なぜそんなもの(ドームハウス)を作ったのか?
話しは長くなりますが・・・・
子供のころ、祖父の影響ではじめた山登りが高じて、若いころはクライミングに明け暮れた。高校時代に社会人山岳会の老舗「山岳巡礼倶楽部」に入部した。東京都山岳連盟の登録番号1番という古い会で、べらんめーで、いなせな下町の大先輩たちから酒の飲み方と、喧嘩のやり方と、山の登り方を教わった。
でもそれがアルピニズム創成期の生きたパイオニアたちと登山をし、歌い、話を聞ける貴重な時間であったことに気が付いたのはずっと後のこと。生意気盛りの青二才は、ちょっとクライミングが上手になると天狗になって、貴重な「老いぼれ」を敬遠し、ほかの会の先鋭的クライマーと谷川岳あたりを縦横無尽に登りまくったり、危険であることが目的であるようなクライミングにうつつを抜かしはじめる。ついには穂高岳の大岩壁、屏風岩の1ルンゼをタイムを計ってフリーソロ(ロープを使わず手と足だけで行うクライミング。当然落ちたら命はない。)したことを批判され、喧嘩別れのように倶楽部を去ってしまったのだ。
やがて未踏、手付かずの岩壁に登路を見出して登る、ルート開拓に魅力を感じ始め、舞台は日本の辺境から世界の辺境にうつっていく。旧ユーゴスラヴィアの石灰岩岩壁群や、スペインの砂漠化しつつある荒野にたつ岩塔などを地元のクライマーと登り歩くうち、彼ら地元クライマーたちと自分の決定的な違いに気が付いた。彼らは地に足をつけた生活をしながら山を登っている。自分は放浪者のように山を登り歩いているだけだ。
しっかりとした生活基盤を持ちながら山に登り続けるためには、「経済力」と「自由な時間」が必要だ。そのためには独立した貿易商人になればいいと短絡した。
登山を通して知り合った実業家の紹介で水産会社の商事部門に潜り込み、3年間のお勤めで貿易仕事を覚えた。そして海と山に囲まれたノルウェーに移住。
冬の漁業シーズン中は忙しく飛び回って水産物の買付。しかし比較的暇な夏場はノルウェーのクライマーたちと海外に遠征に行ったり、ほとんど陽の沈まないなか近くの岩場で日がなクライミング。
ノルウェーではよく働き、よく遊んだ。
- サバやらアジやらを輸出し始める。
- 事業がある程度軌道に乗ってきた。
- ノルウェーのクライマーたちと交流が始まり、仕事の合間にクライミング。長い休暇には一緒に南米、アンデスにまで遠征した。
- 仕事のトラブル処理で日本に飛んでいる間に、泥棒が入り家が荒らされた。
- いろいろと失望することが重なって帰国。
しばらくは埼玉の電気屋に勤めて、電気工事や水道工事を覚える。この時住んだ地域では電気屋が水道工事もやるのが普通だった。職人さんたちとの付き合いを通して、基本的な建築や設備について学ぶことができた。これが後にドームハウスを作る際の自信につながった。浄化槽の交換工事でうんちまみれになったり、高圧線を間違って切ってしまい目の前が真っ赤っかになったりといろいろあったけど、楽しい時期だった。
それなりに平和な日常が戻ってきていたが、娘の誕生とともに「ばりばり働いて、ばりばり遊んでいる父ちゃんを見せなければ!」という焦りにかられ一念発起。南米チリで生うにを処理する工場を運営し、ロサンゼルスで箱につめて日本に空輸する・・・てな事業計画書を作成。件の事業家でもある山仲間に出資してもらいチリに飛んだ。
結局、ノルウェーの北極圏近くから、チリの南極圏近くに拠点を移して事業を再開。100人以上もの従業員を雇って工場を動かし始めた。
事業そのものはマネーロンダリングがらみの原料価格高騰であえなく撤退。1年ほどのチリ事業に終わった。
でも貴重な体験をいっぱいした。
もっとも印象的だったのは、街から丘の上にあがって初めて見た「地平線まで広がるスラム街」の光景。
飛行機の窓から見た、延々と広がるシベリアの雪原にも、ヒマラヤの何千メートルの大岩壁を見上げたときにも感銘は受けた。でもそこは広いだけではない。遥かなだけでもない。そこでは地平線までつづく遥かな平原に人が住んで、蠢いて、活動をして、生きている。
従業員の多く住むスラム街では電話なんかないから、仕事のある日はボンネットバスで迎えに行く。「危険だから入るな」とチリのパートナーには再三言われたが、何度も何度も訪れた。嫉妬、羨望、後悔、やきもち・・・あらゆる感情をむき出しにするが、皆優しくて、明るくて、親切だった。
さて、チリから帰国後はあらゆる事業に手を出した。社会主義時代のポーランド国営漁業公団の総代理店として、水産物の入札のコーディネートをしたり、仕掛け販売なんてものに関わったり、インターネット事業なども立ち上げたり。
事業はそれなりに順調だし、わくわくの連続。長男も生まれ、どうやらこのまま東京に住み続けることになりそうだ。
そうなると問題は家を出ると車の走り回っているような環境。子供はやはり自然のなかで育てたい。週末だけでも都会を離れて暮らすためには基地がいるな・・・・
子供たちには自然のなかを自由に走り回って大きくなってほしい。
栃木在住の友人が土地を買って引越しをするというのに便乗して、まずは土地を手に入れた。さらに旧友からドームハウスの情報が入ってきた。ライターをしていた彼女は最近ドームハウスの取材をしたところだった。
「自然のなかにはそもそも直線の空間ってないのよね。だから人は四角い家では落ち着かないの」
決めの一言で、ドームハウスを建てることとした。
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