山岳巡礼倶楽部、赤沼の個人ブログ

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山岳巡礼倶楽部のサイトを個人ページ化している犯人。
クライミングのために仕事と住む場所を選んで生きてきたけど、現在は東京在住でクライミングよりテニスに打ち込むおっさんと化している。

天狗山ダイレクトルート登攀

天狗山(南面から)

2015年の再婚を境に、徐々にクライミングからは遠ざかり、妻や山巡じじい会とのハイキングや山宴会、そして何より妻の趣味であったテニスに傾倒していったわけですが。
たまに「クライミング行きましょうよ~」と声をかけてくれる若い友人、礼くんが、私とクライミングの唯一の絆のような感じで、記録を見たら礼くんたちと登った伊豆・海金剛のスーパーレイン(2018年1月)を最後にクライミングはなくなっておりました。
今回の礼くんにつきあってもらってのクライミング再開は、3年弱のブランク明けとなりました。

天狗山への登山道を行く

この天狗山というのは、クライミングの聖地、長野県の小川山廻り目平に行く途中で見える二つの知られた岩峰の一つ。もう一つの男山には簡単で快適な岩稜があり私も2度ほど登ってますが、天狗山のほうはまだ手を付けておらず興味をもってました。
小川山はフリークライミングやボルダリングで有名になり、多くの人が集まってきますが、この二つは人の少ない静かな岩登りができる岩峰といった位置づけでしょうか。ところが天狗山ダイレクトというこのルートは、最近ガイドさんが木を切ったり、ボルトを打ったりして登りやすいように整備してくれ、クライミング雑誌などで紹介されたため一気に有名になった様子。おかげで私のようなブランク明け体たらくクライマーにも、楽しく登れるルートとなったわけですが、人気がでたため多くのクライマーが集まってきたらしい。というわけで、順番待ちなんかをおそれて甲斐大泉の別荘を朝5時という早朝に出発いたしました。

ぬれぬれの初ピッチは礼くんリードでスタート

野辺山から川上村への通いなれた道を入り、深山遺跡あたりから天狗山右手の峠(馬越峠)への林道へ。
しかし天気予報は晴れ!のはずが、ここだけ雨。6時ではまだ暗いなかしょぼつく雨の中を天気予報に期待して入山。
1時間でルートの取付きに着いたあたりで、雨はやんだものの岩は苔と葉っぱと泥がついたうえ、まだ濡れててすべりやすい。
ここまで来てしまってはしょうがないので、まずは礼くんトップでロープつけてスタート。

トップをロープピッチごとに交代する「つるべ方式」という登り方をしていく。最初のピッチがぬるぬるで怖いので、奸智を働かせて怖いところは礼くんに登ってもらおうと画策したものの、実は私がトップで登る2ピッチ目のほうが傾斜が強くてこわかった~
写真は垂直部を越えてフォローしてきた礼くん。

さて余談。
約3年のクライミングブランクってどういうことか。
テニスは連日やっていたものの、やはりクライミングに必要な筋力なんかは落ちているようで、一番つらかったのは片足かけたスタンス(足がかり)から、片足だけの力で立ち上がる動作。以前はこんなことあたりまえにできると思っていたんだけど・・・・今回は片足で立ち上がるたびに全身に力を入れて「どっこいしょっ!」の掛け声が必要なわけですよ。
ルートの登攀を通して100回はどっこいしょを言ったような気がする。

クライミングはまあ順調に進みます。(どっこいしょさえ言えばまだまだ登れるよ~)ルート解説は検索すればいっぱいでてくるので、ここではクライミングシーンをご紹介~。

登攀をしていると、いつしか空も晴れ渡り、紅葉をバックに楽しいクライミングができました~

ここを登ったらルートは終了。すぐに天狗山山頂でした。

記:
登攀日:2020年10月24日
メンバー:石鍋礼、赤沼
馬越峠6時発~ルート取付き7時~終了点9時半~馬越峠11時着

吉祥寺・武蔵野倶楽部

山巡じじい会夏合宿「八ヶ岳冷山」

「あと15年で設立100周年」となる山岳巡礼倶楽部。
どんどん部員が高齢化する山巡の活動は年1回程度のハイキング&山宴会が恒例化しつつあるのみ。

「次の活動は八ヶ岳の知られざるピーク冷山付近にあるという、謎の黒曜石巨大露頭を探索に行こう!」
と言い出したのは、山巡にあってその緻密な調査力とこだわりの強さで一頭地を抜くわたべ氏。ちと面倒くさいタイプとも言うが、そのおかげで下又白谷のウエストンリッジというユニークなルートが発掘(開拓でも登攀でもなく発掘と呼ぶのが似合う山登りでした)されたのも事実。わたべ氏は「ついでにバードウォッチングがどうしたこうした・・・」とも言うがそちらは完全スル―。

要は楽しくハイキングでも探索でもやって、その話題を肴に楽しく飲めればいいやというのが本音の山巡じじい会にとっては、それはある意味最高の提案であった。奥様から「じじいは無理しないっ」とストップのかかった最高齢のSさんが不参加となり、今回はわたべ氏、二階氏と私の3人のみ。ちなみにヒマラヤカラコルム某ピーク初登頂時のサミッター二階氏は、「翌日は天狗山ダイレクトか瑞牆山本峰正面壁でクライミングな」とか言うので、納戸の奥からカビのはえたロープやらボルトキットやら引っ張りだして持って行ったのに、本人は「クライミングシューズ捨ててしまったのでズックで登れるかな?」とか言ってるし。山巡おとぼけじいさんずとでも呼び名変えようかな~

まずは冷山山頂に向かう。

早朝都内某所で集合。一路、麦草峠へとドライブ・・・・のはずが、近づきつつある台風の影響で通行止め。大回りして現地についたときは昼をまわっていた。
前夜あたりからようやく始まった黒曜石露頭探索の作戦会議で、まずは冷山の山頂に立ち、しかるのち、ターゲットに向かう踏みあとがあるはずだから車で探すという方針が決まったばかり。
麦草峠近くに車を停め、狭霧園地から渋の湯への踏みあとへ。冷山へは登山道がないが、GPSを頼りに途中から踏みあとをはずれて小一時間であっさり山頂に至る。

この辺一帯は北八ヶ岳らしい苔むした露岩と樺類の疎林に覆われた気持ちのよいところ。歩き始めが2000mを超えていることもあって標高2193mの冷山までも楽な行程。
山頂は見晴らしもなく、さあこれで酒の肴(話題)もできたし帰るか~というとき、樹に張られたテープに「至る 冷山黒曜石」の文字が・・・
もう昼も回っているし、今夜の宴会場になる山梨の私の別宅にドライブする時間などを考えるともう引き上げたいところ。「悪いものを見つけてしまったな」と思いつつも、同じピンクのテープをたどると、わたべ氏が黒曜石露頭があると予想していた方向にまっすぐに向かっている様子。

結局、現場興奮症の二階氏を先頭にどんどんと斜面を降りて行くこととなった。わたべ氏の予想が正しいと黒曜石までは標高200-300mは下りていく必要がある。地図を見るとそこまで下りて行った場合、うまく国道に戻ることはできず、同じ踏みあとを冷山山頂まで戻ることになる。

大声で二階氏を制止し会議の結果、黒曜石は今日は無理と判断。少し登り返し、途中からGPSを頼りに麦草峠方向に山腹をトラバースして最初の踏みあとに合流することとなる。全身泥まみれのやぶ漕ぎで踏みあとになんとか帰着し無事麦草峠に。
地図を持たない二階氏は、そのまま斜面をおりて黒曜石を見たら、近くの国道に出て待っていれば、赤沼が車をとりに行くだろう( ^ω^)・・・という不埒な考えをもっていたようで。

探検終了後の宴会

テラスの階段作った!

木製のテラスや階段にはキシラデコールという防腐塗料が塗ってあり、2年に一度くらいは塗り替えるようにしてます。
しかし地面に接している階段はどうしても腐りやすく、コロナでしばらくこないうちにすっかり機能を果たさなくなってしまいました。

しょうがないので一念発起。
草ボーボーで埋もれている階段をまずは解体し、草を刈って地面を整地。
足場部分にタイルを敷いて見栄えをよくした上に、ごくシンプルな木工作業でステップを作りました~

材料費しめて18000円ほどでした。

プレーヤーのいるべき場所

•サーバーは、センターマークとサイドラインの延長上、ベースラインのうしろにいる必要がある。ラインは踏んではいけない。(フットフォールト)

•レシーバーはネットのレシーバーサイドならどこにいてもよい。

•ダブルスの最初のポイントでレシーバーが二人ともデュースサイドにいることは許されるが、その場合、どちらがレシーバーであるか知らせておく必要がある。

エンドとサービスの選択

•エンドとサービスの選択はウォームアップの前にトスによって決定する。(ラケットによるトスも通常はOK) トスに勝ったチーム/プレーヤーは;

1.マッチの最初のゲームでサーバー/レシーバーを選択できる。その場合、トスに負けた側が最初のゲームのエンドを決定する。または、

2.マッチの最初のゲームでエンドを選択できる。その場合、トスに負けた側がサーバー/レシーバーを決定する。または、

3.相手チームに上の選択権を譲ることができる。

•トスでエンド/サービスの選択を行ったあと、天候などの理由で、ウォームアップが中断された場合、トスの結果得た権利がそのまま残り、再度選択を行う。

ラケットについて

ボールについて

ゲームイベントの企画者が決定すべきこと。

•ゲームに使うボールの数:2, 3, 4, 6個のうちいずれか

•ボールチェンジポリシー:基本的にセットの最初を指定。マッチの残りゲーム数が2つ以下ではボールチェンジはできないタイブレイクを含む)。また、タイブレイクの前にはボールチェンジはしない。

プレー中にボールが破損した場合→ポイントのやり直し(LET)

ボールで汗をぬぐうなど、ボールの素材に変化を与える行為をしてはならない。

コートについて

El Ultimo Tremolo

Barrios Mangoreはパラグアイ原住民族の血をひくギタリストで作曲家。正規の音楽教育も受けているが、その原住民族的な風貌や、大きな手を駆使して作った難曲の数々、旅するギタリストとしてのイメージや多くのエピソードに飾られた音楽家。
代表作のLa Catedral(大聖堂)がギター界の巨匠ジョン・ウィリアムスに紹介されてから多くのギタリストが演奏してきたけど、私としては中林淳真のアルバムにあった(と記憶している)演奏に憧れた。放浪ギタリストとしての同一性が影響あるんかね~

La Catedralは練習を積み重ねてなんとかスコアが追えるようになった。そこで次にお気に入りだったEl Ultimo Tremoloに挑戦。コロナ自粛で引きこもっていたため案外早くスコアが追えるようになった段階で弾いてみた。まだまだ完成にはほど遠いぎくしゃくした演奏ですが、まあこれ以上は素人としては相当時間かけないと変わらないし、変われるかどうかもわからないので・・・・

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