アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

月: 2021年9月

甲斐駒ヶ岳・摩利支天東壁

獅子吼城からの甲斐駒

八ヶ岳の南山麓から見た甲斐駒ヶ岳の姿が好きだ。
左側のスカイラインが艶めかしい。
ここを登ってやろうと調べると、どうやら摩利支天峰の南西稜もしくは南山稜あたりらしい。
ワイルド系の岩登りになりそうだ(ジャルパインクライミングというらしい)。

資料はあまりない。
アプローチが複雑だったり、原始的でわかりにくかったりするせいか、訪れるクライマーは少ないようだ。

まずは得意の「行ってから考える」方式でやってみることとした。


メンバーは3名。
野島梨恵(ぶなの会)
家口寛(ヤングクライマーズクラブ)
赤沼正史(山岳巡礼倶楽部)

野島さんは休日のほとんどを山で過ごすばりばりの沢屋。
本人は「そうかね?」とか言うが、思い切り沢屋ファッションであらわれた。だって手ぬぐいみたいのかぶって、首にも手ぬぐい巻いて、ズボンの裾を靴下に突っ込んで、使い込んだザックにミゾーバイルつけてりゃ、そりゃーね~(笑)

家口さんは世代的には近い(失礼!少しは私より若い)オールドファッションクライマー。優しくて力持ちなダンディー。私の妻はすっかり彼のファン。エベレストにまで行ってる強者。歩くの速っ!

さて朝イチのバスで北沢峠。登山道を仙水峠までたどり、ここから道をはずれて水晶沢におりる。人の記録を見ると、水晶沢を横切って摩利支天南西稜方向に向かうことが多いようだが、踏み跡らしきものはまったくない。
仙水峠あたりから摩利支天がよく見えるから、どこを登るかはそこで決めようという話になっていたのだが、山頂部はすべてガスに覆われていてほとんどなにも見えない。

ガス(霧)の合間に摩利支天の岩壁が少しだけ顔を見せる。

摩利支天峰は大きく急峻な岩峰だが、その組成は複雑で、南西稜、南山稜、東山稜などのリッジの間に、中央壁、サデの大岩、東壁などの岩壁が層をなし入り組んで配置されている。
全体像が見えなければルートの特定は難しい。

(図は東京新聞出版局「チャレンジ!アルパインクライミング」より勝手に拝借m(__)m)


まずは水晶沢の左岸(上に向かって右側)の南西稜にあがることとする。南西稜側はどこも急峻な、草に覆われた岩壁となっている。水晶沢を少し遡り、滝の手前の弱点をついて登ると樹林帯となる。

樹林帯を登っていくと大きな岩壁にあたる。中央壁か。

この基部を右にたどっていけば南山稜になるはず。
南山稜は記録を見るとそれほど難しくはなさそうだ。
われわれもそのつもりで3人でロープ1本、カム数個にハーケン、ボルト少々という軽装だ。
しかし上部が見通せずルートの特定ができないまま、トラバースしていくと、かなり急峻で威圧感のある大きな谷にはばまれる。
谷を渡った先には顕著なリッジがあり、それが南山稜だろうとあたりをつけ、ロープをつなぎ、急峻で恐ろし気な谷の上部を横切っていく。

岩場基部の狭いバンドは足を置けば表面がざらざらと崩れるような風化花崗岩に弱弱しい灌木が張り付いているような状態で悪い。
めぼしを付けた凹角に入るが入口は軽くかぶっており、草の根本をつかんでエイヤ!とはいずり上がる。草付きグレード5.10NP(笑)。
この時はここさえ越えればあとは楽になるはずと信じていた。希望的に。

すぐ上はオーバーハングしている。

2P目はこのハングを越えないといけない。
ハング左端にクラックが走っているが、なかに泥つまってて支点とれそうもない。ハング下にそって真横にきれいなクラックが入っていて、右のリッジに抜けられそうだ。そしてなんとそのクラックにはカムが残置されている。
先人がいるようだが、これを使ってハングを越えたのか、あるいはこのカムの地点で行き詰って捨て下降ポイントとしたか。

いずれにしてもここまでの支点の貧弱さとアプローチの急峻さを考えると、敗退はしたくないな~というところで意見は一致。
なんとしてもここを越えるぞ!
越えれば楽になるはず!

クラックまではそこそこ厳しいフリークライミング。
残置ハーケンもあるな。
残置カムを利用してフリー突破を試みるが、スメアリングを決めたい足元はすべて風化花崗岩でまったくフリクションなし。
即、エイドクライミングに切り替えカム3つでなんとか突破したが、なんせ軽装であぶみも持ってきていないので、沢用の丸スリングに足突っ込んでの、かなり強引な登りとなった。5級A2ってな感じかな。あぶみあればそこまででもないか。

リッジに回り込んだ先は、南山稜にイメージしていたような岩と灌木のミックス壁。思わず「もらった~!」と叫んでしまったのだが・・・・

ミックス壁をはいずりあがるとそこは・・・・まわりじゅうすべて垂直の岩壁に囲まれちゃったよ???
このへんからなんだか様子が変だと気が付く。

しかし下降したくないし、「とにかく抜ければこっちの勝ち」とばかり、ラインを探る。

まわりは全部垂直壁

え~と~
これのどこを登れというのか。
楽しいやぶリッジ登攀のはずだったのでは。
自問しつつもラインを探すと、なんと残置ハーケン発見。
あの残置カムは捨てではなかったのか~
気を強くして残置ハーケンのある左にわずかにクラックラインのあるフェースに取付くが、出だしがかぶっていて一歩がでない。
はい。ついに出ました絵に描いたようなショルダークライミング。
つまり優しくて力持ち、家口さんの両肩に泥だらけの汚いシューズを乗せて、ホールドを探る。
これでなんとかフェースに乗り、クラックにはえた灌木で支点をとりつつじわじわと高度を稼ぐ。

ちなみにこのテラスで先人の落としたらしいテルモスを発見。
テルモス?冬に使うものだよね?
このあたりで、登攀クラブ蒼氷の戸田、原ペアが冬期に開拓したというあの伝説のルートを登っているのではないかという疑惑が頭をかすめる・・・

じわじわ高みを目指すが、なんかその上にも垂直壁が見えてるんだよね。いや無視無視。

このピッチは要所に残置ハーケンがあり、ビレイ点にはリングボルトもあるぞ。ここ3P目も5級A1かな。あぶみあればね。

テラスの上はさらに壁

ああ、もういいです。
もうどんな壁が出てきたって乗り越えてやるもんね~
目の前のフェース、ルートを探ると、自分なら左のクラックがいくつか入ったほうをフリーでがんばるんだが・・・・というところ、右のフェースどまんなかにハーケンが何枚か目視できる。
これは人工登攀で登ってますな~
数個しかないカムを頼りに左フェースにフリーで突っ込むか、あぶみなしで人工ルートに突っ込むか。
究極の選択のすえ、全員のスリングを徴収して右の人工ルートを採用。

そうはいっても、明らかに装備不足なので、支点は控えめに間引きながらの設定。
スリングもできるだけ使いたくないので、可能な限りフリーで、だめなところはハーケンつかむ、ハーケンの上に立つ・・・・

そしてようやく傾斜が落ち、大きなテラスに出た。
4p目はA1(ただしあぶみ使えばの話)
それにしても先人、ただものではない。
ハーケンの使い方、効かせかたが絶妙。
おかげで案外と安心して登ることができた。

大きなテラスに抜けた。


ここから上は傾斜の落ちた岩稜なのでアプローチシューズに履き替え、摩利支天山頂を目指す。
最後はばてばてになりながら激しいやぶを泳いで山頂に到達。

摩利支天の山頂はガスの中。

クライミングに4時間程度かかり、北沢峠最終バスには間に合わず。
仙水峠にデポしておいたテントを樹林に張っての祝杯。
行動食のチーズと3分マカロニのわかめご飯の素和え、それにフリーズドライチキンライスが、このうえなく上等な肴に感じられた夕べであった。

さてどこを登ったのか?

南西稜から壁の基部をトラバースした距離を考え、横切った大きな谷が摩利支天前沢だったとすれば、前出の蒼氷、戸田、原ペアの登ったラインにかなり近いと思われる。

戸田、原ペアが冬期開拓したルートを記入したもの。原氏からもらった。

蒼氷のルートかどうかは不明だが、東壁を登ったことはどうやら間違いなさそうだ。

そして私にとってなにより大事なのは、八ヶ岳方面から甲斐駒をのぞんだ際の、あの美しいスカイライン近くを登ったかどうか・・だが。
これはもうほぼ完ぺきに目的達成と言ってよさそうだ。
地形図で確認すると登るべきだったのは、摩利支天の南南西あたり。
東壁であればまさにその方角なのだ。

樹林帯での楽しい宴会の翌朝は、「装備足りなかったけどいい登攀したね~。今度は視界のあるとき南山稜登りなおそうね~」と語りながら朝イチのバスに向かった。

佐久・五郎山南壁「どまんなかルート」開拓

当時中学生だった石鍋礼くんと知り合ったのは30年以上も前の話。
私はほとんど忘れてしまっているが、礼くんの鮮明な記憶では、その中学生を越沢バットレスだの松木沢のアイスクライミングだの、やばいところばかり連れまわしていたらしい。覚えているのは礼くんの実家の天ぷら屋さんで「息子が世話になってます。」とご馳走になったおいしい天ぷらのことだけ・・・できた親ですな。
礼くんはその後フリークライミング修業をして、海外で高難度フリールートを落とすまでになったが、仕事やら家庭やらでしばらくのブランク。そして3年ほどまえに一念発起?して1年間のオフ(キャリアブレイクというらしい)をとってクライミングしまくり、ついにはヨセミテの大岩壁El Capitanまで登ってきてしまったんだと。やるね。

さて私にとって残された課題の一つ、上高地帝国ホテルの裏手に見えている霞沢岳八右衛門沢上流の岩壁群を登ろうというお誘いに、礼くんは二つ返事でつきあってくれることとなった。礼くんはついこの間、穂高の滝谷でクライミングをしてきたばかりで、気持ちが穂高モードになっていたらしい。

準備万端、天気も比較的安定していることを見極めて出発。ところがバスに乗って上高地帝国ホテル前停留所をおりてすぐに、まさかの雨が降り出した。
携帯のレーダーアプリで確認するとどうやらピンポイントでここだけが雨の様子。
「降り出すならバス乗るまえにしてくれよ~」とか「なんでここだけ」とか、ぶつくさ言いながらも、スポット的に天気の悪いエリアに長居は無用と転進を決定。
山でのクライミング用の細いロープ(ダブルロープという)しか持っていないので、小川山などでのフリークライミングはしたくない。
そこで私にとっては7回目となる五郎山に新ルートを付け加えに行くこととなった。どれだけ五郎山好きなの?って声がどこからか聞こえてきそうなんだけど無視無視。

閑話休題。

朝9時台にはいつもの林道終点に駐車。
歩きなれた急登のアプローチを行き、11時には五郎山南壁の取付きへ。

五郎山南壁。左のスカイラインあたりが初登攀ルートの「五郎山ダイレクト」。赤線が今回登った「どまんなかルート」

マキヨセ岩峰と五郎山の鞍部(以下、五郎山コル)から五郎山にむかって左におりて行くと、この壁にあっては長めのラインがとれる五郎山ダイレクトの取付き。五郎山コルからそこまでは下部がオーバーハングしたフェースとなっている。
五郎山コルの稜線と五郎山南壁が接するあたりが、五郎山南壁のほぼ中央部分となる。
つまり南壁の中央部分から左のスカイラインの間は、登れば傾斜の強いフェースから始まる難しいルートとなる。
より美しいラインで、適度に易しく登りたい私としては、南壁の左フェースは当面対象外。
五郎山コルと南壁の接点から右にあたる右フェースはスケールは小さめ。しかしどこもそれほど傾斜がきつくはなく、楽しく登れそうなラインがいくつかある。

どまんなかルートの取付き

マキヨセ、五郎山のコルと南壁の接点を2~3メートル右に行ったあたりの緩めのフェースを取付きとする。ホールド多めで快適なフェース。最低限の支点だけとりながら快適にロープを伸ばすと、上部をハングにふさがれたテラス。ここでピッチを切る。1ピッチで抜けられそうな壁だが、60メートルのダブルロープ1本を半分にして30メートルダブル状態にして登っているので、早めにピッチを切った。ここで約20メートル。

頭上のハング下テラスまでが第一ピッチ(20m)
2ピッチ目を登りだす礼くん

2ピッチ目はハング右側のラインを登る。薄被りながらホールドは比較的豊富。小ハングのちょっとした切れ目をついてここを越える。
そのままフェース直上で五郎山ダイレクトの終了点にもなった山頂左下(西)に広がる大きなテラスの右端に出た。

小ハングを越えていく。
3ピッチ目の登りだし。

このテラスからは樹林を山頂まで行けることはわかっているのだが、すぐ横のフェースが岩茸に覆われてはいるものの登れそう。
少しでも長いルートにするか、とここを登ると、山頂に向かって岩のリッジが伸びているので、そのままリッジ上を登る。
若干ブッシュがあったりして鬱陶しいものの、きれいなリッジで気持ちよく高度をあげると山頂の一角にいきなり飛び出した。

3ピッチ目のフェース上から山頂に向かうリッジに移る。
3ピッチ目はじめのフェースをフォローする礼くん。
山頂に伸びるリッジ。
うしろに見えているのがマキヨセP2ルート上部。


さて山頂到着が12時20分くらい。易しいルートとはいえ1時間半弱で終わってしまった。
踏みあとを五郎山コルまで戻ったがまだ時間もあるので、マキヨセピークへの急峻な踏みあとを歩くくらいなら、マキヨセP2ルートの最終ピッチでも登って眺めのよいマキヨセ岩稜(踏みあとは北側斜面にある)を辿って帰ろうということになった。
このマキヨセP2最終ピッチの取付きまでは五郎山コルから樹林を通って歩いて行かれるのだ。
初登ルートを登るつもりだったが、その左にもう少し長いラインのとれそうなフェースがあり、そちらにルート変更。

マキヨセP2最終ピッチの左ルート。

初登ルートに比べて少し傾斜の強めのフェースを直上するルートを礼くんが選択。

空に向かってぐいぐい登ると尖ったピークに至る気持ちのよいピッチ。
これでこの日のクライミングはおしまい。
何度来ても気持ちのよいピーク。

さて帰りの車中で、ルートに一応名前つけておかないとと二人で検討。
位置的には五郎山南壁中央フェースとでもなるんだが、面白みもないね。
初登ルートの五郎山ダイレクトより、さらに山頂にまっすぐ抜けるルートだから「五郎山もっとダイレクトルート」とか。
いろいろ話し合った結果、あまり悪ふざけもしすぎず、中央ルートとかいうかわりに「南壁どまんなかルート」で行きましょうとなったわけ。

まああの南壁の正面フェースにルートが一本はあっていいし、これで易しめルートの開拓もほぼ一段落かな~という次第。

登ったのは2021年9月11日


五郎山南壁どまんなかルート
1P目 五郎山コルと南壁接点あたりのフェースをハング手前の顕著なテラスまで20m 4級
2P目 ハング右のフェースを直上。山頂直下の大きなテラスの右端まで。20m 4級
3P目 テラス右端のさらに右の岩茸で真っ黒なフェースを登って、山頂に至るスカイラインリッジを山頂まで。3級(一部4級)
登攀時間1時間半程度

マキヨセP2ルート最終ピッチの左ルート
マキヨセP2の顕著な岩峰の先端のみを登る。
初登ルートはハング状の壁の右に切れる凹角だが、今回はハング左のフェースを直上。20m 4級

山巡思い出話

私が高校山岳部に物足りなくなり、山岳巡礼倶楽部に入部したとき、クラブを創立した高橋定昌さんは70手前。神田駅構内の喫茶店や、秋葉原のはずれにあったえびはらというレトロな喫茶店での集会にも顔を出されていた。
いつもおじいさんが二人いるな~と思っていたもう一人はたしか田中さんという方で、お二人ともジャケットに山巡のロゴをあしらったおしゃれなループタイといういでたちだった。お二人は孫世代の新人にとても優しく接してくれた。私がクライミングに自信をつけて生意気ばかり言っていたころ、田中さんにとって思い入れの強い谷川岳一ノ倉沢の2ルンゼに、もう一度登りたいと言われ、アシストを約束したのに自分のクライミングに忙しくて結局果たせなかった。これが今となっては大きな心残りだ。

このころの山巡は活気にあふれており、毎回個性あふれる人たちが集まってきては大声で会話が弾んでいた。ひとりチベット奥地の独立国ムスタンに潜入した高橋照さんにお会いしたのもそのころだった。
下町の山岳会らしく自営業や職人が多いなかでいつもばりっとしたスーツで集会に来ていた松坂チアキさんは当時の山巡を引っ張るリーダー的存在だったが、迫力がありすぎて近寄りがたかった。高校生から見たら中高年のおじさんだと思っていたけど、私が入会したころはまだ30代後半。ちょうど4年前の今頃、後立山近くで悠々自適のすえ、山釣りの帰途、駐車場で倒れて亡くなった。
チアキさん前後の世代の人たちが山巡のひとつの高揚期を作ったらしく、下又白谷の研究の中心でもあった。
下又白谷の下部本谷の概要をはじめて明らかにし、菱型岩壁の存在を世に知らしめた人たちともおそらくお会いしているのだろうが、残念ながら個人的な記憶にはあまり残っていない。その中心にあって下又白谷奥壁(当サイト内では前衛壁として紹介)の初登攀を行った檜山、山田ペアの檜山さんから先月突然連絡をいただいた。山田さんの訃報であった。
下又白谷の話をお聞きしておくのだった。

山岳巡礼倶楽部の部員バッヂ

さてまだ高校生だった私を山に連れて行ってくれたのは、当時20代後半から30歳くらいの現役部員。

そのころの部長、太田さんには谷川デビューをさせてもらった。ヒマラヤの登山を夢見て多くの資料を集めていたが、(たしか)仕事の関係で実現せず、それらの資料を遺品として残して6年ほど前に病没された。
下又白谷研究を再開させたパン屋のわたべさんと、昭和56年豪雪の槍ヶ岳で暴風に飛ばされた私を「どこ行くんだ?」とかとぼけながら止めてくれた二階さんとはいまだに「山巡じじい会」として軽い山登りをしている。

小野寺さん、川崎さん、国分さんはその後行方知れず。

結局山岳巡礼倶楽部としての最後の盛り上がりは、穂高徳沢をベースに、下又白谷の菱型スラブに3本のルートを拓いたあたりだったかもしれない。

私はその後、先鋭的なクライミングを求めて山巡を離脱。
やりたい放題のクライミングをした末、50代になってまた縁があってわたべさんや二階さんと再会。
すでに解散していた山巡の名前を成り行きで使わせてもらいはじめたのは、山巡に関わった多くの登山、多くの人々、歴史がそのまま立ち消えになるのはもったいないとようやく気が付いたから。
せめて名前だけは残そうとあらためて山巡を名乗って山登りをはじめたがはや私も還暦となった。
さあビッグネーム、どうやって残していったらいいものやら。

赤沼筆

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén