下又白谷情報
山岳巡礼倶楽部
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穂高岳にあって人気の少ない険谷、下又白谷。

下又白谷上部(3つのピークが左から第一支稜、前穂三本槍、正面壁の頭)


下又白谷とは・・・


上高地のバスターミナルからもっとも近い岩場の一つであるにもかかわらず、
【神秘の谷】ミステリアスヴァリーである。

屏風や四峰の岩壁に
【奇妙な果実】ストレインジフルーツがたわあに実っている時でさえ、
この谷にうごめくものは、セクシーな風と猿どもの群れ、
それに精神構造にいくらか問題のある
ぼくらのような人種しかいない。

全く露骨にスケベな空間


山岳巡礼倶楽部において下又白谷研究の中心であった、わたべゆきお氏の言葉だ。
たしかに上高地や涸沢に人があふれている時でも下又白谷だけは、自分たちだけの空間であった。
実際に猿の群れが相当数おり、囲まれて威嚇されることもあった。

穂高において唯一、堂々と焚き火を囲むことのできる空間でもある・・・・


下又白谷全体概念図

下又白谷の登攀対象としては、

  1. 大きく5つの滝群からなる下部本谷
  2. F1手前の前壁とその右稜線(明神東稜の支稜)となる山巡稜
  3. 下部本谷F2上から左岸に派生する菱形ルンゼ
  4. その側壁となる菱形岩壁周辺の岩場
  5. 茶臼尾根の末端に広がる黒ビンの壁
  6. それに上部の前穂高から明神の間に展開する稜線および岩壁群

となる。

# 上部一尾根第一支稜と下部本谷の記録(Climbing Journal誌掲載のもの)

shimomata.pdf


1.下部本谷

1926年7月東医専の篠井金吾、岩本由明が初トレースをし、その後1934年には慈恵医大のパーティーが奥又の池から積雪を利用して下降している。
また新村正一氏も積雪を使って単独でここを通過しているらしい。

下部本谷が大きく4つの滝群からなることを確認したのは、1962年〜1965年にかけて会を挙げてこの地域の研究を行った山岳巡礼倶楽部で、上部奥壁の初登につづいて、下部本谷F1手前から明神岳東稜につきあげるリッジを登ってひょうたん池に至った際に目撃したもの。
菱形ルンゼや菱形岩壁が見出されたのもこの時だと思われる。

本谷の無雪期初登は1965年10月鵬翔山岳会によってなされた。


2.F1手前前壁周辺

下部本谷F1は6〜7月くらいまで雪渓に覆われていて状況次第ではその上を歩いて越えることができる。雪渓が崩壊した後は、右岸の前壁を登ってF1上に懸垂下降で降りるのが一般的。
落ち口あたりの雪渓が大きくない時期であれば、スラブの間のバンドをひろってトラバースして直接落ち口に抜けることも可能。
左岸の岩場を越えていくことも可能だが、いずれにせよ雪渓から岩場にとりつく部分が一番の課題となる。

前壁自体も大きな岩壁であるが、それ自体が登られたという記録はあまり見ない。
右稜はかん木のリッジとなっており「山巡稜」と名づけられている。



3.菱形ルンゼ

F2も時期によっては雪渓の処理にかなりてこずる。
滝がでている場合は右壁を登る。
登り過ぎるとざらざらのスラブで悪くなるので、落ち口あたりで流水によっていく。
その上を左へ行けば本谷、右に入るのが菱形ルンゼとなる。
通常はほとんど水流がないが、雨のあとなどは相当の水が流れることがある。


4.菱形ルンゼの側壁群

菱形ルンゼの右岸に菱形岩壁を中心としたスラブ帯が広がる。
菱形岩壁のJECCルートが有名だが、かなり脆い破砕帯のハングを超えるルートらしい。(筆者は登っていない)
菱形岩壁の左手に規模の大きなスラブ帯が広がり、山岳巡礼倶楽部のメンバーが2本のスラブを登っている。



5.黒ビンの壁

茶臼尾根の末端に広がる岩壁。
各ルンゼが登攀対象となる。



6.上部岩稜群

山岳巡礼倶楽部の初期のメンバーが上部の奥壁を初登したという記録があるが、今となってはどこを登ったものか特定するのは難しくなっている。
前穂高〜明神にかけての岩稜や岩壁は登攀対象となりそうだが、概要はまだはっきりしない。
第一尾根第一支稜(または前穂高東南面のリッジ)は、ウエストンが前穂高岳に登ったルートではないかと言われている。その右手に広がる一尾根正面壁もいくつか登攀された形跡がある。


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