アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

月: 2026年7月

西上州・毛無岩「ボレロ」

以下は1985年~1986にかけて開拓した「ボレロ」について、Climbing Journal誌の掲載記事から書き起こしたものです。
同誌は廃刊となり、バックナンバーも入手困難なので、こちらに掲載させていただきます。

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手書きの挿絵

2本の新ルート

ボレロ

赤沼正史

西上州に佳き壁あり。吉川栄一氏からきいて心踊るのを覚えた。西上州の岩峰群にはぜひ一度手をつけてみたいと思っていたのだ。ましてや、メンツが我が「同人栗と栗鼠」の面々で、「一発攀って、ひと騒ぎやろーぜ」ということならばもう逃がす手はないというものだ。
さて同人の命運を賭けた大狂宴(マツリ)、否遠征はここに幕を開けた。

かくして登攀は始まる

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毛無岩全景、右が烏帽子直上ルート、左がボレロ

第一次攻撃は総勢7名。吉川栄一、安田秀巳、山田武、板本恵子それにぼくと栗と栗鼠メンバー。客員としてパンチパーマの元気クライマー、クラブ・ポリニエの小林一弘(注:その後メルー峰で遭難死)と、同じく元気山屋の柴原生依さん。1985年11月23日御毛々河原(おけけがわら)に集う。 アプローチはほとんど寝てない体にはきつい急登を含むもので、所要時間は40分〜2時間なり(個人差あり)。

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「へ、楽勝だぜ」「もらい!」とかいいつつ見上げる壁はなかなかの圧巻ではある。やれ「ぼろい」だ「プロテクションがとれない」だ言ってる一方、悩みを知らない小林は「あ、岩登りは危ないよ」の制止を振り切ってさっさと登りだす。下で「ヤベ ーな」とか「死ぬなよ」とかワイワイ言ってる間に小林は「勝負」「セイッ」と元気一杯の孤軍奮闘(クライム)。 小林を確保するぼくのとなりで何か悩んでぶつぶつ言ってるコアラ安田氏に「ちょっと上がって小林を制止してきますわ」かなんか言って登りだすが、そこは現場興奮症の烙印を押されたぼくのこと、まして11月とはいえ快晴無風、Tシャツ一枚の快適な登攀日和。あっさり小林の側に寝返ってルートを伸ばす。結局この日はコアラ氏から借りたボルトまで打ちつくし、4ピッチを登る。あと2〜3ピッチで終わりそうだが、腹が減ったのと眠いのとで、「あとは明日、皆してかたづけるべ」と下りだす。

夜は当然ながら御毛々河原で「完登前祝い」の大宴会。ここは静かで、流木にも恵まれたまことによろしい河原である。思うさま酔う。

しかしながら完登予定の翌24日、酔眠を覚ましたのはテントを叩く雨音だった。若えーもんはさっさとフィックスロープの回収に行き、「年が明けて暖かくなったらもっぺん来るか」なんて、ちょっと悠長なことをつぶやきつつひきあげる。

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2P目のフェース(トラバースバンドの手前)Ⅴ-

1986年 登攀はつづく

何せ忙しい冬だった。あいつぐ忘年会、温泉行、秘かに狙う冬壁の試登、ハイキング、氷瀑登攀、山スキー、ヘリに乗って遭難救助、奈良吉野古寺巡りetc…と無節操にとびまわっているうち、4月の声をきくと誰からともなく毛無岩をかたづけようとの話が高まってきた。
かくして第二次攻撃隊は4月5日、再度御毛々河原に集合した。総勢6名。
吉川、コアラ、山田、ぼくの栗と栗鼠メンバー+山猫より参加の井上博之、小林建也の二氏。 考えることは皆一緒らしく、恩田隊長パーティともこの河原で再会。隊長パーティも独自にルートを作ってるとのこと。
恩田隊長パーティを加えての野宴から第二次攻撃は始まる。

翌6日、攻撃隊はちょっとテレくさい“決意と自信”を背に、やけに冷たい強風の中、岩と再会。これはもうほとんど嵐と言ってよい。
しかし登攀は始まる。ここに我が同人栗と栗鼠の意志の強さが、完膚なきまでに発揮されたわけだ。全員登頂を目ざす今回、6人だらだらとロープにつながって登る。前回小林が“浅打ちボルトのタイオフ”をプロテクションに乗り越えた、ボロいがホールドは細かい“勝負ピッチ”はあまりにも美しい、ということで下降の際ぼくが発見した草付バンドのトラバースで危険部をあっさりと巻く。ここからは雪のちらつくものともせず、フェース、高度感あるトラバースと前回ルートをトレースし、さらにコアラ氏の奮戦で1ピッチルートを延ばしたが、案の定人数が多すぎ、時間切れ、下降。

ルートは終了点まで十数メートルを残すのみ。

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岩峰探しの楽しみなど

ぼくと西上州の岩峰群のつきあいを想いかえせば、オフロードバイクを駆って岩峰群の中をツーリングした昔にまでいたるのか、あるいは毎週のように二子山南面の岩場に通っていたころからと言うべきか。

もとよりぼくには奇岩、奇景の地への憧れが強かった。いくたび訪れたかしれない明星山や海谷の岩場。そしてドロミテやユーゴスラヴィアの石灰岩岩塔群。さらに西上州の今では単なるセメントの材料になってしまった武甲山や叶山牢ロルンゼ…。

たしかに奇岩、奇景の地にはその異質さを包みこむ強い風土があるし、そこは又、よき酒、よき人のあるところでもある。(「西上州に旨い酒なんてねーよ」というコエあり。たしかに旨い地酒と思って呑んだ“百萬弗”は実は京都伏見の酒であった、が、それはともかく)

風土のあわいを巡り、異なる本質を歴訪しながらも、唯一不変の“クライミング”という様式を追求し、それら風土の差異を足蹴にする時、むしろぼくの裡にある「山登る心」(アルピニズム?)は奇岩、奇景の地に棲まう魑魅魍魎と感応し、ひとときその姿を怪しく見せ、またおどろおどろしくも酷悪な混沌の裡に沈んでゆく。

ぼくにとってのアルピニズムは、けだし忌むべき内面の律動であると同時に、対人的価値(ヒロイズム)に容易に回収され得る欲望の交錯体でもある。

西上州と言えば又、かつての天狗の住み処でもあった。水戸藩の尊皇派“天狗党”と、ラーメン屋の親父からきいた話、物語山の壁を蔓草つかんで登り、その蔓を断ち切って追っ手から逃れたという一団は果たして同一なのか。ところで蔓草を切ったあと彼らはどうやって壁を下りたんだろう?
それぞれの岩峰の数ごと、それにまつわる言い伝えを有するここの岩峰群は、人の生活と深くかかわってきた雄弁な歴史の語り手でもあるのだ。

さらに続く毛無岩参り

さてゴールデンウィークの前半、4月27日安田コアラ秀巳氏とぼくは、有明山でのルート開拓から転進、サミット厳戒体制の中、われらがロケット弾搭載車は検問のおまわりをからいつつも、一路毛無岩に向かう。
このいわゆる抜けがけ行為は、雨の御毛々河原二泊(宴会付き)の結果に終わった。この時の毛無岩には、他にも恩田パーティ、雲表パーティ等いたようで、なかなかの賑わいを見せていた。

さらに5月11日。今度こそはの完登を期して、一行五人は壁に向かう。予報では天気悪くないはずだし、昨日の酒も抜けて体調はまずまず。今日こそは完璧に登れるとアプローチを急ぐが、「おい赤沼、これ雨じゃないか」とコアラ氏。ま、まさかと見上げて悲嘆にくれる。「もう4回目やで〜」。どこかにウンチをしに行った吉川氏に我が同人栗と栗鼠の「オオカミが出たぞ」コールをとばす。吉川氏もしゃがんだまま「ヒエーイ」とか……。
この日はフィッツロイのようなミドリ岩南面の見学に行き、コアラ氏は山菜ツミの翁と化してタラの芽を集めた。

毛無岩、未だその登攀を許さず泰然と構う。

“ボレロ” かく攀らる

ぼくらを拒絶しつづける毛無岩はついにコアラを本気にさせてしまった。もろにくらった右フックに霞む目に毛無岩は、しかし今日は優しく微笑みかけているように見えた。どうやら今日はぼくらにとっておきの“幸運のストック”を分けてくれるつもりのようだ。見事に晴れあがった春の空の下、アプローチを急ぐコアラ氏とぼく。山菜とりの翁ことコアラ安田氏はとても張り切っていて、体中に流れる誇り高きヤクート族の血が脈打つのが、時折その挙動にうかがえる。ぼくとて例外ではなく、受け入れる意志を示しつつも恥じらう毛無岩が妙にまぶしい。

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4P目のランペ(Ⅴ)岩は硬くて快適

3ピッチ目のトラバースを終了してバンドに立つと、そこに下降用らしい残置支点があった。ぼくらのルートよりはるかに急な右のフェースを登ってきたもののようだ。「スゲ ーな、こんなとこ登ってんのかよ」「人工で努力したんじゃないの、ほらこの間の連休の時にも」「ヒエ ー、隊長こそこそと結構やってんじゃない」とか会話しつつ4ピッチ目を再登する。ふと下を見ると隊長パーティがかけ離れたヤブの中より姿を見せる。「え、じゃあれ誰が登ったのかな」「雲表じゃない?」「 何を言ってる、雲表は下降しない! 登山規制条例は違憲だ」とかわけのわからないことを言うが、後にこれは隊長関係者の鈴木氏なる人の手になるものだとわかった。

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最終ピッチのジェードルへ入り込む

さて壁の最上部は完璧な垂直壁で、下から双眼鏡で見つけたクラックに唯一フリークライミングの可能性を求める。前回到達点から左方にあるそのクラックを求めてトラバースし、小さなピナクル状を越えると、勘がどんぴしゃにあたってクラックまでバンドが続いている。ボロ岩のアンダークリングでクラックの取付へ。
しかしクラックと思っていたところは少々ぶり気味のジェードル状で、浅いクラックには泥草がつまっている。ここはルート中唯一の人工となる。ボルトと泥の中に打ったアングルハーケンが割と効いて……ちょっとかぶり気味だがホールドの増えたフェースを、ボルト一本根本まで埋めてからフリーで勝負に出ると、いきなり目の前が明るくなった。 5月17日、最後のホールドが山頂だった。

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最終ピッチ(6P目)は人工となる

1986年5月17日完登 完登メンバー:安田秀巳、赤沼正史 (同人栗と栗鼠)

烏帽子岩直上ルート

(同日に登られた恩田隊長らによる烏帽子直上ルートの記事も掲載しておく)

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滝沢孝弘

毛無岩にも通うこと数回となり、手をつけたルートは計三ルートとなった。そのうち完登できたのは一ルートだけで他の二ルートは、核心部と思える上部岩壁を残している。今回はそのうちの岩壁の右端の稜からのルートをねらう。一路、千賀嬢の運転する車は道場の集落へ向かう。 明朝、快晴。絶好の登攀日和だ。登攀開始は結局11時頃になってしまい、今日中の完登も微妙となってきた。5P目までは、前回までに登っているので順調にザイルを延ばす。 1P目、取付から右のフェースを7〜8m登ると左側にフェース、右側にはクラックとなり、クラックにルートをとる。クラックを直上し、出口から右側のフェースに回り込み直上する。右側は深くルンゼが切れこんでいる。ブッシュをこいで枯れかけた白い立木でビレイ。
2P目、ブッシュ帯を登る。時おり、小さなフェース有り。フェースの前の立木でピッチをきる。
3P目、フェースを左に回り込み、クラックをたよりに直上し、ブッシュをこいで行くと手には上部岩壁が見えてくる。コル状となった所でビレイ。
4P目、草付のフェースから小さな凹角を左に回り込み、泥と草付の溝状を直上しバンドを左へトラバース。
5P目、バンドからかぶったフェース(出だしのみ)を人工で直上し、草付のある所から右へ2mトラバースし草付をたよりに直上。やや外傾したテラスとなる。
6P目、クラックぞいに再び人工で直上、バンドへ出たら右へトラバースしピッチをきる。ここが烏帽子岩(仮称)右側の基部となる。次のピッチはフリーで行けそうだ。
7P目、左手の緩傾斜のフェースを左上し、二つ目の凹角(10m位)の下のテラスへ。最初に見える凹角はかなり立っており15m位ありそうだ。
8P目、テラスから2m程直上し右へ回り込み凹角下のレッジに立つ。凹角内のクラックは下部で2〜3㎝、上部では20㎝以上の幅となっている。

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取付前にはフリーで行けそうに見えたところも、実際取付くとかなり困難で、あっさりと人工となる。結局はボルト連打となり凹角の左側を直上し終了。何とこのピッチだけで2時間を費してしまった。ビレイしながら後続の二人を待つ。まさに「終ったァ」という実感がこみあげる。

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最終ピッチ(8P目)の凹角はボルト連打

終了点のすぐ横には縦走路があり、50m位登ると毛無岩のピークとなる。無事の登攀と初登を祝い、三人で握手をかわす。これまでに登った既成ルートとは、一味も二味も違った最高の気分だ。
終了点からアブザイレン6回で基部にもどる。あたりも暗くなり林道の終点のベースに急ぐ。
なお、このルートに限らず、毛無岩は、平気でホールドがガバガバとハガレ落ち、後続となる程ホールドがなくなりますので早いうちの登攀をおすすめ致します。

1986年5月17日完登 メンバー=恩田和義、千賀薫、滝沢孝弘(同人泉山岳会)

注:
ボレロは(2026年現在)まだ第二登がされたという情報はない。
烏帽子直上ルートはある程度クライマーを迎えており、残置されたボルト類を利してフリーで登られるようになっている。(赤沼も後日フリーで登った。)
またこの後2012年に赤沼と小見麻紀子にて烏帽子直上ルート右手のルンゼを登った際、残置ボルト等登られた形跡を見つけている。

ルンゼ状スラブ登攀記

南高尾・柚木沢の遡行

いや、遡行っていうほどの沢でもなかったんですが。

「高尾を遊びつくす作戦」の一環で、今度は南高尾あたりで遊んでみるかと地図を眺めていてちょっと気になった沢。登山道表記はない。
ただ道を歩くよりは涼しそうだし、ちょっとは変化があったほうが楽しいしってことで。

「気になった」というのはこの沢を真横に横断する青い点線。
調べてみると青の表記は水に関わるもので、この真横の点線は地下水道が通っているということらしい。
それともうひとつ「気になった」のは、「底沢の謎」のときと同じ、沢の中にいきなり現れる水たまり?表記。
底沢の場合はそこに堰堤群があった。まあ今回もそんなところでしょう。

ちなみに青い点線の地下水路は横浜や川崎の水源地のひとつ、沼本ダムあたりの水を、「自然流化方式」で浄水場に(ポンプを使わず)届けるための水路なんだと。山中の地下水路ってどうやって掘るんだろうね?

プチ沢登りの起点は津久井湖畔の三井というあたり。

入渓(ってほどじゃあないんだけど)点近くにもバス停があったんだけど、間違って津久井湖の反対側を行くバスに乗ってしまったので、津久井湖にかかる橋を渡って三井へ。
くそ暑い車道を歩いていたらこの橋になって、「わ!車道しかないじゃん!」と思ったら、右側にもうひとつ歩行者用の橋があった。三井大橋っていうんだと。

歩行者用の橋から前方右のほうに見える沢が目指すあたり。
三井自治会館の向かいの八幡神社はお祭り準備中
入渓点は建築会社の資材置き場になっている。
趣のない入渓点ですが、まあ里山なんでこんなもんでしょう。

沢には思ったより水が流れてる。
作業道と思われる踏み跡を拾いつつ遡行していく。
たまに倒木がある程度で藪もそれほどなくて歩きやすいほう。

突然あらわれる林道跡
そして水たまりの正体。思ったとおり堰堤だった。水たまりじゃなくて、堰堤表記みたいのつけてくれればわかりやすいのにね。水たまってないし・・・
少し手前から踏み跡をたどって大きく高巻く。
沢筋の踏み跡を辿り・・
開けたところが涼しくておにぎりタイム

神奈川県が買い取った水源地らしい。
地名、大沢入となっているのはこの一帯の上流や支流を含めた地名で、沢名が柚木沢ってことなんだと。
ちなみにこの一帯は、神奈川県の水源林保全エリアとなっていて、その命名権(ネーミングライツ)を買って「津久井の森」と名付けたSONYグループが資金提供などもしつつ、環境保全や間伐などを行っているそう。
踏み跡が結構あるのはそのせいかな?

突然現れる整備された道。

沢の源頭近くになって整備された道が山腹に伸びている。
最後まで沢をつめるかこの道に入るか。
少し迷ったけど、この道の誘惑は強いよね~。

道はじぐざぐを繰り返しながら南高尾の稜線へとつづく。
なんか前方をいきなり人が走ってると思ったら南高尾の稜線。トレイルランナーには知られた道なんだって。

南高尾の山々をハイキングして草戸山。この辺から今度は東高尾となる。そのまま稜線を歩いて高尾山口の駅に到着。お風呂おふろ~♪

てか、高尾山口駅の真ん前は水遊び場になってるみたい。人が多いけど平和な光景ですな。

そ~し~て~。
下山酒はいつもの味はる。
店主はまたまた店しめてスペイン、ポルトガルあたりの巡礼旅をしていたらしいが、やっと帰ってきてちょうどこの日から開店。
「誰か一緒に飲む人いな~い~?」と地元クライマー仲間に連絡。
ニコちゃん、梨恵さん夫婦は白山あたりでハイキングしていて留守。
嬉しいことに山金さんが二つ返事でおつきあいしてくれた。
山金さんも近くのルートをひとりで歩いていて、「さすが現役、歩くの早いね~」とか言ってくれたけど、どうもこの日は私の倍くらいの距離を歩いてきたみたいよ。70台後半の現役クライマーには頭が下がるわ。

山金さんがメッセージで送ってきてくれた途中経過。
この間1時間半。しかも城山湖経由。コースタイムの半分以下で歩いてるように見えるが・・・・

トラックログ消し忘れて電車乗った。実際はのんびり歩いて4時間程度の行程だった。

ユリアンアルプス再訪

ユリアンアルプス(Julian Alps)は、イタリア北東部からスロベニア北西部に広がる山塊で、多くの石灰岩岩塔が重なるように屹立している。
最高峰はトリグラフ(Triglav)。
スロベニアの象徴であり聖峰だ。
日本語ではトリグラウと表記されることが多い。
スロベニア語発音のVはウとブの間くらいに聞こえ、赤沼が最初に登った1983年頃はトリグラフというのが一般的だったと記憶する。あるいは日本語情報のほとんどなかった時代なので、赤沼が勝手にそう表記していただけかもしれない。
ここではトリグラフで通させていただく。

1983年夏、山岳巡礼倶楽部の川崎、井出、赤沼の3人で日本人としてははじめてトリグラフ北壁(スロベニアルート)を登攀。
その後井出、赤沼にてドイツルートを登攀。
ドイツルートを登攀の際、赤沼が20メートル以上の滑落をした。(左は滑落後のビバーク中の写真)


登攀の様子をずっと双眼鏡で追っていた地元の人たちの要請で、レスキューチームがヘリコプターを飛ばして様子を見に来てくれたが、何とか歩けそうだったので救助をお断りしてビバークをしつつ完登し、山頂経由で自力下山。
翌日ようやく下山したら登山口の村人たちが迎えに来てくれ、「やっと病院に行ける」と思ったら、そのままバーに運び込まれて宴会となったというエピソードが忘れられない。とても暖かい人達だった。

2回目の訪問は1986年。
2か月以上、地元のトップクライマー(当時)ブラーネ ペチャールの家に居候しながら、地元クライマーたちとトリグラフ北壁や名峰ヤロベツ(Jarovec)などの多くのルートを登ってきた。村の人たちにも多くの友人ができた。
この時はトリグラフ北壁では最高難度のスフィンガをはじめ、名だたるルートを登り、近郊の岩場では新規ルートの開拓なども行った。
その記録をクライミングジャーナル誌に発表した。

クライミングジャーナルの記事(巻頭見出し)

クライミングジャーナル誌は廃刊となり、バックナンバーも入手困難となったので、以下に書き起こした。

クライミングジャーナル誌の記事「トリグラフのクライマーたち」

その後、仕事のついでなどでブラーネとは2回ほど会う機会はあったものの、もう一度彼の家に泊まりながら、ともにクライミングのできる日がくるとは思わなかった。あれから実に40年ぶり。
期せずして、「じいさんになったら、古いクライミング仲間と、昔登った岩峰を共に眺めながら一杯やったり、昔ばなしをしながらクライミングしてみたい」という、若い時からの夢をかなえることとなった。

きっかけは妻との旅行プラン。
「アドリア海を見たい。クロアチアの美しい街並みも見たい」という妻のリクエストに乗っかって、旧友との再会、クライミング実現の運びとなったわけだ。


ところでユリアンアルプスとはどんなところか?


クライマー目線で言えば、巨大な石灰岩峰の屹立するクライマー天国だ。
最大のトリグラフ北壁は高差1000mほど。登攀距離は最大で1500mにお達する。
ドロミテに匹敵・・・というか、それ以上の素敵な岩峰が多いにも関わらず、日本人にとっての知名度は低く、登ったという話はあまり聞かない。

今後ここを訪れてほしい日本人クライマーのために、簡単な情報を残しておきたい。

もっとも有名な岩壁はもちろん最高峰トリグラフの北壁。

もっとも簡単なのがスロベニアルートで、技術的には慣れたクライマーならロープがいらないレベル。ただしルートファインディングが難しく、地元クライマーですら登るたびに違うラインを登ってしまうらしい。
それで行き詰っての事故も多いと聞く。
お薦めはそれより少しだけ難しいドイツルート。
ヘルバルートは中央部を行く、難しすぎなく長い好ルートだ。
下部ババルスカルートから上部岩壁につなげるのもおすすめ。
そして露出度が高く、技術的にもここでは最高難度のスフィンガも余裕があればぜひ登っていただきたい。

スフィンガはトリグラフ北壁右寄り最上部の垂直岩塔分を登るもの。
7級クラスのフリークライミングでプロテクションも乏しいので、ルートファインディングと確かなプロテクションワークが必要。
傾斜は強いものの、フリクションは効き、石灰岩特有のカチホールドも多くあるので、7級プラスというわりにグレードは案外と甘目に感じるかもしれない。

トリグラフの北壁はVrata谷の最奥。
Vrata谷の入り口のMojstrana村が拠点となる。

右上がMojstrana(モイストラーナ)。
トリグラフ北壁を見上げる圏谷にあるAljažev dom(アリャージュ小屋)までは車であがるか、あるいは村から無料のシャトルバスも出ている。
(シャトルバスサービスは6月から9月中旬の間。)
車の場合、谷の入り口で入場チケットを受け取り、滞在時間に従って帰りに入場料を支払うこととなる。
Aljažev domでは北壁を眺めながら食事もでき、ここが目的のツーリストも多い。

Aljažev domから北壁に向かっていくつもの登山道が伸びているので、登ろうとするルートに応じて適宜選択していけばよい。
時期によっては雪渓が残るが傾斜は強くない。

Vrata谷の両岸にはStenar, Skrlaticaをはじめ壮大な石灰岩岩塔が展開し、そのどれもが登攀対象となっている。

各ピークや谷を歩く登山道(Trail)についてはAll Trailsというサイトを参照されたい。
Vrata谷の情報はこちら。

クライミングのルート図(トポ)はMojstranaのSlovenski Planinski Musez(スロベニア山岳博物館)で購入可能。
右がトリグラフのルート図集、左がユリアンアルプス全体のルート図集。ただしすべてスロベニア語。

スロベニア山岳博物館に入ると頭上に展示してある古い救助ヘリコプターはわがパートナー、ブラーネが吊ったらしいが、
「吊ったワイヤーが細いから下には立つなよ。」だと。

展示物も楽しいのでぜひお立ち寄りを。

JarovecやŠiteなど急峻で硬い石灰岩からなる、クライミングの楽しい岩峰群はKranjska Goraという観光地を経由して、Tamar渓谷のPlanica Nordic Centreからのアプローチが便利。

紙の地図は上記、Mojstranaの博物館やKranjska GoraのInformation Centerでも入手可能。
現地の地図アプリもいくつかあるが、赤沼はGeographicaでOpen Street Mapに設定(無料)するだけで十分と感じた。


さて今年(2026年6月~7月)。
妻がクロアチアのアドリア海に沿って、古い街並みを見たいと言う。
そしてスロベニアのユリアンアルプスとそこに住む仲間たちに会いたい赤沼。
前半でユリアンアルプス周辺。後半がクロアチアの海岸線に沿ってのドライブ旅行ということで、2週間の旅プランが成立した。
ここではユリアンアルプスの部分だけのご報告。

まずは40年前に何か月かにわたって滞在して、友人たちのいるMojstranaへ。
Mojstranaへは、スロベニアの首都Ljubljanaからアプローチするのが最速だが、われわれはウィーンでコンサートを聴いたり、カフェに立ち寄ったりしてからレンタカーを借りてスロベニア入りするという観光プランでスタート。
オーストリアのVillachという町からだとWurzen Passの国境を越えてMojstranaまでは1時間もかからない。

40年前の古いパートナーたちと。Mojstranaのブラーネの家にて。

今回もこの家に4泊させていただいた。

スロベニアのパートナー、ブラーネの家。ここに泊めてもらった。

ブラーネ宅と裏山のGrančišče.
ここには赤沼の拓いた「はらきりルート」があったが、今はブラーネらによってVia Ferrataが整備され、多くのツーリストがここをよじ登っている。

まずは妻と二人でトリグラフ北壁の基部となるAljažev domまでのトレッキング。
Aljažev domに近づくとまず名峰Škrlaticaが右手(Vrata谷の左岸)に見えてくる。

Škrlatica(スロベニア第二の高峰)
Aljažev domの後ろにそびえるトリグラフ北壁

Aljažev domに車を停めてここからVrata谷を歩く。

40年前に登ったSfingaルートを指さして自慢する赤沼
トリグラフ北壁のSfingaルート(中央の岩塔を登るもの)

トリグラフ北壁に向かって何本か伸びる登山道(Trail)を適当に登っていく。
北壁に左よりを登って行くVia ferrataの整備された登山道もあり、山頂まで行くこともできる。
われわれは北壁の基部付近まで歩いてから引き返す。


Aljažev domでかつて登った北壁を眺めつつビール。
じじいになったらこんなことをやってみたいと、若いころから思っていた。

翌日はブラーネと2人で近くの岩場でクライミング。
その間妻はその周辺の山をハイキング。

Mojstranaからほど近い岩場Braščeva skala。古くから登られた形跡はあったが、ブラーネたちがここを整備し、フリークライミングの岩場として開拓した。

旅行前、ブラーネに「どこかで一緒にクライミングしよう」と誘うと、「クライミングシューズとハーネスだけ持っておいで」と言ってもらっていた。
ギアやロープなどすべておんぶにだっこでのクライミングの一日。

岩場へは10分程度の歩き

ブラーネの作った2ピッチのフリールート。ブラーネリードで離陸。

この辺の石灰岩の岩場には珍しいクラック中心のルート

1ピッチ目終了点でビレイ中のブラーネ

岩場からMojstrana、そしてトリグラフ方面の山々が見える。

2ピッチ目はワイドクラックの核心部分。赤沼がリード。

ブラーネフォロー中

1時間ほどのクライミングだったが、じいじ達にはこれで十分だったらしい。

さあ村に戻って宴会しよう~♪

というわけでさっさと下山

登山口に合流した妻が撮影。
左から赤沼、ブラーネ、マルティン。
マルティンはアッシーでお迎えに来てくれた。

そして村の懐かしい仲間が集まってディナー。
40年ぶりとは思えないほどみんな変わってなかった。

美しい夕方のMojstrana

さてさらに翌日。
妻とふたりで Vršič Pass を越えてTrenta谷の有名なSoča川へ。
まあいわゆる自然景観を楽しむ観光地ですが・・・・
道中、Mala Mojstravka, Velika Mojstrovka, Planja, Prisojnik, Razor等々の錚々たる岩峰群を見ることができるので、お薦めドライブコース。

Soča川はまあ有名な観光地なので説明は省くけど、この川の美しさは一見に値するかと。

観光のあとはさっさと峠道を引き返し・・・

Tamar谷のPlanica Nordic Centreへ。
こちらもトリグラフのVrata谷と同じく、美しい氷河に削られた氷河谷。
Šite峰の北西壁やJarovecの大岩壁に囲まれたクライミング基地でもある。
ここからはMojstrovka, Travnik, Jalovška škrbina, Goličicaをはじめ、当然Jarovecへのアプローチも最奥に控えている。

ここをTamar谷の山小屋Planinski dom Tamarまでのハイキング。

最奥のJarovec峰

Jarovecの左側の側壁群はŠiteをはじめとする硬い石灰岩の壁が続いており、フリークライミング的に困難度の高いルートがたくさん開拓されている。

Tamar谷の山小屋でも錚々たる岩壁を眺めながらのんびりできる。


この後1週間ほどクロアチアのドライブ旅行をして・・・・


帰りがけにもう一度ブラーネ宅に立ち寄り。

ゆっくりとお茶をして、別れを告げ。

帰国前にスロベニアの山々を眺めようと、スロベニア、オーストリア国境のWurzen Passからちょいとハイキング。
行先はDreiländereck。
イタリア、スロベニア、オーストリアの3国の国境が交差地点が山頂。
イタリアではモンテフォルノ、スロベニアではペチ、オーストリアではドライレンダーエックと呼ばれる山。

Wurzen passから整備された登山道を辿って3~4時間で往復できる。

Wurzen passから赤白赤のマークを辿っていく。

急なところもあるけど、道はよく整備されている。

スロベニア側のトリグラフ、ヤロベツなどが一望できる。

オーストリア側からはロープウェイでもあがってこられる。

山頂付近は牛が放牧されていたりする。これを横切るのはちょっとどきどき。

三国国境の山頂にて

かつて登った錚々たる岩峰群がすべて一望

さてオーストリア側に帰るか。

というわけでオーストリアのVillachに帰って来た。
あとはウィーン経由で帰国するだけ。

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