山登りを始めたのは、歩こう会や走ろう会を主宰していた祖父の影響でした。夏休みには祖父とともに毎朝の早朝登山をしていました。
高校生になると山登りは一気に本格化。高校山岳部ではすぐに物足りなくなり、社会人山岳会(山岳巡礼倶楽部)に入会。まずは日本の既成クライミングルートを片っ端から登り始めます。
谷川岳や穂高などのクラシックルートを一通り登りまくったあとは、1日に何本登れるかをかけてのスピードクライミングに夢中になっていきます。
そのうち、危険なルートで肉体や精神の限界に挑戦することよりも、辺境と言われるような地域を、未開拓な岩場を求めてさまよいはじめます。
まだ社会主義体制だった旧ユーゴスラヴィアの石灰岩峰群にほれ込み、地元のクライマーの家に居候しつつクライミング三昧の日々を過ごしました。
写真はユーゴスラヴィアの名峰トリグラフ。日本人としては初めてその北壁を登りました。
トリグラフの北壁登攀時に20メートル程度の滑落。奇跡的に助かったものの満身創痍でビバーク中。
自力下山したら村の人たちがみんなで迎えてくれた。病院に連れて行ってもらえると思ったら、行先はバー。みんなで北壁登攀を祝ってくれました。
ヒマラヤやアンデスの高峰にも行くようになりましたが、組織登山には馴染めず、少人数のアルパインスタイル登山が中心となります。
ここでも辺境好きの虫が顔を出すのか、関心はむしろネパールやボリビア、ペルーなどの辺地へと移っていきます。