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アルプス越えの鎌倉街道第二弾–檜峠散策

信州、梓川沿いの山腹を、比較的なだらかな地形を辿りつつ、安房峠付近を越えて飛騨、平湯に至る古道「アルプス越えの鎌倉街道」。3月にその信州側の山道の起点となる祠峠の道を歩いた。(リンク:祠峠に鎌倉街道を想う。)

そして4月20日。今度は乗鞍スカイラインの起点付近(大野川の集落あたり)から沢渡に至る、檜峠の道を散策してきた。

雪道をラッセルして歩いた前回とうってかわり、フキノトウがそこかしこに顔をだす春いっぱいの林道を、残雪の霞沢岳や焼岳を眺めつつののどかな散策となった。

鎌倉街道、鎌倉古道などというといかめしい感じもするが、そもそもここは中世からの生活道路であったと言われる。その昔、山道を歩いて旅することが「最高のレクリエーション」だったのだろうなと想像がふくらむ。
アルプス越えの鎌倉街道の想定ルートを地形図に重ねてみると、等高線のまばらな、要するに緩やかな場所が選ばれていることにも驚かされる。そしてここは今や穂高連峰前衛の、日本を代表する風光明媚な景勝地でもあり、その道中がどれだけレクリエーショナルであったかという想像を楽しみながらの、しかし人けのまったくない静かな散策でもあった。

4月の2日間、山巡の若手女子、真帆ちゃんと八ヶ岳でクライミングを楽しむ予定だったのだが、まさかの寒さと風で転進。1日目は小川山や某秘密の岩場を渡り歩いてフリークライミング修業。でも2日続けて真帆ちゃんのフリースキルについていくのもつらいので、アルプス越えの鎌倉街道踏破を前提とした偵察行を提案。

さて檜峠。
鎌倉街道の推定ルートは祠峠から檜峠へとつづく。祠峠と檜峠の間が、今は乗鞍スカイライン上となる大野川集落。そこから沢渡に至る山道が檜峠の道。そして檜峠から沢渡の間は地図では車の通れる林道のようだ。ここを歩いて峠まで往復してみよう。

沢渡バスターミナルのちょうど向かい側あたりの林道に入る。林道に入った途端、観光バスや車の連なる喧噪を離れ静かな山となる。

林道は奥まで車で入れそうだが、今回はすぐに車を停めて歩いてみることとする。

車を停めた場所から沢渡バスターミナルを見下ろす。
山の向こうにちらっと見える白い山は霞沢岳のようだ。

しばらくは舗装された林道。

ほどなく舗装はなくなり、ダートの林道となる。

焼岳や霞沢岳が樹間に見える。

そこかしこにフキノトウが。あまりにたくさんあるので、今夜食べる分だけいただく。

多くは摘まず、写真を撮る真帆ちゃん。

この先が檜峠。

檜峠に到着。

檜峠から大野川集落方面には登山道らしき踏み跡が伸びている。道は典型的な切り通し(薬研堀)の形状となっている。これぞ鎌倉街道の特徴らしい。

登山道を少しおりたあたりから蛙らしき鳴き声が。行ってみると蛙の大群が沼地に集まり、子作りの真っ最中らしい。

なかなか騒々しい。

林道わきに車を停めての2時間強の散策だったが、残雪の山々を望みつつ、春の気配の感じられるのどかで楽しい一日だった。上高地周辺の喧噪のまっただなかにありながら静かな時間を過ごすことができたのがとても幸せに感じられた。

祠峠に鎌倉街道を想う。

3月14日、祠峠を目指して雪道を歩いてきた。
ここは鎌倉街道の一部らしい。
でも鎌倉街道ってそもそもなによ?
なんで鎌倉から離れたこんな山中に鎌倉街道?
その道どこに向かってて、どう利用されてたの?

いくつものクエスチョンマークで頭がいっぱいになる。

少し調べているうちに、「アルプス越えの鎌倉街道」という本に出会い入手した。
この本を手がかりとして関連資料を乱読、雑読するうちに、自分なりの勝手なイメージができてきた。

  • 「アルプス越えの鎌倉街道」は飛騨側の高山から平湯温泉に至り、安房峠のあたりを越えて信州側の梓川に抜けるものだった。
  • もとは生活道路だったものを、鎌倉街道として整備したらしい。
  • いわゆる平安や奈良時代の古道のような人馬が走り抜ける広く大きな直線道とは違い、山中の踏み跡などを歩きやすくした「切通または薬研堀」という程度の整備だった。
  • 鎌倉時代には蒙古や南朝勢力も含めた日本海側に対する政治的、軍事的境界線としての意味もあったり、宗教的な境界線にもあたる警備上の重要拠点だった。また武田家も木曽攻めの際、この道を利用したとの記述がある。
  • 一方、生活道であった(らしい)この道は、急峻でしかも楽しくない谷間の地形を避け、焼岳や乗鞍岳、あるいは穂高などの展望のよい、比較的なだらかな場所を選んでいるように見える。「道中を楽しむ」という文化に支えられた道であったように思えてならない。合理主義とは違う、道の意味合いに気が付いてから、この道を辿ってみることに俄然興味が湧いてきた。


祠峠は、松本から上高地を目指す途上、奈川渡ダム(梓湖)の西側にある標高1300mほどの峠。この祠峠が「アルプス越えの鎌倉街道」、信州側の山道のはじまりのようだが、「登山口?」の村がダムで水没したのがきっかけで廃道となったようだ。
その昔、峠付近に10戸ほどの集落があったが廃村となり、今は祠だけが残っているという。今でも、廃村マニアや歴史好きハイカーなんかが時折訪れているようだ。

ここを歩いてみたのは、穂高や霞沢岳などに何度も通っていたので、道中の里山を1日歩くのも一興と思ったということもある。時期的に雪山散策となった。
ちなみに、以前南側からここを目指したが、奈川渡ダム建設のために水没した集落周辺の橋と細い林道のアプローチに手間取り、駐車スペースも見いだせずに引き返している。

今回は北側からのアプローチ。乗鞍スカイラインの途上に車を停め、大野川の集落から歩き出す。

全ルートを通して重めの雪に覆われていて、ひざ下から腿くらいのラッセルでの歩きとなった。積雪、風、寒い夜、暖かい日などが続いていて、雪崩が起きやすい状況は予測できたので、樹林越しに行けなければ引き返すつもりだったが、祠峠までは大丈夫だった。それでもごく小規模な雪崩はそこかしこで起きていた。

歩いたルート
まだまだ雪に覆われた大野川の集落

大野川は「アルプス越えの鎌倉街道」の著者、服部祐雄氏の出生地でもあるらしい。

集落下の川には橋がかかっている。これを渡って行く。
橋から川を見下ろす。
道に沿って電線が伸びているが、折れた電柱もある。もちろん電気は通っていない。
約2時間半で峠に到着。祠が見えてきた。
倒れかけた鳥居
祠の前後になぜか木が。

祠の後ろはともかく、真ん前に立っている気が謎。
樹齢ってよくわからないが、あえて木の真後ろに祠は立てないだろうから、少なくともこの木の樹齢くらいは誰も祠を守ったりはしていなかったってこと?

朽ちた建物の一部?
鳥居側から見た祠
標識があった。
鳥居横にも朽ちた建物跡
峠の向こう側(南の奈川方面)

地形からして踏み跡があるようだ。凹状になっているのは、後で調べたところ、鎌倉街道の特長で薬研堀(切通)というらしい。人工的に掘って作られたものだとか。

来たルートを戻ると、車を停めた乗鞍スカイラインが見えてきた。

さて祠峠の往復はラッセルが大変だったものの4時間ほどで終了。なかなかに楽しい雪山散策だった。

【アルプス越えの鎌倉街道のルートについて】



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