南相木村は、東信(長野県東部)地方の人口1000人に満たない村で、8割が山林、原野らしい。
八ヶ岳や蓼科山、浅間山などの有名山岳地帯と、妙義山や二子山等々クライマーにとっては興味深い岩峰を連ねる西上州(群馬県西部)との狭間にありながら、登山者/クライマー視点から見ると、ここはなぁ~んにもないエリアと言える。
御座山、天狗山が有名だが、地図をよく見ると山頂自体は隣の自治体にあるように見えるしな。
隣接する長野県北相木村、群馬県上野村、長野県川上村、長野県南牧村との境界はすべて山稜となっており、数知れずのピークはあるものの、ほとんど知られた山はない・・・というより登山道そのものがほとんどない。
これはある意味、宝の山なのではないか?
クライミングできる岩場も少しはありそうだ。
【立岩】クライミング
村の数少ない観光地のひとつに「立岩」がある。
立岩湖のほとりに立つ60メートルほどの岩峰。
正面は垂直で登られた形跡がない。
裏側にルートがありピークに立てる。
ピークには祠があり、展望が楽しい。
裏側のルート周辺にハンガーボルトの設置された小規模なフリールートらしきものが何本かある。
裏側から登った際の記録はこちら
【峰雄山の岩稜】クライミングの可能性&里山ハイキング
南相木村の中央部を東西に延びる稜線に、峰雄山とずみ岩という二つの山名表記がある。
立岩から峰雄山の間は登山道はないものの、一部の篤志家ハイカーに歩かれている。筆者はまだ峰雄山しか登っていないが、この間に岩場があって苦労したとの記載が散見される。
1394m峰と峰雄山の間には岩場記号も多く、クライミングの可能性も少しはあるかも。(偵察が必要ですな)
ちなみに峰雄山の南斜面を登った感じでは岩場は多いものの、クライミングの対象になるようなものはなさそうだった。
峰雄山を登った際の記録はこちら(前記、立岩と同記事)
【長野県南牧村/南相木村の村界尾根】
(南相木グレートトラバースルート)
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西端近くに海ノ口城址(城山)があり、尾根は天狗山と男山の間の「垣越山」に至る。直線距離で約7-8キロ。尾根を辿って歩くと14キロほどの行程となる。
この尾根を越える峠道が大芝峠、合羽坂、臨幸峠にあったようで、地図には登山道の記載があるが、小沢志なの入トンネルが開通したせいか、ほぼ廃道となっている。小沢志なの入トンネルの西には車の通れる峠道がある。(下の写真)
西端の海ノ口城址(城山)へは佐久海ノ口駅から登山道を辿って登ることができる。歩いた記録はこちら。
この村界尾根をすべて歩き通してみたいと思い、ここに「南相木グレートトラバース」という名前を酔狂でつけ、歩いてみることにした。
(偵察のため、廃道となった臨幸峠に登った記録はこちら)
ところでこの臨幸峠は悲運の皇子、重仁親王が名付けたという言い伝えがあるので、簡単に記載しておく。
平安朝後期の崇徳上皇は継承問題から始まった保元の乱に敗れる。ちなみにこの崇徳上皇、菅原道真、平将門とともに3代怨霊(祟り神)とも言われるほど恨みを抱いて人生を終えたらしい。重仁親王はその皇子。
保元の乱に敗れた後、信州更科の武将、村上基国の庇護を受け南相木村に逃れた。しかしそこがあまりにも寂しい村だったからか?)、臨幸峠を越え、川上村の御所平に安住の地を求めて移住したとか。
白馬に乗って臨幸峠を越えた重仁親王はしかし、23歳という短命で生を終えたということで、悲運の皇子として御所平の御霊神社に祀られているということだ。
さてこの村界尾根(南相木グレートトラバース)を歩いてみた。
佐久海ノ口に車を一台デポし、もう一台で馬越峠に行き、天狗山から辿った。(このほうが下りなので楽ということで・・・)
林業での入山などはあるようで、人間の踏み跡、鹿や熊、狸の踏み跡をたどって、気持ちよく歩くことができる。
その際の記録はこちら。
【追記】馬越峠からさらに東へ縦走し、南相木村の南側村界尾根をすべて踏破。南相木グレートトラバース・エクステンディッドとした。(2022/6/26)
【今後の課題】
南相木村は北、東、南のすべての村界が山稜となっており、それを1周すると約40キロ強となる。名の知れた山は御座山、御陵山、天狗山くらいであとは地図上に標高表記があるだけ。
これを1周してみたいと思っている。
先の南相木グレートトラバースに則って、こちらは南相木サーキットとでも名付けようか(笑)