アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

投稿者: gams Page 7 of 12

山巡思い出話

私が高校山岳部に物足りなくなり、山岳巡礼倶楽部に入部したとき、クラブを創立した高橋定昌さんは70手前。神田駅構内の喫茶店や、秋葉原のはずれにあったえびはらというレトロな喫茶店での集会にも顔を出されていた。
いつもおじいさんが二人いるな~と思っていたもう一人はたしか田中さんという方で、お二人ともジャケットに山巡のロゴをあしらったおしゃれなループタイといういでたちだった。お二人は孫世代の新人にとても優しく接してくれた。私がクライミングに自信をつけて生意気ばかり言っていたころ、田中さんにとって思い入れの強い谷川岳一ノ倉沢の2ルンゼに、もう一度登りたいと言われ、アシストを約束したのに自分のクライミングに忙しくて結局果たせなかった。これが今となっては大きな心残りだ。

このころの山巡は活気にあふれており、毎回個性あふれる人たちが集まってきては大声で会話が弾んでいた。ひとりチベット奥地の独立国ムスタンに潜入した高橋照さんにお会いしたのもそのころだった。
下町の山岳会らしく自営業や職人が多いなかでいつもばりっとしたスーツで集会に来ていた松坂チアキさんは当時の山巡を引っ張るリーダー的存在だったが、迫力がありすぎて近寄りがたかった。高校生から見たら中高年のおじさんだと思っていたけど、私が入会したころはまだ30代後半。ちょうど4年前の今頃、後立山近くで悠々自適のすえ、山釣りの帰途、駐車場で倒れて亡くなった。
チアキさん前後の世代の人たちが山巡のひとつの高揚期を作ったらしく、下又白谷の研究の中心でもあった。
下又白谷の下部本谷の概要をはじめて明らかにし、菱型岩壁の存在を世に知らしめた人たちともおそらくお会いしているのだろうが、残念ながら個人的な記憶にはあまり残っていない。その中心にあって下又白谷奥壁(当サイト内では前衛壁として紹介)の初登攀を行った檜山、山田ペアの檜山さんから先月突然連絡をいただいた。山田さんの訃報であった。
下又白谷の話をお聞きしておくのだった。

山岳巡礼倶楽部の部員バッヂ

さてまだ高校生だった私を山に連れて行ってくれたのは、当時20代後半から30歳くらいの現役部員。

そのころの部長、太田さんには谷川デビューをさせてもらった。ヒマラヤの登山を夢見て多くの資料を集めていたが、(たしか)仕事の関係で実現せず、それらの資料を遺品として残して6年ほど前に病没された。
下又白谷研究を再開させたパン屋のわたべさんと、昭和56年豪雪の槍ヶ岳で暴風に飛ばされた私を「どこ行くんだ?」とかとぼけながら止めてくれた二階さんとはいまだに「山巡じじい会」として軽い山登りをしている。

小野寺さん、川崎さん、国分さんはその後行方知れず。

結局山岳巡礼倶楽部としての最後の盛り上がりは、穂高徳沢をベースに、下又白谷の菱型スラブに3本のルートを拓いたあたりだったかもしれない。

私はその後、先鋭的なクライミングを求めて山巡を離脱。
やりたい放題のクライミングをした末、50代になってまた縁があってわたべさんや二階さんと再会。
すでに解散していた山巡の名前を成り行きで使わせてもらいはじめたのは、山巡に関わった多くの登山、多くの人々、歴史がそのまま立ち消えになるのはもったいないとようやく気が付いたから。
せめて名前だけは残そうとあらためて山巡を名乗って山登りをはじめたがはや私も還暦となった。
さあビッグネーム、どうやって残していったらいいものやら。

赤沼筆

奥秩父・鶏冠尾根~木賊山

山の楽しみ方のひとつに、「美しいライン」を想定し、実行するというものがあると思っている。
何をもって美しいとするのかは人それぞれだろうが、私の場合ラインの必然性と探検的かどうかが重要と考えている。

さて五郎山での2本のルート開拓をご一緒した長友さんと1日だけ山に行けることとなった。どこへ行くか?
五郎山から甲武信岳に至る登山道記載のない「天竺平尾根」を辿って周遊するプランを長友さんが提案。
私の提案は西沢渓谷から甲武信岳を経て、天竺平尾根から五郎山に縦走するというもの。
かなりかぶっている。
長友さんがそのラインをきれいなラインだと言ってくれたが、彼は車の回収という頭があったので天竺平尾根の周遊プランだったわけ。

五郎山から下山したあと妻の車でのお迎えが期待できることから、私の提案が採用となった。
木賊山から天竺平尾根の間で少しの間の登山道をのぞいて、整備された道はない。

早朝、長友さんの車で出発。西沢渓谷の駐車場から西沢渓谷道を歩き始める。
西沢渓谷界隈はどうやら長友さんのホームらしく、ルートはすべておまかせで後ろをついて歩く。こういうのも楽しいね。

西沢渓谷は昨日の雨で水量多めらしい。
鶏冠山が見えてきた。
鶏冠尾根に取付くにはここを渡渉しないといけない。いや、水多いじゃん!
渡渉地点を求めて右往左往するもなかなか決断つかず・・・・悩んでいるうちに沢の得意な長友さんはじゃぶじゃぶと渡ってしまったよ。
しょうがないのでパンツ一丁になって追従。
鶏冠尾根には正式な登山道はないが、道標はかなり完備していて踏みあともついている。露岩が濡れていて急坂はすべりやすかったが、とくに迷うこともない。
木の根と露岩の急登が終わると、鶏冠尾根のハイライトの岩稜が見える。
3か所ほど岩登りとなる。核心部は3~4級程度のクライミング。技術的には易しいが、組成の弱そうな岩場なので慎重に登る。
第三岩稜の頭から鶏冠山の山頂までは木の根がよくすべる樹林帯。
しゃくなげが鬱蒼としていて歩きにくい。
鶏冠山から木賊山も同じく樹林帯の踏みあとを辿る。

標識とピンクテープを頼りに進むが、ここはルートファインディングが必要なところ。われわれも一回踏みあとをはずし、GPS頼りで修正した。

約6時間でしっかりした登山道に出た。すぐに木賊山山頂。

このあたりで予報どおり軽い雨が降り出した。五郎山への縦走はまた登山道をはずれ、道なき道を今までより少し長く歩く計算。五郎山から下山するのは下手すると夜遅くなりそうだ。
協議のすえ、今日はここで打ち切り。西沢渓谷におりることとした。

最短は戸渡尾根の登山道だが、ここをホームとする長友さんの判断で、破風山方面に少し縦走して、これまた登山道のない尾根を下山することとした。笹の急斜面の下山だけれど、静かで気持ちのよい尾根を下った。
長友さんはこの光景を見せるためにこの道を選んでくれたらしい。
こんな斜面を適当に降りていく。

約9時間半で全工程終了。

実際に歩いた行程。

佐久・五郎山マキヨセP2ルート再登

たまたまハイカーのブログで、その素晴らしい岩峰の写真を見て、通いだして早くも5回目の五郎山。
1回目:五郎山の偵察
2回目:五郎山ダイレクトルート開拓
3回目:冬のハイキングで五郎山(敗退)
4回目:マキヨセP2ルート開拓
5回目:マキヨセP2ルート再登
というわけ。

傾斜が強めで、命を守るプロテクションも取りにくい五郎山ダイレクトに比べて、マキヨセP2は比較的安全に登れて、岩登り自体も難しすぎず、なにより屹立したピークに向かって登っていく爽快さがある。(五郎山ダイレクトもその爽快さは同じですが。)
つまり、仲間とわいわい楽しく登るにはマキヨセP2はお薦めルート。

なんだか妙に楽しいルートになった。
何度でも行きたいと思う。

そもそも自分は山(岩)登りに何を求めているんだろう?
「より高き、より困難」?
まさかまさか。
もちろんそれを求めている人はいるだろうし、自分だって勘違いして追求した時期はある。そういう人を否定するつもりもない。むしろ尊敬する。
でも自分のクライミングの原風景は、なんかそれとは違うんだよな~。

今まで楽しい!と思った山(岩)登りは、たとえばドロミテの岩峰、旧ユーゴスラヴィアの石灰岩岩峰、西上州の岩峰群、スペインの砂漠化しつつあるワイン畑のまんなかに聳える岩峰、上高地から前穂高岳手前の真正面に立ち上げる尖った岩峰に至るリッジ・・・・なんだ全部岩峰だぞ?
つまりすべては下から見える美しいラインをつめあげて、その成果を肴に仲間と楽しく騒いだ、「クライミング」と「宴会」がともにある山旅ということになるらしい。

それとどうやらもう一つ、重要な要素があるかもしれない。

遊び場(プレイグラウンド)が、与えられ、整備された観光地でも登山道でもなく、持ってる情報が自分の目でみる視覚データに限られること。そこを自分の判断だけで自分で設定したルールに従って登っていく自由さ、潔さ、その自由が必然的に内包するある種の困難さや畏れを越えていく喜び。でも山と戦うとか、人と戦うとかそんな要素はまったくなく、ただひたすら山というフィールドと戯れる感覚が好きだ。

岩峰を登っている姿が客観的にイメージできるというのも楽しい要素かも。

そんな意味でマキヨセP2ルートは自分にとって理想だった。

開拓の相棒は長友さん。
ひとまわり若いクライマーだけど、志向性が近いらしく、私にとってはもはやランドマーク的な思い出となった前穂高岳東南面の美しいリッジの登攀記録に触発されて、そこを登りに行ってくれた人。それが縁で知り合った。
そして今回も、最近知り合ったクライマーたちとの最初のクライミング。
だから楽しいものにしたかった。実際楽しいクライミングとなった。クライミングを復活して、仲間が増えつつあるのも嬉しい。

開拓時は長友さんがリードした最初のピッチだけ、今回はリードさせてもらった。

この尖った先っちょがマキヨセP2の終了点、前回はこの上に立たなかった(座ったけど・・)。
今度はおそるおそる立ち上がってみた。あ、写真撮るのわすれた!
赤ヘルメットのミカさんは、半年ほど前にキャンプ場で行われた、彼女の結婚祝い宴会で知り合ったばかり。最終ピッチをリードしてきて、夫ジロさんをビレー中。

ミカさん、ジロさん夫妻と同じ山岳会に属するI口さんとは今回はじめて知り合った。同じ世代、同じ仲間を共有することもあって話が弾んだ。
家で待ってた妻も加わって宴会開始。


佐久・マキヨセP2ルート開拓

五郎山から見るマキヨセP2
この下に垂直の下部岩壁が続く。

2020年11月に佐久・川上村の五郎山の岩壁にルート(五郎山ダイレクト)を拓いた際、顕著に見えていた岩峰、マキヨセのP2(もっとも五郎山寄りの目立つ岩峰)を登ってきた。岩峰は上部の尖った岩壁、中央のフェースと傾斜の強い下部壁からなっている。この写真では上部と中央フェースのみが見えている。

パートナーは五郎山ダイレクトの開拓をご一緒した長友さん。40台前半の脂の乗り切ったクライマーであるのはもとより、美意識、信条のはっきりとした聡明な人柄で、クライミング行を楽しくさせてくれる人。

今回はメパンナことS川さん、ニコちゃんことN口さんも同行して開拓の応援と写真撮影をしてくれた。
メパンナはアイゼンとアックスを使ったスポートクライミング、ドライツーリング(略してドラツー)の日本でも有数のプレイヤーで、今や世界を転戦中らしい。一緒に歩きながらもドラツー向きの岩壁がないかとエロい視線をそこここの岩壁にそそいでいた。股関節故障中で、開拓は参加せず。
ニコちゃんは長年アルパインをやってきた頼もしいクライマー仲間だが、やはり肩の故障でクライミングはできず。今回は仲間内で名シェフとして名高い料理の腕前をふるってもらいいい宴会ができた。

二人とも4回目の五郎山。マキヨセP2基部でロープを結ぶ。

このラインは五郎山ダイレクトを登ったあと、長友さんが偵察に来て、トップロープで一部試登をしている。写真にも写っている上部岩壁と中央フェースは登れそうだが、下部岩壁が傾斜が強く、岩も脆そうで恐ろしいとのこと。
歩いて取付きに行くと、たしかに中央フェース真下の岩壁は一部ハングしており、登るのは苦労しそうだ。
岩壁左端の張り出しを巻いて数メートル左に移動すると、軽い凹角状のフェースとなっており、傾斜も若干緩いし、小さなクラックがいくつか走っているので、カムは使えなくても最悪ハーケンを打てばなんとかいけそうだ。垂壁の直上に未練がありそうな長友さんに「弱点ついていこうよ!」と、ここを登ることとする。「逃げの山巡」の伝統は守らねば。

1P目は長友さんのリードで離陸。

メパンナ撮影、動画その1「離陸シーン」

メパンナ撮影動画2「支点なしで離陸」


メパンナ撮影動画3 「命を守るハーケンを打つ!」

こんな感じでスタート!
数メートル、支点がとれないままに登っていき、少し不安になりはじめたあたりで長友さん、ハーケンの設置を決断。ハーケンをあまりにも叩き込みすぎて、結局回収不可能に。(もちろんこれで正解)
ちなみにこれ以降はすべてナチュラルプロテクションで登り、残置物はこれだけとなった。

1P目終了点から。赤沼フォロー中。

1Pを終了したところで中央フェース下のバンドに出た。
この上はまた傾斜が強そうなので、長友さんの想定していたフェース下までバンドをトラバース。

バンドをトラバース中。

このバンドは岩峰横の樹林帯から歩いてくることもできるため、ここまでニコちゃんが来て待っていた。
五郎山側からは顕著に広がる中央フェースは赤沼のリード。フェースいっぱいに岩茸が広がっていて滑るが、傾斜も緩めで節理もほどほどにあって快適に登れる。

2P目。中央フェース。黒いのはすべて岩茸。
2P目、中央フェース登攀中の赤沼。上にいるのがメパンナ。長友さんは下でビレー中。

中央フェースは五郎山側、登山道から張り出した岩壁の上からよく見えるため、ニコちゃんがそこから撮影してくれた。3人写っているのがわかりますかね?上にメパンナが写ってるが、やはり草付きのバンドを歩いて来ていたため。各ピッチごとに仲間が来ていて「まるで山登っていって山頂ついたら駐車場があったみたいな状態だね~」と笑いあいながらの登攀。

2P目、中央フェース登攀中。上の写真とほぼ同じ時刻に下から撮影。
2P目終了。メパンナ撮影。
2P目終了シーンを撮影するメパンナを、五郎山側からニコちゃん撮影。
2P目を長友さんも登ってくる。
長友さん到着。メパンナ撮影。
3P目。簡単な岩稜を上部ピークの基部まで。

ここから3P目はロープもいらない程度の岩稜を最終ピッチとなる上部岩壁の基部に移動。上の写真にも3人写っている。上がリードしている長友さん、下がビレーする赤沼。真ん中は遊び・・・もとい応援!に来ているメパンナ。

3P目終了点で撮影。フォロー中の赤沼。
4P目、上部岩壁。

最終ピッチは最後のとんがりを登りつめる嬉しいピッチ。長友さんのリードで。

最終ピッチをフォローする赤沼。
終了点で自撮り。本当のピークは真後ろの岩の上だが、怖いのでここで撮影。

マキヨセP2ルート、クライミング概要:
1P目
下部岩壁。左寄りのルンゼを直上(5級)25m
2P目
バンドを右にトラバースして中央フェースを直上(4級)25m
3P目
優しい岩稜を上部岩壁基部まで(2級)15m
4P目
上部岩壁(岩峰)を直上(4級)20m
登攀開始5月23日9時30分~終了11時30分)

使用ギアはハーケン1(残置)小~中サイズのカム約2セット
グレードはムーブだけを考えれば甘目かもしれない。
スポートルートではないので、危険度などの主観部分も加味。

比志津金山塊・笠無

笠無(1,476m)は比志津金山塊の最高峰。なぜか笠無山ではなく、笠無と呼び捨ての山で、一般的な地形図には登山道も山名も記載されていない。
実のところ、比志津金山塊自体がほとんど知られていない山脈であり、ここで山名が記載されているのは先日たまたま登ってみた斑山くらいのものらしい。
それにも関わらずネットで検索をすると結構な数の登山者が訪れて(といっても篤志家には違いないが)いるようで、地図に記載のない山名がわかるわけだ。
八ヶ岳、南アルプスをはじめ屈指の山岳展望が得られることに加え、縄文時代の遺跡が多くでてきたり、「甲斐国誌」に記載のある棒道や穂坂路にはさまれた文化的、歴史的にも重要な土地であり又、きのこや山菜、美しい広葉樹や松林などにも恵まれた自然の豊かな地域であることもたしかだ。

今回の目的は比志津金山塊の最高峰「笠無」に登ること。
確たる登山道こそないが、この山に至る踏みあとは縦横無尽にありそうだ。登山者の記録によく名前の出る「比志の塒」、「摩利支天」、それに笠無に近い重要な文化財でもある海岸寺の裏山「海岸寺山」もはずせないということで、これらを横断するルートを想定してみた。

今回は岩登りの仲間4名。とは言ってもクライミングだけでなく、山登り全体の好きな大人の集まり(?)で、里山ハイキング案にもすぐに同意してわいわいと行くこととなった。
車が2台あるのを幸い、一台を下山予定の海岸寺近くにデポする作戦で行く。海岸寺からは林道、比志海岸寺線を塩川ダム方向に向かい大尾根峠(地図に名前はない)から尾根を北上することにした。

大尾根峠に車を置いて登山開始。伐採後に残る踏みあとを辿る。

稜線に出たら、笠無と逆方向に向かい「比志の塒」を往復。
比志の塒には山名の書かれた板があったようだが、腐りかけていて判読不能。
摩利支天ってどんなところ?と思っていたが、岩の上に摩利支天と書かれた石碑があった。
ここはなかなかの展望ポイントでもある。
笠無山頂

笠無までは比較的はっきりとした踏みあとがあり、あっさり山頂に至る。
ここから先は尾根筋のはっきりしないところも増えてくる。南に下る尾根には踏みあとがいくつかあり、迷い込みやすい。文明の利器GPSを駆使して方角を定めて行く。
それにしても気持ちのよい山だ。新緑の広葉樹にほぼ覆われており、ところどころが松林となっている。きのこ類も多く途中できくらげを収穫。
多少道をはずしても藪はそれほど深くないので、自由自在に歩ける。
山容も変化に富んでおり、歩いていても飽きがこない。

本当にいい山だ。

道中珍しい道標。だがこの先踏みあとははっきりせず、結局地図とGPS頼りになる。
樹林のなかを自由に歩き回る。いつの間にか笑っている人、歌を歌いだす人。多幸感に包まれる人。
海岸寺山まで約4時間の道のり。海岸寺はもうすぐだ。

穂高・下又白谷菱型スラブについて

手元の山日記では、下又白谷菱型スラブの初登攀をしたのは1980年8月2日となっている。
当時、日本での岩登りといえば、第二次RCC著となる「日本の岩場」というルート図集が唯一体系的な情報であり、下又白谷の項には黒びんの壁と菱型岩壁のみが掲載されていたと記憶する。(黒びんの壁はJECCによりR1, R2などと紹介されていた。別称、下又白壁または白又白壁とも言われる。)
菱型岩壁はその中でももっとも登攀の困難な岩壁のひとつとされていた。
下又白谷は穂高のなかにあってもっとも急峻な岩壁に囲まれたエリアであることは事実であるが、「日本の岩場」における、菱型岩壁に関するおそろしげな記述も、下又白谷=悪絶というイメージに貢献していたかもしれない。

山岳巡礼倶楽部、わたべゆきお氏作成の菱型岩壁周辺写真

さて、わたべ氏が目をつけた菱型岩壁左のスラブ帯の登攀は、それまで下又白谷の地域研究に取り組んできた山岳巡礼倶楽部の1980年夏合宿のテーマの一つとなっていた。

以下、手元のノートから記録を転載する。

1980年8月1日
わたべ氏と徳沢入山

8月2日
下又白谷F1洞穴ルート開拓~F2~菱型ルンゼ~菱型スラブ下部開拓~壁内でビバーク

下又白谷本谷の遡行をするつもりで徳沢より入山。
F1前壁JECCルートはとらず直登ルートを作るべく、JECCルートより右のバンドに取付く。非常に悪いフリー2P(Ⅴ+)を加えた5-6Pで終了。F1上に立つ。ボルト2本、ハーケン約10本使用。
F2を2Pのフリーで越え菱型ルンゼにはいる。
菱型岩壁の左側に展開する3本のスラブへの登攀を試みる。フェース2P終了後、Ⅲ~Ⅳ級のスラブを10Pほど攀り、Ⅴくらいの草付き交じりの岩場を超える。そこで暗くなったので1本の灌木にまたがってのビバーク。水なしのつらいビバーク。

8月3日
ビバーク地上部の草付き(Ⅴ+)を登り、ルートの概念をつかむ。
スラブは3本あり、右寄り1スラブ、2スラブ、3スラブと名付ける。登ってきたのは1,2スラブの中間リッジとなる。2スラブはビバーク地点あたりで傾斜を増し、垂直となっていたので中間リッジに逃げたのだ。
ビバーク地点からは2スラブにおりず、草付き帯を行く。さらに約10Pで登攀終了。はいまつの藪漕ぎで茶臼の頭に至り、奥又経由で徳沢に下山。

赤沼の山日記より

この後、8月5日には下又白谷正面壁中央稜を途中まで登っている。

1980年のルートは山巡ルートとした。この図は「岩と雪」誌に掲載したもの。

さらに翌年1981年の夏合宿で、第2スラブの直登ルートおよび第3スラブの初登攀を行っている。

1981年8月8日
屏風岩を登っていた赤沼、津賀は徳沢に移動。今日入山してきたわたべ、小野寺、赤塚、宮本と合流。

8月9日
全員で下又白谷F1偵察。
雪が多くF1は右端を楽に登れる。フィックスも発見。バンド上に1P新しいルートを伸ばす(注:意味不明)

8月10日
わたべ、赤沼、津賀、赤塚で下又白谷菱型スラブ2スラブを初登攀。山巡ルート開拓の際逃げたルンゼを直上して2スラブに入る。このピッチはⅥ級以上あった。

小野寺、宮本で3スラブを初登攀。
(注:こちらも「岩と雪」誌に掲載したはずだが見つからず)

赤沼の山日記より

下又白谷菱型スラブ山巡ルート開拓についての、わたべ氏の記事も紹介しておく。これは山巡の新人募集冊子に掲載したもの。

◎ 穂高岳下又白谷下部菱形スラブ初登攀(抄)
            わたべ ゆきお

・・・・時刻は八時になっていた。ライトを出しビバークの準備を始めるが、ビレーをしていた所は、二人がしゃがみこむにはあまりに狭すぎるので、細いリッジを五mほど下った所に場所を見つける。ブッシュとブッシュの間にもぐり込むようにして、坐り込み身体をブッシュにくくりつける。私たちがはい上がってきたのとは反対側にもルンゼ状のスラブ(第一スラブ)が走っており、そこまではすっぱりと切れている。リッジの上方はブッシュを混じえた露岩がかぶさっており、下方もブッシュのついた鋭いリッジで、すぐ空間に消えている。つまりは、四方がすべて急峻であって、平らな所はどこにもない。ここまできては、もう下降は考えられず、登り切るしかないのだが、どうなることやら・・・・。
曇天のせいかそう気温は低くないようだ。私は軽羽毛服を取り出し、下半身だけシュラフカバーに沈める。ツェルトはちょっと使える場所ではないし、雨でも降らない限りはいらないだろう。空腹感はそれほど覚えはないが、水のないのが何よりもつらい。
赤沼が「横尾の灯が見える」と言ったのは、横尾ではなく、徳沢だった。夜の森の中にポッカリと徳沢園や天幕たちの明かりが、みじめなビバークの私たちの目の下にあって、それはまるで幸福の定義そのものだ。清冽な水があふれ、ビールやウィスキーのボトルが並び、歌声がしみ出し、それに時折り少女たちの歓声が混じり、花火だって上がるかもしれない。だが、私たちは・・・・。
足先の方が下っているので、ともするとずり落ちて行く。
「上の方も悪いですよ・・・」赤沼が不安を隠さずにいう。さらに、冗談とも本気ともつかずに「これをいい機会に山なんかやめようかな・・・」ともいいだす。「山をやる理由なんかないんだ。別に山でなくても・・・・」
私はいうべき言葉を持たず、ひたすら少しでもマシな体位を求めてセッセと身体を動かす。いままでのいくつもの経験で、意志と、時間と、そして・・・・そういったものが、すべてを解決してくれるのだ。昭和残侠伝(唐獅子牡丹)の高倉健だって、修羅場をいくつもくぐり抜けて立派なヤクザ屋さんになっていったのだ。またフランスのおじさん(サルトル)は「経験には死のにおいがする」といったし、「あらゆる男は、命をもらった死である。もらった命に名誉を与えること。それこそが、賭ける者、戦う者の宿命と名づけられるべきなのだ」とは寺山修司の競馬エッセイによく引用されるウィリアム・サローヤンの言葉だ。要は、運のいい男には人生の終わりよりもルート・登攀の終わりの方が先にやってきて、運が悪ければ、平田や上村のように激しく短い生を終えて夜空輝くお星さまになれるのだ。
夜半、月明かりで目が覚める。半分にも満たない欠けた月だったが、それでも人っ子一人いないこの下又の岩の大伽藍を銀色に浮び上らせるには十分だ。それまで、私は夢の中なのか、それとも実際に身体がずりお落ちたのか、何度も墜落感を覚えてギクっとした。光速でもってブラックホールの中に、私の幼児期の混濁した意識の海の暗黒の中に、収束していくような、ひどくメタフィジカルな、パスカルの深淵のような、メチャクチャ冷汗感覚。
——朝は、もう今すぐくるべきなのだ。
私のビバーク。私の《山》。五彩のトキ。—–心配無用の日々だけがあって、鋭さを持たぬために、瞳孔はやや開きかげんで、抒情は水分を失い、鮮やかな色彩も、急激な気温の変化も、熱すぎる眼差しも危険すぎる街での曖昧なゼリー状のトキ——こいつらを束ねて葬り去るのが、私の《山》でのトキ—–だ。
ようやく、私たちにプレゼントされた夜明けは、重そうな鉛色をしたそれだった。蝶や大滝の稜線には、「ネズミの心はネズミ色、悲しい悲しいネズミ色」の雲たちがザブリとかむさっていた。だが、アリスの歌にもあるように「狂った果実には、青空は似合わない・・・・」(狂った果実)のであって、空が泣き出す前にと、早々に腰を上げることにする。五時だった。
出発前に、昨日の残りのパンとビスケットの一かけらを口に放り込んでみたが、全然唾液がわいてこず、とても喉を通るものではなかった。どんな極上のワインやコニャックよりも、今は《水》だ。私たちのすぐ背後のはずの奥又の池まで行けば、岩の間からしみ出す冷たく甘美な水が涼し気な音を立てているのだ。
赤沼、トップで目の前のブッシュの付いた露岩に取付く。やや、かぶさっており、悪い。彼はその三m程をかち取ると、リッジ上を直上するのではなく、左へとブッシュの中をトラバースして行った。二十m。私がこのブッシュでうるさく、腕力を酷使するピッチを終えてトップの所まで行くと、もう容易とのことだった。すぐ左側には、私たちが突破すべきだったルンゼの涸滝落口が見え、下からは全く予想もし得なかったルンゼ状スラブが真直ぐにのびている。難しそうには見えないが三~四ピッチはあろう。今となってはリッジに逃げてしまったことが悔まれる。
ブッシュを再びリッジ上へ登ると、易しい岩稜となった。左に第二スラブ、右に第一スラブを眺めての登攀である。第一スラブの方が二スラよりも急峻で、よく磨かれていて美しい。登攀自体も難しいだろう。第一スラブはピナクル状の小岩峰で二股になっており、右が本流で菱形岩壁の頭の裏側方面へとのびている。
階段状のリッジを登ると、畳二枚分程の完璧に平らなテラスに出た。ここでビバークをしていれば、二人で楽に横になって寝られたはずだ。ここから目の前の快適な岩稜を三十m程登り、このリッジがピナクル状になる手前で、右に出て、第一スラブの左股ともいうべき小さなルンゼのつめの中に入る。もうすでにここは草付で、さらに草付とブッシュの中を百mくらいも登ると、茶臼の頭へと続く頂稜に出て、広大な下又白谷の上部と前穂の東壁等が望まれた。私たちの待望の、本当の終了点—–そいつが今、私たちの足の下になったのだ。ルート選定には悔まれる点が残ったとはいえ——注:翌年(1981年)第二スラブルートの初登に成功した—–、未踏の、本谷F1の手前から数えれば、二十ピッチを越える私たちの、私たちだけにしか見えない一本のラインがくっきりと引かれたのだ。
一秒でも早く、甘やかな、ココロの内側にまでしみ込んでくるであろう《水》に到達するために、ザイルだけを巻くと、すぐにうるさく繁茂したハイ松の中を池を目指して歩き出した。茶臼の頭は指呼の間に望まれるのだが、踏跡の全くないハイ松こぎには辟易させられる。時折、ハイ松がジンの香りとして強く香る。バテバテになりながら、茶臼の頭には出ずに、トラバースの藪こぎをして、直接池から下又白谷への下降点になるコルに出た。いつもの柔和な面をたたえた奥又白池と人間たちのにおいのつまった天幕たちが眼に飛び込んでくる。私たちは水場に直行し、前穂の私たちに対する友情あるいは好意ともいうべき珠玉の水に口づける。We could drink a pond of water!だったのだ。「生きて帰れた!」などとジョークをいいあい、赤沼と完登の握手をかわす。朝の九時だった。
ビール壜百万本ほどの水を飲み終えると、私たちは雨の降りだした中畑新道を徳沢のウィスキーのもとへと幸福な気持ちで下って行った。

山岳巡礼倶楽部入部のしおりより

佐久、川上村・「五郎山ダイレクト」開拓

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赤線は登路・・・このあたりだったと思う。

長野県南佐久郡川上村の奥にひっそりと佇む独立峰「五郎山」。標高2,132メートルの中級山岳だ。
川上村から目立って見える岩峰、男山や天狗山と違い、その姿は目立たない。マニアックなハイカーが時折訪れるだけの奥山とも言える。
しかしハイカーの記録にあった写真には素晴らしい岩壁が写っていた。これはクライミングの対象になるのではないか?
インターネットで調べた限りではクライミングの対象として書かれた記事はない。つまり「やばい壁があったら登ってやろう」というクライマーのエロい視線をまだ浴びたことのない処女壁である可能性が高いということ。
まずはクライマーの凌辱に耐えるレベルの岩壁か、偵察に行ってみることとした。

11月13日 偵察行(赤沼単独)

通い慣れた小川山廻り目平への岐路を通り過ぎ、梓山から梓川沿いの道にはいる。途中から林道地蔵沢線のダート道を進むと五郎山登山口に至るが、林道は崩壊が進んでおり途中で車を乗り捨てての歩きとなる。20-30分の歩きで登山口に着く。ここからは延々とカラマツや白樺の開けた樹間の急登を行くと30分ほどで最初の岩場の基部。


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(注:
ここでマキヨセの頭としたのは間違いらしい。

実際はこの岩峰群全体がマキヨセであり、頭としたのはP2らしいと判明。)

登山道は岩場にあたったところから、マキヨセの頭と呼ばれる顕著な岩峰を含む、概ね3つほどの岩のピークからなる岩壁群(仮にマキヨセ岩壁群とする)の上を縦走していく。マキヨセの頭の裏側からもう一つの大きな岩峰である五郎山山頂岩壁との鞍部に降りたつ。登山道はここから山頂岩壁の基部をトラバースして、右から回り込むようにして山頂に至っている。(下はマキヨセ岩壁群の基部をトラバース、偵察して撮影した画像)

マキヨセ岩稜左端
マキヨセの下部岩峰

3つほどの岩峰を有するこの岩壁群はクライミングの対象として考えるとスケールがやや小さいかなという印象。ルートを拓く余地はかなりあるが、1ピッチからせいぜい2ピッチ程度に見える。マキヨセの頭の真下にある岩峰が大きめで、これを登ってマキヨセの頭となっている岩峰そのものにつなげればそれなりに充実するだろうし、そこからさらに五郎山南面の岩場に継続すれば楽しいかも。

五郎山方面から望むマキヨセの下部岩峰と、マキヨセの頭。

岩は比較的堅そうに見えるし、この界隈ではもっともすっきりした長めのライン。
ただこのあたり一帯の岩場はどこも岩茸と苔に覆われていて滑るので、掃除しながらのクライミングとなるんだろうな~

マキヨセの頭と五郎山の鞍部から、五郎山山頂への登山道の途上、トラバース部分から見下ろしたスラブ壁。支点がとれなさそうに見える。でもここから五郎山南面の岩壁につなげるのも面白そう。
それにしてもこの岩壁の真上をトラバースする狭い道が山頂に至る登山道とは!結構おそろしい。

そしてやはり最初に登るならこれ。五郎山南面の岩壁です。

岩壁左部分
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五郎山南面岩壁、左のスカイラインは鞍部からさらに川上村側に切れ落ちており、この岩壁では最長のルートがとれそうに見える。ただ陽があたらないのでこの時期は寒いかも。



11月14日 登攀当日

メンバーは宮田さん、長友さんと私の3名。

実はこの日集まったのは、赤沼がかつてクライミングジャーナル誌上で紹介した、下又白谷上部「ウエストンリッジ」を長友さんが登ったのが縁で、まだ会ったことのないその二人を、共通の友人宮田さんが引き合わせようという趣旨でして。
小川山東股沢の「野猿返し」という軽めのルートをわいわい登ってから、八ヶ岳の赤沼別宅にて宴会をするのが当初の目的でした。
ところが前日の偵察行の話をすると全員が「登ってしまおう!」と乗り気になり、急遽ルート開拓決行となった次第。

昨日たどった道を今度は3人で。
急登なだけにガチャ入りのザックの重さがつらい。

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マキヨセ岩壁群の上を縦走する正規登山道からアプローチ。
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完全無風だった昨日の偵察行に比べて、冷たい風が吹いてはいるが、今日は完璧な展望のパノラマが広がる。近くには秩父連峰、八ヶ岳、その手前に男山、天狗山の岩峰、西上州の山々、そして遠くに南アルプス、北アルプスの白い山々。この日は槍ヶ岳や穂高岳をずっと背後に背負ってのクライミングとなった。

マキヨセと五郎山の鞍部で登攀装備をつける。
ここは五郎山南壁の基部でもある。左稜線(南西リッジ)とも言える左側スカイラインは、ここから川上村側に切れ落ちていて、もっとも長いルートがとれそうなので、基部に沿って左方向に降りていく。

樹間を基部に沿って下降。五郎山南壁のこの部分はかなり傾斜が強い。

左稜線末端近く、傾斜が落ちてきたあたりを取付きとする。少し上がったあたりに倒木があり、これも支点として使いながら1ピッチ目とする。
ほんの10メートルほどで苔と泥の多い部分は終わり、白い岩肌が出る・・・・が、その岩肌はびっしりと岩茸や苔に覆われている。

岩肌が出てから一段あがった松の枝のうえを1ピッチ目終了点とする。小型のカム二つを支点。
ここから本格的なクライミングとなる。
リッジというよりはスカイライン少し右手のフェース状部分をさほど多くはない節理を追っての登攀となりそう。節理部分には木の枝などもあり鬱陶しいが、支点にもなってくれるのでありがたい。

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2ピッチ目の登りだしは見た目より悪いフェース

2ピッチ目から最若手の長友さんにバトンタッチ。いえ・・・・決して赤沼がびびったからではなく、若手に育っていただくためですからねっ!
小さなピナクルに蝶々結び・・・じゃなくて、タイオフしたスリングを支点にしてこのフェースをクリアすると、トップの姿は見えなくなる。
このあとはフェースをほぼ直上。細いクラックで支点をとった外傾テラスで迎えてもらう。支点は小さめのカム3つ。

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2ピッチ目終了点。

この時点ですでに全身岩茸だらけ。

さて次が最終ピッチ(3ピッチ目)となりそうだが、傾斜はますます強くなってくる。
真上のクラックは傾斜は強いものの節理があって、木も生えているので支点は取れそう。左のリッジ向こうに巻き込んでいけば傾斜が緩くなっている予感も。
しかし長友さんは美しいフィナーレを求めて右上のきれいなフェースを直上していった。強気の攻めの姿勢に一同感動の場面。

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太陽に向かって強気に攻める長友さん。向こうに見えるのはマキヨセの頭。
直上のクラック(ここは行かなかった)
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終了点(ここから山頂へは岩稜をほんの少しで到着。
左手の樹間から5分もかからない。
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空が真っ青です。

ルートについて

命名は近くの男山ダイレクト、天狗山ダイレクトにリスペクトを込めて、勝手ながら「五郎山ダイレクト」とした。
1P目(赤沼):3級25m 倒木を越えて藪中のクライミング
2P目(長友):5級25m ハング気味のフェースを右側フェースから巻き込んであがり、さらに節理を追ってフェースを直上
3P目(長友):5級30m 傾斜の強くなるフェースを少し右に巻き込みながらあがる。やはり節理を追って直上し終了点
岩茸に覆われて滑りやすいスタンスなどもあり、グレードは実際のムーブグレードよりも高めに感じているかもしれない。

ギアは3人でダブルロープ2本。カムは小さめ中心に2セット程度。ボルトキット、ハーケン類も持参したが使用しなかった。

登攀日:2020年11月14日
林道地蔵沢線の崩壊地点手前:10時
岩場取付き:11時30分
終了点14時
山頂14時30分
林道地蔵沢線:16時帰着

後日談:
この時のメンバー長友さんは、その翌週再度、五郎山に出かけ、五郎山南面岩壁の下部スラブを初登してきたとのこと。その際、マキヨセ岩壁群も含め偵察を行い、それぞれの情報をまとめてくれました。
下記リンクもご参照ください。
五郎山ダイレクトの記録
五郎山下部スラブの記録
五郎山の概念

黒曜石の露頭を求めて冷山

「あと15年で設立100周年」となる山岳巡礼倶楽部。
どんどん部員が高齢化する山巡の活動は年1回程度のハイキング&山宴会が恒例化しつつあるのみ。

「次の活動は八ヶ岳の知られざるピーク冷山付近にあるという、謎の黒曜石巨大露頭を探索に行こう!」
と言い出したのは、山巡にあってその緻密な調査力とこだわりの強さで一頭地を抜くわたべ氏。ちと面倒くさいタイプとも言うが、そのおかげで下又白谷のウエストンリッジというユニークなルートが発掘(開拓でも登攀でもなく発掘と呼ぶのが似合う山登りでした)されたのも事実。わたべ氏は「ついでにバードウォッチングがどうしたこうした・・・」とも言うがそちらは完全スル―。

要は楽しくハイキングでも探索でもやって、その話題を肴に楽しく飲めればいいやというのが本音の山巡じじい会にとっては、それはある意味最高の提案であった。奥様から「じじいは無理しないっ」とストップのかかった最高齢のSさんが不参加となり、今回はわたべ氏、二階氏と私の3人のみ。ちなみにヒマラヤカラコルム某ピーク初登頂時のサミッター二階氏は、「翌日は天狗山ダイレクトか瑞牆山本峰正面壁でクライミングな」とか言うので、納戸の奥からカビのはえたロープやらボルトキットやら引っ張りだして持って行ったのに、本人は「クライミングシューズ捨ててしまったのでズックで登れるかな?」とか言ってるし。山巡おとぼけじいさんずとでも呼び名変えようかな~

まずは冷山山頂に向かう。

早朝都内某所で集合。一路、麦草峠へとドライブ・・・・のはずが、近づきつつある台風の影響で通行止め。大回りして現地についたときは昼をまわっていた。
前夜あたりからようやく始まった黒曜石露頭探索の作戦会議で、まずは冷山の山頂に立ち、しかるのち、ターゲットに向かう踏みあとがあるはずだから車で探すという方針が決まったばかり。
麦草峠近くに車を停め、狭霧園地から渋の湯への踏みあとへ。冷山へは登山道がないが、GPSを頼りに途中から踏みあとをはずれて小一時間であっさり山頂に至る。

冷山山頂

この辺一帯は北八ヶ岳らしい苔むした露岩と樺類の疎林に覆われた気持ちのよいところ。歩き始めが2000mを超えていることもあって標高2193mの冷山までも楽な行程。

この後歩き回って、黒曜石露頭に至るちょっとしたヒントを見つけた。
そちらの方に行って見たが時間切れで今回は終了。

探検終了後の宴会

西丹沢・玄倉川小川谷廊下

2017年7月29日 (赤沼、石鍋、星)

ほぼ毎週末を過ごしている北杜市から甲斐駒を見た際の、左側に切れ落ちたスカイライン。
毎度毎度見ているうちに無性に登りたくなっていたのだ。

調べてみるとどうも摩利支天峰の南稜あたりになるらしい。

パートナーを探していると礼くんが食いついてきてくれた。
こちらの記憶は曖昧なんだけど、彼が岩登りを始めたころにずいぶんとあちらこちら連れ歩いていたらしい。
そして礼くんが世界を股にフリークライミングで活躍していた時代のパートナー、星さんも同行することになった。

しめしめ。はっきり言って最強メンバーである。
荷物担いでもらえる!やばいところはリードしてもらおう!
てな下心がいけなかったのか、当日はかなり不安定なお天気で。

ぎりぎりまで迷った挙句、丹沢の沢登りでお茶を濁すことになった次第。

さてのん兵衛3人は深夜、西丹沢の某所(自分たちでもよくわかっていない)到着すると同時にテントで飲み始め。
予備に買っておいたボトルまで空にして迎えた朝。
星さん持参のなにやら古そうな沢登りガイドを見て、行く先は小川谷に決定。

いやこんなにギアいらんでしょ。 と言いつつ、何があるかわからんしね~

とくにロープを使うところもなく、滝をひょいひょいと超えていきます。
でも水があると気持いいね~

すぐに水に飛び込みたがる礼くん。

楽しい一日を過ごし(結局ロープもギアも使わず)、翌日も天気予報いまいちなんで、それぞれ家族のもとに帰ることとなりました~ 甲斐駒はまた今度。

戸隠山

息子との恒例夏山登山ですが、やつが忙しくてしばらくぶりとなりました。
今回は一日だけのハイキング。
息子は「クライミング」がいいね~と言いますが、最近登ってない自分が初心者のビレーで登れるようなところはほとんどもう行っちゃってるしね。
迷った結果、自分自身もまだ登ったことのない戸隠山に行ってみようとなりました。

 登りだしから結構岩場だらけ。

クライミングではなくただの鎖場ですが、鎖を使わず登ればそれなりのクライミング。
父ちゃんは鎖つかまりまくりで手抜き登山やってますが、息子は一切鎖には触らないと決めているらしい。

さていよいよ難所と言われる「蟻の塔渡り」ですが・・・
(動画。音がでますよ)

蟻の塔渡り
蟻の塔渡りのつづき

はい。息子にはお遊び気分だったらしい。
まああっさりと山頂に到着しまして。

でも実はここからの稜線が気持のよいところでした。

岩壁と、湧き上がってきたガスと、高山植物のコントラストが絶妙です。

実は沢沿いの下りが技術的にはもっとも悪かったりしますな。
お昼までにはあっさり下山しましたが、戸隠のこのあたりって山深くて、開けていて、深山幽谷の趣っていうんですかね。いいところでした。

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