝たないと幸せにはならない・・・みたいに刷り込まれた部分があったとして、そこから自由になれる感覚。
グレードとか高さとか、困難とかにこだわらないほうが楽しいって、本当に思えてきた。今頃になってね。
今までだってそうじゃないつもりでいたけど、どこかで人の評価を気にしていたり。

山岳巡礼倶楽部は登攀系の山登りを中心にやってきた会ではあるけど、決して先鋭的なほうではなく、地域研究と称して辺境に通ったり、山の映画を作る部会があったりとユニークな会だったと思ってます。
大学山岳部(当時はばりばりエリートたち)が優勢な頃に設立した下町の山岳会で、自営業や職人など、独立独歩に生きてる人が多かった印象もある。
そんな自由な気風がこのじいさん達にも残っていて、その良さに自分が年とってきてやっと気が付いてきたような気がするのね。
あと何年つづくか知らんけど、10年後の山岳巡礼倶楽部100周年に向けて、ちまちまとやっていきたいな~。

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