登攀日:2012年5月26日(赤沼・小見麻紀子)
当時未踏であった毛無岩の岩場に1本のラインを引こうと、ここに通い出したのが1985年の秋。
1986年この壁の弱点をついたルート「ボレロ」を開拓。
同日に他パーティー(恩田隊長グループ)がボルト連打の人工で登った烏帽子岩直上ルートは、たくさん打ってあるボルトのお陰で結構快適なフリークライミングのできるルートとなっていた。
この烏帽子岩直上ルートを登った際見たのがこのルンゼ状スラブのライン。
漏斗状のスラブは上部に向かって傾斜を増していき、垂直にせりあがるピナクルに終結していく。
西上州特有のプロテクションのとりにくさ、フリー自体の難しさが予想されるこのルートを落とすには、山そのものの判断よりは、いざというときに無理難題なムーブに耐えながら落ちずにいられる柔軟性が必要な気がした。
そういうわけでアルパインクライミングの経験はないものの、フリーでは高難度をこなすオマキさんにパートナーをお願いした。
ルンゼ状スラブの全景
出だしは中心の少し濡れた状態のスラブを登っていく。
傾斜はまだあまりないが、意外に悪い。
1P登ると残置ボルトを発見。
先登者がいたらしい。
だがボルトはすでに腐っており(というかまわりの岩がぐずぐずなので・・・)、3本打ってあったボルトはすべて手で抜けた。
ここはボルトを打ち足してビレイ。
2P目から傾斜が増してくる。
滝状になった垂直部はホールド、スタンスともに小さく厳しいバランスでの登攀となる。
写真は垂直部をフォローするオマキさん。
垂直部からひょこっと顔をだす。
3P目から先もまったく油断のできないスラブで、徐々に高度感もでてくる。古いボルトが打たれているので一応プロテクションをとっていくが、ほとんど信用はできず。 上部に見えるフレーク状の岩にプロテクションがとれるかと期待して直上するものの、中がどろどろで役に立たなかった。
3P目終了点から先はかぶり気味となってくるため、ここから右のルンゼ状に逃げることとし、4P目は真横にトラバースすることとする。
右のルンゼ状を少しあがるとコル状のテラスにでる。ここにも残置ハーケンがあった。おそらく先登者もここを行ったのだろう。 ここから草付交じりのリッジを直上。山頂方面に向かう。