アルパインクライミング・沢登り・フリークライミング・地域研究などジャンルを問わず活動する山岳会

月: 2025年5月

秋田駒ヶ岳&東北遊び歩き

妻の誕生祝いがてら、どこか登っておいしいものを食べてこようという計画。さあどこに行こう。

安達太良山やら黒姫山やらいろいろ考えていたけど、梅雨入りを思わせる不安定な気候でころころと変わる予報のため、行く先が決定できない。
前日の予報では唯一秋田あたりが高気圧に覆われることがわかって、急遽秋田駒ヶ岳まで足を伸ばすことにした。
夕方東京を出て、登山口まで7時間以上のロングドライブ。

コースはどれにしよう?
朝、秋田駒ヶ岳もありかね?とか言ってから仕事に出かけたので、今日家にいた妻は結構リサーチ済み。私はネットで誰かのブログを読んでみた程度。

私「一番軽そうなのは北側8合目小屋の駐車場から行くやつかな?」
妻「そこはまだ道が開通してないみたいよ。南の国見温泉からになるわね。」
私「残雪はどうかな?」
妻「去年の今頃のYou tubeを見たら、ムーミン谷というコースは木道の上をずっと歩いていて、雪の上も少し歩いているみたいだけど、私だけチェーンアイゼンがあればいいくらいかもね。」
私の心の声「ムーミン谷の写真見たら、クライミングによさげな岩峰があるぞ。偵察もしてこれるかもね~」
私「んじゃあ、国見温泉からムーミン谷のルートに入って、男岳の手前から阿弥陀池のほうに峠を越えて、山頂登ってから尾根コースを戻ればいいね。ちょっと長いけど、コースタイムで7時間程度みたい。がんばるか~!」

妻は軽登山靴にチェーンアイゼン持参。私は運動靴。
軽いノリで出発。

想定ルート。国見温泉から尾根をあがって、途中から左に入るのがムーミン谷ルート。男岳の手前から稜線にあがるつもり。

国見温泉の駐車場に午前様で到着。7時間半ほどのドライブだった。
2時間ほど車中で仮眠をとってから出発。
1時間の歩きで比較的なだらかな稜線に出る。これは秋田駒ヶ岳の一角をなす横岳から南西に伸びて来た稜線。
高山植物の多い山らしく、まだ時期は早いようだが道沿いにはそれらしき花々が。われわれお花に詳しくないので、写真を撮ってきてあとでGoogle画像検索で花名を特定する作戦だったが、いまいちわからないのが多いね~。


稜線から田沢湖を望む。
なだらかに横岳に伸びあがる稜線。空も真っ青で気持ちいい~♪

稜線の途中からムーミン谷への分岐。
左から雌岳、男岳、横岳かな。なんかそこそこ雪があるみたいだぞ。


登山道は雪渓に覆われてなくなってますよ。
妻がYou tubeで見た昨年の今頃とは状況がだいぶ違うっぽい。
これじゃあムーミン谷名物のお花はあるわけなし。
今年は残雪が多いのはわかっていたけど、だいぶ軽く考えていたね。はは。

谷の右側はデブリ(雪崩のあと)が残ってます。
小規模のブロック雪崩や落石がたまに落ちてくるので、左よりにルートをとって行く。あまり人も入っていない様子だが、同じようなラインを歩いている足跡が少しだけある。ラインどりから見て山慣れた人でしょうね。

妻もだいぶ慣れてきて、アイゼンなしでもこんなところが歩けるようになってきた。

左のなだらかな稜線から、こちらのムーミン谷にそれてきた。

妻は人生初めてのブロック雪崩と落石を見てビビり気味。

左のピークが男山。その右側の斜面を登るつもりだったけど、雪渓に覆われていて、落石も怖い。妻はこんな雪斜面登りたくないと言うし。


まあ確かに、登ろうと思っていた斜面は少しリスクが高めなので、このままムーミン谷をつめて男岳の向こう側の稜線まで回り込むことにする。

五百羅漢あたりかな?このへんの岩峰が登れるか偵察したかった。ピッチは出ないけど登れないことはなさそう。これを左からまわりこんで稜線目指します。
稜線に這い上がる手前に急な雪の斜面があって、登山道を完全にブロックしてる。雪の横の急斜面から雪の上に乗るあたりが今回のハイライト。
付近はフキノトウが群生してる。

こんなやばいところに来てしまい、妻は怒り出すかな?と思ったら、「なんかアドベンチャーで楽しいね♪」とか喜んでるわ。

ここからすぐ上が稜線。向こうに田沢湖。この稜線から登山道を歩いていくとすぐに男岳。
稜線に出た。
左側の谷(ムーミン谷)から回り込むようにこの稜線にあがってきた。まもなく男岳山頂あたりを登る妻。
男岳山頂から振り返るムーミン谷方面。この辺一帯を含めて秋田駒ヶ岳ということになる。独特の地形ですな。
山頂。天気はよいし、それなりに冒険的だったし、独特の山の雰囲気があったしと妻もここですでに大満足。ほんといい山です。
男岳からはよく整備された登山道。見えているのは阿弥陀池。ここを経由して最初に登って来たなだらかな稜線を下る。左の最高峰男女岳は割愛。もう満足したからどうでもよくなっちゃった。
ここからはよく整備された登山道を下る。ここを往復でもよかったねと言ったら、妻は「今日登って来たところのほうが楽しかった」のだそうで。
歩いてきたルートを振り返る。
花、花、花
のんびりと下る。

7時間ちょっとの山歩きでした。

へたくそなホーホケキョ。
ムーミン谷から稜線にはいあがる手前。急な雪斜面にはばまれた。

この日は秋田在住の友達から教わった水沢温泉泊。
乳頭温泉の手前の静かな温泉街。
お風呂も料理も最高でした。

さてどうしよう?
これから天気が下り坂だから、山はもういいや。
前食べておいしかった米沢牛の店でディナーしたいという妻。
では一日ゆっくりと寄り道しながら米沢までくだることとしよう。

結局歩いたルート
田沢湖ドライブ中
昨日登って来た秋田駒ヶ岳
角館の武家屋敷
この後秋田の友達から薦められた安藤醸造でだしやら、味噌やらを大人買い。
通りすがりの素敵な神社

なんだかとっても不思議で素敵な街、ますだ。

そして米沢焼肉のあとは一気に東京まで帰ってきました。

鳥居峠から栗屋山

このエリアを特定する名前がないものか調べてみたがわからなかった。
西は韮崎あたりから塩川ダム、信州峠を越えて川上村に抜ける小尾街道(穂坂路)。北東に金峰、瑞牆。南に茅ヶ岳や金が岳や曲岳。
奥秩父西部の茅ヶ岳山麓エリアとでも言ったらいいのかな?
その中心に甲府幕岩や樫山岩塔などの岩場があって、スポーツクライマーにはわりと知られた場所ではある。

先月、金が岳に連なる兎藪という山に遊んだ際、その一帯に伝わる修験道や金峰山への参道(みたけ道)に至る古道、天狗や仙人についての逸話などを聞きかじった。
小尾街道に沿っては信玄の烽火台や、山城址も多い。
「おもしろい土地だな~。北杜市の家からも近いしもう少し歩き回ってみよう」。

今回は比志城址に近い鳥居峠というところから、尾根を東方面に歩いてみよう。その先には地図に記載がないが、栗屋山というのがあるようなので、そこを目的にしてみよう。今回も妻とのんびり山散歩のつもり。

韮崎から塩川ダムに向かう県道23号を北上。小尾街道または穂坂路というやつですな。
塩川ダム手前の鳥居峠トンネル手前から小森川沿いの道に入り、最初の大渡という村落から歩き始め。トンネルの上に見えてる峠が鳥居峠だ。

トンネル方向に村の道を行く。


石仏たち
峠に向かう切通し(村の道はここを通らず大回りしている)
兎藪方面
そこここに藤の花
これも石仏?
あっという間に鳥居峠が見えてくる
鳥居峠にもうすぐ
鳥居峠の北側は舗装された林道があった。こちらから来たほうがよかったかな?
鳥居峠から東に向かう尾根に階段
階段の上に修験者の像があった。寛永とか書いてあったような。江戸時代?ここを越えてなだらかな尾根を東へ向かう。
下草もなく歩きやすい。
全体に赤い。赤松か。
尾根はところどころ細くなるが歩きやすい。
栗屋山手前のピークで視界が開ける。金峰山、瑞牆山などが遠望できる。

金峰山

瑞牆山

栗屋山
八が岳が見えた。
栗屋山山頂から樫山の村を見下ろす。
南の林道まで急な斜面をおっかなびっくり下る。
あとは歩いてきた尾根の南の林道を戻るだけ。
藤の花びら
右が歩いてきた尾根。南側はずっと崖になっている。
石仏など。林道沿いに多い。
お気楽半日コースでした。

兎藪と山の人たち

兎藪(うさぎやぶ)と呼ばれる変わった名前のピークに行ってきた。
きっかけは北杜市の我がセカンドハウスから、茅ヶ岳と金峰山の間に見える台形の山姿が気になったから。
Google earthや地図アプリなどを使って特定したピークがこの兎藪だった。
地形図を頼りに5月最初の暖かいとき、妻とともに傾斜の緩い西側から登ってきた。

須玉町江草の獅子吼城址から車で行けるところまで林道に入るが、途中で草が生い茂ってきたのでそこから歩き。

林道から兎藪西側の緩斜面帯へは、林道から急な山腹を這い上がる。這い上がった先は別世界。どこまでも緩く広い斜面が広がる気持ちのよい樹林帯だった。

西側斜面にはところどころ踏み跡もある。
途上石垣やら水場のような遺構もあり、ここに生活していた人たちがいたことが感じられる。

この西側に広がる天国のような高原の樹林帯がすっかり気に入ってしまっい、そこいら中に生えている山椒の若葉をおにぎりにくっつけてのランチタイム。そしてお昼寝をしてからの下山。

ところで兎藪のピークにある三角点の点名は「孫左衛門」。
兎藪の登山口にあたる江草付近には孫左衛門に関する言い伝えがあるらしい。
孫左衛門については、山梨地誌のはしりである「甲斐国志」(江戸時代1814年発刊)に記載があるようだ。
甲斐国志巻之二十「山川部」を拾い読みしてみた。
金嶽 茅嶽(金が岳 茅ヶ岳)の項に次のような記載がある。(読解があやしいので不正確ですが)
「浅尾村(江草より少し南)の樵夫(きこり)孫左衛門は、山中に入って仙人となった。どれほどの時間だったものかはわからないが、曲岳あたりに遊んだり、大石や深谷の間を歩いたり、鹿を追って走ったり、岩の上に跨っていたりして、その蓬髪で目の大きな巨人が草木の服をまとっているところを里人に見られたこともある。」

ほかにも少しずつ違う言い伝えがあるようだが、修験道の舞台でもあった金峰山とその周辺には修験者が少なからず往来していただろうし、また山の民たる樵や炭焼きなどもいたはずで、そうした「山の民」を異形のもの「孫左衛門」と呼んでいたのかもという想像がふくらむ。(修験の人と山の仕事師たちがどのくらいかかわりがあって、時代的接点があったかなどについては今後の課題ですな。)

兎藪の先は金が岳にいたる急峻な稜であり、修験者もここらを歩き回っていたらしいことは、甲斐国志にも記載がある。
兎藪の西側に広がる広大な高原には水場もあり、石垣などの遺構もあることから、山仕事の場であり、あるいは人も住んでいたかもしれない。

そして江草は金峰山に至る9本の御嶽道と呼ばれる古道の入り口のひとつでもあった。地形図を見るとなぜ江草?となるのだけれど、甲斐国志以前の金峰山詣では、まず金峰山南麓の金桜神社にお参りしてから山頂の本体、五丈岩に向かうのが常道であったことを考えると、これが金峰山への入り口ではなく、金桜神社への道であったということを思うと、わかりやすいような気がする。

兎藪あたりを根拠地のひとつとする山の民「孫左衛門」たちは、あるいは金峰山詣での人たちの、江草道における登山ガイドなども務めていたんじゃないか?などと妄想をふくらませているわけです。

波田の若澤寺址

松本から槍ヶ岳に至る梓川渓谷。
その出入口にあたる波田町付近は、歴史上かなりの要衝の地であったらしい。
波田町誌によれば(「アルプス越えの鎌倉街道」からの孫引きで)、
「縄文時代から梓川渓谷は飛騨(岐阜県)、越中(富山県)などの他国との交流に使われた渓谷」であり、鎌倉時代にはアルプス越えの鎌倉街道が作られ、蒙古来襲のこともあって、日本海沿岸や北陸地方の警備、交易の道となっていた。
信州の波田地域は(少なくとも鎌倉幕府の時代には)異国への出入口であった。
警備のため、そして交易のため、ここが重要なベースとなっていたらしい。
若澤寺は奈良時代、行基によって創建され、各時代の権力者から庇護を受けてきた。江戸時代の後期にはその壮大さから「信濃日光」とまで呼ばれていたらしいが、明治新政府による廃仏毀釈により廃寺となった。

これにより若澤寺にあった仏像などの多くは他の寺に移され、若澤寺のあった場所は跡地として保存されている。

さて。
アルプス越えの鎌倉街道の探索を少しずつ行っているわけだが、その本意は、昔の人々の営為を想像しながらの山歩きなわけ。
若澤寺址は筆者にとって、ただの「それほど知られていない観光地」であって、山歩き的にはさほど重要ではないが、一応押さえておいたほうが今後の山歩きがより楽しくなるかな・・・・・という程度で行ってみることとした。

若澤寺址だけでは一日の遊びとしては物足りない。
まずは以前にも行った檜峠に行って見る。
昨年の今頃やたらとフキノトウが出ていたので、ちょっとそういう目論見もあったのだが、今回は残念ながらみんな伸びきっていた。

檜峠近くに1479.6mの三角点を有するピークがある。
以前檜峠からここを目指したが、獣の気配が濃厚すぎて引き返してきたことがある。
今回は熊対策万全で来たので、足を伸ばしてみた。

なかなか楽しい藪山歩きでした。
このピークは三等三角点があって、点名「檜峠」でした。

さて若澤寺。
若澤寺は山中に広がる大きな寺だったが、廃寺となった際、その一部が移設されたという田村堂前に車を停めて観光ハイキング開始。

田村堂から上波田の町内を歩いてアプローチ。

山中の林道歩きとなる。樹間の光が気持ちよい。

若澤寺跡地。よく整備、保存されてます。

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